「……名前さん以外は考えられない。」

誰も居ない教室で、遠くなった後ろ姿に投げた言葉。決死の覚悟が、酷く夏の空気を揺らす。緊張さえ音になって響かなければそれでいい。驚いて固まった彼女を捕まえるのは簡単で、握った掌は小さくて冷たかった。ゆっくりと振り向いてくれる彼女に、二度目の恋を自覚した。


*

たまたまエレベーターで会った長尾と教室に入ると、手前の席に座る彼女と目が合う。高鳴る鼓動を確認する前に、秒速で近付いてくる姿にそれはスッと冷めた。

「お、推しカプで登校とか私得すぎん……?」
「はいはい出た出た。名前さんの妄想癖」
「長尾くん。妄想じゃない現実!」
「えー?聞こえませーん。」
「大丈夫。道枝くんと付き合ったら耳良くなるよ。」
「んもアホかっ!」

しっしっ、と長尾に追い払われてもめげない名前さんは健気でかわいい。失笑しながら長尾の隣に座ったら、それがまた良かったみたいで彼女は尊いを連呼していた。今日も元気で何より。

俺たちは夜間の大学に通う2年生。大体が働きながら通っている社会人だ。なので年齢はさまざま。俺たちみたいに若者もいれば、おじさんだっている。名前さんのようなOLも多い。

「みっちー横座んなよ。名前さん騒ぐやろ」
「まぁええやん」
「お姉様にエサやってどうすんねん。」
「エサて……。」

名前さんは自他共に認める腐女子だ。推しを遠くから眺める人生が幸せだと、至近距離で俺たちを見つめながら言っていたのをよく覚えている。…全然遠くはなかったな。そういうところも可愛い。

「でもさでもさ、道枝くんって長尾くんのこと結構好きだよね?」

後ろから声がして振り向くと、いつの間にか彼女の熱い視線。長尾がウゲッと声を漏らす。

「うわっまた来た!お席あちらですお姉様」
「まあ嫌いじゃないけど……」
「〜〜〜〜〜!」

なんてあえて言ってみる。そうしたら名前さんが喜んでくれるから。何度も何度も諦めた、でもどうしても寄せる思いが消えてくれない。なら、少しでも彼女の望む形で近くにいたい。

「道長……っ!」

目がハートの名前さんは、俺らから離れることが死ぬかのごとく。まさに渋々、席に戻っていった。小さく笑いながら、今日もその後ろ姿に、心の中で伝える。ごめんね、本当は…俺

あなたと推しカプになりたいんですけど、どうしたら良い?ってずっと思ってるんだ。


左目の冬眠/2022.8.26
back