Episode.33


「……バイバイ、影山」

あの時、確かに捨てたはずだった。断ち切ったはずだった。

「夏芽……!!」
「影、山……なんでっ、」

―――――なのに、どうして。
どうしてキミが、此処にいるの?




「じゃあ、私はビブス持ってくるから夏芽ちゃんは得点板の準備してもらってもいいかな?」
「はいっ。終わったらボトルとかも用意しますね」
「ふふっ、ありがとう」

烏野男子バレー部に入部をして初めての土曜日練習。3対3の試合はあっという間にやってきた。今日はいよいよ残りの新入部員二人との顔合わせの日でもあり、私は密かにこの日を楽しみにしていた。軽い足取りで用具庫に向かえば、既に月島君と山口君が中にいて、支柱とネットを運び出そうとしていた所だった。

「ねぇ、そういえば二人は今日来る例の出禁問題児の事は知ってるの?」

ふと頭に浮かんだ、今お騒がせの例の二人を話題に挙げてみれば、いつの日かの菅原さんみたいに月島君と山口君は二人して同時に吹き出した。

「椎名さんって見掛けによらず言うんだねえ。昨日会ったよ、でっかいのと小さいのに。無駄に暑苦しくて嫌気が差したけど」
「"日向"って奴が凄く身長低くてさ!あの身長でスパイカー志望なのは驚いたなぁ」
「どうみてもあれは身長的に"リベロ"デショ」

その"日向"と呼ばれた少年に対して、「低身長でスパイカーかぁ」なんて一人感心していると、ふと去年の中総体の初戦で当たった学校のオレンジ頭の少年が頭に過った。
雪ヶ丘の1番。彼の事はよく覚えている。バレー選手の中では一際小さい彼は、チームが劣勢の中でも、一人諦めずにコートの中を必死に最後まで駆け回って飛び続けていたのは今でも印象的だ。などと去年の事を一人思い出しながら、私たち三人は得点板、支柱、ネットとそれぞれを抱えながら用具庫を出て横並びで体育館内を歩く。するとその時「失礼しアース!!」というやけに大きな声が体育館に響いた。もしかして例の問題児二人のお出ましかと出入り口の方に視線を向けようとした時、私はそれよりも先に山口君の次の言葉に耳を疑う事になる。

「そういえばツッキー、"王様王様"って影山の事怒らせてたよね!!あれ、キレるって噂はやっぱり本当だったんだね!」
「えっ、」

私の中で時が止まったような気がした。だって、なんで。
"王様"?"影山"?どうして山口君の口からそんな言葉が出てくるの。だって、彼は此処には居ないはずの人間なのに。きっと、彼はもっと上の強豪校に入学して今頃バレーをしているはずなのに、どうして、そんな。
混乱している私を余所に「うるさい山口」「ごめんツッキー!」といつもの二人のやり取りは私の耳には入らない。

「……ね、ねぇ!ちょっと待って!!」
「え!?ど、どうしたの椎名さん!?そんな焦った顔して……」
「ねぇ、その"影山"って――――――」

"もしかして北川第一の影山飛雄?"
どうしても確かめたくて、そう問い質そうとしたはずが、それは叶わなかった。……というより、聞くまでもなかった、の方が正しいのかもしれない。

「!夏芽……!!」

突然前方から呼ばれた、名前。聞き覚えのある、声。胸がジーンと染み渡るようなこの感覚。――――そうだ。この声で、私は何度も名前を呼ばれてきた。

「なんだ、影山知り合いでもいんのか……って、あああー!!あの時のマネージャーさん!!烏野だったんだ!」

そして、偶然にも影山の隣に立つ、あの初戦の試合で会った少年――――オレンジ頭の彼が居た事さえも充分に驚くべき事のはずだが、それよりも私にはあの影山とこんなにも早い再会をした事、しかも同じ高校で、また三年間同じ部活で過ごしていく事の方がそれは断然に上回っていた。

「影、山……なんでっ、」

ゆっくりと顔を上げれば、驚きで目を見開きながらまるで信じられないというような目で私を見る影山がそこには居た。多分それは私も同じだろう。

「何だ何だ?お前ら三人知り合いだったのか??」

不思議そうに声を掛けてきた田中さん。「あ、」と何かを思い出したかのように声を漏らした月島君。「ウソ?!知り合いだったの?!」と驚きで声を上げる山口君。そして一体何が起きたのかと駆け寄って来たキャプテン達。この場に居る全員がこちらに注目していた。

