大吾くん家に行く準備中、ふとホテルの窓から沈む夕日を見つめた。色々、あり過ぎた二週間だった。もう何が起こったか、今となっては曖昧にしか思い出せない。

意識が戻るのにも三日ぐらい掛かったと聞いたときは驚いた。でも、その期間のことはどことなく覚えている。道枝さんと大吾くんがいた雰囲気を。でも目が覚めると大吾くんの元カノあの人の言葉ばかりが脳裏を巡って、感情を殺す以外方法がなくて手放した。でも、二人の…特に大吾くんの悲痛な表情を隠して微笑む姿に、そのままではいけないと感じた。

正直、今までも傷付くのが怖くて道枝さんのことは避けてきた。でも、ホテルに移動してからも毎日時間を見つけて会いに来てくれる彼の優しさが、避けてばかりじゃ何も始まらないと痛感した。また痛い目を見たとしても、踏み出さないとどちらにも進めない。

「名前ちゃーん…、迎えに来た」

ノック音の後にひょっこり顔を出した道枝さんに、思わず笑みが零れた。私の幻聴は、この人のせいじゃない。分かってる。言い訳を押しつけて逃げていただけだ。頷くと、初めて外に出た。廊下を歩きながら、たこ焼きパーティの買い出しをもうしてきたらしい。袋3つを見せてくれる。

「……多過ぎ、じゃ」
「えっ。そう?これでも抑えてんけど…」
「何買っ、…ですか?」
「タコ、イカ、チーズ、餅、チョコ、グミ…あと何やっけな」
「グ…!?」

ミはいらんのちゃうかな。と思うけど、なんか楽しそうなのでいいとする。前より話せるようになったけど、まだまだ辿々たどたどしい。でも全然気にしていない様子で安心する。やはり、この人は優しい。こんな私のために一生懸命になってくれるなんて。…彼女さんは、怒らないだろうか。ふと二週間前の残像が過って、脳裏がぐらつく。連動するかのように、足が止まる。

「…どした?しんどい?」
「……、」

首を振る。やっぱり今日は止めとこか、と言われて余計に首を振る。違う、そうじゃない。そうじゃ、なくて…

「名前ちゃん…?」
「…お腹空いた、なって」
「……グミ、食べる?」
「グ…」

ミは要らないんです。と思いながら小さく笑った。多分、何かを誤魔化したことに気付いてる。でも、気付かないフリをしてくれている。優しさが見え出すと、それにどこまで触れていいか分からなくなる。この人に寄り掛かることが、誰かを傷付けてしまうのなら…。

「行ける?」
「…はい!」
「よし。じゃ行こっか。俺もお腹空いたわ」
「、グ…?」
「ミは食べへんで。具材やから。」
「アハハ」

具材にするものどうかと思う。と思いながら隣を歩く。その距離が、難しい。

*

「えっ。…ちょ、誰!?グミ入れたん!?まっず!」
「アハハ!大吾くん大当たりー」
「みっちー…!ちょ、これ食うてよめっさまずいから!」
「え、イヤや。不味いの知ってるし。」
「おい!!なんで食わしてん!!」

たこ焼きの匂いと笑い声が部屋中に充満する。初めは普通に美味しいたこ焼きだったのだが、途中から面白がって色々入れた結果、今に至る。食べてないけどグミは絶対に不味いだろうな。面白くてちょっと涙が出た。

「名前も食えって!」
「……チョコのなら。」
「おーいそれ普通に美味いやつやんけ。チャレンジ精神どこいってん!」
「大阪に…」
「おぉ随分遠いとこに置いてきたな」

温かい空間だった。楽しくて、自然に笑って、ご飯が美味しくて。この空間を提供してくれた二人のやさしさが、嬉しくて、有難くて、ひたすら胸に染みた。大体具材を一周食べ終わったところで、大吾くんが財布を持って立ち上がった。食べたいおつまみを買いに行くらしい。ほろ酔いの自由な彼の背中に手を振った。

「隣にコンビニあるって悪いよなぁ。つい行ってまうし」
「…たしかに」
「名前ちゃんは食べたいものなかった?大丈夫?」
「うん。お腹、いっぱいです」

胃ちっちゃいな。とソファを背に笑う道枝さんは、残ったたこ焼きをもぐもぐしている。プラス、大吾くんにアイスをお願いしていた。逆に胃が大きすぎると思う。なんてL字のソファに座った。三角座りがちょうどいい感じ。

「何が一番美味しかった?」
「んー…タコ…」
「あっめっちゃ普通のやつ」
「道枝さんは、?」
「米キムチかー…、チョコチーズ。」
「チョコチーズ…」

嘘やん、ぐらいのテンションで呟くと、えっ不味かった?とその声ごと振り向いた。合いそうになった視線を慌てて下げる。色々元に戻りつつある、とは自覚している。けれどそれはまだ怖いんだと身体が言った気がした。

「……、迷惑、やったらごめん」
「…え?」

怖がったのを知ってか、道枝さんはソファを背もたれに座り直した。慌てて顔を上げると、少し切なそうな後ろ姿。違うのに、そう言い切れない自分が歯痒い。どこまで近寄っていいのか分からなくて、感情が矛盾している。

「毎日顔出したり…今日だって、誘ったりして」
「…いや、そんな…」
「でも…、名前ちゃんには元気になって欲しくて」
「道枝さん…」

その優しさは、同情ですか?それとも下心ですか?なんて、聞けたら聞きたい。大吾くんに後で聞いてみようか、昔の事情知ってるし教えてくれるかもしれない。…でもその前に、他に相手がいるのにこんなに優しくするのは、どうなんだろう。…あんなことがあったから?ぐるぐる回る感情が忙しい。そんな中、彼の動く気配を感じる。

「でも、どうしても放っとかれへんくて。」
「!」

振り返る背中が見えて、まっすぐ向けられる視線。…時間が、止まったみたいだ。

「やから勝手に構わせてほしい。…とか言ったら困る?」

そう、彼は申し訳なさそうに私を見上げた。静寂が響く中、その言葉だけが余韻のように伝わる。鼓動は走り出しそうな音がして、駄目だと思うほどにつられる視線。

「…あ、……。」

三年越しに、きちんと道枝さんの目を見た。……私が好きだった頃の、そのままの彼だった。網膜でさえ、それを悦んでいるみたいに。

咄嗟に迷子になる視線。間を繋ぐ言葉が途切れ途切れに漏れる。まだこんな感情になるなんて、予想もしていなかった。自分に戸惑っていると、あ…。と声が聞こえて彼に視線を戻してしまった。小さく微笑む表情が、胸の奥につかえた。

「…久しぶりに目、合ったね。」


空を溢した後で/2022.8.30
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