夏の匂いが染みる空気。静寂の広がるの夜の音。少し遠くで誰かの声が重なって響く。風が心地よくて、ベランダで缶チューハイを飲み干した。すると、後ろの窓が開く音が現実を降らせてくる。

「うわあっつ…。何してんの?」
「 みち……。」
「いや熱中症なるから。はよ入って」
「………ハイ。」

23時過ぎ、お酒で酔った脳内が夜に浸っていたらしい。勘違い女誕生秘話だ。腕を引かれて部屋の中に入ると、心地よい涼しさが肌を覆う。いつものソファに腰を下ろすと、空になった缶を回収される。もう見慣れた景色のなかを、大型犬が歩いている。氷同士がぶつかって、冷蔵庫が閉まった。

「レモン入れる?名前ちゃん好きやろ」
「……っおみちさまぁ〜〜〜!!入れる〜〜〜!!」
「…はいはい。静かに座ってて。」
「はいっ仰せのままに!」

いや犬はどっちだ。と言われるぐらい従順に正座待機。キッチンで缶チューハイをコップに移して、レモンを搾ってくれるみちはもう飼い主かもしれない。元彼事件あれから二ヶ月。私達の仲は変わらずだ。面倒見の良すぎるみちと、自堕落な年上。お酒と共に戻ってくるみち様を、尻尾フリフリで待つ私。

「ん。もうこれで終わりやで。」
「とかなんとか言っちゃって…。かんぱーい!」
「これで外ではバリキャリ女子って…」
「「ほんま(か)(やーい)」」

エセ関西弁を重ねると、嫌そうに身を引くみちが可愛くてつい近寄る絵図はババアそのものだ。それでも合鍵はくれたままだし、私の私物もそこいらに転がっている。自宅よりも入り浸ってしまうこの心地よさ。距離を取られても詰め寄る私は悪代官か。

「ねえ酔っ払い…」
「いいえ。ご気分がよろしいだけなの。」
「うるさ…。もう寝て…?」
「えぇー。久々に会ったのにつれなーい」
「いや一昨日ぶりな。どこが久々やねん」
「いやんっみちちゃん乱暴にしないでっ…」
「………寝ろ?」

呆れた顔でデコピンされる。嘘泣き手前の表情を作るも、何も効いていないらしい。座り直した横顔がお酒を飲んでいる。視界に入っていないことが不満で、みちのお酒を取り上げて飲み干した。

「もー…。自分のあるやん。」
「チャウチャウ。みちのが美味しそうだった」
「犬!……な、明日仕事やろ?もう0時過ぎたで?」
「ゴールデンミチエダ!…え?仕事だよ!それが何さ」
「…今やったら化粧落としたるけど「やって。」
「アハハ素直」

笑いながら、洗面所にある拭くだけコットンを取りに行くみちの背中をちらっと見る。レモンを搾ってくれたお酒を飲み干すと、喉がしあわせだと神輿を担いでいる。ソファに横になって拭くだけ待ちの私。目を瞑ると、さっき渋った決心が揺らいだ。

「……え?寝た?」
「微かに起きてる」
「はいはい。もう寝るやつな。」
「まだ飲むってー…」

はいはい、と隣に座ったらしいみちを感じて、頭を上げる。呆れた声と共にほっそい太腿が入ってくる。この膝枕にいつも負けてしまう。でも、今日はちゃんと決めた。鈍らないようにお酒を飲んだのに。コットン越しに触れる指が、割れ物に触るようだったから。

「…いつもこんな落とし方してんのに、なんでこんな肌綺麗なん…?不思議やわ」
「日々の行い…」
「アハハ。全然やん。」
「まぁゆで卵に言われたくないけどな…。」
「え、何それ。俺?」
「そう…生まれたての赤ちゃん」
「なら…名前ちゃんはお豆腐やわ」
「ん…絹か木綿かによる」
「アハハ!絹絹」
「いやめっちゃ褒め言葉!お手してやろうか」
「はいはい。…リップ取るから口閉じ「絹豆腐転勤するんだ」
「………えっ?」

唇を撫で掛けたコットンが止まる。そのまま微動だにしないから、薄ら目を開けた。見開いた目が乾燥しないか心配で、手で風を掛けてみる。それでも動かないみちの口を指で摘まむ。あ然とするたらこ唇がかわいい。

「みちちゃん」
「……いや、………今なんて?」
「絹豆腐、明後日関西に転勤します。」


どすん、滑り落ちて/2023.12.21
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