Episode.04


最近、及川さんの様子が変だ。前々からそんな状態ではあったが、部活中にまで支障をきたす程のものではなかった。だけど、今日の他校との練習試合で及川さんの様子が明らかにおかしい事が分かった。それはこれまでにはなかった有り得ない回数のコンビミスとして現れていた。例えばプレー中何かミスをした時、いつもなら笑いながら「ごめんごめん〜」と軽い調子で謝っているけれど、今日は何か言うわけでもなく、本当に悔しそうにただ歯を食い縛っていた。
そしてミスが度重なり、遂に監督は及川さんをベンチに下げ、代わりに影山を投入した。それが引き金となったのか、及川さんはベンチでずっと苛立ちを隠せずにいた。爪が食い込むくらいに握り締められていた拳がなんだか痛々しくて私は見ていられなかった。
休憩時間、ドリンクを渡した時の及川さんの態度には驚かされた。普段は「ありがとう」と嬉しそうに笑顔で受け取っているはずが、こちらに目もくれずに棘のある声で「いい」と一蹴りされてしまったのだ。正直、そんな及川さんは初めてで少し怖かった。
部活が終わっても及川さんは一人残って練習をしていた。そんな姿にいつかこの人は壊れてしまうんじゃないかと、得体の知れない不安に襲われたが、がむしゃらになってボールを打ち続けるあの人の姿を見ていると、安易に声を掛ける事が出来なかった。

「及川さん」

その時、及川さんに声を掛けたのは同じく残って自主練習をしていた影山だった。及川さんはボールを打つ事を中断したものの、影山の事は一切視界には入れず、苦しそうに肩で息をしていた。

「サーブ教えて下さい」

それを聞いた時、僅かに及川さんの動きが止まる。まさに空気が変わった、というのを肌で感じた。

「(…………違う。何か、いつもと違う)」

私の頭の中で激しく警告音が鳴り響いている。今の及川さんに影山を近付けてはいけないと。
次の瞬間、彼が影山を睨みつけた時、私は彼の名前を叫んで走り出していた。

「影山!!」

止める事に無我夢中で、気が付けば後ろから影山の服の裾を掴んで力一杯引っ張っていた。影山は驚いて一瞬だけ体勢を崩したが、なんとか立て直す。それと同時に及川さんの方を見ると、既に帰っていたはずの岩泉さんが、今まさに影山に振りかざそうとしていた及川さんの腕を掴んでいた。

「おい!やめろ!」

そんな及川さんに岩泉さんが一度喝を入れ、私と影山には今日は帰るようにとなんとかその場を丸め込む。空気を読んで私たちは席を外そうとした時だった。

「待って椎名ちゃん」

影山に続いて体育館を出ようとしていると突然及川さんに呼び止められた。

「お願い、そこに居て。居るだけで、いいから」

その人の声は、震えていた。私よりずっと体格が良くて、何十センチも目線が高い所にいる人なのに、凄く弱々しく見えた。先に体育館を出た影山に小さく「ごめん、ちょっと待ってて」と声をかけた後、扉を静かに閉め、再び彼らの方へと向き直る。
それから岩泉さんが私を一瞥した後、口を開いた。

「今日の交替はおめーの頭冷やす為だろうがよ。ちょっとは余裕持て」
「今の俺じゃ白鳥沢に、勝てないのに余裕なんかあるわけない!!俺は勝って全国に行きたいんだ!勝つためにはもっと――――!」

及川さんも負けじと言い返す。今日初めてまともに彼の話す声を聞いたような気がする。でも、その様子からして明らかに切羽詰まっているのかが目に見える。
及川さんの今の発言に勘に障ったのか、岩泉さんのこめかみには青筋が次第に浮かび上がる。そして岩泉さんは苛々の頂点に達し、次の瞬間及川さんに勢いよく頭突きをかました。

