出会い

数年前の冬。春までもう少し、でもまだ寒さが厳しい夜。家までの近道としていつも横切っていた人気の無い公園をその日も歩いていた。何回も通った道、人とすれ違うのは本当に稀なことでその日も人の気配は全く無かった。

無かったはずだけど…ふいに肩を叩かれた。わかりやすく反応して、恐怖混ざりに振り向く。深夜では無いけどかなり遅い時間。しかも冬の寒い夜。こんな何も無い公園に人がいるとは思えず幽霊か何か、この世のものでは無いだろうと逃げ腰だった。

「うわぁ…わかりやすいくらいに警戒されてるね。安心して良いですよ、幽霊でも変質者でも怪しい者でも無いので」

こんな夜に似合わないくらいの軽い声。怪しい者では無いと名乗っている男の格好は冬には似つかない着物姿で、とてつもなく怪しい。警戒心が解けることは無く、失礼と思いながらじろじろと見ていた。

『あの……何か用ですか?』

「そう警戒しないで。これこれ、さっき落としましたよ」

そう言って差し出されたのは私の手帳。そう言えばさっき歩きながら確認して、よくも見ないで鞄に入れた。その時に落としたのかな…なんてぼんやり考えながら手帳を受け取った。

『あ…、ありがとうございます。それじゃあ、』

これで用事も済んだろう、見るからに怪しい人から逃げるように足早に振り返ったのが良くなかった。夕方まで降っていた雨は気温の低さで凍っていて、ヒールを履いていた私はまんまと滑り後ろへと倒れ込んだ。

衝撃が来ると覚悟していたが、来たのは抱き締められる感覚とぬくもり。しかしそれはすぐに消えて、代わりにボンッと音と共に薄い煙が舞った。

『えっ……』

結局尻もちはついたけど本来の衝撃よりも少なく済んだ。慌てて振り返るとそこにいるはずの人はいなくて、代わりにいたのは…。

『……い、ぬ?』

「あーあ、大変な事になったなぁ」

『しゃべった!?』

「そりゃあ人間だからしゃべりますよ?」

『いや、どう見ても犬!黒い犬!』

初対面なことを忘れて大声を出してしまった。それは反省している。

「まぁ、そのうち戻るよ」

『戻る?えっ…人間に、ですか?』

「うん、そうそう。素っ裸だけどね」

言い終わると同時に再び音と煙が舞う。

『いやいやいや!おかしいですよ!何で服着てないんですか!』

慌てて顔を逸らす。けして見ていません。

「そりゃあ犬は服着ないよねぇ。はい、服着たからどうぞこっち見てください。それと立ち上がった方が良いよ?」

言われて気付いた。ずっと座っていたからすっかり服は濡れていた。

『ええっと…あの、今のは…いったい…?』

「うーん…どこから話そうかな。とりあえず連絡先聞いていい?」

『え?ええっと…?理由は…?』

「君はね、重大な秘密を知ってしまった。場合によっては記憶を消さないといけないからさぁ」

『えーと…そっち系の人ですか?私今とても不味い状況…?』

冷や汗が止まらない。体がどんどん冷えていく。

「ある意味そっち系の人よりヤバイかもねぇ。まぁ…確定では無いから安心して良いよ。ただ、どっちにしても今日見た事は秘密にしてほしい。誰にも言ったら駄目ですよ?」

『言わなかったら…記憶を消さないでくれますか…?』

「それはわからない。決めるのは僕じゃないからね」

『絶対に言いません。……よくわからないのに、記憶が消されるなんて、怖いし…嫌です』

「そんな言葉は信じられないんだよ。まぁ消さない可能性も少ないけどあるから、そこに希望を持ったらどうかな」

『…っ!でも…!』

「そもそも君があの時転ばなかったらこんな事にはならなかった。いや…手帳を落とさなかったら出会う事も無かったかもねぇ。君にも非はある。それなのにあまりにも自分勝手じゃないかなぁ?」

『それは……』

「大丈夫。消すと言っても生活に支障は無いだろうから」

『……何でも、しますから。私にできることなら、何でも言うこと聞きます。だから…記憶は消さないでください』

「何でも?」

その時の笑顔を見た瞬間、私は今言った言葉をすぐに撤回したくなった。

とりあえずその日は名前を教え合って連絡先を交換して解放された。連絡が来るまでの間、私は不安でいっぱいだった。

数日後、連絡は来た。あの日の恐怖が蘇り電話に出るのに戸惑ったが、出ないと出ないでさらに大変なことになるような気がした。

私の恐怖とは正反対に、電話先の男の声は楽しそうに弾んでいた。

「いろいろ条件はあるけど…記憶は消さなくて良いって事になったよ」

『それは…本当にありがとう、ございます。それで…条件、とは…?』

「まず1つはこの間も言ったけど、あの日見た事は誰にも言わない。言ったらどうなるかは…わかるよね?そして2つ目は、僕の暇つぶしの相手になる事」

『はぁ…?1つめはわかるけど、2つめは…?』

「僕さぁ、とっっっても頭を下げたんだよね。どうにか記憶を消さないであげてって。見ず知らずの女の子のお願いを叶える為に、土下座覚悟で。僕に何か恩返しがあっても良いよねぇ?」

断れない。これは断ったらとんでもなく面倒くさいことになると察知した。

「別に毎日とは言わないし、用事がある時はそっちを優先して良い。僕が呼んだ時に来て相手をするだけ。簡単でしょ?」

『まぁ…それくらいでいいのなら…』

「契約成立だね。じゃあ…これからよろしくね、百合ちゃん」

この時は気付かなかった。この契約の複雑さ、気まぐれな彼に振り回される日々が始まったことを単純な私は何も知らなかった。

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