重ねられた手はすぐ離れていったけど、互いに言葉はなかった。いや、私からすれば"何も言えなかった"。何を言っても、その気持ちには応えられない。だから、終業まで仕事以外のことは話さなかった。…させなかった。それが答えだと、伝えるかのように。そんな道枝くんを定時で上がらせて、急ぎでもない仕事をしていた。

「はー………。」

つい吐き出る大きな溜息。ここ最近どうした?社内でごちゃごちゃし過ぎている。そしてこの後、丈くんと会うことだって控えてる。何を優先して考えたらいいのか分からない。

でも多分、優先したいのは丈くんなんだと、思う。不確かだけど芽生え始めてる。…なんて思うと小っ恥ずかしい。何年も同期しておいて!やっちゃって好きかもなんて!勘違いなのかも分からない。もしそうなら早めにそう教えて欲しいよ、私。

ブブブ、

「!」

携帯が震える。通知は思考のど真ん中にいた彼からだ。了解、とだけ来ていた。本当は18時半会社下集合だったのだが、道枝くんに忙しいアピールで無駄に残業してしまったので。19時に遅らせて貰える?と送った返事だった。連絡ツールとしてしか起動しないLINEが素っ気なく見えてしまう。これが私達の通常運転なのに。恋愛脳に染まりつつある自分が気持ち悪い…!

……ねえ、こんなの私だけですか?

なんて、丈くんに聞けたら。そもそも今日はどんな気持ちで誘ってくれたんだろう。長尾くんにご飯誘われて困ってる私を助けてくれたのだろうか。…それ、とも?なんて考えていたら、19時なんてあっという間だった。

*

「お先に失礼します、お疲れ様でした!」

小走りでフロアを去ると、まだ残っていた数人から返事が返ってくる。時刻は18時58分。急足でエレベーターで1Fまで下がると、開閉ボタンに近かった私は全員を見送って最後に降りる。ちょっと走るしか…と心を決めた時だった。

「名前さん」
「!」

誰かに腕を取られて、その足は先に意に反して止まった。驚いてすぐ振り返ると、思わず目を見開く。

「、道枝くん……?」
「すみません。…さっきのこと、謝りたくて。」

先に帰ったはずじゃ…、の言葉が漏れる前に、それを読み取ったような少しバツの悪そうな表情の道枝くんがいた。彼は人の感情に敏感だから、多分私の思いなんて…きっと分かってる。なのになんで…?と見上げると握られた腕の力が少し強くなる。

「!」
「分かって、るんです。分かってるんですけど…」

俯いた表情が、読み取りづらい。でもなんていうか、現実的なことを言うと…ここはエレベーター前で人の目が少し気になる。それに丈くんとの約束の時間もあるし…と思いながらも、思い詰めているような雰囲気の道枝くんを放っておけなくて。

「どし、た……?」

振り向いて私の腕を捉える彼の手を自然と離す。覗き込むように顔を見上げると、苦い表情をした道枝くんと目があった、瞬間だった。

腕が、引かれる。

「え」
「ごめんなさい。…どうしても行かせたくないんです。」

抱き締められているということに、何回目かの瞬き後に気付く。慌てて離れようとしても、意外と力強くて離れてはくれない。よりいっそ人目を引く行動に焦って、再度、力強く離れようとした瞬間だった。

「ごめん道枝く、………」

スローモーション、のようだった。丈くんと、目が合った、その瞬間だけは。

いつも会社を出てすぐの場所で待ち合わせていたが、約束の時間になっても降りてこない私を心配してエントランスまで来てくれたのだろう。でも次見た途端、彼は外へ歩き出す後ろ姿に変わってしまった。

「っ待って!」
「…!」

咄嗟に押し返した道枝くんを置いて、丈くんの後ろ姿を必死に追いかける。背後に感じる切ない視線に、気付かないフリをして。

*

「………ねえ、」
「……」
「丈くんってば……、…」

何度、後ろ姿に話しかけたのかもう覚えていない。その度返ってこない返答に毎回傷付いてしまう。なんでこうなったのか、それがいつからだったのかもう分からない。視界が涙で歪んでも、背中しか向けてくれない彼には見えない。それがどうにも悲しくて、それが頬を伝った。

そんな時、丈くんの背中が止まった。

「丈、くん……?」
「…みっちーとはそういう関係なん?」

初めて耳に届いた言葉に、反射的に違う!と言葉が漏れる。…でも二人とも同じ会社だから、こんな事でごちゃごちゃして欲しくない。ましてや道枝くんは可愛い後輩で。これからもお互いに仲良くして欲しい、だからあんまりこういう話はしたくない。…なんて我儘なのだろうか。

「道枝くんとはそんなんじゃない。…後輩だよ」

一歩、その何も言わない後ろ姿に近付く。

「……へえ」
「っ丈くんだけには!誤解されたくなくて、」

一歩、素っ気ない返答に声が震えないように。本音を投げなきゃ、どれだけ思ってても伝わらないから。

「もし、あの日・・・のことも…丈くんが消したい記憶なら消してくれても「うるさい」
「え…」

やっと目が合ったと思える瞬間には、掴まれた腕を引き寄せられて、抱き締められていた。勢いで丈くんの肩に頬が軽くぶつかった痛みが、それが夢でないと教えてくれるようで。止まらない瞬きの中、肩に顔を埋める彼が小さく呟いた。

「…ごめん、そんなこと言わせて」
「い、いや…私が「ちゃうねん。俺が全部悪い。」
「え……?」
「俺が勝手に妬いて、俺が勝手に……」
「………?、丈くん?」

顔を上げると、飲み込んだ言葉と戦っているような、そんな表情の丈くんと目が合う。抱かれた腕が少し解けていることが、不安だけを煽った。けれど私の頬に流れていた涙を拭うように、彼の親指でやさしく撫でてくれて。ひゅっと息が止まる。

「ずっと好きやった……、それだけやねん。」

その言葉の衝撃がすごすぎて、…いや、嬉し過ぎて。その後、先にそういうことをしてしまった謝罪を一生懸命する丈くんの言葉が、何一つ頭に入ってこない。完全に脳内竹輪状態だ。それを言ったらまた、いつもみたいに怒ってくれるかな。なんて、その帰り道。手を繋ぎながら思ったりしていた。


乗り越える2分/2023.1.9
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