帰宅後、自宅マンションのエレベーターを待つ。ふと、数日前に見たそれと背景が被る。好きだと思っていたあの頃見たら、発狂しそうな絵図だったなぁと他人事のように思い出す。もう一ミリも興味がないなんて、人間は凄い。

エレベーターが到着し、扉が開く。乗り込んで32階を押す。扉が閉まる寸前に人が見えて、慌てて開くを押した。

「、すみません助かりました」

入ってきた人を反射的に見上げる。すぐ視線を下ろして、頭を下げる。数日前見た顔に軽くため息をつきそうになる。…また?このマンション結構戸数多かったよな。今まで会わなかったのにこの数日はどうした?

「……名前ちゃん、?」
「!」

喋りかけられると思っていなくて、咄嗟に息を飲み込む。それは想定していなかった。この前すれ違った時にバレていたのだろうか。…しかし何とかして知らないフリをしたい。関わりたくない。そういうのは大吾くんだけで十分だ。

「…あっ、間違ってたら本当にすみません……。」

申し訳なさそうな声。後ろから、気持ち程度に覗き込むようにしてこちらを見ている。先程は驚きはしたが、それは彼だからというわけではなく、脳裏にたまたま居た人が本当に現れて驚いただけで。それ以上は全く何もない。近寄られたくない、ただそれだけ。

「違います」
「………えっ。あっ…すみません」

小さく頷くとエレベーターが開く。32階だ。35階のランプも点灯していたので、同じ階でなくて一安心。何事もなかったように出て行こうとした瞬間。

「……ま、待っ」

エレベーターの閉まるを押して出た為、彼が何か言い掛けたが途中で扉が閉まった。…否定したのにまだ声をかけるってことは、私が私であることを気付いて声を掛けてきたのか。なら丁度いい。違いますと言ったのが全てだ。もう今後一切関わらないでください。と、心から願った。

**

………あの後ろ姿、背丈、横顔、声。どう考えても、名前ちゃんで間違いない。なのに、否定された。

「…分からん。」

昨日のことを思い出しながら、会社に併設されたレッスン場で一人ストレッチ中。今日は新曲のフリ入れだ。メンバー全員はスケジュール上合わなかったみたいで、大吾くん・長尾・俺のみ。

俺的には先に大吾くんに来てほしい。聞きたいことが山ほどある。大吾くんは名前ちゃんと仲良かったはずだし。なにより俺ら同じマンションに住んでるし!…知ってたんやろか。

「あ、おはよみっちー。早いな」
「大吾くん!おはようございます」
「朝から元気やな!俺も頑張ろー」

レッスン場に入ってきた大吾くんが、神のように後光が差して見える。先に来てくれてありがとう…!そんな俺の視線に首を傾げながら、荷物を置いて俺の隣に来てストレッチをしている。長尾、頼む。まだんとってくれ…!

「大吾くん、聞きたいことあって」
「ん?どしたん」
「名前ちゃんと仲良かった…よね?」
「……え?どしたん急に」

脚を広げて身体を伏せる大吾くんの動きが一瞬止まる。でもそれは無かったかのようにストレッチを再開している。……何か怪しい。

「いや、昨日マンションのエレベーターでたまたま会って。声掛けたら違いますって言われて…」
「へー……。」
「でも絶対名前ちゃんやってん。間違いない」
「……」
「えってか、同じマンションって知ってました?俺めっちゃ驚いて…」
「んーまあ…」
「えっ!?知ってたん!?」

驚いて少し大きな声が漏れる。慌てて口を押さえるも、大吾くんは気にしていない様子。え、いやなんで教えてくれへんの?俺が今まで名前ちゃんのこと気にしてたん、大吾くん知ってたはずやのに。…いや、プライベートのことやしよう言わんかったんかな。でも……

「知ってたっちゃあ知ってたかな…」
「えっマジで!?教えてよ!いつから?」
「……まぁ、ええやん。」
「…えっ?」
「あんまり人に話すことでもないやろ?はい関節伸ばすー」

そう言って、言葉を濁したのを誤魔化すように俺の背中に回って前に押してくれる。違和感しか無くて、動揺が小さく戸惑っている。無言になってしまう俺に、大吾くんの声が優しく降ってくる。

「まあそっとしといたり」
「………。」

正直、昨日見た彼女は俺の知ってる名前ちゃんではなかった。暗くて冷たい、知らない人のようだった。そして、俺が近付くことを避けようとする大吾くん。…彼女がああなったのは、俺が何か関わっているから?だから俺を離すのだろうか。

「おはようございまーす」
「おー謙杜おはよ」
「今日めっちゃ寒くないですか〜。俺凍えてない?生きてる?」
「はいはい生きてる生きてる」
「大吾くん冷たい!…もしかして凍ってんちゃうか…?」
「アホか誰が室内で凍るねん。東京そんなに極寒ちゃうぞ。」
「アハハ」

長尾の笑い声が先程の空気を消すかのように、明るく暖かくしていく。でも俺は、その中に混じれないでいた。大吾くんは、名前ちゃんが引退した理由を知っていると思ったからだ。前にその話になった時は、知らないと言っていたがきっと嘘だ。

「どしたん?静かやな」

一言も喋らない俺に長尾が寄ってきてくれる。なんだかんだ俺のことよく見てんねんな、こいつ。

「いや…振り覚えられるかなって」
「ドラマ撮影と被ってんもんなぁ。まあ俺もやけど」
「今日も(撮影)あんの?」
「いやないで。えっもしかして…」
「21時から。」
「うわー厳しー」
「でもまあ近くやから」
「ああ、××ビルやろ?近さだけが救いやなー」
「は?なんで知ってんねん」
「はぁ?前言うとったやんけ」
「…あ。そうか。ごめんごめん」
「ほんまどうしたん?うんこでもいきたいん?」

長尾のアホさに呆れるも、しょうもなさすぎて逆に笑えてくる。絶対口に出しては言わんけど、こういう所に感謝したりしてる。うっさいねんと笑いながら、長尾の背中をストレッチと乗じてお尻で踏み付ける。加減!加減!と叫ぶから笑いが止まらない。

その時、大吾くんがどんな表情をしていたかなんて俺は知るよしもなかった。


除け者の一番手/2022.8.16
back