「卒業生、入場」
体育館から聞こえた式典の進行役の先生のそれを合図に、入場口の扉が一気に開かれる。吹奏楽部の演奏に乗せての入場で、まずは1組からクラス担任を先頭に名簿順に体育館の中へと入って行った。
いよいよ卒業というこの日がやって来てしまった。正直最初こそは"卒業"という実感は湧かなかったが、式典の前に3年の教室にやって来た後輩たちによって、左胸ポケットに付けられたコサージュが正にそれを表していて、「あぁ、いよいよなんだな」と一瞬にして現実に引き戻されたような、そんな気分にさせられた。
「続いて2組お願いします」
1組全員の入場が完了した所で今度は2組の入場が始まった。順番にまた一定の間隔を空けながら一人一人ゆったりとしたペースで中に入っていくが、私の番に廻ってくるのは本当にあっという間だった。吹奏楽部の演奏による威風堂々が響き渡る体育館の中央には赤色の華やかなカーペットが敷かれており、そこを私たち卒業生が辿るように歩いていく。両サイドには在校生達がパイプ椅子に座りながら静かにその姿を見守っていて、何だか私は"見られている"という事に少しだけ居心地の悪さを覚えた。
2組の入場が完了し、担任の合図で着席をすれば最後に3組の入場が続いた。私たちが座る席の後ろ列には次々と生徒がまた着席して行くのが足音と椅子の軋んだ音で分かる。そして、暫くして右側の斜め後ろに感じた気配に私の心臓は大きく脈を打つ。上体の右半身に全神経が集中した。―――――影山だ。
「これより、平成XX年度第XX回*◯◯市立北川第一中学校、卒業証書授与式を開式致します」
目を閉じれば、影山と一緒に過ごした記憶が蘇ってくる。
影山と初めて出会った時の事。通学路が同じで、一緒に帰るようになった日々。傘を忘れた雨の日は、相合い傘をした。ある時は及川さんに便乗して名前を呼ばれるようになった。毎日ふざけあって、笑い合った。スキー学習の時には倒れた私の傍に夜通しずっと居てくれた。いつの間にか、隣に居る影山が当たり前の存在になっていた。好きだと自覚するのには随分時間は掛かったけれど、想いが通じ合った時は本当に心から嬉しかった。毎日が幸せだった。一緒に祭りに行った時は、初めて手を繋いだ。誰もいない公園で抱き合って、触れ合った事もあった。
変わっていく影山に私は何も出来なかった。チームメイトと影山の間に亀裂が入って、私は見ていられなくて、擦れ違って、そんな影山に別れを告げられた。影山を失った現実を受け入れられなくて、沢山泣いた。振られたのに、諦められなくて、目を追い続けて、私には影山が必要なのだと思い知らされた。
全てが決して良かったと言える思い出ではなかったけれど、私にとってはどれも大切な時間だった。
「卒業証書授与」
そして、影山への想いを断ち切って、前を向く日。彼を想うのも、今日で最後だ。
私は影山の事を忘れて、これから前に進まなければいけない。
▼
式典が終われば、教室に戻って席に着けば多くのクラスメイトが鼻を啜りながら涙を流していた。また、式中は涙を見せなかったものの、教壇に立つ担任から学舎を旅立つ俺たち卒業生への最後のメッセージが送られ、それに涙を誘われる者も居た。そんな中、特に中学に思い入れのない俺は泣く事はなかった。放課後になり、卒業アルバムに寄せ書きを書き合ったり、入試の合格祝いで買い与えられた真新しいスマートフォンを取り出して連絡先を交換し合う生徒が多く残っている。そういえば最後の別れの挨拶の為にこれから男バレで体育館に落ち合うという事をふと思い出したが、俺が行った所で場の雰囲気が気まずくなるだけだ。すぐにそれを頭からかき消し、俺はそそくさと帰り支度をして、もう二度と戻ってくる事の無い3組の教室を出た。
「影山くん!」
教室を出て直ぐの事だった。振り向けば、二年間同じクラスだった中野さんが慌てたように廊下を走りながら俺の元へとやって来た。耳の下に結われたツインテールが特徴の中野さんは去年からと体育の授業では男女ペアを作る時には一緒になったり、席替えで近くの席になればよく話掛けられたりと、他の女子に比べればそれなりに関わりはあった。
「ちょっと、いいかな」
「影山くんに大事な話があって」
少し息を切らしながら話す中野さんの目は真剣そのものだった。「場所変えていいかな」という問い掛けに頷けば中野さんはただならぬ雰囲気を纏いながら静かに歩き出した。後に続きながら移動している間、「俺、この人に何かしたっけたか」と記憶を巡らせてみるが、正直思い当たる節はない。
「ここでいいかな」
「………ウス」
辿り着いた先は、よりにもよって男バレがこれから集まる体育館裏だった。体育館の中からは聞き覚えのある後輩たちの声が聴こえてきた。
「あの、大事な話って何スか」
中野さんの方へ視線を戻せば、中野さんは何故かスカートを両手でぎゅっと握り締めながらコンクリートを睨み付けていた。それから一度深呼吸をした後、顔を上げるなり俺の目を真っ直ぐ見ながら声を張った。
「二年の時から影山くんの事が好きでした!ずっと言いたかったんだけど、言えなくて……。で、でも高校別々だし、このまま離ればなれになるのは、嫌で……。あのっ、だから……だからっ、私と付き合ってくれませんかっ!」
