みちゆで卵の腕枕で爆睡していた絹豆腐。衝撃すぎて塞がらない口のまま……空気のように静かに帰宅しました。自宅に戻る道中さえ、ぽかんと開いたままの口。そういうこと・・・・・・をした形跡はなく、ただ同じベッドで寝ていただけのようだった…が!!そんな風に朝を迎えるなんて今まで一度もなかったわけで。

電車の扉に凭れながら流れる景色を見つめる。それでも脳内に過るのは、やつの無駄に綺麗な寝顔。つられて思い出すのはどこかしらから伝わる体温。骨張った腕枕。……溜息が、重い。あの時感じたのは衝撃よりも、緊張に似た動揺だった。何かが変わりそうな音を否定したくて、視界を閉じた。




「名字さ、最近残業多ない?」
「…んあ?」

提案書を作成中、パソコンを遮るように藤の顔が入ってくる。前もあったなこんなこと…。残業アラームか?と身体を引きながら同時に漏れた言葉。反論する関西弁がこれまたうるさくて適当に頷いてみる。

「うん。いや聞いてないのは知ってたけどな。とりあえず今日は帰れ。」
「エーーーー!?」
「目の下のクマ、それ以上成長したら喰われんぞ。」
「ガオー…。」
「えっ怖っ」

帰れ帰れと藤にオフィスを追い出された21時過ぎ。みちと衝撃の朝デビュー(?)から数週間、それを考えたくなくて仕事に逃げるように没頭しすぎていたらしい。…もちろんやつとも会っていないわけで。

首の骨を鳴らしながら、ビルのエントランスを抜けた時だった。遠くから歩いてくる何か・・、に進む足が強制シャットダウン。鬼の形相でこちらに向かってくる姿は、動いたら殺す…と圧を掛けられているに違いない。目の前まできた鬼…みちは、半ば強引に左手を掴んだ。

「やることが極端なの直してもらえる?」

静かに憤怒する表情で、冷たく投げられた言葉。いやもうみちの言葉がそれな!過ぎてぐうの音も出ない。謝罪の言葉を嘆くより先に、強引に引っ張られて歩き出す。

「み…、みち、どこに「家」
「あ、はい…」
「言っとくけど」
「え」

早足で歩くそれが止まって、少し振り向いてくれる。怒りオーラに包まれているも、流し目で私を見た。

「先に変わったんは名前ちゃんやから。」
「え…?それってどういう…」
「……ハァ。まぁどうせ、覚えてないと思ってたけど……」

またそっぽを向いてしまったみちが、あの日……と呟いた。


「次開けよか?飲むやろ」
「みっ……ちちゃんめっちゃ気効くぅ…!もらうー」
「レモンもあるでー」
「レモォン!!カモォン!!」

コンビニで大量に酒を買わせ。ベロベロに酔わそうと開けた缶はもう7つめ。案の定出来上がった名前ちゃんにレモン入りのチューハイを差し上げた。おつまみのスルメイカを煙草のように吸い出したのを見て、小さく頷く。この辺まで酔わせれば準備完了だ。ソファの定位置に座る彼女の隣に腰掛けた。

「名前ちゃんさ」
「あー…?」
「ほんまはさ、なんで転勤って嘘ついたん?」
「、えー…。」

ガラスコップに入ったお酒を、大きく一口飲んで机に置いた。真っ赤な顔の名前ちゃんが、わざとらしく頬を膨らませていじけた表情でこっちを見てくる。

「みちのしょうらい…邪魔したくない、じゃん?」
「…将来?」
「そぉ。今何歳だっけ…じゅうはちでしょ」
「うん22や」
「そうじゅうはち…。そんな大事なときにさ…?こんなオバァとずっといっしょって…ヤベェじゃん!?」

謎の勢いさながらに、ソファにもたれ掛かる自称オバァ。まぁ酒臭いし見るに堪えない絵図だけど、それでもそんな姿を見せてくれるのは俺だけが良いと思ってしまう。極めて重症。そんな名前ちゃんは眠いのか、半目で瞬きを繰り返している。

