あなただから


特殊部隊室では、今日も今日とていつもの2人が喧嘩をしていた。

「ほんっとお前意味分かんねえ!ばかさはら!」
「な…っ失礼な!バカって言った方がバカなのよてづばか!」
「はあ!?お前が先にバカって言ったんだろ!」
「言ってない!」
「いいや、言った!」
「言ってないったら言ってない!」

どこぞの小学生かと言いたくなるような口喧嘩に、小牧は腹を抱えて笑っている。対してその隣の堂上は、今にも拳骨を落としそうな様子だ。
業務時間中、業務時間外関わらず繰り広げられるこの小競り合いは、堂上と笠原の淡い恋模様と同様、特殊部隊室のちょっとした名物となっている。
休憩時間に突入したことあって、いつもの悪ノリ大好きな大人達がわらわらと堂上班の周りに集まった。

「苗字!どうだった!?」
「今日は手塚が最初に、ホントお前バカだな、って言ってた!」
「ほら見なさいよ!」

勝ち誇った様子の笠原に、ほんとだよーと名前が野次を入れた。あいつも乗るからタチが悪い、と堂上が呟く。

「お前ほんと、いっつも笠原の肩持つよな」
「だって可愛いもん」
「は、お前目ぇ腐ってんのか?」
「はい?」
「いや、可愛いことは否定す」
「何言ってんの?可愛いから。手塚の目が腐ってるんだよ」
「はぁ!?お前こいつのどこ見て言ってんだよ!」

後ろで堂上が大きな溜息を吐いた。仮にも尊敬する上官の彼女に対して、失礼な物言いである。
しかし問題はそこではないようだ。
そんなこと他の男に知らせんでいい、バカ。
堂上の小さな独り言に、小牧が一層笑い声を大きくした。

「もっ…堂上っ…苦しっ」
「知らん!そんなことはあいつらに言え!」

笑い転げる小牧と、眉間に皺を寄せる堂上。
直後、その様子が変わった。

「手塚は本当にわかってない!」
「笠原が猿なのは事実だろ!」
「猿じゃないわよ頑固親父!」
「笠原に謝れー!」
「はあ!?おまっ」
「朴念仁!覚悟しろ!」

言葉と共に名前は

「ちょっ…離せっ…てば!」

手塚に擽りをかました。
小牧の周りの気圧が若干下がる。堂上が困り果てた様子で頭に手を当てた。
しかし、喧嘩(というよりじゃれあっている)に集中している名前達は全く気付く様子もない。戦闘時の集中力は、こんなくだらないシチュエーションでも遺憾無く発揮されるようだ。

「あたしもやる!」
「ちょっ…ばか離せっ…くっ…」

身をよじる手塚と、それを何とかくすぐろうと密着する名前と笠原。誰かがからかい口調で囁いた。

「小牧も堂上も、アレを許せるとはなー」
「はい?それはもちろん」

囁いた隊員は、後悔したに違いない。

「ちょっかいかけたら…分かってるよね、手塚」

その言葉に手塚が振り向いて固まる。小牧の纏う空気も、その視線も絶対零度の冷たさだ。
コクコク頷くだけで返事のできない手塚。笠原も周りにいた隊員たちも固まっている。
すると名前が、ははっと笑って小牧の隣にしゃがみ、机に頬杖をついた。

「幹さん仕事終わったー?」

プニプニと小牧の頬をつつきながら名前が話しかける。

「今日はねー幹さんに紹介したいお店があってね!
ね、堂上教官。今日のお昼休みっていつもより30分長いですよね?」
「あ、ああ。防衛部とのシフトの兼ね合いで始まりが遅くなるが」
「ね!だから!行きましょうよ!」
「行きたいの?」
「うん!」
「仕方ないなあ」

そう言う小牧の笑みは深い。

「ほら、早くしてください!今なら苗字の奢り、というオプション付きですよ!」
「それは選ばないかな」
「言葉の裏を読んでくださいよー。
奢ってでもいいから早く行きたいんですよ!
ほら早く、早く!」
「そんなに焦らなくてもお店は逃げないよ?」
「幹さんとの時間は逃げます!」

そうだねと笑う小牧はそれはそれは甘い顔をしていて、優しく名前の頭を撫でる。
そして小牧が上着に両腕を入れると、その片方を名前が引っ張った。

「ほら行こう!」

冷たい雰囲気は何処へやら、小牧はとても楽しそうな顔で名前に引っ張られていた。目に入れても痛くない、その表現がよく合う。

「じゃ、失礼します!5分前には戻りますので!」

扉の所で振り返った名前はそう告げると、小牧の後ろに回ってその体を押し出す。
そして一瞬だけ振り返り、手塚を片手で拝んだ。ごめん、と動いたその唇に、手塚は「あ、ああ」とだけ応じる。
バタン、と扉が閉じた。
ややあって、ふぅと誰かが息を吐き出す。刹那、ドッと特殊部隊室が湧いた。

