Episode.38


椎名の話を聞いてから、俺もその一歩を踏み出そうと意を決して今日はアイツが居る3年3組の教室に足を運んだ。1か月ぶりに見るアイツの顔は、思ったほど変わってはいなくて、でもそこからはすっかり自信を無くしたように見えた。
戻ってきて欲しい、誰もがお前の復帰を待っている。そう伝えた。凄い1年コンビが入って来て、今は心強い"最強の囮"がいる。だからもうお前一人に負担が掛かる事はないと、そうも伝えた。

「西谷もお前もまた戻ってきてそこに新しい戦力も加わったら烏野はもう"落ちた強豪"なんかじゃなくなる……!その為には大黒柱のエースが、」
「……悪い、スガ。俺、これから進路相談あるから……」

これ以上は聞きたくないと言わんばかりに席を立ち上がって教室を出ていく旭の姿。

「待てよ旭!!」

大声で叫んでも、その顔がこちらを振り向く事は無かった。……駄目だった。
そもそも俺は、西谷みたいに思った事を直球で言える人間じゃないし、椎名みたいに強い精神を持っているわけでもない。
やっぱり、俺の言葉じゃアイツを変える事は、出来ないのだろうか。




「ローリングッサンダァァァ!!!」

とある放課後練の時だった。練習中の掛け声の中に、それは一際大きい叫び声が体育館に響き、周囲を注目させるものだった。

「ブハッ!!普通の回転レシーブじゃねーか!"サンダー"どこ行った!」
「何で叫んだんですか?」
「何……今の……」
「ブフーッ!!」
「教えてー!ローリングサンダー教えてえええ!!」
「影山、月島、山口!!まとめて説教してやる、屈め!いや座れ!俺の目線より下に来い!!」

「………潔子先輩、アレは何ですか」
「……夏芽ちゃん、気にしたら負けだよ」

西谷さんよりもずっと身長の高いあの3人を無理矢理座らせて説教をする小柄な西谷さん、という光景はシュールだ。しかしながらそれをものともせず、まるで空気のように扱う潔子先輩は流石、女子にしてはあの及川さんをガン無視するだけあってのスルースキルの高さは拍手を送りたい。

「特に山口と月島!!お前ら笑ったからには覚悟はしてるんだろうな!?」

昨日はあれほどまでに"旭さんが戻るまで俺も戻らない"と宣言して体育館を出ていった西谷さんだったが、あの後日向が西谷さんの後を追いかけ、"レシーブを教えて下さい、西谷先輩"的な事を言ったお陰であっさりと西谷さんは此処に戻って来てくれたらしい。本人は「部活に戻ったのではなく、あくまで後輩の為にレシーブを教えに来ているだけだ」と頑として認めてはいないが。ちなみに西谷さんは"先輩"と呼ばれただけで嬉しくなって後輩にガリガリ君を奢ってくれるらしい。(昨日は2本奢って貰えたそうだ。日向談)

「お疲れさまーっ」

西谷さんの騒がしいお説教の声に静かに耳を塞いでいると、練習試合の時以来、教師の仕事が立て込んでいた為か、中々こちらに顔を出せなかった武田先生が珍しく体育館にやって来た。顧問である武田先生が訪れたという事で即座に集合が掛けられた。

「みんな今年もやるんだよね!?GW合宿!!」
「はい、まだまだ練習が足りないですから」
「それでね、GW最終日に東京の音駒高校と練習試合組めました!」
「「「「「おおっ……!!」」」」」

「GW合宿……?」

聞き慣れない言葉に私は首を傾げた。

「あっ!そっか、夏芽ちゃんは合宿初めてだもんね。うちのバレー部ではね、GW全日程を使って強化合宿を毎年恒例で行ってるんだ。でも私は家が近いからいつも泊まらないで帰ってるんだけどね」
「えっ!潔子先輩夜は居ないんですか!?……という事は……ワタシ、ヒトリ……」
「ごめんね、夏芽ちゃん……」
「そんなっ、謝らないで下さい!……あのえっと、ちなみに音駒高校って……?」

心底申し訳無さそうに謝る潔子先輩に罪悪感を覚え、直ぐに話題を変えようと絞り出したのが、先程武田先生の話に出ていた『音駒高校』の事。聞いてみれば潔子先輩から烏野の昔からの因縁のライバルの学校なのだと教えてくれた。当時はそんな2校の戦いを『名勝負!"猫対烏!ゴミ捨て場の決戦!"』などと地元の間では有名だったらしい。それが本当に名勝負だったのか、僅かながら疑問に思ったのは胸の内に留めておいた。

