「何してんの」

数メートル先に道枝さんが居て、思わず息を呑む。その右手には私の携帯が握られていた。…どうして、あなたがそれを。動揺する中、携帯に脚が生えて戻ってきたんだなと馬鹿なことを考える脳をどうにかしたい。

何も答えられない私に痺れを切らしたのか、こちらに向かって歩き出した道枝さん。少し先に居るのにも関わらず、苛立っていることが分かる。思わず後ずさると、大吾くんが自然と私の前に立つように出て来てくれる。

「どしたんこんな夜中に」
「…電話したけど出やんかったから」
「あーそうなん?ごめん電源落ちとったんかな」

怖くて視線が、上げられない。大吾くんの足下を見ても、落ち着かないのは道枝さんの威圧感のせいだ。私の携帯を持っていることで、あの現場にいたことは何となく勘付く。意識を失った後に見つけてくれたのだろう。

…でも怒る理由が分からない。仮に彼の彼女なら、大吾くん家から出てきた私を見て怒るのは分かるけど……、いやだって有り得ない。エレベーターですれ違った彼女…

「…これ」
「!」

道枝さんは大吾くんを少し避けて、携帯を渡してくれる。小さくありがとうございますと呟くと、空気が変わる匂いがする。

「敬語……」
「……、」

顔を見ていなくても分かる、…あ然と悲しい声だった。なんだか私が悪いことをしてるみたいだ。居た堪れなくなって、逃げようと気持ち早歩きで強行突破しようとし

「!」
「…待って。」

手首を掴まれて、それは阻止される。反動で振り向いてしまうも、視線は合わせられなかった。

「、名前ちゃん、俺
「ストップ。」
「…!」

私を止めるその手を、大吾くんが取った。その隙に、顔を顰めながらそのまま逃げるようにエレベーターに乗った。聞こえてた、後ろで私を呼ぶ声。それでも、振り返らない。もう関わらないで、欲しい。昔を、思い出したくない。

「……」

ふと、手に持った携帯を見つめる。時刻は0時21分を表示していた。よくこんな夜中に届けてくれたなぁ。…この人は、そういう人だった。優しさが傷口を抉る。

きっと職場で撮影をしているのは彼達だ。どう道枝さんに渡ったのか分からないが、携帯これを拾って、私が困っていると思って大吾くんに連絡したのだろう。でも繋がらないからここまで来てくれた。大吾くんに渡せばすぐ(私に携帯が)渡ると踏んで。

「……、しんど、」

エレベーターが32階に着くと、すぐに家に入る。玄関で座り込むと、罪悪感だけが私を襲う。どうして私は、いつも逃げてばかりなのだろう。周囲の優しさにあぐらを掻いて。でもそうしないと、あの声にまた襲われる。…生きていくって、大変だ。携帯を抱き締めて、心が痛むのを感じていた。

**

「…大吾くん」
「ごめんごめん。怒らんとって」

手を離して欲しいと視線で訴えられた気がして、やんわり笑ってそれに従う。名前が去った後を悲しそうに見る、みっちーは切なそうだった。でも俺は、どうしてもお前側には立てない。あの子を近くで見てきたから。視線が合うと、怪訝な表情をしていて心の中で小さく溜息を付く。

「どういうことなん」
「…あいつの携帯持ってたってことは、職場でどうなったか知ってんやろ?」
「……うん」
「、そういうことや」
「そういうことって…」

納得いってない顔。みっちーはそういうのが分かりやすい。でもお前の気持ちも分かる、一人のけ者にされてる気分やろうし、圧倒的に知らんことが多すぎる。俺的には言ってやりたいけど、名前のことを考えるとどうしても言えない。嫌な立ち位置やなぁ…。しゃーないけど。

「それと大吾くんちに名前ちゃんがおったことって関係あんの?」
「…この間も言うたやろ?そっとしといたりって」
「!でも「関わらん方がええってこと」
「…」
「明日も朝早いんやろ?そろそろ帰り」

そう言うと、俯く顔。二人の近くにおった俺としては、本人の気持ちをそれ以上に知ってると思う。分厚い壁に覆われて過ぎてるけど、根っこはきっと変わってない。片方は気にしてないフリを続けて、もう片方は完全に心閉ざしてるけどな…。どうしたもんか。と思いながら家の扉を開ける。

「なら一つだけ教えて」
「ん?」
「…付き合ってんの?」

振り返ると、真っ直ぐだけど暗さを帯びた目が俺を見ていた。

「……どやろなぁ」
「ちょ、大吾くん…」
「逆にそれ、みっちーにどう関係あんの?」
「…!」

彼女大事にしーや、と小さく笑って扉を閉めた。めっちゃ驚いてたなぁ、と思いながら部屋に戻る。でも湧き上がってきた感情に失笑する。これは悪戯か、本気か。


0時21分の請求書/2022.8.19
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