倒れた翌日、たまたま休みで助かった。昨日のことを思い出すと、胃が痛い。だからすぐ止めた。じゃないとあの声に襲われそうだった。

「…あ」

そう、ベッドで横になっている時。ふと大吾くん家で寝かせてもらったことを思い出す。…ヤバい。ビックリするぐらい忘れてた、あの人彼女居たよな。焦ってLINEを送る。

"昨日はありがとう。でも彼女さんに悪いことした、ごめん。もうしない"

そう送ると、送っておいて何だがもうしないって意味に引っ掛かる。自分で制御できるものなら絶対迷惑掛けないけど…。でも彼女さんにとっては良い気しないだろうから、そもそも関わることも止めた方が…と思った時。電話が鳴った。大吾くんだ。

「……はい」
≪君アホなん?≫
「……はい?」

ほぼ即レスレベルでの電話に、この人暇なのかと突っ込みそうになる。時計を見上げると13時過ぎ。…お昼休憩か?そう思う私をよそに、笑う声が響く。

≪あのー、彼女さんって誰のことですか?≫
「……え、おったやん」
≪いやそれいつの話やねん。ビビるわ。≫
「えっそうなん」
≪一年前ぐらいの話やで。驚いて電話してもたわーいや暇ちゃうで≫
「えっ…あの金髪ショートの…?」
≪そう。頼むで名前さん≫

アイドルさんで結構人気のあった人だ。さすがの私もその人の顔は知っていた。そんな私を笑う声の後ろで、独特の機械音が聞こえる。モスキートーンのような…。撮影中だろうか。

「…今現場?」
≪え?いや家やで。もう出るけど≫
「あ…そうなん」

気のせいか、と謝って電話は切った。…てか、そりゃ、大吾くんに彼女いたら私にこんなお節介焼かないか…。と、ある意味話の内容に納得して目を瞑った。……明日仕事行きたくないなぁ。

**

今日ほど仕事に行きたくないと思ったことは無い。溜息だけを連発して職場のロッカーに向かう。あー…、一昨日のこと騒ぎになってなかったら良いんだけど。でももう2日も経ってるしいけるか…と扉を開ける。

「おはようございま「偽名(名字)※言い訳のみ使用さん!昨日倒れたんだって!?大丈夫!?」
「……」

噂大好きモンスターオバA子(仮称)が突進のごとくやってきて、死亡が確定した。誰か見ていてもおかしくない所でそうなったものだから、仕方ないのか…。溜息を小さくつきながら、大丈夫ですと答える。ロッカーで着替えていると、後ろからオバA子のツレB子がそういえば…と声を漏らす。

「でもね、名字さん…って呼ばれてたわよね?」
「!」
「離婚でもしちゃったの?」

あの現場を見てたのか…。全力で項垂れる。B子は大人しいオバだが、なんせデリカシーというものがない。のは分かっていたのだが、そこを拾ってこられるとキツイ。一番見られたく、聞かれたくない相手であった。

「いえ…多分聞き間違いかと」
「……あら。そうだったの?ごめんねぇ」

納得いっていない声だったが、相手し過ぎるとこちらの負担が大き過ぎる。既に、頭の奥であの声がこだましていて、早く辞めたいと強く願いながら食堂へ足を向けた。無心でひたすらお皿を洗った。早く帰りたい。


「……」

そんな苦痛な仕事が終わってマンションに着くと、宅配ボックスに小さな荷物。差出人は親だった。気になって中身を見ると、お土産のような手のひらサイズの人形と、アマギフ。…どこか旅行でも行ったのだろうか、と思いながらエレベーターに足を向ける。

扉が開いたので、乗ろうとすればそこには誰か乗っていた。乗り込む足を止め、その人が出るのを待つ。…が、出て来ない。

「…?」

不審に思って見上げると、視線が合う前にその存在に気付いて視線を逸らす。……エレベーターに監視カメラでも付けてるのかこの人。しれっと逃げようとするも、手首を掴まれて引き込まれた。

「ちょ!……」
「管理人さんに、名前ちゃん帰ってきたら教えて欲しいって言ってて」
「……それ犯罪に近いと思います。、道枝さん」
「アハハ。ごめんキモくて。でも、そうでもしないと会えないから」

マンションのセキュリティの甘さ…!と憎みながらも、人気アイドルのお願いを受けない人の方が少ないのかもしれない。と圧倒的な人間力の差にまた卑屈になる。消えた存在の私には、遠過ぎる話。…頭痛がする。まるでスクールカーストの中にいるみたいだ。

「……離して、ください」

手首を振り払うように軽く動かしても、その手はびくともしない。どんな表情をしているのか知らないが、なんでこんなに構ってくるのか不思議で仕方ない。彼女さんが悲しむと思う…。昔のように、何を考えているのか分からない人だ。

「………イヤや。」
「…」
「もう"名前ちゃん"って、呼んだらあかんの…?」

その距離間に、君はいないの?と聞かれた気がした。俯いたまま何も答えないでいると、32階に到着する。その返事かのように、手を無理矢理振り払ってエレベーターから出た。閉まる扉を背に歩き出そうとして、

「…教えて」
「!」

足を止められるように、不意に背後から抱き締められた。驚いて持っていた荷物を落とす。首元に感じる彼の吐息とか、背中を覆う体温が、あの頃をすぐ思い出させることに苦痛を感じた。…あんなに好きだったのに。負の感情しか湧き上がってこなかった。


デリカシーと人間力の差/2022.8.21
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