「おたがい…、いぞんしてるだけなんよ…。居心地いいからってさ…」
「……だから転勤するって言うたん?」
「そーぉ。いっしょうこのまま、ってわけにはいかないでしょ……」
「…」

そう言って瞼が閉じられた。溜息が勝手に漏れるも、足は洗面所に向かう。拭くだけコットンを手に、名前ちゃんの前に座り直す。慣れた手付きで彼女の頬を拭く自分に呆れても、それでも好きを止められないなんて。すっぴんと化した彼女を前に、とりあえず朝説教することを誓ってブランケットを掛けたときだった。

「!」
「…ねよう」

その手を掴まれて、聞こえる言葉。寝言…のように聞こえるも、握ってくる力は無駄に強い。強引に振り払えるはずもなく、どうするか頭を抱えたときだった。首に名前ちゃんの両腕が回ってきたのは。

「!ちょ…」
「、ねよう」
「いやもう寝てるって…」
「はこべ…」
「!」

耳元に聞こえる甘くざらついた声と、異常すぎるこの距離間。移る体温が無駄にあつくて、動揺が流行る心音と化す。腕を解こうとしても、逆に力強くなるばかりで。…もう試されてるとしか思えない。理性と葛藤しながら、名前ちゃんを抱き抱える。彼女をベッドに運んで、俺がソファで寝れば良い。起こさないように寝室のベッドに降ろす。

「、うん……」
「…」

小さく、甘えるような声が耳に届いて理性が爆発しそう。早めに退散しようと振り返ろうとしたとき。左手を思い切り引かれて足が縺れる。身体の軸が落ちていくのをスローモーションで感じていた。

「うわっ…」
「寝ぇー」
「、はぁ!?…」

ベッドに落ちたはいいが、名前ちゃんに抱き留められたらしい。身体の節々から柔らかい感触と温かさが襲ってくる。焦って起き上がろうとするも、抱き枕にように抱き付かれているらしく動けない。……拷問?

「ちょ、名前ちゃん離し「ねるん、だからぁ…」
「いやいやいや、無理やってほんま、え……え、寝やんとって!?起きて?!」
「……」
「…いや嘘やろ…。」

耳元でスースー聞こえてきて、心からの溜息が漏れる。いやこんなん寝れるわけ…。と思うも当の本人は幸せそうに寝ているようで。腹を括って天井を見上げた。抱き枕と化した俺、右隣にはあどけない表情で眠る酔っ払い。時刻は深夜の3時、ここから本当の勝負が始まるらしい…。白旗をあげるように、名前ちゃんの首元に腕を差し込んだ。



「………え?それワシ………?」
「ワシやな。ワシが襲ってきた。」
「えっ……やばくね………?」
「そう。やから、先に変わったんは俺じゃない。分かった?」
「ア……。ハイ……」

身体をぺしゃんこに潰されるかのような話。もう断酒しようかと思えるレベルだった。恥じらいで火吹けそう。そんな私の左手を掴んだまま、再度歩き出すみち。背中は、怒ったままだ。

「前も言うたけどさ」
「…ハイ」
「俺のために離れるとか止めて。そこに俺の意思は無いから。勝手に決めんとって」
「……ハイ。ごめんなさい。」
「俺をほんまに思うならこのままでおって。いい?」
「、ハイ……」

背中との会話。ハイハイ病に罹っているらしい。でもその二文字しか言えないのだ。いつもみちを思って行動していたつもりだった。でもそれは"つもり"、であって。結局は自分のためだったのだと痛感する。依存を止められないのは私の方なのだ。急に早足が止まって、みちの背中に顔面から突撃する。

「ブッ」
「やっぱ襲っとけばよかったよな…。」
「……はっ?」

痛みで鼻を押さえる私に勢いよく振り向いてくるみち。両腕を掴まれて、棒になったかのごとく姿勢良くヤンキーゴールデンレトリバーを見上げる。眉を顰めた大型犬が、手のひら分の距離まで詰めてくる。

「それでも手ぇ出してない俺、すごない?」
「あ……はい…。ありがとうございます…?」
「いやほんっっまに偉すぎる。あーでもちょっと後悔…」
「ア…、アハハ……。」


大型犬(マイルド)ヤンキー/2024.1.11
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