さざ波の音を隣に感じると、余計に海辺が寒く思える。薄手のコートでも少し身震いがしてしまう程だ。そんな一瞬のことに気付いてくれるのが駿くんの良いところであり、ある意味悪いところでもある。なぜなら私を魅了して止まないからだ。繋いだ手を、自分のコートのポケットに入れてくれたりするから。

「…寒いね。」
「……うん。」

頷くので精一杯だ。あんまり喋ると、気持ちが勝手に言葉になって出てしまいそうで。俯くと、足元が見える。砂浜に私の足跡が残っていく。

「あ……。」

…ふと、気付いてしまった。背が高い駿くんと私なんて、絶対に歩幅は合わない。でも早歩きなんてしたことがなかった。それはつまり、私の狭い歩幅に、彼がいつも合わせてくれていたということ。

「どした?」

普通に問いかけてくれたそれも、もう最後だからなのか好きすぎるからなのか分からない程、酷く優しく思える。見上げると視線が合って、…

「好きだなぁ…って、思ってた」

どうしようもなく溢れて、ついに溢れて零れてしまった。えっ、と驚いたような駿くんの声に、ハッと現実に引き戻される。カメラは止まっていない。

「、駿くん、歩幅合わせてくれて、寒がってるの気付いて温めてくれて、……私幸せ過ぎるよ」

眉毛を下げながら、申し訳なさげに微笑む。大丈夫、本気で好きだろと誰に指摘されたとしても、全て演技でしたで収まる。寧ろそうすれば女優としてのはくがつく。あの人あんな演技が出来るんだ、と。実際は憑依型で自滅型だけども…。でも。それでも。、

「駿くんの良いところ、もっといっぱいある。だから全人類に自慢したい!私の夫ですって」
「名前ちゃん、…」
「妻になれて嬉しかった。」

微笑みながらそう言うと、駿くんの足が止まる。繋がれた手がそれを教えてくれて、振り向く。さざ波の音が、彼の言葉と重なって消えていった。

「ーー……、…」
「…?ごめん聞こえなくて」
「……」
「、駿くん?」

俯いた顔を覗くように問い掛けると、繋いだ手を引かれて抱き締められる。じんわりと温かくなって、駿くんの体温が移る。……泣きそうだ。

「…名前ちゃん。大好き」
「……きこえない。」
「…嘘つけ。」
「、うん。でも…もっかい言って。」

耳元に寄せられた唇から、音声さんが拾えるかどうかの小さな声で聞こえた同じ言葉。背中に手を回すと、さらに抱き締められる力が強くなる。このまま抱き潰されてしまいたいよ。撮影隊の存在を消すように、駿くんの胸に顔を埋めた。

「……名前ちゃん」
「…はい」
「俺にも言って。」
「…大好き?」
「そう、それ」
「、今言った。」
「アハハ。…あかん。ちゃんとしたやつ。」

私の肩に埋めた駿くんが、小さく笑っているのが振動で伝わる。顔を見たいけど、キスはもう十分だよと先ほどプロデューサーさんに釘を打たれたから駄目だ。あれは、遠回しのNG。だから今、互いに視線を合わせないのはそういうことだ。このシチュエーションと雰囲気に、飲まれないように。

だから、駿くんの心臓に耳を当てる。私達は今、ここまでしか出来ない。

「………駿くん。大好き。」

耳に響く心音の速さが少し変わったから、もう愛おしくて小さく笑ってしまう。するとそれに気付いた駿くんが、私の肩を持って少し離すから視線が合った。その目がちょっと怒っている(かわいい)。

「……〜〜〜もう!」
「アハハ、ごめん可愛くってつい」
「もー怒った!」
「はいはい。」

はいはいちゃうわ!と言う駿くんはまた、私の手を引っ張って歩き出す。薄暗く照らされた彼の耳は、その暗がりの中で分かるほど赤かった。まだカットが掛からないので、通しで撮るつもりだろうか。でももう、別れの言葉を伝えて去る場所ポイントまで来てしまった。

駿くんは自然と立ち止まって、振り返った。私と向かい合わせに立つと、もう片方の手も繋いでくれて。…スタッフさんからのストップも掛からないので、このまま撮ってしまうつもりだと互いに感じていた。きっと編集で上手くするのだろう。

「本当に、ありがとう。」
「……うん。」
「名前ちゃんの夫になれたことは、…俺にとってほんまに幸せやった。」
「……、」
「俺、こんなに人を好きになれるんやって、…知らんかった。全部…名前ちゃんが教えてくれた。、」