緊張で少し声を上ずらせながら勢いよく頭を下げる彼女に俺はまさか自分が告白されるとは思いもしなかった。確かに以前、中野さんから進路の話を聞かれた時、お互いの志望校が違って、その時の中野さんは「なんだ、影山くんとは離ればなれになるんだね……」と残念そうに言っていたのは覚えているが、まさかあの言葉にそんな意味が込められていたとは。
未だ頭を下げたままの中野さんの身体はカタカタと震えていた。それはどんな気持ちで頭を下げているのか、いくら頭の悪い俺でも分かる。俺も嘗ては、その位置に居たから。
きっと中野さんは俺の返事を待っている。……それが吉と出ようが、凶と出ようが。
「…………わるい」
たったそれだけの言葉なのに、それは充分に重すぎて、自分の首が締め付けられるような感覚になった。でも、この感覚を俺は知っている。
「………別れないか」
あの時と同じ。でも、あの時の方がずっと、ずっと、重くて、もっと苦しかった。
ゆっくり顔を上げた中野さんの見開いた目にはうっすらと涙が溜まっていて、途端に罪悪感を感じた俺は、出来るだけ視界に入れないようにと彼女から視線を外した。
「……もしかして、椎名夏芽ちゃんと何かあるの?」
「……っ!!」
予想もしていなかった、挙げられた人物の名前。何で、中野さんが、アイツの事を。
「……ずっと目で追ってたから知ってる。あの子、いつも影山くんの傍に居た。影山くんはあの子と、付き合ってたんだよね。……ねぇ、影山くんが断るのはやっぱり、あの子が関係してるの?」
出来れば蘇りたくなかった、あの日々の記憶。思い出すのは、笑わなくなったアイツと、そのアイツを支えるように傍に居た、噛み合わない俺と毎日のように衝突していた"アイツ"の姿。
忘れようと、蓋をしたはずだった。
ぎゅっと手の平に爪が食い込むくらいに強く握り締める拳は加減を知らない。
「……中野さんには、関係ねぇよ」
タイミングが良いのか、悪いのか。その時、体育館と校舎を繋ぐ渡り廊下を仲睦まじく歩く"二人"の姿が見えた俺は、握り締めた拳の力が一層強くなった。
▼
教室を早めに抜け出して、最後の別れにと、男子バレー部が集結した体育館に、何処を見渡しても影山の姿はそこにはなかった。やっぱりとは思いつつも、落胆している私の気持ちに嘘は吐けなかった。きっとそれは何処かで来てくれるんじゃないかと期待していたからだと思う。
「椎名!写真撮ろうぜ!」
私の元に寄って来た金田一の手には高校入試の合格を機に親から買って貰ったスマホが握られていた。初めて手にした携帯電話が余程嬉しかったのか、金田一は目をきらきらさせながら慣れない様子で画面を指で操作していた。その姿の金田一が何だか可笑しく感じたが、私も同じく合格祝いでスマホを最近与えられたばかりの身としては、正直人の事は言えないだろう。未だに文字のフリック入力には打ち間違いが多いし、メッセージの返信速度もまだまだ遅い。
「あっ、俺も入る」
シャッターを切る前に国見が急いで金田一の隣に並んでピースサインをした。"カシャッ"とシャッター音が鳴り、直ぐ様金田一がアルバムからたった今撮影した画像を開けば国見は満足そうに頷いていた。
「金田一、後でそれメッセージで送ってよ」
「俺にも」
「おー、了解」
「金田一!卒アルに寄せ書き書いてくれー!!」
「今行くー!!悪い、ちょっと行ってくる!」
階上たちに呼ばれた金田一は私たちを離れて今度は彼らの輪の中へ入っていった。そんな金田一の姿を眺めながら体育館のステージ際に背中を預けた私たち二人。
「……来年度からは白のブレザーか。派手だな……」
「何か汁物とか飲むときは気遣いそうだよね。あ、私も高校はブレザーだった。ブレザー初めてだな〜」
「烏野の女子の制服って結構人気じゃなかった?」
「あれ?青城も人気じゃなかったっけ?」
「そうだっけ?」
この制服で、この学校に通うのも今日で最後。此処での私たちの居場所なんか、明日からはもう無い。
「本当に、最後だな」
「……うん」
この面子でこうして集まって、騒いだり、笑い合ったりするのも、ひょっとして最後かもしれない。でも、不思議とそれが寂しいとは思わなかった。
「……4月からはお互い別々学校になるけど、これがサヨナラになるわけじゃないと俺は、思う」
「うん、」
私も嘗ては見送る側だった時、そう思ってた。そして、その人達と同じ立場となった今、一時は名残惜しさを感じたが、改めてそう思えた。だから今日、私たちはサヨナラとは言わない。
「「それじゃあ、また」」
きっとまた、何処かで会えるはずだから。
――――そして、もう一つ。頭に浮かぶのはこの場に居ない人物の姿。君ともまた何処かで会う事があるかもしれない。……でも、この想いは今日、捨てる事にする。
「……バイバイ、影山」
―――――影山、
私は君の事が、"好きでした"。
(2015.11.23)
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