Episode.14


夏休みに入ると練習漬けの毎日だった。先日行われた夏の中総体は惜しくも北川第一は今年も準優勝という結果に終わり、悔し涙を流しながら3年生たちが引退をし、遂に俺たちの代が部を率いる事になった。俺は副主将となり、主将のサポートをしながら部員達を率いているが、今までは上級生たちに引っ張られる立場だったので、いざ人の上に立って纏まるという事がこんなにも難しい事だとは思いもしなかった。
15分間の休憩に入り、マネージャーから渡されたドリンクを体育館の出入り口に座って一人飲んでいた時、国見と金田一がボトルとタオルを持ってこちらに向かってくるのが見えた。

「よっ、副主将!」
「よ、椎名のカレシさん」
「っ!!」

"カレシ"というワードを聞いて思わず頬が熱くなる。明らかに動揺した俺は思わず口に付けていたボトルを落としそうになった。そうだ、俺は夏芽の、彼氏。普段はあまり意識をしていなかったが、いざ他人からそう言われると何だかきゅう、と胸の辺りが締め付けられるような、そんな感覚に襲われる。
反射的に二人から顔を逸らすと、国見と金田一はその姿を面白がるようにニヤニヤしながら俺を真ん中にして両サイドに静かに腰を降ろした。……………これは、居座るつもりだ。

「で、椎名とはどこまで進んだの?」
「何処までって何がだよ……?」
「ほら、手繋ぐとか、ハグ………は一応前にしたのか。じゃあキスす「ああああああ分かった!!分かったからやめろおおおおお!!」ふぐっ!?」

一瞬でも夏芽と"そういう事"をしている姿を想像してしまった俺はあまりの羞恥心で国見の口を強く塞いだ。あれ以上聞いたら俺の頭はきっとパンクしていたに違いない。暫くその状態でいると、次第に顔が真っ青になっていく国見の姿を見た金田一が「おおおおおい影山!!こ、このままだと国見が死ぬぞ!!?あああああ国見しっかりしろおおおおお!!」と慌てふためきながら止めにかかってくる。我に返った俺は急いで押さえていた手を離すと、国見は「げほっ……!し、死ぬかと思った……」と噎せ返りながら呼吸を荒くしていた。

「………もしかして、まだ何もしてないの?」
「ちょ、国見っ!?」

やがて呼吸を整えて、落ち着きを取り戻した国見は怪訝そうな顔を浮かべ俺に問う。それはまるで"遅すぎる"と言われているようにも聞こえた。

「……別に何もしてねぇよ」

確かに国見の言う通り、俺たちは手を繋ぐどころか、まだ何一つしていない。登下校はただ普通に肩を並べて雑談をするだけで、かといって休日は別に一緒に遊ぶわけではない。更にお互い携帯電話を持っていないから、学校や部活以外でやり取りをする事さえ出来ない。けれど俺だって"そういう欲"が無いわけでは無い。この関係性をまた一つ進展させたいと俺は思っている。しかし夏芽はどうだろうか。アイツがもし、それを望んでいなかったら。
人間とは欲張りな生き物だ。一つの欲が満たされたとしても、また次には新たに別の欲が生まれ、求めてしまう。常に欲求不満で、貪欲だ。

「あ。そういえば今度の土曜に花火大会あるよな」

椎名と行かねえの、と思い出したかのように金田一は俺に尋ねる。それを耳にした国見が何か企んだ顔でチャンス、と小さく呟きながら体育館の中にいる夏芽に視線を向けた。

「椎名ー、影山が呼んでる」
「は?!」

国見に声を掛けられた夏芽はビクリと大きく肩を揺らした。恐らく、俺に呼ばれていると聞いたからだろう。
俺は直ぐ様国見にどういう訳だと問い詰めると、国見は「だって、二人の関係を進展させるのにいい機会じゃん。誘いなよ、花火大会」と涼しい顔で返してきた。コイツ、いつも無気力そうなくせして、時々やる事がえげつない。

「あの、ちょ、か、影山……今、部活中……!」

パタパタと足音を立てながらこちらに駆けて来た夏芽は少し気恥ずかしそうに俺から視線を逸らした。付き合うようになってから周りの目を意識し、夏芽が部活中は俺から距離を置くようになったのは気付いてはいたが、こうとなればもう引き返す事は出来ない。いや、別に話していた所でやましい事などは一切無いのだが。
でも物は試し。覚悟を決めたはいいが、緊張のあまり目線は地面のコンクリートにいってしまう。

「あ……その、今度の土曜……。は、花火大会……行かねぇか」
「っ!!」

それからゆっくりと顔を上げた時、目に写ったのは余程驚いたのか、目を見開きながらこちらを見る夏芽の姿だった。しかし、次第に状況を把握したのか、嬉しそうに頬を緩ませ、首を縦に振った。

