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「で、ここがこうなるから――」
部屋に響く縁下くんの言葉を脳は上手く処理することができず、右から左へと流れていく。
見慣れない私服姿を盗み見てはばれないように視線を教科書に戻し、今度は綺麗な指先を眺める。
うるさい心臓の音を鎮めようと深呼吸したところで、鼻に入ってくるのは縁下くんの匂い。
あぁダメだ、逆効果だって気づいた時にはもう遅くて、教科書から視線を逸らしてしまった。
「ミョウジ、聞いてる?」
「へ!?あ、う、うん!」
そんな私に気づいた縁下くんも教科書から顔を上げて、ちらりと私を視界に映す。
突然目が合ったせいで、また心臓が跳ねた。
「ちょっと休憩しようか」
「ご、ごめん……」
「いいよ、一気に詰め込みすぎても覚えられないだろうし」
本当は2人きりで縁下くんの家にいることに緊張しているだけなのだが、彼は私が問題が難しくて集中できていないと思ったらしい。
何だかその純粋さを見ていると、私が1人もんもんとしているのが申し訳なくなってしまった。
でも、だって、仕方ないじゃないか。
縁下くんは部活で忙しくて、デートなんて片手で数えられるくらいしかしていないのに。まさかテストやばいかもって嘆いただけで「俺が教えようか?」なんて言ってもらえると思わないじゃないか。
しかもそれが西谷くんや田中くんも一緒だろうとたかを括って家に来たら、まさかの2人きりだなんて。そんなの。心の準備なんて整っているわけがない。
「なんか、緊張しちゃって……」
「え?」
「2人きりって、緊張、しない?」
西谷くんや田中くんが居なかったことにも驚いたけれど、私を迎え入れた縁下くんはご家族が家にいないことも教えてくれていた。
今この家に、2人きり。そんな状況下で緊張しないほうが難しいのではないだろうか。
「緊張、移ったかも……」
「ご、ごめん……!」
しばらく見詰め合って、目を逸らした縁下くんは軽くため息をつきながら口元を大きく綺麗な手で隠す。
その顔がほんのりと赤くなっていることに気づいてしまうとそれ以上何も言えなくて、部屋には嫌な沈黙が走った。
「緊張解す何か、するか」
「何か、って?」
「うーん、何だろう」
縁下くんの提案に乗ろうと何かあるか一緒に考えてみるが、なかなか良い案は浮かばない。
ゲームを始めたりしたら解れるかもしれないけれど、今日は勉強をしに来ているのだ。始めてしまったら最後、今日はそれで1日が潰れてしまうだろう。
2人してうんうん頭を抱えていると、ふと縁下くんが「そうだ」と声をあげた。
「くすぐってみるとか、どう?」
「……え!?」
「緊張ほぐれそうじゃない?」
「ほ、解れそう、かも、しれないけど……ひゃっ」
くすぐるということはつまりは脇腹あたりを触られるということで、最近太ってきた私はあまり賛同できない案だった。
だがそれを否定する間も無く一気に距離を詰めてきた縁下くんに脇腹をつかまれて、驚きとくすぐったさで変な声が出てしまう。
慌てて口を塞ごうとしたが時既に遅し、無慈悲にも縁下くんの指が私の脇腹をなぞり始めた。
「ちょっ、まっ、ふふっ……」
「おーい、逃げるな」
無意識の内に身体を捻って逃げようとする私を追うように再度距離を詰められてしまえば、背中にベッドがあたり逃げ場を失う。
それでも脇腹に触られているという事実がどうにも恥ずかしくて、どうにかして逃れようと暴れることしかできない。
「も、やだっ、ちょ、縁下くんっ!す、ストップ、ふ、ふふっ!んふっ……!」
「暴れるなってば、頭打つぞ」
「じゃ、はな、離して……ひゃぁっ……!」
「緊張、解れた?」
ニヤニヤと楽しそうに笑う縁下くんの手を何度も叩けば、やっとの思いでその手が私から離れていく。