「ありゃーしっかり手綱握ってんなーうちの姉姫さんは!」

ヒュウ、と唇を鳴らす進藤にますます皆が盛り上がる。

「あの魔王を飼い慣らすとはなー」
「小牧のあんな顔初めて見たぞ!」
「まーあんだけ可愛い誘い方されたらそうなるだろうよ」

ばんっと進藤が手塚の背中を叩いた。

「よかったなー。お前、危うく魔王に殺されるとこだったぞ」
「…冗談にならないのでやめてください」

真っ青な顔をして言う手塚がますます皆の笑いに拍車をかける。

「苗字すげーなー」
「ほんと、小牧教官のブリザードを止めるのすごいうまいんですよ!」
「そうだろうな」

緒方が言うと「なんで分かるんですか?」と笠原が首を傾げた。

「惚れた男の弱味だ」
「なるほどー。
あーあ今日は苗字と柴崎と3人でお昼食べる予定だったのにぃ…」
「許してやれ。午後の業務のためだ」

渋い顔した堂上の言葉に思わず笠原は笑う。
確かに、あのまま午後に突入されては堪らない。それに、恐らく後で名前から謝罪のメールが入るだろう。
昼1回奢りだな

「あの無駄に回転の早い頭が意外な所で活きてるってわけだな。よくやってんなー」

アツアツじゃねえか、といった進藤に「小牧には口が裂けても言うなよ」とすぐさま緒方が注意する。

「言わねーよ。
てか言えねーな。あいつ普段にも増して怖かった…」
「まあ帰ったら細々とした嫌がらせを覚悟しないとかもなぁ」

緒方の言葉にやめろよ…と進藤が呟いた。

「また書類が増えるじゃねーか」
「いつもはほぼゼロのくせによく言う。ちょうどいい機会だ。腹を据えてやってこい」

それを聞いて、すみませんと手塚が神妙に頭を下げた。

「いや、多分今日のはお前じゃない」

横から堂上がフォローに入った。

「そうですか?」
「小牧は、苗字がお前と戯れるのは仕方ないと思ってる。
そりゃ彼氏だから嫌なこともあるだろうが、バディという関係性だ。友達とはまた違うと分かってるから我慢してる。
だからこそああ囁かれて腹が立ったんだろう」
「ってことは犯人は囁いたやつだな!おい、誰だ!」

進藤の声に手を挙げる者はいない。
それもそのはずである。
小牧の小さいが結構痛い嫌がらせを一身に受けるのは、誰だって嫌に違いない。

「仕方ないな。今日は全員残業コースだ」

そう告げて席に戻っていく緒方に嫌だ嫌だと大人達が騒ぐ。

「もう誰も、苗字絡みで小牧を揶揄うな!」

青木の言葉に、了解!と皆が一斉に敬礼した。



こっちですよーと手を引っ張る名前に相好を崩す。可愛い。
でもだからこそ

「情けないなぁ…」
「何がです?」

聞かせるつもりのなかったその言葉を、名前が拾った。なんでもないと答えようとしたが、言ってよ、と訴えかけるその目に観念して正直に話す。

「あんなことで動揺しちゃったからさ。
堂上はああ言われても怒んなかったよ。男として器が違うと思ったら情けないなって」
「えー器が狭いからいいんじゃないですか!」

ああやっぱり俺の器はせまいか、と苦笑する。だが、次の言葉を聞いて捻くれた気持ちも吹き飛んだ。

「幹さんが嫉妬してくれるから私は安心できるんです。
勿論分かってるんですよ?幹さんが私のこと、好きでいてくれてるって。
でもきっと、堂上教官のように聞き分けの良い人に幹さんがなったら、私、多分不安で不安で仕方がなくなっちゃう。
うーん多分、あれは笠原が真っ直ぐで純粋だから上手く行ってるであって、私にはとても…」

首を振る名前を優しく撫でる。思わず笑みが零れた。
男として、堂上にはなかなか叶わない。熱くて、懐が広くて、優しい。そしてそれを敬愛し追いかける手塚も同じだ。
仲良くする姿は微笑ましい。だが、焦る。

「あのね、あの、今更ですけど私は幹さんだから付き合ったんです!
私は幹さんの隣が一番心地がいいです。
これだって、なんて言うか、独占欲と独占されたい欲?が良い感じに釣り合ってるんですよ」
「なに、それ」
「幹さんの独占欲は300、でも我慢が100あるので見えるのは200、私の独占されたい欲も200。
我慢の100は…あーまあ、置いておこう。
堂上教官の独占欲も300、でも我慢の200を引いて出てる部分が100、笠原の独占されたい欲も100。
我慢の200は過保護と甘い雰囲気を所構わず出すのに使われます」
「俺の我慢してる100はどこ行くの?」
「自分で分かると思います」

名前がふい、と顔を横に背けた。その耳を見れば

「真っ赤だよ?」
「っだって、」
「あ、分かった。我慢してる100は夜の呼び出し?」
「…だって手塚とあんまり喋ると、いっつも…!」
「バレてた?」

コクコクと顔を真っ赤にして頷く名前が可愛い。そんな顔してると襲いたくなる、しかしその気持ちは名前には分からないだろう。
変なところで男心に鈍い。そして変なところで

「ちなみにさっきの平均は?」
「100、ぐらいかな…」
「独占欲強すぎるね、俺」
「そんな幹さんが好きなんですよ!」

ものすごく天然だ。夏乃が昔からタラシだったと言っていた。その理由が本当によく分かる。
昼間なのが憎い。夜ならば少し見えないところに連れていってキスでもするのに。

「…今日、夜覚えてなね」
「え、なんで!?」

答えずにぎゅっと手を握り「で、どこなのお昼?」と聞く。あ、えっとと案内する名前はどことなく嬉しそうで、確かに相性ぴったりだと独り言ちた。
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