Episode.20


「……寒っ」
「やばい寒い寒い!」

12月にもなると空気が冷え込み、空はちらほらと雪が舞い降りていた。
クラスの帰りの会が終わり、部活の為に国見と体育館に向かおうと渡り廊下を歩くが、あまりの寒さに思わず二人して小走りになる。ジャージの上から更にウィンドブレーカーを着込んだ上に首元にはマフラーを巻いているというのに冷気は容赦なく隙間を狙って忍び込んでくる。

「く、国見!早く開けて、寒い……!」
「ちょっ、待ってよ」

体育館の鍵を回す国見を隣で足踏みしながら見守る私。耳障りにシャカシャカと鳴るウィンドブレーカーを一瞥して国見は「うるさい」と一言。「ごめん」と謝れば「分かればよろしい」と返ってくる。

「ほら、開いたよ」

開いた扉に真っ先に中に入れば、当たり前だが人の気配はなく、今日は私達が一番乗りだ。いつもなら大概影山が既に来ていて、ネット張りをしているのだが今日はクラスの方が長引いているのだろうか、その姿は無い。
私に続いて体育館に入ってきた国見はゆったりとしたペースで男子更衣室の方へと向かって行ったので、私も端に荷物を置いた後、用具庫に向かい、籠の中に入ったままのボールの空気入れをする事にした。
暫くすると練習着に着替えてきた国見がこちらにやって来るも私の姿を見るなり眉を潜めた。

「え、まさかその格好で部活やる気?」

今だ着用したままのウィンドブレーカーとマフラーの事を指しているのだろう、寒さに対して完全防備状態の私を不審がるようにして見てくる。

「いやだって寒いし、部活まだ始まってないんだし、別にいいかなー……って」
「あまり着込んでると太ってるように見えるよ」
「んなっ?!そういうこと言う!?」
「言う。本当のことだし」

痛い所を突かれ、私が素で落ち込んでいると、国見はしたり顔で私を見つめて来る。やられたままじゃいられないと思った私も負けじと国見に反撃をする。

「……国見さーん、突っ立ってないで君はネット張りでもやったらどうですかー」
「いいじゃん、たまにはサボらせてよ」
「え?いつもさり気無くサボってるよね?」
「……うわ、そういうこと言う?」
「言う。だって本当のことじゃん」

「「…………ぷっ」」

思わずこのやりとりが変に面白くなってしまい、二人して同時に吹き出した。そういえば、こうして部員の誰かと笑い合ったのは久しぶりの事かもしれない。何て事ないはずなのに、私にはそれが堪らなく嬉しかった。今みたいに他愛もないやりとりで部員が少しずつ笑えるようになって、また居心地の良いあの空間が戻ればいいのにと、そう思った矢先だった。

「おい、国見」

突然背後から掛けられた声に一瞬にして笑顔が消える。それは私に対してのものでは無いにしろ、身体全体に走る緊張感が私を支配する。首を後ろへ振り向く事さえ儘ならなかった。

「……影山」
「サボってねぇでネット張りしろよ」
「……はいはい」

影山に注意をされて、面倒くさそうに私の元から離れた国見は重たい支柱を持って用具庫を出て行く。そして、残された私と影山。漸く影山の方を見た私は目が合った途端、思わず彼から視線を逸らしてしまった。それでも構わず影山はジャージのポケットに手を入れたまま黙って私を見ていた。

「影山……」

やっとの思いで発した声。しかし影山はそれに反応するどころか、身体の向きを変えてそのまま用具庫を出て行ってしまった。

「なんで……」

初めて影山から無視をされた。
ズキリと走った胸の痛み。胸元を握り締めるも、この痛みは暫く治まりそうには無いだろう。

「椎名?どうした?」

呆然と体育館の方を見つめる私を不思議に思ったのか、私に問い掛ける金田一がいつの間にか目の前にいた。

「……あ、ごめん。ちょっと、ボーッとしてた」
「ならいいけどよ。てかお前それで部活やる気かよ?」
「それ、国見にも言われたよ」

気が付けば、体育館内に響く足音や掛け声が増えていた。そんな中、私一人だけが時が止まっているような気がした。




部活が終わった頃には既に外は日が沈んでおり、空は真っ暗だった。気温も夕方よりもぐんと下がり、今夜も冷え込みは激しいようだ。徐に吐いた白い息は空気中に浮かんでは消えていく。

「…………」

相変わらず私たちの間には無言が続いているが、今日は決定的に違う。
影山は私との身長差を考えて、いつも必ず私に歩調を合わせてくれていたはずなのに、私の事なんて気にも留めずに斜め前を歩き続けている。それは拒絶を表しているようだった。

「かげ、やま………」

最早私の呼ぶ声など彼の耳には届いてすらいない。私の頭の中には先程の事がぐるぐると駆け巡る。

「(なんで、こっちを見てくれないの……?)」

どうして、こうなったんだろう。どうして影山は急に私を避けるようになったんだろう。
一切ペースを崩さずに歩き続ける影山。まるで私の事など眼中にないと思い知らされたような気がした。

私は影山に、嫌われたのだろうか。

脳裏に過る一つの可能性によって、不穏な気持ちがフツフツと湧いてくる。ひょっとして影山は私の事なんかもうとっくに好きじゃなくて、どうでもいい存在なんだろうか。一緒に帰るのだって実は仕方なくやっていて、本当はもう億劫に思っているのだろうか。

――――もう、隣に居るのは嫌気が差しているの?