「よし!折角の練習試合を無駄にしないように気合い入れんぞ!」
「「「「「オース!!」」」」」

主将の掛け声と共に皆の士気が高まった。田中さんに限っては名前も顔も知らない相手校の事を早速「シティボーイ」と名付け、人一倍闘志を燃やしている。

「……大地さん」

そんな中、神妙な面持ちで主将に声を掛ける西谷さんの姿があった。何やら今回の合宿に参加をしないとか。西谷さんをそうさせる理由は、どうやら"アサヒさん"が関係しているらしい。そして思った。何処の学校の部活動も、こうして色んなものを抱えているのだと。私達や影山、及川さんが何かを抱えるように、西谷さんも、菅原さんも、此処に居ないアサヒさんもまた同じように重い何かを背負って過ごしている。

「……ネットの"こっちっ側"はもれなく味方のハズなのに、"こっちっ側"がぎすぎすしてんの、やだな」
「あ?」
「……どうすれば戻ってくんのかな、"アサヒさん"」

ポツリと呟いた日向のその一言は、痛い程によく分かる。あの感覚を知っているからこそ。だからこそ私は、顔も知らない"アサヒさん"を他人事のように考えられなかった。




翌日の昼休み、潔子先輩から噂のアサヒさんのクラスと名前と特徴を聞いて、3年生の階にやって来た。

「(3年3組……東峰旭さん…鬚を生やした成人男性のような見た目……留年してるとかじゃないよね……??)」

旭はてっきり苗字なのかと思えば、どうやら名前だったようだ。しかしながらそれより引っ掛かっているのは潔子先輩に「東峰は成人男性のような風貌だから一目見れば分かるよ」と言われた事だ。それに対して素直に"はい、分かりました"とも言えず、未だに複雑な気持ちを抱いたままだ。そんなに東峰さんという人物は老けてい……いや、大人びているのだろうか。
悶々としながら東峰さんが居るはずの3年3組の教室の前までやって来ると、驚く事に見慣れた顔が2つとそこには東峰さんらしき人物が立っていた。

「あれ?影山、日向?」
「夏芽!お前何でここに……!」
「あ!もしかして椎名もアサヒさんに会いに来たのか!?」
「私"も"って事は、影山達も?」

そう聞くと「そんな感じだ!」と元気よく答える日向。どうやら二人も考える事は一緒だったらしい。

「ええっとー………」

いきなり現れた私という存在に困ったような表情を浮かべる東峰さんに慌てて向き直って自己紹介をし、バレー部の人間である事を明かすと東峰さんは納得したように頷いた。確かに一見東峰さんは顎に鬚を生やしている事もあってか、随分と年上の人に見えるのは確かだが、優しい顔立ちをしていて物腰が柔らかそうな人だ。

「……そっか。マネージャー、入ったんだな」

「清水、喜んでただろ?アイツは今まで全部一人でやって来て、きっと大変だっただろうから、これからは椎名が支えになってあげてくれよ」と儚げに笑いながら、まるでその輪の中に自分は居ないような口振りの東峰さんの姿にチクリと胸の痛みを覚えた。

「……西谷さんや菅原さん、それに皆さんが東峰さんの復帰を待ってます。戻らないんですか?」
「……戻らないよ。トスを呼ぶのが怖くなった俺が、エースの癖に点も稼げない俺が、もうあそこに居る資格なんて、無い」
「東峰さんは、あの場所が嫌いですか?コートに立ってバレーをするのは、もう嫌になりましたか?」
「それ、は……」

それっきり言葉を詰まらせた東峰さんは、自分の中で何かと葛藤しているようだった。
似ていると思った。苦しそうな顔で自分を責める菅原さんと東峰さんが。そして、怯えるようにして現実から逃げていた、いつしかの私の姿にも。

「こうやって生きてると、自分の思い通りに行かなくて苦しむ時が絶対に来ます、今の東峰さんのように」
「え?」
「……前に、ある人が教えてくれました。人は何かに躓いた時や失敗した時、気付き気付かされる事で成長する生き物だそうです」

いつしか、及川さんが言っていたあの言葉。忘れもしない。

「自分の何がいけなかったのか、何が欠けてたのか。今はそれだけでいいんだよ」

「壁にぶつからない人生なんて絶対に無いし、最初からみんな完璧じゃない。そうやって色んな事に気付いて、気付かされて、経験して、成長していくのが人なのだと」
「!!」
「東峰さんにとっては、今が壁かもしれないと思います。けどもし、本当にバレーを嫌いになってないのなら、安心して壁に立ち向かってほしいんです。だって、東峰さんは一人じゃないんですから。だからどうか、西谷さん達から遠ざかろうとしないで下さい」

