「名前!」

鍵の開いていた扉を開けると、リビングに横たわる彼女の姿が見えて一気に血の気が引く。慌てて駆け寄ると、抱き抱えて何度か呼びかけるも返答は無い。すぐに鼻に耳を近付けて息を確認すると、生きている音がして安心した。みっちーは元カノあいつがいないか部屋の中を見回ってくれていて、戻ってくると首を横に振っていた。

「…逃げたのか、」
「……多分。」

唇を噛み締める。仮に名前に怪我はないとしても…きっと何か言われたはずだ。気を失う程の、何かを…。拳を握り締めると、自分の不甲斐なさから彼女を抱き締めた。

「守ってやれなくて…ごめん…。」

絶対、許さない。心に強く思った。…でも、まずは病院だ。本当に気を失っているだけかどうか分からない。慌てる息を殺しながら、隣で佇むみっちーに声を掛ける。

「病院…連れて行こう」
「………、…」
「…みっちー?」

返答が無かったので見上げると、顔面蒼白で机の上の何かを見ていた。つられて視線を向けると、てのひらサイズのクマの人形。……が、包丁を抱えるように持たされていた。

「……!」
「…警察、呼んだ方がいいんちゃうかな」
「……そ、やな。…でも先に」
「、分かった。」

震える声で会話すると、息が萎れる音が大きく聞こえる。俺は名前を抱えて、その場を出た。タクシーを捕まえた方がよかったが、人の目に晒されるのを嫌う名前にとって得策ではない、となって車を出した。病院に行く最中、みっちーは俺のマネージャーに電話を掛けてくれていた。

「…(マネージャー)すぐ来るって。」
「そっか…よかった」
「警察…呼びたいけど、……名前ちゃん嫌がる、よな。」
「…」

みっちーはそう言うと、自分の膝の上に寝かせた彼女の頭を、壊れ物を触るようにやさしく撫でる。俺も…そう感じていた。警察を呼べば嫌でも騒ぎになってしまう。それは名前にとって最も避けたいことだ。あいつはそれを嫌って通報しないだろうと逆手に取ったのか…?それでこんな…

「……っくそ…、…」
「でも、なんでこんなこと出来るって思って……?まるで全部分かってたみたいやんか…。」
「……」

その言葉に、嫌でもピンと来てしまう。自然と脳裏に浮かんだのは、先ほどあいつから掛かってきた電話だった。

≪大ちゃんのだーいじな名前ちゃんとたくさんお話してたんだ。この前この子が倒れた時もさ、大ちゃん心配してホットミルク作ってあげてたよね?私も作ってあげたのに全然飲んでくれなくてさぁ……。≫

そんなこと、お前が知れることではない。ならなんでなのか?…行き着いた先の答えは、酷すぎて出来ればそうと思いたくは無かった。でも……俺の部屋が盗聴されてる、そう考えると全て納得がいってしまうのだ。付き合ってた頃、よく家に来ていたしやろうと思えば簡単だっただろう。…情けなくて涙も出ない。

「……俺のせいやわ」
「え…?」

バックミラー越しに視線が合う。けれどすぐ逸らしてしまった。…もうそんな資格も無い。

「多分俺の部屋…盗聴されてたんやと思う。」
「盗聴…!?え、元カノにってこと…?」
「そう。…そしたら何もかも辻褄が合うねん」
「、嘘やろ……」

あいつとは、それなりに綺麗に別れたつもりだった。向こうも納得していないわけじゃなかったと思っていた。…けど全て勘違いだったのだ。名前のせいで別れた、と思っていたのだろう。だから今この事件が起きてしまった。…もう遅い。

「……もう名前に合わす顔がない…、…」
「、大吾くん……。」

ただ近くで見守ってやりたいだけだったのに。守るどころか、傷付ける存在だったんだ。俺は……。右目から、何かが零れて喉を伝った。それですら、許されないというのに。

**

病院に着くと名前はすぐに検査に入った。少し掛かるようだったが、冷静になって話すにはある意味良い時間だった。その間にマネージャーも来てくれて、経緯を話した。三人で話し合った結果、名前を最優先に考え、警察に通報は止め事務所こちらで対応することになった。

そうこうしている間に検査が終わり、異常はないとの診断を受けた。ただ、精神的ショックが大きいようで意識が戻らないらしい。そして、意識の回復は本人次第だと。

「いや、俺残りたいです」
「俺も。心配で帰るなんて出来ない、」

そう、俺とみっちーは付き添って病院に残りたいと粘った。だが、明日の仕事が早朝な俺達はほぼ無理矢理家に帰された。今日はマネージャーが病院に居てくれることになったが、罪悪感しかない俺はそれでも納得がいかなかった。

けれど仕事に穴を開けるわけにもいかず。自宅に帰るみっちーと別れ、俺はビジネスホテルに向かった。家に帰らないのは、盗聴疑惑があるからだ。すでに明日、その類いの業者に来てもらうことになっている。

「はー……。」

ホテルに着くとベッドに倒れ込む。…目紛めまぐるしい一日だった。まさかこんなことになるなんて。俺自身が名前を傷付けてしまう存在になってしまっていたこと、今更後悔しても遅い。あいつがやったこととはいえ、結局この事件の根源は俺だ。盗聴までするような子ではなかったのに。俺が、そう、変えてしまった。

「……俺の思い違いやったら……、…」

いいのに。と思うのに言葉にはならなかった。本当は心のどこがでそんなことはないと分かっているからだ。重くなっていく瞼は、現実を否定する俺自身のようだった。

………−−それでも。朝は来るし仕事はある。早朝からバラエティのロケだ。仕事に私情は挟まない、とあれだけ決めていたのに揺れる信念。必死だった。日も暮れたそんな時、マネージャーから電話が入る。休憩中を見計らってくれたかのようだ。

≪悪い報告があります。≫
「………入りからそれすか?もーイヤやねんけど…。」
≪心して聞いてね。…もう分かってたかもしれないけど、≫
「、はい。何ですか」
≪大吾の家から複数の盗聴器が見つかった。≫

あー……。と声が下がっていく。多分そうだろうと思っていたが、複数とは思っていなくて不快感と喪失感が覆う。コンセントの中や、あいつから貰った人形の中にまで入っていたらしい。そして、"人形"というワードにふと違和感を覚える。

「…その人形って、どんなやつか分かります?」
≪え?えー…確かクマの人形って言ってたかな≫
「クマの、人形……」

名前の家で見た、包丁を持たされたクマの人形が脳裏に過ぎる。もし、かして……。また一つ、イヤな空気が生まれたのを見た。悪い思考全てが当たってしまいそうで、顔を顰める。

「……まだその業者さん、俺んち居ますか」
≪ん?さっき連絡あったからまだ近くにいるんじゃないかな…≫
「じゃあ悪いんですけど、名前んちも調べて貰えません?」
≪え?いいけど…なんか心当たりでもあるの?≫
「……あいつんちにあったクマの人形、包丁持たされてた。…、それってさ……」

ごくり、とどちらかともなく喉が鳴った気がした。またすぐ折り返す、と切られた電話。…もうこれ以上は、と願うもそれは後に裏切られることになる。


"あのお土産の人形"/2022.8.26
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