次の日、出社途中の心音は溜息が積もる。さすがに、一ヶ月ぶりの仕事は緊張する。道枝さん…どこまで会社に事情を話したのだろう。でもこんな長い間の休暇だ、きっと全て伝わっているはず。……気が、重い。でもそんなことも言ってられない。甘えてばかりでは、いられないから。ロッカールームのある部屋の扉に手を掛けた。 「おはようございます」 「あっ!偽名(名字)※言い訳のみ使用さん!ちょっと大丈夫なの!?」 ご迷惑お掛けしてすみませんでした。と予想通り噂大好きオバA子が声を掛けてきて、謝った。B子も、久しぶり〜と近くに寄ってくる。第一関門にして最難関の二人である。…早めに切り上げるが良し。と、服を脱いだ時だった。 「でもねぇ、偽名(名字)※言い訳のみ使用さん…これ見つけちゃって」 「…?」 不意に、デリカシー無しB子が携帯を見せてきて顔を上げる。見えたそれは、目を見開くよりも先に身体が硬直するのを感じた。……3年前の、あの頃の私が写っていた。 「偽名(名字)※言い訳のみ使用さん、名字名前…よねぇ?いつもマスク姿だから気付かなかったけど」 「えっそうなの!?偽名(名字)※言い訳のみ使用さん芸能人だったの!?ちょっとアンタその写真私にも見せてよ!」 モンスターズの声がうるさいので、会話の内容なんて周囲にお披露目状態。面白い話題だろう、つられて他の人たちも寄ってくる。私の昔の写真を見て何かを言っているのだが、酷い雑音にしか聞こえない。…情緒が、狂いそうだ。息がしにくくなって意識が震えはじめると、過呼吸の前兆だとすぐ認識する。着替えも中途半場だが、どうしてもそこにいられなくなってロッカールームを出た。 なのに、後ろから肩を掴まれて動きが止まる。視線だけ寄せるとB子で、何か色々言っているのだが幻聴と相まってどれが彼女の言葉なのか分からない。 「なんで、"偽名(名字)※言い訳のみ使用"…なんて偽名使ってるの?」 「…!」 その中で届いてきた声は、身を切り裂くような言葉だった。止めてと懇願しても襲ってくる言葉達は、脳内だけのものかさえも分からない。…もう、ダメだ。膝の力が抜けて、倒れる衝撃に備えた時だった。 「…!」 誰かに、抱き留められた感覚。 「大丈夫ですか」 聞こえた声は、今一番聞きたいもので、安心だけが私を包んだ。見上げると、深く被った帽子と真っ黒のサングラス。付けたマスクでほぼ顔が分からない。なのに、どうして涙が自然と溢れてくるのだろう。寄り掛かることを遠慮していたが、誰か分かった途端思い切り寄り掛かった。 「っ」 それに気付いたのか、横抱きされてしまった。また目立つなぁ…。なんて、失笑するも心から嫌だと思っていない自分に、小さく笑った。 「すみません。この方体調が悪いみたいなので…」 「あ…あぁ、はい…」 圧倒されたのか、彼の見た目が不審者すぎるのか。何も言わないB子。私の時もそうであってくれよ…。と思いながら、私を抱いたこの人はB子に背を向けて歩いて行く。背も高いし格好も格好だし、女横抱きしてるしで注目される…よりも先にどこかの部屋に入る。…空きの応接のようだ。 「降ろすでー…」 割れ物を扱うみたいに、やさしくソファに降ろされる。そのまま座ると、目の前の彼はしゃがんでサングラスを取った。 「………なんで?道枝さん…」 「いやぁ…、昨日のこと謝ろうと思ってて…」 「つけてきたんですか?怖…」 「ごめんて!声掛けよう掛けよう思ってたらあのタイミングになっちゃって…。」 焦り出す彼に、心底安心しただなんて口が裂けても言えない。いつも一番しんどい時に側に居てくれて、私が前を向くのを、そっと待っていてくれる。