暴れたせいで身体から全身の力が抜けて、その場に横たわることしかできない。
くすぐったさだとか恥ずかしさから縁下くんの顔が見れずにいる私に、楽しそうにそんな質問が投げかけられた。
「ほ、ほぐ、れた、けど……はぁ……はぁ……し、死ぬかと思った……」
確かに解れた。
解れたけれど、おかげで髪の毛はぼさぼさだし服だって乱れてしまっている。ああもう、せっかく可愛い格好してきたのに……
なんて思いながら顔を上げれば、ふと目をまん丸くさせた縁下くんがいて。
「あ、え、っと、ごめん」
「え?」
「は、早く起きて」
「え、今身体に力入らないよ……」
顔を逸らされたかと思えば、早く起き上がれといわれてしまった。
いや、確かに人様の部屋に上がりこんで勝手に寝転がるのは失礼だと思うけど、元はと言えば縁下くんがくすぐるからこうなったわけで……。
ムッと口を尖らせながら言えば、どこか言いづらそうに「いや、あのさ」と言葉を紡ぐ。
「前、はだけてるから……」
「へっ!?」
先程の力が入らなかった身体はどこへいったのか、反射的に起き上がり両手で胸元を隠す。
確かに今日は少し前開きの服を着てきた。着てきたけれど、まさかそんな、こんなことになるなんて思わないじゃないか。
暴れたせいで見えてしまっていた下着はどんな色だったか、ダサいやつじゃなかったか。なんて考えたところで何も思い出せない。それくらい、今私はテンパっている。
「ごごごご、ごめん!」
「いや、俺も、調子乗りすぎたっていうか……うん、ごめん……」
お互いに恥ずかしさと気まずさから顔を見られず、視線はカーペットの広がる床だ。
「テスト勉強、どころじゃなくなったね……」
「そうだな……」
「うう、貧相なもの見せてごめんね……」
決して大きいとも言えなければ、形が良いとも言えない、そんな貧相な自分の胸。
コンプレックスというほどではないけれど、何だか申し訳なくなってきてもう謝ることしかできない。
そんな私に驚いたような顔をしてから、「何言ってんの?」と眉を顰める縁下くん。
「俺、今普通に興奮してるから」
「……へ?」
「って、俺何言ってんだ……」
静かな部屋に、はっきりと聞こえた言葉。
それが聞き間違いじゃないなんてことはちゃんとわかっていて、それでも、理解ができない。
恥ずかしそうに口元を押さえた縁下くんを見上げると、「何か言ってよ」と怒られてしまった。
「興奮、するの?縁下くんって……」
「ミョウジ、俺を何だと思ってるの」
何か言わなければ。働かない頭で必死に考えた結果、出てきたのはそんなくだらない質問で。
縁下くんも肩の力が抜けたように、小さく噴き出した。
「だって、そういうの、興味なさそうって」
田中くんや西谷くんがそういう話をしていても、そこに入っていくところを見たことがない。
だから、興味ないんだって思ってた。
今日もこうして家に2人きりでも緊張してなかったし、私だけが期待しているみたいで少し寂しく思ったりもしたのだ。
「ミョウジが思ってるほど紳士じゃないよ。ドキドキだってするし、さっきだって胸見えたの、普通に嬉しいって思ったよ。ラッキーだって、思ったよ」
「っ……」
どうしよう。どうしようどうしよう。
縁下くんは男の子で。そんなのちゃんとわかっていたことで。
それなのに今、目の前にいる縁下くんは異性なんだって改めて実感してしまって。
顔が熱い。身体中が燃えるように熱い。熱を宿した縁下くんの瞳が妖艶で、心臓がうるさい。
「もっと見たいって、思ったよ」
シャンプーの匂いとともに降って来たそんな言葉に、眩暈がする。涼しかったはずの部屋が暑く感じるのは、きっと体温が上昇しているせいで。
縁下くんにならもっと見せても良い。
熱に浮かされてそんなことを考え出した私は、次のテストで良い点が取れるわけなんて、ない。
縁下とデート中に服が肌蹴る
20171004 紫苑