「――――うん、行きたい」

いつになく大人びていて、あまりにも綺麗に笑う夏芽の姿に今度はこちらが驚かされる番だった。脇にいる金田一が小さくガッツポーズをし、国見はよくやったと言わんばかりに俺の背中を強く叩いた。
夏芽と付き合って、初めてのデート。途端に土曜日が待ち遠しくなった。




花火大会当日。会場は花火の観客や出店で賑わいを見せていた。時刻はもうすぐ18時半を回ろうとしている。花火の打ち上げ開始は19時を予定しており、時間までは出店巡りをする事にした私たち。特に会話もなく、先程買ったりんご飴を片手に混雑とした出店通りをただただ歩いていた。ふと私の右隣を歩く影山を見ると、買ったりんご飴が余程甘かったのか、顔をしかめながら咥えている。
そのまま歩み進めていると、時折浴衣を着た若い男女のカップルや制服を着た高校生カップルを見掛ける。Tシャツに学校のハーフパンツ姿の私たちよりその人たちはずっと大人びており、"如何にも恋人同士"だった。
何よりも現実を突き付けられたのは、皆手を繋いでおり、互いの距離が近い事だった。中には腕を組んで歩く男女や彼女の肩を抱いて歩く彼氏の姿も見受けられた。それに比べ、私と影山はお互いの手が触れそうで触れないくらいの微妙な距離感があって、尚且つ手を繋ぐ素振りもない。今までだって、影山と手を繋いだ事は一度だって無かったけれど(スキー学習のあれはノーカウントにしよう)、今日こそはあるんじゃないかなんていつも淡い期待を抱いていた自分がいた。今日もこうしてりんご飴を持つ手だって、ワザと利き手じゃない左手持っていたのに、何も無い。なんとなく、空いた右手が虚しかった。

「(……いいな、)」

少しだけ、"他"が羨ましいと思った。別に影山に対して不満を抱いている訳じゃない。花火大会に誘われただけでも充分なはずだった。滅多に無い二人きりの時間がこうやってあるのだ。でもただ、もっと影山に近付きたい、もっと触れたい―――――。そうやって徐々に私の欲は深まり、我が儘になっていった。でも、だからといって自らそれに踏み込む勇気など持ち合わせてはいなかった。……影山に拒絶されるのが怖かったから。

「あたっ」

擦れ違うカップルを無意識で目で追ってしまっていたせいで、突然立ち止まった影山に気付かず、そのまま背中に衝突してしまった。ぶつけた額を押さえながら「ごめん」と一言謝るが、目の前に立つ影山は微動だにしない。未だに無反応な影山が何だか不安になり顔を窺おうとした時、影山は徐にくるりと私の方へ身体の向きを変えた。

「……手、繋ぐか」
「っ、」

真っ直ぐ私を見つめる瞳と思わぬ言葉に心臓の鼓動が早まった。冷静に考えれば、こういうのって口に出すものなのかって思うはずだが、今の私にはそんな余裕すらなかった。頬には熱が集中し、首を縦に振る事で精一杯だった。ずっと望んでいたシチュエーションのはずなのにいざ直面するとてんで駄目だ。
頷いたのを確認した影山は、私の右手を影山の左手が絡めるように慣れない手付きで握り、再び歩き出した。当たり前だけど、影山の骨張った手は私の手よりずっと大きくて、私の小さな手なんか簡単に覆われてしまう。繋がれている手に視線を向ければ、一気に胸まで熱くなる。

「……夏芽の手、冷たいな」
「そう、かな。多分、体温低いからだと思う」

影山の握る手の力が一層強くなった気がした。こんな時、「じゃあ冬場は影山の手で温めてよ」なんて事を平気で言えるような彼女だったら良かったのに。奥手な自分を後ろめたくなる。

「あ、花火」

いつの間にか19時を回っていたのか、ふと夜空を見上げると、ドンドンと大きな炸裂音が響き渡り、いくつもの大輪の花が咲き始めた。

「きれいだね」
「おう」

光で照らされた、打ち上がる花火に見入った影山の横顔に思わず口許が緩む。静かに私もまた夜空を見上げ、"幸せ"だと実感した。
好きな人と初めて手を繋いで、こんなにも綺麗な花火を一緒に観る事が出来た。何てことない事かもしれないけれど、私にはそれが大きな幸せだった。

「――――来年も、また二人で行きたいな」
「!うん、」

影山のその言葉がジーンと胸に染み渡る。そして無意識の内に影山によって握られた右手に力が込められていく。
来年の事なんて今の私たちには分かりはしないけれど、でもまた"来年"もこうして影山が隣に居てくれるという事が、心から嬉しかった。

(2015.08.22)

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