……これで好きにならない人って、いる?なんて小さく失笑してしまう。どこを通って避けても、結局この人に戻ってしまうのだと思った。 「名前ちゃん…?」 「あっごめんなさい。何でもなくて」 「えっでも今笑ってた…」 「いやそれは!……その、違うくて」 「違う?」 「〜〜〜っだから違うくて!」 しれっと聞き攻めしてくるので、もう逃げたくて立ち上がるも、急過ぎたそれに身体が付いていかず。脳が後から付いてくる感覚に、目眩なんだと思うより先によろけてしまう。それすら、立ち上がってくれた道枝さんに抱き留められて、ギリギリ事なきを得た。 「危なっ…」 「…ごめん」 「!」 ふんわり抱き留められていたが、ゆっくり離れていく道枝さん。でも距離は近くて、見上げることは出来ない。 「…あの」 「……?」 「やっぱり抱き締めても良い?」 降ってくると思っていなかった言葉に、俯いていた私は驚いて顔を上げる。…照れくさそうな表情の彼がそこにいて、あ可愛い。と思うのと同時にそれを隠すためか引き寄せられる。 「……もうしてるやん。」 「…名前ちゃんが見るから悪い」 「だって道枝さんが"抱き締めても良い?"って聞「あーーやめて!ごめんって!!」 私の肩に額を埋めて唸る彼は、ただ愛しさの塊に思えた。でも次の瞬間、あ。と何かに気付いたかのように漏れた声。正面に、嬉しそうな道枝さんのお顔がやってくる。 「今敬語じゃなかった。」 「……そんな嬉しいことですか?」 「嬉しいよ!だからこれからも…って待って。敬語もう要らんで」 「頑張ります…」 「頑張らなあかんのか…。」 眉を下げながら微笑む道枝さんに、申し訳なさそうに微笑み返す。とりあえず座って、と言われて腰を下ろすと隣に彼も座ってきた。…相変わらず距離感バグってるところももう可愛いです。 「一つ、心配なことがあって」 「え?何ですか」 「俺が助けたって…職場の人にバレてへんかな」 「……あー…。どうでしょうか」 「せっかく復帰やのに…名前ちゃんに迷惑掛けたくなくて…。」 だからバチバチに変装してきてんけど…。と小さくなっていく声が不安を表しているかのようだ。それ、逆効果ですよ。と喉まで出かけたけど言わなかった。私を思ってしてくれたことなら、空回っていたとしても嬉しいから。 「大丈夫です。」 「…え?」 「もう、芸能人だったってバレてますから。良いんです」 「でも…」 「あ、言うの遅くなってごめんなさい。さっき助けてくれて、ありがとうございました。」 「名前ちゃん…。」 「道枝さんがストーカーしてくれてなかったら、今頃倒れちゃってましたきっと。」 だから気にしないで欲しい、と伝えると彼も小さく笑ってストーカーの表現に物申していた。でも結局道枝さんが折れて、謝られるのだけど。…こんな空気感が、すごく好きみたいです。なんて言ったら、どんな顔するんだろう。 「後で…同僚にはちゃんと説明します。昔の、ことも……」 「…そっか。無理しない程度でね」 「はい。大丈夫です。」 「……なあ。敬語外すの頑張ってないよな」 「…いえ。そんなことは」 「いやめっちゃそんなことあるって顔してるやん。名前ちゃんー」 * 「えっ?道枝駿佑熱愛って」 「え〜〜〜!?みっちー嘘でしょ〜〜」 同時刻。ネットニュースに速報が入る。その記事には、自宅マンションから出てくる彼の隣に、その熱愛相手が一緒にいる写真が載っている。どこぞの女子高生が悲鳴を上げながら、その記事は拡散されていく。 「この女…今のドラマの相手役じゃない?」 「えーーー。共演者キラーかよ。マジ無いわ…」 イヤーワーム現象/2022.9.13 |