「知り合いも何もこの人、影山んとこの中学のマネージャーさんですよ!!」

そして次の瞬間飛び交うのは、驚愕の声。オレンジ頭の彼、もとい"日向君"が放った言葉が、周囲に大きな衝撃を与えたのは、言うまでも無かった。




「セッター志望の奴がさぁ、ちょっと性格に難ありでさ……」

「(そういう事だったんだ……)」

影山と思わぬ再会を果たしたものの、私たちは気まずい雰囲気のまま3対3の試合は始まった。影山も最初こそは私の事を気にかけていたようだが、試合が始まれば相手チームである月島君、山口君、キャプテンの3人にしっかり集中をしていた。

「いやぁ、椎名って北一出身だったんだな!影山と同中なんだべ?まさか強豪校のマネージャーだったとはなぁ〜。さっき聞いた時は驚いたよ」

潔子先輩と共に得点係として得点板の傍に立っていると、私の隣に菅原さんは突然やって来た。

「……えぇ、まぁ」

菅原さんの話に相槌を打つが、影山の事で明らかに動揺していて、なかなか頭に入らない。それでも影山達のチームの得点係を担当している私は、ボールの行方を見逃さないようにと、緩んだ気を引き締めて目の前の試合に向き合うと、何本か日向君がスパイクを打つが、いずれもそれは月島君の高いブロックに掛かっている。それに、影山の様子を見ていると、どうもいつもよりずっと控え目にバレーをしているように見える。

「……なぁ、椎名」
「……?はい?」
「椎名にこういう事聞くのもあれだけどさ、椎名から見て、今の影山って何か中学の時よりも大人しく見えないか?去年はもっとこう……絶対的自信を持ってたというか、破天荒というか………何か違うんだよなぁ……」

やっぱり、菅原さんも今の影山には僅かながら違和感を抱いているらしい。でも、それを私に聞く所からして、恐らくこの人は知らないのだろう。

「……多分、抑えてるんじゃないんですかね」
「へ?」

あの事件できっと、影山は少なからず堪えている。もしかしたら、一つのトラウマにもなっているかもしれない。だからきっと、あのトスをやらないんだ。きっとあれから、影山も影山なりに考えてき―――――

「ほらほら!ブロックにかかりっぱなしだよ?"王様のトス"やればいいじゃん!ブロックを置き去りにするトス!ついでにスパイカーも置き去りにしちゃうヤツね」
「!!」

影山を煽るように月島君が放ったそれに、私の心臓は大きく脈を打った。そういえばさっき、山口君は、月島君が影山を怒らせたって言ってた。――――――まさか。

「ホラ王様!そろそろ本気出した方がいいんじゃない?」

………コイツ、知ってる。

「なんなんだお前!昨日からつっかかりやがって!!王様のトスってなんだ!!」

まるで意味を理解していないように食い気味に聞く日向君は、あの時初戦で敗退したからきっと知らないのだろう。無意識にきつく握り締めた拳には爪が食い込んでいく。痛いはずなのに、痛みなんて感じないくらい、それぐらい私は心に余裕がなかった。あの日を思い出したくない、思い出させたくない。戦力外通告を受け、ベンチで悔しそうに肩を震わせていた、あの日の彼を。

「………やめ、て」
「椎名……?」

大して今日は身体を動かしていないというのに、全身にはじわりじわりと嫌な汗が吹き出してくる。

「君、コイツが何で"王様"って呼ばれるのか知らないの?」

お願いだから、やめてよ。

「噂じゃ、"コート上の王様"って異名、北川第一の連中がつけたらしいじゃん。ねぇ、椎名サン?」
「つ、月島?その辺にしとけよ?な?」

私の異変に一早く気付いた菅原さんは彼を止めに入ったが、それどころか彼は聞く耳を持たず、まるで面白がるように私と影山を交差に見た。思わず彼から顔を歪めながら視線を逸らせば、また彼は愉快そうに笑った。

「意味は―――"自己中の王様"、"横暴な独裁者"。噂だけは聞いた事あったけど、あの試合見て納得いったよ。横暴が行き過ぎてあの決勝、ベンチに下げられてたもんね。速攻使わないのもあの決勝のせいでビビってるとか?」
「……っ、」

頭にフラッシュバックするのは、去年の県予選の決勝。チームと影山の関係が修復不可能になった日。そして、今でも忘れないあの日々。見ているだけだった。何も言えなかった。何も出来なかった。

「……あぁ、そうだ。トスを上げた先に誰も居ないっつうのは、心底怖えよ」
「かげ、やま……」

……そうさせたのは、誰?

