「もう、俺にしたらいいやん……。」 ついに言ってしまった。夜、雨上がりの路地で静寂が響く。もう留めていられず漏れた言葉に、彼女はあ然としていた。驚きからか瞬きを繰り返す姿がどうしたって可愛い。これ以上気持ちが溢れないように、掴んだ手首をぎゅっと握り締めた。 * あの日見た光景は、誰にも言わず胸の中に閉じ込めておこうと決めていた。仕事後の帰り道、彼女と上司を見掛けてしまった時から。だから今日も"何も知らない職場の先輩"でいる。誰よりも、彼女を笑わせられる存在でありたいと願って。 「名字ちゃんお昼どーすんの?」 「あ、藤原さんに奢って貰う予定です。」 「えっあっもう決まってんのや」 アハハ!と笑いながら二人して席を立った12時過ぎ。彼女は同じ部署の後輩で、新人の頃は俺が教育係だった。昔から礼儀正しくて気配りのできる子だった。その上仕事もそつなくこなしてノリがいいとくれば、可愛がられる他なかった。…が、それに乗ずることもなくしっかり自分の芯を持った子。惹かれるのは造作もなかった。 もう二年も一緒に働いているので、俺には結構砕けてくれている。今日みたいなこともここ数ヶ月のことで、俺にとっては嬉しい変化だ。 「中華かマクド、どっちがいい?」 「…すごい極端な選択肢!」 「俺はマクドかなー。」 「よし!じゃあ近くのカフェ行きましょ!」 「はーい了解しましたー」 笑いながらビルのエレベーターに乗り込む。先に何人か乗っていて、イヤに見覚えのある顔がいて知らないフリをした。彼女も関係なく俺と喋っているつもりだろうが、すぐ分かってしまった。目の色が、変わったことに。 「何食べます?」 「ハンバーグも美味しいけど、パスタもよかったからなぁ…」 「もう二つ頼んじゃうっていうのは」 「そんな大食いちゃうわ俺」 エレベーターが1階に着く。先にあの上司は降りて、流れに沿って俺たちも歩く。喋っているのは俺となのに、意識が全然こちらを向いていないのが顕著だ。…なぁ、教えて。誰のものでもない俺よりも、誰かのものであるあの人の方が、君にとってどこが魅力的なのか。 「藤原さん?」 「、あごめん。なんやった?」 「もー。メシの話です」 「こら。女の子がメシって言わないの」 「メシー。メシー。メェー。」 「とうとう俺も羊飼いになったか…。」 アハハ、と笑う彼女は綺麗だ。でもその目は、 曇ってしまった。 薬指に光るそれを付けた、あの人に。 夜に住む/2022.8.26 |