「名前、俺………」

この人は、魔法使いなのかもしれない。伝わる体温がそう錯覚させてくるのは、この一角だけ空気が停止した気がするからだ。思考が転がって詰まって、言葉がまとまって外に出てくれない。本当に動揺したとき、人は瞬きが煩くなるらしい。静かに出来ないそれと心音が重なった時、耳に流れてきた音。

「俺の……くちぱっちが……!」
「……はっ?」
「くちぱっちがぁ……!!」

私を少し離して、左手に持っていたらしいたまごっちを泣きながら(?)見せてくる。そこには可愛い幽霊が浮いている画面。……あ、はい。なるほど…

「くちぱっちが死んじゃったと…」
「そうやねん…!今日撮休やったからって一日放ったらかしにしてもーて…!」
「で…?ショックで泣きつきにきたと……?」
「あんなに大事に育てとったから俺もう…。一人じゃ耐えきられへんくて」
「あ、そう…………。」

うわーんくちぱっちー!!とわざとらしい声で泣き喚く大吾くんに深い溜息をつきながら、家の中に入れた。色々と紛らわしいねんこいつ…!と腹が立つも、アホらしすぎて逆に笑えてくる。てか、たまごっちが死んで人んちに押しかけてくるこの人何なん?自分のキャラ最大限に把握しての甘え。ある意味天才かもしれない。

「キャラ得やな…大吾くん」
「え?なんでよ。俺今傷心やねんけど」
「それを言うなら私なんですけど!?」
「えっ名前もたまごっち亡くなったん!?」
「ずっと黙ってくれ。」

ソファに座らせた大吾くんの前にお茶を出す。テーブルにあったお菓子をつまみながら、脳内を検索したらしい彼がピンときた表情をしていた。すぐに呆れた表情に変わって、足を組んでいる。

「あー分かった。みっちーの記事やろ」
「……まぁ、…。」
「昔の話掘り返すとかよくある話やん。あいつも今はもうちゃうって言うてなかったか?」
「んまそやけどさ…」
「うわ。なになに?彼女やねんからもっと威張れって」
「は!?やめてやめてそれこそ事実無根。…」

抱え込んだクッションを抱いて顔を埋める。ゔ〜〜!と唸る私に、アハハと笑いながら頭に手が乗ってくる。すぐ顔を上げて睨み付けると、満面の笑みが過ぎる大吾くん。

「むかつく…。」
「まぁまぁ。でも良い感じなんやろ?」
「……だと、思いたい……。」
「じゃないとあんなに病院行ったり、退院付き添ったりせーへんやろ」
「…この前も一緒に住もうって言われた。」
「……は!?決定やんそれ」
「うーん…でもこの家に怯えたの見たからかなって」
「どんだけマイナス思考やねん」

だって〜…。と、ぐずる私の肩に腕を組んでくる。なかなかの至近距離だが、見上げて視線が合ってもそこには兄・大吾くんが居るだけである。私達は昔からずっと、こんな関係だからずっと近くに居られたんだな。と改めて思った。

「みっちーに連絡してみたらいいやん。」
「……ちょっと勇気ない。」
「そういえばあいつ携帯水没して連絡先飛んだとか言ってたなぁ」
「え!?そうなん!?いつ!?」
「確か昨日。」
「昨日…」
「みっちーまだ仕事やったと思うけど、連絡したったら?」

携帯画面を見つめる。最近増えた彼のLINEに、何を送れば良いのだろう。報道見たよ、はなんかおかしいし。熱愛って嘘だよね?とか彼女じゃあるまいし。なんて悩ませている間、隣で大吾くんが誰かに電話をし始めた。

「え?」
「LINE引き継ぎ出来てへんはずやから、名前が連絡しても意味ないんちゃうかって思て」
「え、ちょ、もしかして「あーもしもし。みっちー?ごめん仕事中?」

嘘やろ!?とソファの端まで身を引くも、当の本人は居たって普通に談笑中。…いやウジウジ悩んでた私が悪いよ!?でもさ急に掛ける!?結構ナイーブな話題の最中に!?くちぱっち亡くなって頭ぶっ飛んだの!?大量の瞬きと不安の心音で自分が埋もれていく。色々話しているが、さすがにどんな会話かは分からない。

「〜〜…オッケー。それで言うとくわ。じゃねー」
「………おい?」

電話を切った大吾くん悪魔を睨む。すぐさま携帯を触りながら、綺麗に私をスルー。お茶を飲み干して、しれっと立った。

「あ、仕事終わったら会いたい言うてたで。22時前には来れるらしいけど良いよな?」
「はぁ〜〜〜!?」
「"名前も会いたいって言ってる"…と」
「言うてへん!!…え!?もう送った!?」

もう帰るのか、玄関に歩き出す大吾くんの腕を取って必死に引き止める。ニコッと笑って、LINEの画面を見せられた。相手は道枝さんで、先ほどの言葉が丸々送信されていた。動揺が透明な声になって悲鳴と化した。

「〜〜〜な、…何してんの……。」
「くちぱっちの復讐?」
「い、意味分からん……」
「まぁええやん。何とかなるって。」
「ならへんかっ「その時は俺が貰ったるって」

な?といつもの優しい表情で、頭を撫でられても全然納得いかない。が、その顔がやけに神妙で反論できない。でも頷くのも違う気がして、無言になると笑って玄関から出て行った。貰うってどういう意味なの?と聞けずに少しモヤっとするも、時刻が21時を指していて肝が冷えた。冷静になる為にホットミルクでも飲もう。

「−−−…」

ガチャン、と彼女の家の扉を閉めた。扉を背に凭れると、自分でもよく分からない感情が溜息となって漏れた。そうじゃない、と思うのに反して漏れた言葉に自分自身驚いている。本心ではない。…いや、本心だ。けれど意味合いが違う。けれどその境界線があやふやになっていて、自分で掘った落とし穴に自ら嵌りに行った気分だ。

「俺……」

本当は、好きだったのだろうか。…なんて、自分にも聞きたくないな。俺のポジションは、昔から決まってそこじゃない。彼女にとっても、きっと。踏み出した一歩目で、名前の家にたまごっちを忘れてきたことに気付く。取りに行く気分になれなくて、なんだかそのまま別れる気がした。

*

22時すぎ。チャイムが鳴って、平然を装う自分がブレブレだったと気付く。オートロックの音ではないそれは、玄関前に人が居ることを示している。そして今回は、誰だか予想が付いているので緊張からか心臓が身体中で膨らむ。そのまま喰われてしまいそうだ。

「はーい…」

ぎこちない返事に、どうか気付かないでほしい。ガチャ、とドアを開けるとそこには久しぶりではない彼が立っていた。見上げる身長差に慣れているが、動揺が固まって動きにくい。

「遅くにごめんな。…入っても良い?」
「いや、全然です。どうぞ……」

そうして私達は、部屋の中に吸い込まれていった。


うごめく/2022.10.12
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