ソファの隅でアザくんを抱えて座っている道枝さん。が、あの頃を彷彿させて心臓が口から出そうだ。キッチンで飲み物を入れながら見るその様子は、落ち着かない。が、ピッタリだと思う。それは私もだけれど。テーブルにお茶を置くと、挟んで向かいに座る。…見上げると彼が居て、私の家に存在する不思議さ。けれど、掴めない距離感。

「……あの、」
「、?」
「もう見たかとは思うんやけど…報道のこと、」
「……はい」

抱き締めていたアザくんは、もう彼の膝の上にない。隣に座らされていて、その姿がまた可愛い。意識をそちらに向けないと、真っ直ぐ見つめてくる道枝さんに何かが負けそうだ。雰囲気から正座して背筋が伸びる。

「先に言わせて欲しいねんけど、もちろん今は別れてて事実無根で」

はい、と呟くと同時にありったけの安心感が襲ってくる。分かってる、これがどういう気持ちかなんて。昔みたいに芸能人同士だからってしがらみも無いし、封印しなければいけない思いではない。でも…何がこんなに怖いのだろう。また誰かを傷付けてしまうのではないかとか、無感情の時期が長すぎて、受け入れるのが億劫になっているのか。私なんかが好きになって良い相手では、ない。住む世界が違いすぎるのだと。

「向こう側がリークしたって聞いてる。ドラマの宣伝とか言ってたけど、多分俺への当て付け」
「まだ…道枝さんのこと好きなんですね。その彼女さん」
「…そうなんかな。でも俺は「あの!報告です」

聞く勇気すらなくて、つい遮ってしまう。道枝さんがどんな表情をしているか見れなくて、無理矢理満面の笑みを作った。

「この前、道枝さんにストーカーしてもらった日あったじゃないですか」
「出た。もうその表現止める気ないやろ。」
「アハハ。でね、あの後同僚の方達にちゃんと話せたんです」
「え!すごいやん。皆さん分かってくれた?」
「はい。まあチクチク言われたりもしたけど、でも…もう嘘は付かなくてよくなったから」

頑張ったね。と自分のことのように喜んで微笑んでくれる道枝さんに、胸の奥が縮こまる音がする。そんな気持ちが、もうどこからともなく溢れそうだ。でもすぐに現実が降ってきて、溶けない雪が積もる。怯えて、そんな繰り返しを何度も何度も続けてしまう。一体私は何がしたいのだろうか。

自問自答の最中、道枝さんが席を立って隣に座ってくれていたことに気付く。その近さに気付かないなんて、ある意味よっぽどだと思った。

「名前ちゃん」

やさしい声で、その視線で、遠慮がちに下から覗き込んでくる。それをやんわり断るように何度身を引いたのだろう。でも、この人は幾度となくそれを嫌味無く乗り越えてくる。積極的なときもあれば、今みたいに綿飴みたく甘くやさしいときもある。避けても避けても、遠ざかってはくれない程度で。その絶妙な距離感は、私の中で抑えきれない何かが悲鳴と化した。

「み、道枝さんのおかげで解決できたので…本当にありがとうございます」
「…名前ちゃん、聞いて「好きです」

ついに溢れてしまった言葉が、初めて酸素を吸った。彼の表情を見れなくて、俯いたままの私でもどうか許して欲しい。…えっ?と驚く声が聞こえて、彼の言いたかったであろう台詞に被せてしまったからかしてやったりな気持ちもあった。でも未完成なそれは、まだ大成しない。

「でも、正直よく分からなくて。色々ごちゃごちゃになっちゃって…」

絞り出した声は、彼にどう届くのだろか。好きだけれど、隣に並ぶ勇気などなくて。他の誰かを傷付ける恋愛はしたくなくて。そんな綺麗事を言い訳のように並べている。

様子を伺うかのように少しだけ視線を上げてみる。不意打ちを食らったかのような顔から、やさしく見つめてくれるような…そんな表情になっている最中だった。

「…でもきっと、名前ちゃんは俺のことがちゃんと好きやと思うよ」
「、…え?」
「今はそうじゃないかもしらんけど、それでも良くて」

なんで私でさえ掴みきれない気持ちが、道枝さんに分かるのか。でも、それでもいいと言う彼の言葉が難しくて無意識に瞬きが増える。やっと口から漏れた、どういう(意味)…?が必死だった。彼はそれに気付いていて、愛おしい何かを見つめるような、そんな視線と。私の予想を遥かに上回る言葉をくれるのだ。

「俺がその分好きやから。埋める自信しかなくて。」
「……!」
「…やから、俺を名前ちゃんの彼氏にしてくれませんか?」

…なんだろう?どうして喉の奥が熱くなるのだろう。目頭が熱くなって、視界が歪む。それにすぐ気付かれて、困った眉毛でその親指が流れた滴を拭ってくれる。そのまま顔を伏せると、彼の肩に額が到着した。なんだかんだと誘導されたことに、この人には敵わないと痛感した。

「……で、でも私」
「そのままでいい。結果、やっぱり好きじゃなかった…でもいいねん」
「!それはっ」
「理由がなくても、会ったり連絡したりする関係が欲しくて。…ただ、側に居たくて。」

その言葉の証拠は、とても簡単だった。控えめに腰に回された腕が、耳元で聞こえる声が、触れた箇所全てから伝わる体温が…そう嘆いている。ここまで全てを包んでくれる人はきっといない。…同時に、こんなに頷く以外の選択肢がないことは初めてだった。


その色は柔らかい音だった/2022.10.17
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