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「なぁミョウジ、あれ何て書いてるか見えるか」
隣の席の山形くんが指差す方向には、癖の強い字で例題となる数式の解が書いてあった。ちょうど今私が書き写していたところだ。
おそらくこうだと伝えれば、山形くんは歯を見せて「ありがとな」と笑い、ノートに視線を戻す。そのまま私が伝えたとおりの解を書き、続けて次の問題に移る。その横顔をしばらく盗み見てから、私も負けじと板書を進めた。
「そろそろ席替えかな」
「次は近くなりたいね」
仲の良いクラスメイトと机を囲んでの昼食の時間。お喋りをしながら食べていると箸の進みは悪く、さっさと食べ終わったらしい男子たちが騒ぐ中での食事になる。
騒がしい男子の一団ではヘッドロックやプロレスの技みたいなものをかけあっていて、痛いだなんだとさらに騒がしくなっている。なかなかにしっかりキマっているらしく、技をかけられている男子はバタバタと暴れ「ギブギブ!」という声に技をかけていた男子が手を離すと、いきなり解放された男子はそのまま前のめりに近くの机に突っ込んだ。勢いがあったせいで周囲の机や椅子までガタガタと倒れ、私たちの机の近くまでその被害は及ぶ。
「お前らあぶねぇだろ」
「ごめんごめん!」
すかさず倒れた机を直し始めたのが山形くんで、近くにいた私たちに「怪我ねぇか?」という気遣いまで見せた。
そこからの私たちの話題と言えば「山形くんって紳士だよね」「バレーも頑張ってるし」「よく気が付くよねー」と山形くん一色になる。意外とみんな山形くんのことをよく見ていたらしく、ぽんぽんと挙がる長所に少しだけ胸が痛んだ。
授業を真面目に受けているところも、その横顔も、消しゴムを落とせばすぐ拾ってくれる優しいところも、喋ると気さくなところも、私だけが知っていればいいのに、なんて贅沢すぎる願望だろうか。
もうすぐ席替えがあるなんて情報、本当は何も嬉しくないのだ。今のまま、山形くんの隣の席でいたい。
そんな誰にも打ち明けていない、芽生えたばかりの想いはそっと胸にしまい込んだ。
授業が終わってからも少しだけ残って無駄なお喋りをして、ファミレスかファーストフードにでも行こうとようやく立ち上がる。
廊下を進んでいると昼休みに騒いでいた男子がまた性懲りもなく騒いでいた。元気だよねと横目に見ながら階段を下るべくその脇を通り抜けようとしたところ、ひときわ元気な男子がこちらに気づかないまま飛び上がったらしく、ドンと背中に衝撃が走る。
「危ない!」という声は、前から聞こえたのか後ろから聞こえたのか、それすらもよく分からない。重力に逆らえず体がどんどん前のめりになっていく中、私の瞳は数段下にいる山形くんを捉えていた。「あ、もう練習着に」なんて考えられたのは余裕があったわけでなく、自分自身に何が起こっているか理解が出来ていなかったからだ。
「おい、大丈夫か!?」
山形くんの声に意識が引き戻されて、ようやく「階段から落ちたのだ」と理解した時には、体はすっぽり山形くんの腕の中に納まっていた。すぐ間近に山形くんの顔があって、慌てて顔を逸らす。
驚きと照れといろんなもので飛び上がりそうになりながら、どこも痛むところはないと伝えれば、山形くんはほっと表情を緩ませる。そのまま階段上を見上げた山形くんは私にぶつかった男子に「お前な、周り見ろよ」と注意していて、申し訳なさそうな謝罪の声が上の方から聞こえた。
「隼人くん超カッコイーネ! ナイトじゃん!」
山形くんと同じジャージを着ているのは、たしか隣のクラスの天童くんだ。ニヤニヤと口角を持ち上げている天童くんは、さあ今からからかうぞと言わんばかりで、恥ずかしさに視線を逸らす。
「ていうか隼人くんやるネ〜!」
「は? 何がだよ」
「いつまで触ってんの?」
天童くんの言葉に眉を顰めた山形くんの視線が自らの手元に向かう。その腕は私の体を支えるために伸びているので、私の視線も自然と自分の胸元へと運ばれる。
「っ、わ、わりぃ!」
指摘されるまで全く気付かなかったが、山形くんの手は胸元どころではなく胸を押しつぶすような形で私の体を支えていて、慌てる様子を見るにそれは山形くんも無意識だったらしい。当たり前だ、咄嗟だったのだから。
ただでさえ抱きとめてもらったことにドキドキと胸を高鳴らせていたのに、それももしかしたらバレていたかもしれない。いや、そういう場合ではないのは分かっているけど。だって、ちょっと、今、もうただただ混乱していて、山形くんを見ることすらできない。
「わりぃ、そういうつもりじゃなかったんだ、けど、」
「い、いや、こちらこそ、あの、ごめんなさい」
「いやごめんとか、ねぇって、」
粗末なものを触らせてしまってごめんなさい、と土下座した勢いで穴に埋まってしまいたいほど恥ずかしい。天童くんがフォローのつもりなのかなんなのか「隼人くん役得だったネ」なんて言うから余計に。
明日から隣の席でどんな顔をしていればいいんだろう。嫌だと思っていたけどもうすでに席替えしたくてたまらない。担任に直談判をしようかと思うほどだ。
最後にもう一回と頭を下げてお礼と謝罪の言葉を続け、一緒にいた友人の腕を引いてそのまま階段を駆け下りた。とにかくこの場から立ち去って、明日からのことは家に帰ってから考えればいいと、そう思ったのだ。
「隼人くん顔赤いヨ! エッチ〜!」
「うっせぇ!」
「よかったネ! 気になってるって言ってたもんネ!」
「だからうっせぇって!」
「アハ、真っ赤!」
聞こえた声に思わず足を止める。今の声は山形くんと天童くんだ。同じように聞こえていたのだろう友人が最高に楽しそうな顔をしていて、だからこそ聞き間違いではないだろう。そしてまた友人が「ナマエもすごい真っ赤」だなんて大きな声で言うから、慌ててその口を手で覆う。向こうの声が聞こえるんだからこっちの声だって聞こえるはずだ。
見上げた階上からひょこりと顔を出した山形くんと目が合った瞬間、「聞こえていたのか」と語るように瞳が大きく見開かれる。ごくりと喉を鳴らし、山形くんが口を開いた。天童くんや友人の煽るような声が遠ざかっていく。
思考停止。とどめを刺された心臓は、真っ赤な顔の騎士に鷲掴みにされた。
すみません、先生。
やっぱり席替えはなしでお願いします。
転んだ先に山形
ナイトからの転落
20171219 斎藤