「あっ、ちょ!岩泉さっ……!」
「"俺が俺が"ってウルセェェェ!!てめえ一人で戦ってるつもりか!冗談じゃねーぞボゲェ!!てめえの出来が=チームの出来だなんて思い上がってんならぶん殴るぞ!」
「もう殴ってるよ!」
「バレーはコートに6人だべや!!相手が天才1年だろうがウシワカだろうが6人で強い方が強いんだろうがボゲが!!」
「!!」

殴り合いの喧嘩が始まるんじゃないかと、内心ヒヤヒヤものだったが、その言葉を聞いてなんだか私は心がすうっとした。及川さんも納得したのか声を上げて笑っていた。そして私の方へ振り返り、「ごめんね、椎名ちゃん。時間取らせちゃって」とばつが悪そうに言った。先程の頭突きのせいで鼻から流血したまま言う及川さんの顔が面白くて笑っていると、案の定及川さんは「な、何?!」とあたふたしていた。

「今の及川さんは、マダオですね」

某SF人情なんちゃって時代劇コメディー漫画に出てくるグラサンのオッサンの愛称で呼ぶと、及川さんは「え!?マダオってなに!?」と未だに鼻血を垂れ流しながら必死に詰め寄って来る。

「だから、"*まさに*だらしない顔してる*男前*"*、略してマダオです」

つまり鼻血出てます、と指摘すると急いでジャージで鼻を拭いながら「ねえそれ褒めてんの?!貶してんの?!」と突っ込む。それに対し岩泉さんは「いや、"*毎日*だらしねぇ面してる*及川*"*、略してマダオだろ」とトドメを刺した。

「岩ちゃん、椎名ちゃん」

岩泉さんのトドメの一言でしばらく反応の無かった及川さんは眉を下げ、私たちの方に向き直る。

「今まで忠告してくれたのに聞かなくてごめん。さっきだって、岩ちゃんと椎名ちゃんが止めてくれなかったらきっと飛雄に手上げてた。俺、どうかしてた。本当にごめん!」

そう言って及川さんは私たちに頭を下げた。私が一度「及川さん」と名前を呼べば、彼は顔をゆっくりと上げた。

「後輩の、しかも新入部員の私が言うのも何ですが、及川さんは確かに影山とは違うけど、影山には無いモノたくさん持ってると思います。影山は自分が強くなる為に常に上を見ているけど、チームの事をよく考えているかというと、多分そうじゃない。でも及川さんは実力もあって、周りをよく見てる。だから一人一人に合ったトスが上げられる。チームの最大限の力を引き出す事の出来るセッター……それって凄くないですか?そんな及川さんは凄いです、カッコいいです。だから、胸張っていいんじゃないですか」

それを聞いた及川さんは驚きからか目を見開いていた。
これで自信持ってくれるといいんだけどな、と思った矢先。

「ねぇ!?今カッコいいって言った!?ねぇ!?」
「…………私の話聞いてましたか」
「調子乗んなグズ川」
「ちょ、二人共そんな目で見ないでよ!?」

やっぱり及川さんは格好いいイケメンではなくて、色々と残念なイケメンだった。
でも、そっちの方が及川さんらしいと思うのは私だけだろうか。

「……あ!岩泉さんも及川さんも止血しないと!二人とも額と鼻見せてください!」

でもまあ、バレーしてる時の及川さんは、かっこいいと思います。
その時はただ、素直にそう思っていた。




「夏芽ちゃーん!突き指した!テーピングして!」
「はい」
「夏芽ちゃん、タオルもちょうだい!」
「今持ってきます」
「夏芽ちゃん、あとドリンクもよろしくね!」
「………はい」
「あっ、そうだ夏芽ちゃん。俺のジャージなんだけど袖口がちょっと解れちゃってるから修繕してほしいな!」
「…………あの、及川さん??いい加減私に集中的にアレコレ頼むのすやめてもらえませんか?!召し使いじゃないんです!あと修繕はお母さんにやってもらって下さいよ!?」