"最悪の事態"を想像すればするほど、じわりじわりと視界が歪んでいく。焼けるような喉の痛みと、熱くなっていく目頭。だめだ、堪えるんだ。
そう自分に言い聞かせながら巻いているマフラーに顔を埋める。

「…………なぁ、」

その時、先を歩いていた影山が突然立ち止まり、いつもより幾分低い声で初めて今日私に対して口を開いた。しかし前方を向いたままで、こちらへ振り返る素振りはない。
雰囲気からして察した、嫌な予感。これから何かがあると。いや、これから何があるかなんて、そんなのは何となく分かっているはずだ。けど、信じたくない。聞かなきゃいけないけれど、耳を塞ぎたくなるのが本音。
先に言葉を発した影山は、私の事を気遣ってか、はたまた言いづらいのか、それきりは顔を俯いたままだ。

―――――嗚呼、嫌だ、こんなの。

「……別れないか」

その一言に、思わずマフラーに埋めていた顔が上がる。心臓をナイフで突き刺されたような、そんな感覚だった。どれだけ気まずそうに、小さな声で言われても、それは確かに聞こえた。そして、私の頭の中でその言葉は何度も何度も繰り返される。
分かってはいたけれど、その言葉だけは聞きたくなかった。たった一言なのに、それは重く私にのし掛かってくる。自分にとってプラスな事は聞き入れて、マイナスな事は流せるような、そんな都合の良い耳だったら良かったのに。現実から目を背けたくなる。

「……………はっ、」

辛くて、胸が痛くて、息が苦しい。
身体は酸素を欲しているのに、上手く取り込めない。

―――――息の仕方を忘れた。

吸って、吐く。そんな単純な動作すら今の私には出来なかった。

「分かっ、た」

絞り出すように発したその声は酷く震えていた。

"どうしてそんな事言うの?"
"私はまだ影山のこと好きなのに"
"別れたくないよ"

言いたい事や聞きたい事は山ほどあった。でも理由なんて聞けやしなかった。自分の正直な気持ちを伝える事なんて出来なかった。それはきっと理由を聞いた所でそれを受け止められる自信がなかったから。……いや、単に自分がこれ以上傷付くのが嫌だったからだ。例えば、引き留めた所でもし影山に拒絶された時の事を想像すると、物凄く怖かった。
だから、影山の姿を直視する事が出来ない。姿を見てしまったらきっと、また涙を流してしまう。

「……悪かった」

少し掠れた声は凄く弱々しくて、切なかった。その謝罪は、一体どういう意味を表しているのかは私には分からない。でも、もし"私を振る"という事に対してのものなら謝って欲しくなかった。

"謝るくらいなら、私から離れようとしないでよ"

また歩き出す影山の後ろ姿に対して、そんなことを心の中で訴えてしまう自分は我儘で最低だ。だって、元々悪いのは私だ。チームの勝利の為に影山は必死だった。でもそれがマイナスの方向へ進んでいってしまって、周囲との関係が上手くいかなくなってしまった。
いつしか、バレーをしている時の影山は、プレー中常に眉間に皺を寄せるようになった。仏頂面で、仲間を信頼しようとせず、何もかもを自分で何とかしようとしていて、ちっとも楽しそうには見えない。目を輝かせながら及川さんの背中を追いかけてたあの頃とは全く違う人のようだった。
けれどもそんな影山を止めようとも、支えようともしなかったのは紛れもなく私だ。いつの日か、影山がすがり付くように私を抱き締めてきた時、その背中に腕を回さなかったのは私だった。無意識のうちに影山を避けていたのは寧ろ私の方だ。だから何も言えないのに、仕方ないのに。

「じゃあな」

影山からそう声を掛けられて初めて自分が自宅の前に居る事を認識した。目の前の現実に受け入れる事が出来なくて、自分が今まで歩いていた事すら分からなくなっていた。

「……う、ん」

私からの応答を確認すれば影山は背を向け、また歩き出した。その影山の後ろ姿が見えなくなるまで見送った後、その場に一気に膝から崩れ落ちた。

「……………っく、……!」

ああ、こうして彼の隣にいられるのは、こうして一緒に登下校出来るのは、今日で最後だ。明日からは、もう違う。恋人から、ただの他人に戻るのだ。付き合う前はどうやって影山に接していたっけ、それすらも忘れてしまった。でも、少なくともこんなにも他所他所しくはなかったはずだった。

「嫌、だよっ……!」

想いが通じて、付き合う事がゴールだと思っていた。でも本当はそれはあくまで二人のスタート地点に過ぎなかった。それからどう転んでいくかは二人次第。恋愛に終わりはあっても、ゴールなんて何処にも無かった。結局私は、"恋人"という関係性に「大丈夫だ」と安心して甘えていたんだ。

「……っ…影山、!」

ねぇ、影山。
明日から、私はどんな顔で君と会えばいいの?

(2015.09.21)

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