「お願いします、」と私は静かに頭を下げた。そんな行動を取った私の姿に、目の前に立つ東峰さん、それに今まで口を閉ざしていた影山や日向までもが息を呑んだのが分かった。

「一つだけ、聞いてもいい?」
「……はい、」
「どうして入ったばかりの……それもマネージャーの君が、見ず知らずの俺なんかを説得しようと思ったの?」

東峰さんから投げ掛けられた素朴な疑問はまさに尤もだと思う。東峰さんにとっても、私にとっても、ただの見ず知らずの先輩と後輩。それなのにも関わらず、いきなりこんな真似をするなんて、本当にお節介な奴だと自分でも思う。でもそれを分かった上でどうしてか。理由は、多分――――。

「………昔、独りにさせてしまった人が居たから、ですかね」

だから、放っておけなかったのかもしれない。
横目で、脇にいる影山の身体が僅かに反応したのが見えたが、それでも何か言うわけでもなく、影山は口を閉ざしたままだった。

「……….あ。すいません、昼休みなのに時間取らせちゃって。それじゃ放課後、部活来るの待ってます」

時計を見ると、昼休みの終了時間も迫っていた。このままずっと東峰さんを拘束していては迷惑を掛けるだろうと思った私は「失礼します」と一礼をし、二人を連れてその場を離れようと歩き出した。

「東峰さん」

不意に立ち止まった影山が、何を思ったのか再び東峰さんの方へと向き直る。その行動に不思議に思った私と日向も顔を見合わせながらもそれに倣って動かしていた足を止めた。

「俺も壁にぶつかった事あります」
「え……?」
「自分の事しか見えてなかった俺は、いつの間にか独りになってました。でも、」
「うわっ!?」

それから私の元に近付いてきた影山は私の背中に手を回し、半ば無理矢理に背を押された私は、再び東峰さんの目の前に突き出されてしまった。

「独りじゃなかった。俺には夏芽が居た」
「お前ら、まさか……」

東峰さんが呆然と私達を見つめる中、そう言って影山は私を見下ろして、笑った。

「俺なんかが居るんだから、東峰さんにもきっと居るはずです。そういう人」
「影山………」
「失礼します。行くぞ、夏芽」

会釈をし、東峰さんから背を向けて再び歩き出した影山に今度は私がその背を追う番だった。大人しく少し離れた所で待っていた日向がとうとう痺れを切らしたのか、「影山!お前女子の事押すとか乱暴だぞ!椎名がカワイソー!」と叫ぶ声が聞こえ、影山も影山で「あぁ?!うるせぇ日向ボゲェ!」と日向には相変わらず喧嘩腰で、早速言い争いが繰り広げられていた。

「ねぇ二人とも、ここが3年生の階なの忘れてない?」
「「アッ………」」

もしも、こんな所で、この状況で万が一澤村さんと遭遇した時には、間違いなく叱られるだろう。それだけは避けたい一心で澤村さんの名前を出せば、二人はすっかり大人しくなった。

「……旭さん、戻って来るかな」
「どうだろうな」
「来るといいね、」

私一人の言葉じゃ、きっと東峰さんには届かないのかもしれない。けれども、"私達"の言葉が東峰さんの心に響けばいいなと、そう思った。




「夏芽、そろそろ時間大丈夫……?部活始まってるんじゃない……?」
「うっ……今日日直だって事誰にも言ってないから流石にヤバイかも……。あと日誌だけなのに……!」
「じゃ、じゃあ私残り書いて提出しておくから夏芽は部活行っていいよ!」
「……!ヒトちゃんごめん!恩に着る!!」

「今度ジュース奢る!」と言い残して慌てて鞄を背負って教室を出ていくと「アザッス!部活頑張って!」と後ろから声が聞こえてきた。

「……やばい!音聞こえるから始まってるじゃん……!」

校舎から体育館までの距離を全速力で駆けていると既にボールの打音と掛け声が聞こえてくるではないか。

「っ失礼します!すみません!日直で遅れまし―――――あれ?」

息を切らしながら体育館の扉を開ければそこにはバレー部の部員の他に見知らぬ成人男性の人達がいて、練習試合をしている最中だった。

「夏芽ちゃん!遅かったけどどうしたの?」
「潔子先輩すみません!今日日直で遅れました!えっと、これって……」
「今町内会の人達と練習試合しててね。あと今日ね、武田先生がコーチの人連れてきてくれたんだ。あの金髪の人、烏養さんって言うんだって。……それとほら、見て」

徐に潔子先輩が指を差した方向を見つめると、

「!東峰さん……!」

コートの中には東峰さんの姿があった。良かった、ちゃんと思いが伝わった。
新しいコーチに、部員の完全復帰。これで漸く烏野高校排球部の復活だ。

(2016.03.20)

ALICE+