「えっ、でもソレ中学のハナシでしょ?俺にはちゃんとトス上がるから別に関係ない。それよりどうやって月島をブチ抜くかだけが問題だ!」

重々しいこの空気を破ったのは主将でも先輩でもなく、意外にも日向君だった。日向君の型破りな考え方に全員が呆然としていた。

「中学の事なんか知らねえ!俺は何処にだって飛ぶ!どんなボールだって打つ!!だから俺にトス、持って来い!!」
「!!」

……あぁ、北一の中で、あんな事を言ってくれるようなスパイカーは居ただろうか。影山にこうやって真っ向から立ち向かって来た人は、これまでに居ただろうか。

「………スパイカーの前を切り開く。その為のセッターだ」
「!」

真っ直ぐな目でネットの向こう側を見つめる影山の姿。日向君の言葉は、確かに影山にとっては救いだった。




「お前の一番のスピード、一番のジャンプで飛べ。ボールは俺が持っていく!」

影山はそう日向君に宣言をし、気持ちを入れ替えて試合が再開すると、まるで影山は別人のようだった。今、サーブ権は山口・月島チーム。いつでも攻撃体制に入れるようにと影山は全神経を集中させていた。キャプテンが放ったサーブを田中さんがレシーブし、日向君が全速力で走り出す。

――――バシン!!

「!?」

一瞬、何が起きたのか分からなくて、気付いた時には相手コートにボールが打ち付けられていた。影山が日向君の手の平にあれほどピンポイント且つスピードのある速攻など、これまで見た事が無かった。目で追うだけで精一杯だった。

「今日向、目瞑ってたぞ……」

気が動転したように言うキャプテンに全員が驚いた。まさか彼は、影山のトスを100%信じてスパイクを打っていた?……影山のトスを信じて打つようなスパイカー、北一には誰一人いなかった。それに、あの影山が人に合わせるなんて事、絶対なかったし、きっと私達ではそうさせる事は出来なかった。三年間、一緒に過ごして来たはずなのに。ずっと傍にいたはずなのに。

「………っ、」

影山は今、確実に変わってきている。
……なら、私は?私は今、変われてる?




ピピーーーー!!

セットカウント、2―0。今回の勝負は、日向・影山チームがあの神業速攻で勝利を収め、二人の入部が正式に認められた。試合中は必ず眉間に皺を寄せていたはずの影山が、今日は心から楽しんでバレーをしていた。そんな姿の影山を見るのは本当に久しぶりだった。それは嬉しい事のはずなのに、素直に喜べないのは、あれから時が止まったままの自分が許せないからだ。

「月島っ!握手しろ!」
「はぁ?」
「ほら!早くしろよ!これからチームメイトなんだし!嬉しくねえけどっ!」

体育館の端に一年生4人が集まり、月島君と日向君がじゃれ合っているのを目にしながら、私は決意した。
―――――私だって、変わらなきゃいけない。

「月島君!」

私がそう叫びながら彼らの元に駆け寄れば、4人は何事かと私に目を向けた。

「……何?」

ただならぬ雰囲気を一早く察知した月島君は、眉を潜めながら黙って私を見下ろしていた。

「……一つだけ、言わせてほしい」

心を落ち着かせるように、スッと静かに息を吸って、吐いた。

「……月島君が知ってる『北川第一』や『影山飛雄』の事なんて、ほんの一部だよね」
「お、おい、夏芽……?」
「……何が言いたいワケ?でもコイツが独裁の"王様"をやってたのは事実デショ?僕が言ってる事、何か間違ってる?」
「ツ、ツッキー!?や、やめようよ?椎名さんも、ほらっ、ね!?」
「でもずっと近くで彼らを見て来たわけじゃない!!過程も知らない」
「なんだなんだ、また揉めてんのかお前ら……って椎名!?」

