「夏芽」
私の名前を呼ぶ、その声。そっと優しく、語りかけるように。
この声はきっと、影山だ。
「……好きだ」
穏やかで、でもほんの少し切なげで、儚げなその声は、今にも消えてしまいそうな気がした。
「――――おやすみ、夏芽」
そう言って影山は眠る私の額にキスを落としては、姿を消したのだった。
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pipipipipi……
AM5:00、合宿2日目。けたたましいスマホのアラーム音が響き渡る。起きなくては、と頭では分かっていても身体は思うようには動かない。
「……んー…………っ、あれ……?」
重たい瞼を開けると、まず視界に入ったのは四畳半の和室と自分が今現在寝ている敷布団。自分が寝床として借りている部屋なのだからそんな事は当たり前なのだが、どうにも引っ掛かる。
――――昨夜の事を思い出してみる。寝る前に影山を呼び出して廊下で二人で話をしていた。怖がりの私を気遣ってくれた影山は私が眠くなるまで一緒に居てくれた、そこまでは覚えている。しかしながら途中から寝惚けていたせいか、昨夜は何時頃、どうやって自分の部屋まで来たのか、記憶が全くもってない。この布団だって、果たして自分で敷いたのだろうか。
「うー……駄目だ、全然思い出せない……」
これは幾ら考えても埒が明かないので、一度頭の隅へと追いやる。何より私は早く身支度をして、食堂で朝食の準備をしなくてはいけないのだ。
上体を起こして、まずは洗面所へと向かった。
「……しかしあれはなんつー夢だったんだ……」
それは今朝見た、眠っている私に影山が告白をして、額にキスをする夢。思い出すだけで羞恥心が湧いてくる。あのキスの感触も夢にしては随分リアルだったし……。嗚呼、穴があったら入りたい……。
「いやいやこれはきっと、昨日影山が男前な事を言ってくれたり、ちょーっと優しくされたからって勘違いして自惚れているだけであって……!だからきっとあんな現実では有りもしない夢を……!しかも仕舞いにはデコちゅー……!!どんだけ都合が良いんだこのおめでたい頭はっ……!」
「何朝から一人で喋ってるの?てか何でそんなにおでこ擦ってるわけ?」
「ひっ……!?ツッキー……!!い、いつの間に……!」
怪訝そうな顔で私を見るツッキーは「今来たばかりだけど」と私の質問に淡々と返した。良かった、どうやら私の独り言の内容までは聞かれていなかったようだ。もし聞かれていたのならば、これこそ私にとっては最大の弱みだし、万が一この弱みをツッキーに握られていたのならば、冷やかされるなり、あるいは面白がって影山本人に「椎名って王様の事好きなんだってよー、プークスクス」と口を滑らせたりなんて事も有り得ただろう。そんな最悪の事態とはならなかった現状に胸を撫で下ろし、何とか平静を装った。
「ちょっと考え事してただけ……。そういえばツッキー、随分と目覚めが早いけどどうしたの?それに昨日は疲れてたようだけどよく眠れた?」
マネージャーの私は5時起床だが、マネージャー以外の部員の起床時間は確か6時だったはずだ。単純に疑問に思ったので投げ掛けてみればツッキーの顔色はみるみると悪くなっていった。
「あんなむさ苦しい集団の中で眠れるワケないでしょ……。日向は寝相悪すぎて僕の布団まで占領してくるし、田中さんのいびきは五月蝿いし、西谷さんに至っては寝言でずっと清水さんの名前呼んでるし、それが結構なボリュームで寝られたもんじゃない。気付いたらこんな時間になってるし……。それに比べて一人で寝てる君が本当に羨ましいよ」
「……御愁傷様です」
話を聞いていると、「それはツッキーが神経質すぎるんじゃない?」で片付けられるような話ではなさそうだ。現にツッキーの目元にはうっすらと隈が出来ている。朝までろくに寝られなかったのだろう。そんな地獄のような空間だったら私だって寝られないだろう。
「……なら、今から6時まで私の部屋で寝てる?私はこれから先生達とご飯作ったりするから部屋には居ないからお望み通り一人で寝られるけど、どうする?」
それは一つの提案ではあったが半分冗談でもあった。こんな事言っても、潔癖そうなツッキーの事だからてっきり「何で僕が、しかも君が使った布団で寝なきゃいけないわけ?有り得ないんだけど」と嫌味の一つでも返ってくるんじゃないかと思っていた。だから、次のツッキーの返答は私からすればとても意外なものだったのだ。
「!……いいの?」
まさか私がそんな提案をするとは思わなかったのであろうツッキーは、驚きで目を見開いては申し訳なさそうに私を見つめた。そんなツッキーの姿に私は戸惑いつつも、首を縦に振る。
「どーぞ、お好きに」
「……なんか、ありがとう」
私から視線を逸らし、照れ臭そうにお礼を言うツッキーは今まで見た事がなくて今度はこちらが驚かされる番だった。
