Episode.27


「う、そ…………」

ただ見ているだけだった。
何も言えなかった。
……何も、出来なかった。

「今までお世話になりました」

ぱらぱらと疎らに送られた拍手音。後輩たちに静かに頭を下げる私の今の表情は、この場にはとても不釣り合いな無表情で、発した声にも感情が籠っていないのが自分でも分かる。最後だからと強がって笑顔を見せる事も、名残惜しさで涙を流す事もなく、ただただ無表情を浮かべていた。明日からはもうこの場所に私はいないというのに、どうして泣けないのだろう。どうしてこうも気持ちが冷め切ってしまったのだろうか。

「ありがとうございました」

煮え切らぬ思いを残したまま、私の中学の部活動生活はここで終止符を打った。




部活を引退すると、今度は受験勉強が待ち受けていた。第一志望としている『烏野高校』は先生からアドバイスを受ける限り、合格率は安全圏内のようだ。実力テストの点数もボーダーラインを余裕を持って超えており、何ら問題はない。しかも聞く所によると、うちの中学からの烏野高校の志願者は私を含めてたったの二人らしい。その一人が何処のクラスの誰なのは知らないが、こういうのは知らない方が(結果次第ではあるが)お互いの為だと思い、それ以上詮索はしなかった。なので学内での競争率だってそこまでは高くない。ただ、だからといって今手を抜いてしまえば簡単に足元を掬われてしまうのが受験というやつだ。胡座をかいている暇はない。

「いらっしゃいませー」

とある平日の午後、私は一人市内の大型ショッピングモールに来ていた。夏休みのせいか、擦れ違う客は子連れの家族や制服を着た高校生の集団などがやけに目立っている。モール内に入っている書店に足を運べば、店員さんの間延びした声によって出迎えられた。学習書のコーナーは何処かと見渡していると店内の奥にそれはあった。

「あ。あった」

目的の物はすぐに見付かった。そして私が手にしたのは宮城県公立高校入試の過去問集。パラパラと捲ってみると過去5年分の入試問題が収録されているらしい。しかも高校入試なだけあって問題の難易度も中々のものだ。

「うわー、難しそ……」

社会とか理科みたいな暗記系はなんとかなりそうだけど、問題は英語だ。長文読解とか見てるだけで頭が痛くなってくる。これが、高校受験なのか……。
パタンと静かに問題集を閉じ、一人項垂れていると私の元に白いジャージを着た学生が近付いて来たのが視界の端から見えた。

「……もしかして夏芽ちゃん?」
「っ!?」

男子にしてはやや高めの、この声。そして私を"ちゃん付け"で呼ぶ男の人なんて一人しかいない。
引きつった顔でギギギギギと小刻みに発信源の方へ首を向けると私のすぐ横にその人はいた。

「あ!やっぱりそうだ〜。夏芽ちゃん久しぶり〜」
「……おっ、おっ、及川さん………!」

「やっほー」と相変わらずの人当たりの良い笑顔でひらひらとこちらに手を振る先輩は、二年前よりもずっと背丈が高くなって、大人っぽくなって、更にかっこよくなっていた。
こうしてちゃんと顔を合わせて話しをするのは、私が中学1年の時以来だ。だから懐かしいとか、嬉しいとか、久しぶりに会ったからこんな話がしたいとか、及川さんからこんな事を聞きたいとか、真っ先にそれらの気持ちが沸いてくるはずなのに、

「あのっ、さ、さようなら!!」
「エッ?!ちょ、夏芽ちゃん?!何で逃げるのさ?!」

身体は勝手に動いていた。




結局、女子中学生が男子高校生に逃げ切れるはずもなく、呆気なく私は及川さんの手によって捕まってしまった。そして突然の及川さんの提案により、成り行きでフードコートのテーブル席で、ソフトドリンクとドーナツを二人して食べる事となった今、及川さんはチョコドーナツを片手に渾身の笑顔でこちらを見つめてくる。

「もー、いきなり夏芽ちゃんが逃げ出すから及川さんびっくりしたんだからね〜」
「スミマセン……」

アイスコーヒーを啜りながら気まずそうに及川さんから視線を外す。
逃げ切れるなんて思ってもいなかったが、それでも身体が勝手に動いてしまったのはきっと何処かで後ろめたさがあったからだと思う。あの決勝戦の日やこれまでの日々の事を思い出すと、会わせる顔なんて無かった。

「………居ましたよね、あの日」

それを言えば及川さんのドーナツを口に含もうとしていた右手が止まる。暫くすると食べかけのドーナツをトレーの上に置き、静かに及川さんは呟く。

「――――"コート上の王様"。皮肉だよねぇ」

頬杖を付きながら横を向く及川さんが今どんな思いでそれを言ったのかは分からないが、やはり影山の事は及川さんの耳にも入っていたようで、思わず顔を俯いてしまう。

「……私、何も出来ませんでした。影山、最初は苦しんでました、自分のやり方が本当に正しいのかどうか。SOS出してたのに、それなのに私は、怖くて逃げてたんです。結果フラれるし、あんな事にもなって、もう修復不可能になりました。ずっと一緒に居たのに、私は全然マネージャーらしい事、彼女らしい事、出来なかった。……だから振られたんですね」
「……うん。夏芽ちゃんの顔見れば分かる。今まで辛い思い、いっぱいしたんだね」

まるで全てを分かっているかのように私を諭してくる及川さんの声は酷く優しいもので、私は今にも泣きたくなった。

「俺が見てきた夏芽ちゃんはね、もっと目がきらきらしてて、沢山笑ってて、俺たちが試合に負けた時には、一緒に泣いてくれる、そういう子だった。でも常にそうやって居られる訳じゃないんだよね。壁にぶつかれば、心に余裕がなくなる。それでもって、自分の無力さを思い知るんだ」
「………はい、」
「けど、夏芽ちゃんは気付けたでしょ?自分の何がいけなかったのか、何が欠けてたのか。今はそれだけでいいんだよ。壁にぶつからない人生なんて無いんだし、最初からみんな完璧じゃないんだから。そうやって色んな事に気付いて、気付かされて、経験して、成長していくのが人なんじゃないかな」
「!!」

それはまるで自身にも言い聞かせているように聞こえた。ばっと顔を上げれば視線が合った瞬間、及川さんは目を細めて笑った。

「あの時俺は夏芽ちゃんに救われた。そのお陰で前よりもずっと視界が広くなって、今まで見えていなかったものが見えるようになった。だから今度は、俺が救う番だ」

及川さんから沢山の言葉を貰って、鉛のように重かった心は少しだけ軽くなれた。この経験を次の糧にしようと思える事が出来た。
私もまた、及川さんの言葉に確かに救われた。

(2015.11.01)

ALICE+