私の怒鳴り声が周囲にも行き届いていたのか、本日何度目か分からない注目を集めていた。「何で椎名が怒ってるんだ……?」と意外そうに洩らす声が多数あったが、どうしてもこの感情を今抑えるわけにはいかない。

「……大丈夫です、別に月島君と喧嘩するわけじゃないんで、」

そう伝えれば、一気に安堵の息が吐かれるが、こちらの会話に耳を傾ける事は止めないようだ。月島君をもう一度見れば、まるで意味が分からないという様な目で私を睨んでいた。

「……確かに、月島君のような第三者からすれば、影山は『自己中で横暴な"コート上の王様"』なんて肩書きを持つ、悪者に見えるかもしれない。でもそれって、"結果的に"だよね?じゃあ、"どうして"そうなったの?きっかけは?影山は最初から"王様"だったの?」
「っ!」

言葉を詰まらせたように私から顔を逸らした月島君は、返す言葉が見当たらないようだ。

「……だよね。たった一度や二度の試合を観ただけの第三者には分からない。確かに結果的には影山が悪かった、でも100%完全に影山が悪かったとは言えないんだよ」
「夏芽!あれは俺が―――――」
「違う!……みんなも、それに私も、悪かった」

……何も、悪かったのは影山だけじゃない。ただ影山の失言が目立っていただけで、私も、他のみんなも、何かしら非はあった。何故それがいけなかったのか、相手にどうして欲しいのか、冷静になって"伝える"という事を私たちは放棄していた。だから、ああなった。なのに、

「……その"ほんの一部分"しか知らないくせに、勝手に判断して、私達の全てを知ったような口、利かないでよ!!」
「!!」
「夏芽……」
「おいおい椎名!?それやっぱ喧嘩なんじゃ……!?」
「!止めとけ、田中!」
「で、でも大地さん!」
「大丈夫だから」

傍らでキャプテンが田中さんを制止する声が聞こえた。私は影山や日向君の事を"問題児"と表現したけれども、少なくとも私の態度は周りに心配を与えている。……なんだ、これじゃあ私もよっぽどの問題児だ。

「……でも!これから3年間一緒に過ごしていくわけだし、歪み合うのは好きじゃない。だけどこれだけは言いたかった、それだけだから。だから、これからよろしくなツッキー!!と、山口も!!」
「はぁ!?」
「え!?急に呼び捨て!?」

あれだけ険悪だった雰囲気が、一瞬にして吹っ切れた私に着いていけなかった二人は混乱したように声を上げていた。

「椎名……?さん!月島にあんな面と向かって物言うなんてすげえ!!かっこよかった!!」
「椎名でいいよ。それより日向。ありがとう、変えてくれて」
「"椎名"……!!うおおお何か親近感が沸くな!!……あれ?俺、椎名に何かしたか?」
「……あー、ううん。分からないならいいんだ。これからよろしく、日向」
「おう!よろしくな!!」

そして、最後は―――――。

「……影山。あの!今まで本当にごめ―――――」
「ありがとな、夏芽」
「!!」
「お前の言葉に、救われた。だからその……また、よろしくな」

そう言って、僅かに口角を上げた影山。影山のこんな穏やかな表情を見たの、何時ぶりだっけ。こんな風に話せたのは一体いつ以来だっけ。
じわりじわりと目頭から熱いものが込み上げてきた。

「!か、影山ぁっ………!!」
「!?な、何で泣いてんだ!?」
「うっ!だ、だって影山がっ……!!」
「あぁー!!影山が女子を泣かしたー!!」
「うっわー、女子泣かせるとかサイテー」
「だよねツッキー!」
「月島こそさっき椎名の事怒らせてただろ!それこそサイテーだろ!」
「……は?」
「!?な、なんだよ……!!や、やんのかこらあ!」
「お、俺のせいなのか!?な、泣くな夏芽ボゲェ!!」
「む、無理ぃっ……!!」

久しぶりに影山とこうして真っ向から話せた。それまで鉛のように重かった心が嘘のように軽くなった気がした。それは私もあれから少しだけ、変われた証拠なのだろうか。まさかこんな日がまた来るとは思いもせず、思わず涙を流してしまったけれども、あの時に流していた涙とは全く違う。

――――だから、二度とあんな事を繰り返さないように、私はもう逃げない。

(2015.12.05)

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