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 コンコンコン。3回ノックしてみたものの応答はない。もう一度繰り返してみたけど変わらない。どうしたものか。ノブに手をかけて回してみると、カチャリと音が鳴った。開いてるじゃないか。

「こんにちはー、あ?」
「きゃっ! エッチー!」

 開けたドアの奥、男子排球部の部室の中にあった人影はただ一人。脱ぎかけのシャツの前身頃を掴み、抱きしめるように隠すスガ。片足はピョンと跳ね上がり、ふざけているのが見てとれる。

「着替えてるなら言ってくれればいいじゃん」
「返事してないのに入ってきたやつに言われてもなぁ」
「まぁいいや。澤村は?」
「もう体育館行った。今日俺が最後だもん。委員会あってさ」
「え!? 男バレ早いな」
「女バスがゆっくりなだけっしょ」

 部室に他の人がいないのは、もうすでに全員体育館で練習を始めているかららしい。まだ授業が終わって30分ほどしか経っていないなのに。頑張っているのは知っていたがそこまでとは。しかし私が未だ制服のままここにいるのはけしてゆっくりしていたわけではない。理由があるのだ。そしてそれは男バレにも関係する。

「なんか男バレ練習場所足りてないって聞いたんだけどさ」
「あー、みんな自主練バラバラのことやるからなー」
「今日女バレ人少なくて休みになったからこっちのコート使えそうだったら使っていいよって言いに来たの」
「え! マジ? すげー助かる!」
「澤村にも伝えといてくれる?」
「おー! オッケオッケ」

 連絡事項を伝えればもう用事はない。だけど立ち去り難くて、ドアの内側で所在なさげに視線を泳がせる。
 最初こそふざけていたスガも、すぐに気にすることなく着替えを再開。再び服に手をかける。

「あ、ちょうどいいや。そこのカゴとってくんない?」
「えー? この私に雑用を頼むとは高くつきますわよ」
「マジかー! 飴でいい?」
「まっ! 私のこと安い女だと思ってるのね! いいけど!」
「いいんかーい」

 さすがに見られていては居心地が悪いのか、スガは反対側の壁に沿って設置されている棚の上のカゴを指差した。上と言っても手を伸ばせば届きそうだし、頼むくらいだから重いものでもないのだろう。ふざけつつ了承して、靴を脱ぎ畳に上がった。着替えるスガに背を向ける形で棚の前に立ち、少し背伸びをしつつカゴに手をかける。ゴソゴソ。衣擦れの音に、二人きりの部室。姿は見えないのに、妙にドキドキするのはなんでだろう。さっきまでは何も思わなかったのに、急に今、スガが何をしているのか気になり始めた。よし、やっぱりさっさとお手伝いを終えて帰ろう。

「なあ、ミョウジ」
「はい!?」

 カゴに指をひっかけてずり下した瞬間、かかった声にビクリと体が揺れる。何も特別なことはない。ただ名前を呼ばれただけなのに、驚いてしまった私は、大きくバランスを崩した。

「わっ、あっ、あっ、あ!?」
「っ、おおおお!?」

 まずい。このまま倒れたらスガを下敷きに――そう思っても、咄嗟に体が動くはずもなく、重力に従って後ろに倒れていく。もう自分ではどうしようもない。ああ、終わった。最悪な現実から目を逸らすように目をぎゅっと瞑った。

「あ、れ?」
「っぶね、大丈夫?」

 しかし思っていたよりもかなり早い段階で体の傾きが止まる。痛みもなければ、むしろ背中には温かさが広がり、恐る恐る振り返れば、目の前にスガの顔。
 あまりの近さにひゅっと喉が鳴る。悲鳴のような謝罪を口にしながら慌てて体を離したが、ピンと引っ張られ再びスガの元に引き戻された。同時に頭部に走る刺すような痛み。着替えの途中で慌てて受け止めてくれたスガの肌蹴たシャツのボタンに私の髪が引っかかっていた。

「いったぁ、」
「あーあー、絡まってる。待て待て」
「えっ? ごっ、ごめん」

 早く練習に参加したいだろうに、余計な手間をかけさせてはいけない。早く外さなくちゃと痛くない程度に体を捩じり、髪の毛の先を追う。たどり着く先はスガのシャツなわけで、そこではすでにスガが外すべく格闘していた。

「あっ」
「おっ」

 手と手が触れて、小さく飛び出た声とともに手が跳ねる。これはいけない。体を預けていた時も近くて驚いたけど、髪の毛分の距離しか取れない今、向き合うとそれ以上に近さを実感して恥ずかしい。だってこんなのほぼ抱き合っているような距離だ。振り返るんじゃなかった。でも今さら戻るなんて不自然だし、何より任せっぱなしにするのは申し訳ない。
 交代しようにも、スガが「痛くねぇ?」と気遣いながら絡まった髪の毛を解いてくれていて、私は何もできずにただ立っているだけ。視線はスガの手が動くボタン。少し視線を逸らせば肌色が視界に入る。男の人の体だ。意外と引き締まってるんだな、じゃない。バカバカバカ、私のバカ。意識すればするほど顔が熱くなってきたじゃないか。

「ん、外れた!」
「……ありがとう」
「んーん。あ、ちょっと髪切れちった」
「ぜ、全然、全然大丈夫!」

 摘まんだ毛先をこちらに向けながら謝ってくれたけど、私はそれよりも髪の毛が痛みまくっていることの方が気になった。こんなことになるならお母さんの高めなトリートメントでしっかり保湿しておけばよかった。勝手に借りたのバレたら怒られるんだけど。
 さっきまでスガと私を繋ぎとめていた髪を弄りながら、何か言わなくちゃと考える。しかし考えたところで、顔は赤いだろうから上げられないし、今スガが何を考えていてどんな表情なのかも分からないのだ。気のきいたセリフなんて出てくるわけもない。

「つーかあれだな、やっぱ女子の髪っていい匂いすんな!」
「へっ、」
「あ、いや……」
「……あの……えーと、」

 もしかしたらスガも似たようなこと考えていたのだろうか。突拍子もない言葉に、いきなり何を言うんだと思わず顔を上げる。あ、真っ赤だ。下手したら私よりも赤い、かも。

「いやだって普通に照れんべ!」
「えっ、あ、う、うん」
「……じゃ、じゃあ俺着替える、から。あー……手伝ってくれてありがとな!」
「あ、いえ、こちらこそ」

 爆発したかのような勢いに流されて、再び靴を履く。改めて澤村への伝言のお願いと、邪魔しちゃったことを謝って、部室を後にした。
 バタバタと部室等の通路を走り、階段も転がり落ちそうになりながら降りて、校門へと続く前庭まで出てようやく息をつく。自分のしたこと、身に降りかかったことを思い返しても、信じられなくて、でも現実で。走ってるから熱いのか、思い出してるから熱いのかもう分からないほどだ。
 興奮したまま家に帰り、ぽやぽやした状態でご飯を食べ、お風呂に入り、布団の中で反芻してまた熱い息を吐く。目を閉じれば間近で見たスガを思い出してしまい、体の火照りはいつまでも取れず、明日からどんな顔して喋ればいいんだろうってそればかり考えれば、眠りにつくにはかなり時間がかかった。
菅原のシャツに髪が絡まる

20180305 斎藤