涙が溢れても、仕方なかった。だって、駿くんが泣きながら必死に伝えてくれたから。彼の頬の涙を指で拭うと、その手の上から大きな手が重ねられる。彼の体温で挟んで貰えるなんて、幸せだ。でももう、こんな機会はこない。

「………ありがとう。」
「…、……私、こそ。ありがとう」

胸に込み上げてくるものが多すぎて、言葉が出ない。涙だけは素直に流れるのに。酷い話だ。駿くんは、自分の頬と手で挟んだ私の手に、頬を擦り寄せてくれる。温かくて、嬉しいのに、それでさえ最後なんだと思うと涙が止まらない。

「…手、温かくなったね。」
「うん…でもまだ寒いから、」
「………うん。まだ……、」

そう言って反対の手で私を抱き寄せてくれる。泣き止まない私の頭を、やさしく撫でてくれた。…それ泣き止ます気あるんだろうか。

「…名前ちゃん、手冷たいから」
「………、う、ん…。」
「いつもこうやって…温めるんが普通になってた。」
「……そう、…だね。……いつもありがとう。」
「……、…俺が、おらんく、ても……。ちゃんと温めてあげて……。」

私の肩におでこを当てて、顔を伏せた。頬に当てた手に、駿くんの涙が落ちてくる。私も泣けてくるんだけど、彼も結構泣くものだから一周回って可笑しくなってちょっと笑ってしまう。後ろに回した片手で、背中をさする。

「……〜っもう、…すぐ笑う…。」
「駿くん自分の涙で溺れるんじゃないかって思って……。」
「そんな間抜けちゃうわ……。」

アハハ、と笑うと鼻を噛む音が何度も聞こえる。本当に鼻水で溺れるんじゃ…?と彼を少し離して、もう片方の手も頬に当てる。見上げるように覗き込むと、私を抱き締めたまま、涙を我慢した顰めっ面な表情が目に入る。

「……嘘つけ。息しにくそう。」
「…………そんなことない。」
「えぇ?」

悪戯っぽく近付いて顔を覗き込むと、距離を取るために顎を引くかと思ったが、むしろ逆で。私の方へ少し首を傾げてる。少し驚いて彼の頬から両手を離した。距離を取ろうとも、背中に回された彼の両手がそれを許さない。

「えっ…」
「ほら、ちゃんと見て」
「え…」

距離にしてきっと手のひら分ぐらい。このまま視線を合わせてしまうと、また…引き寄せられてしまう。でもそれは駄目だって、言われたから…。

視線を逸らすと、それが気に食わなかったのか、背中に回っていた片手が私の頭から頬に撫で下がってくる。涙で濡れていた下瞼を親指で拭ってくれるから、反射的に目を瞑ってしまう。

「、」

その一瞬、唇に何かが触れた。ハッと目を開こうとするも、彼の息が私の鼻を掠めるから、咄嗟に視線を俯ける。駄目って言われたでしょ…!という気持ちを込めて、彼の肩下に顔を埋めて二の腕を軽く殴る。アハハ、と小さく笑う声がする。……もう!

「……あほ。」
「…かわい。」
「うるさい。」

やんわりと、腕の中から離れる。驚いて涙も止まってしまった。軽く睨むように見上げると、ちょっと目の赤い駿くんが笑っていた。…好きだな。

「………そろそろ、行かなきゃ。だね。」
「…うん。」
「名前ちゃんから先行ってよ。」
「イヤだよ。駿くんから行ってよ」
「レディーファーストやん。」
「ここでは間違ってるからそれ。」

とか色々言いながら、結局私が先に行くことに。何度もありがとうを伝えて、歩き出す。何度も何度も振り返って、曲がり角で見えなくなるまで繰り返した。そこから独りになると、抑えていた涙が溢れて止まらない。

「………っ、……」

とうとう歩けなくなると、しゃがみ込んでしまう。カメラさんに申し訳ないな…と思うも、視線の先にわざとらしく置かれた一枚の白い紙に目がいく。……そうだ、最後の…

「ミッション……?」

手に取ると、紙は二枚重なっていた。そのうちの一枚は白紙。

"最後に、願いを叶えることができます。
二枚目の紙に、妻としての願いを書いて下さい。
なお、夫と同じ解答の場合のみ叶います。"

「妻としての、願い……」

ミッションがあるのは聞いていたが、内容までは教えてくれなかったのはそう言うことらしい。最後の願い、か…。出来るなら本当に結婚したい。けどそんなの絶対駿くんと解答が合わないし、それ以前にそんなの無理って分かってる。でも、だからこそ、最後に思うのは……

「私は……。」


2022.8.12
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