あの一件があってから及川さんはオブラートに包んで言うと、私にしつこく…………否親しみを持って接してくるようになった。オーバーワークもすっかりなくなり、本調子に戻った及川さんはまるで何かが吹っ切れたようだ。もうすぐ夏の中総体も始まるので、それはまぁ良いことなのだが。
しかし包まずに言えば、ウザさ倍増でやっぱりしつこくて馴れ馴れしい。いつの間にか呼び方も"椎名ちゃん"から"夏芽ちゃん"へと変わり、何か要望があればこうして私に声を掛けてくる。

「召し使いだなんて!俺は夏芽ちゃんを頼りにしてるんだよ〜」

確信犯の及川さんはそれを聞くなり洋菓子店で有名な不死身家のキャラクターのベコちゃんみたいに舌を出してうへぺろ☆と舌を出しながら笑顔を向けてくる。思わずその小憎たらしい顔面に一発殴りたくなる気分になるのは私だけではないだろう。きっと岩泉さんなら迷わずその顔面を殴っていたはずだ。しかしながら私にそれが出来ないのは先輩と後輩という大きな壁に阻まれているからだ、それがどんなにもどかしい事か……。
言っておくが私はこの人の専属マネージャーでもましてや召し使いでも何でもないし、なった覚えもない。マネージャーは来栖先輩もいるはずなのに何故私にこだわるのかは未だ不明だが、ただ一つ言える事がある。

「……もしかしてこれって虐めなのかな」

私の独り言を聞いた及川さんは直ぐ様「そんなワケないじゃん!夏芽ちゃんは俺のカワイイ後輩だもの☆」とウインクしながら言うけれど、私には全てが胡散臭く聞こえるのだ。だってあの及川さんだから。

「椎名」

及川さんにタオルとドリンクを渡し、差し出された手にテーピングをしていると、私の名を呼びながらこちらに近付いてきたのは影山だった。及川さんは影山の姿を見るなり顔を歪めて「シッシッ!」とドリンクを持った片方の手で追い払うような仕草をし始めた。邪魔者扱いされている影山がなんだか不憫に思い、私はテーピングを終えると「ほらセンパイ、早く行った行ったー」と言いながら及川さんの背中を容赦なくバシバシ叩いた。最近、及川さんに対しての態度が雑だなんてそんなの気のせいだから。
それを察知したのか及川さんが「いったあ?!夏芽ちゃん最近俺に対しての扱いが酷くない?!」と前方でこちらに向かって何か騒いでいるが気にしたら負けだ。そろそろ痺れを切らした岩泉さんが「クソ及川ァァアア!!練習中に油売ってんじゃねぇ!!」と怒り心頭で及川さんを回収しに来る頃だろうし、今は彼を放置するのが一番だ。全くどっちが主将なんだか分からない。

「なに?どうしたの?」

改めて影山の方へと向き直り用件を聞くと、どうやら練習中に左足首を軽く捻挫してしまったとの事。急いでタオルと氷を用意し、捻った所の応急処置をしていると「最近及川さんと仲良いよな、名前で呼ばれてるし」と頭上から話を振られる。「あー……こき使われてるだけじゃない?」と苦笑いしながら言うと影山は黙り込んでしまった。……少しは否定してくれよ、と思う。
足を十分冷やし、今度は湿布を貼ろうと救急箱を漁り、中から目的の物を出した時に影山は言った。

「……なぁ」
「んー?なに?」
「"夏芽"って、なんかいいな」
「……!え、」

影山の突然の発言に驚きと混乱で私の頭は着いていけなかった。そのせいで思わず、湿布に付いていたフィルムを剥がそうとしていた手が止まる。

「俺もこれからは、夏芽って呼ぶ。いいか?」

律儀に許可を取りつつも、私が返事をする前に「手当ありがとな」と言いながら私の手元にあった湿布を奪うと影山は再び練習に戻ろうとしていた。

「……と、とびっ………!」

"飛雄"
そう私も影山に対抗して名前で呼ぼうと試みたけど、やっぱり無理だった。

(2014.11.25)

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