Episode.19


「俺、バレー部辞めたいです」

朝練後、体育館の鍵を返しに職員室に向かっていた時、偶然その声は聞こえた。ただならぬ雰囲気を感じた私は慌てて死角になる壁際に隠れた。このまま職員室まで進めば彼らと鉢合わせになってしまうので、悪いとは思いつつもここは静かにその様子を窺う事にした。

「……本当にいいのか?引退まであと一年もないんだぞ」
「それでも、です。俺はもう自己中過ぎる影山にはついていけないんです。皆もそう思ってます。俺はこれ以上、ギスギスしたチームでバレーボールはしたくない」

職員室の前で話していたのは監督とここずっと部活を欠席がちの同学年の男子部員だった。そして今日の朝練にも彼は姿を見せなかった。

「……意思は固いんだな」
「はい」

影山のせいでチームメイトの一人が部を離れようとしている。監督の問いかけに強く返事をする彼はどれだけ説得をされようとも、もう迷いがないように見えた。

「っ、」

こんなの知らない方が良かった。どうして今日が鍵当番の日なのか、自分のタイミングの悪さを恨んだ。

「……そこで何してんの?」

俯いていると、突然声を掛けられた事とその声が聞き覚えのありすぎるものだった為、驚きで思わず身体が跳ねた。

「!国見、なんで……」
「今日日直だから、教室の鍵取りに来た」
「あぁ……そういえばそっか、」

国見とこうしてまともに会話をするのは随分久しぶりのような気がする。それは彼とはあの一件であまり関わりたくない気持ちが私の中にあって、一方的に避けていたせいでもあるが。国見も国見で影山との関係が悪化していくにつれて影山の彼女である私も気に食わないのか、あからさまに私から距離を置いていた。

「……けど、今は無理か」

深刻そうに話し込む監督と部員の姿を見て、国見は納得したように呟いた。話が終わるまで彼も待つ事にしたのだろう、国見は私の隣に並んで同じように壁に寄り掛かる。それからは私たちの間には重い沈黙が流れた。

「…………」

思わず逃げたいと思った私は卑怯だろうか。
誰もいない廊下に突然訪れた国見と二人きりの時間。それには気まずさがあり、どうしたらいいのか私は戸惑いを隠せなかった。

「……アイツ、辞めるの?」

暫くすると、長い沈黙を破ったのは国見の方だった。

「…………影山が原因で辞めるって、さっき聞こえた」
「まぁ、それ以外まず考えられないよね」

冷たく放たれたその言葉にじわりじわりと込み上げてきた涙で視界が歪んでいく。
国見は感情豊かな人間ではないからどうしても抑揚の無い話し方になってしまうのはよく分かっている。それは仲の良かった以前までは何とも思っていなかったし、それが普通だった。だけど、だからこそ今は口調が少しでも強いと、まるで彼から拒絶されているかのようで胸が締め付けられる。

「…………ごめん」

振り絞るように出した声は驚くほど震えていて、それは虚しく響く。
影山を止められなかった私にも非はあるのだ。"彼女"なのに傍観者を決め込んで、大切な人一人変えられる事の出来ない無力な奴だ。こんな奴だから、部員からも白い目で見られてしまうのだ。
溜まっていく涙はこらえるどころか、増えていく一方で抑えられそうにはなかった。せめて国見には顔を見られまいと下を向くと、ポタリと大きな滴が床を濡らした。

「……何で、椎名が謝るの?椎名は、悪くないでしょ?」

予想もしていなかったその言葉に思わず泣いている事を忘れて顔を上げた。目と目が合った時、私を見る国見は苦しそうだった。

「何で……?だって私―――――」
「謝るのは俺の方だよ」
「え……?」
「……俺さ、影山が悪いのに椎名の存在を理由に俺らが文句とか愚痴とか、そういうの遠慮するのは絶対おかしいって思ってた。でも、椎名が笑わなくなって、俺の事も避けるようになって、その時漸く気付いた。椎名はどんな思いで俺達と過ごしていたんだろうって。そりゃ、彼氏の悪口を目の前で言われて平気でいられるはずなかったよな。分かってたのに、顔向け出来なくてずっと見て見ぬフリしてた。居づらかったよな、悪かった」

初めて国見の口から語られた本心。
国見は私を嫌っていたわけではなくて、ただ影山との事を気にして私に距離を置いていただけだったのだ。そして国見もまた、私から嫌われているんじゃないかと、互いが悪いように思い込んでしまった、ただそれだけだった。

「―――――でも、アイツが変わらない限り俺はこれからも影山を嫌うつもりだから。きっと散々反発もするし、椎名を傷付けるような事も言うと思う。だから先に謝っておく。本当に、ごめん」
「ちがう、よ……謝らないで。私だって影山が悪いって事は、分かってる。分かってるのにっ……私は、何も出来てない。だからっ、私が誰かを責める資格なんて無いっ……!」

声を発していくうちにつれて喉がつっかえてしまい、大粒の涙は頬を伝って流れていく。人前では泣かないようにしていたつもりだったのに、一度こうなってしまえばもう抑えられない。

「……ごめっ…ん……!」
「……あまり自分を思い詰めるなよ。椎名は文句一つ言わずによくやってるだろ?だから泣くなよ?」
「でもっ……!」

国見はこれ以上何も言うなと言うように私の背中を優しく叩いた。それから私が早く泣き止むように静かに擦っていく。その優しい手付きが心地好くて、私はそんな国見に今にも甘えてしまいそうだった。

「あれだけ今まで背中押しといて、今更こんな事言うのもどうなのかとは思うけどさ、あんな奴とはもう別れた方がいいんじゃないの」

国見の思わぬ言葉に息が止まりそうになる。一番聞きたくなかった、その言葉。それは影山を失うという事を意味している。

「そんなの、出来ないっ……」

影山の事は今でも好きだ。以前よりずっと口数が少なくなっても、例え私を見ていなくても。
でも本当は凄く不器用で、でもいざという時は男らしくて、バレーに対しては常に一生懸命だった影山。そんな彼を嫌いにはなれるはずがなかった。

「……悪いけど、俺には今の影山が椎名を大事にしているようには見えない。もしこの先ずっと影山があのままなら、反って椎名が傷付くだけだ」

「よく考えて」

念を押すようにいつになく国見の真剣な表情に、私たちはもう潮時なのだろうかと思うと同時に、影山を手離したくないという思いが強くなる一方だった。

(2015.09.14)

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