だって、私が知ってるツッキーはいつもクールだし、ひねくれてるし、偉そうだし、3対3の時には言い争ったし、日向と影山とは馬が合わないのか"チビ"とか"王様"とか煽ってるし、女子の私にも容赦ないけど……なんだ、ツッキーって実は素直な奴なんじゃ――――
「あ、でも枕は共有したくないから部屋から持ってくる」
「……アッ、ハイ」
思い出したのかのように洗面所を出て、大部屋に向かっていくツッキーは先程の謙虚な姿は跡形もなく消えていた。……前言撤回、全然素直じゃない。
「……あいつぅ〜〜!!やっぱり貸さなかった方が良かったかもしれないっ!!」
「何騒いでんだ?」
「だってツッキーがっ!……って、か、影山……!?お、おはよ、う……!早起きだね……!」
「飯食う前にちょっと外で走り込みしたいからな」
ツッキーと入れ違いに入ってきたのはなんと影山だった。何食わぬ顔で隣の洗面台で顔を洗い始めた影山に私は動揺が走る。よりにもよって、このタイミングで影山と二人きりだなんて。
「……昨日はあれからちゃんと眠れたか?」
「あ……う、ん」
「なら良かった」
実は貴方の夢を見ました、なんて口が裂けても言えない。ましてや「夢で影山に告白されたんだよ〜、ウケるよね〜あはは〜」なんて仮に冗談のつもりで言ったとしても私たちの関係性から考えて、冗談なんて通用しないし、お通夜みたいな空気になるのは目に見えている。
「影山……あの、さ……」
「ん?」
そんなことより、だ。私はどうしても彼に確かめたい事があった。
「昨夜の事なんだけど……途中から寝惚けてたからあんまり覚えてなくて……。私ちゃんと、自分の足で部屋に戻ったんだよね……?それとも、影山が――――」
一つの可能性。まさか、眠ったままの私を影山が運んでくれたのではないか。だったら部屋に戻った記憶も、布団を敷いた記憶がないのも、辻褄が合うんじゃないかと、そう思った。
「……いや。お前はちゃんと、自分で部屋に戻ってた」
「……そっか、ならいいんだ。ごめんね、変な事聞いて」
もし、昨夜部屋に影山が運んでくれたのなら、あの夢は夢じゃなくて現実だったんじゃないかって。そんなのただの思い上がりだった。
事実確認も出来たし、いい加減朝食の準備を始めなくては。武田先生や潔子先輩もそろそろやって来る頃だろう。私は食堂に向かう為に洗面所を後にした。(ついでに食堂に行く途中、腹いせに私の部屋で寝ているツッキーにピンポンダッシュならぬコンコンダッシュをしておいた)
「嘘吐け、」
洗面所から姿を消した後、鏡越しの影山は徐に自らの唇に指を触れた事を、私は知らない。
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「日向ぁー!日向どこーっ!」
ロードワーク中、事件は起きた。日向が影山に張り合って突っ走った余り、行方不明になってしまったのだ。既にゴール地点に到着したのではないかと向かってみたのだがその姿はなく、こうして皆で手分けして日向の捜索活動が始まったのだ。影山に至っては練習時間が潰れた事に怒り心頭で、片やツッキーに至っては屋内の体育館に戻れないからか、不機嫌MAXの状態で捜索活動に取り掛かっていた。
「暑い……」
流石に走り回ったせいか、体温が上昇して暑さを感じるようになってきたので、着用していた長ジャージを脱いで腰に巻く事にする。うっかり日焼け止めを塗るのを忘れてしまったが、これはもう諦めるしかない。
「ちょっとそこのー……黒ジャージのJC!」
背後から掛けられた、男性の声。黒ジャージというのは紛れもなく私の事だが、"JC"だなんてそれは聞き捨てならない。不本意だが、振り返るとそこに立っていたのは赤ジャージを身に纏ったトサカ頭の男の人だった。
「……?何でしょうか恐らくDK。あと私、JCじゃなくて"JK"です(ちょっと前までJCだったけど)」
「……ぶっひゃひゃひゃ!!おもしれーな!!これは失礼したな、キミ何年?」
「JK1ですけど、DKさんは?」
「俺はDK3」
「LDKですか」
「間取りみたいに言うな。ちなみにキミはここら辺の子なの?」
何だろうこれ、ナンパなのかな……?私は今部活中だし、早く行方不明中の日向を探し出さなくてはいけないのだから正直この人に構ってる暇は無いのだ。もしそうならばどうやってこの人を遇おうかと考えていると顔に出ていたのか、トサカさんは慌てて自分がナンパ師である事を否定し、事情を説明し始めた。
「決してナンパではないから安心してくれ!実は部員の一人が俺らとはぐれて迷子になってんだ。今そいつ探してんだけど、生憎俺ら部活の合宿で初めてこっちに来てるもんだから土地勘がなくてよ……」
そいつとは連絡取れてるけど、居場所も言われても全然分かんねえし、だから助けを求めようとついキミに声を掛けたんだ、とトサカさんは後頭部を掻きながら困ったように笑った。まさかこの人も迷子探しだったとは、なんたる偶然なんだ。
「連絡が取れるって事はその人の位置情報とか、スマホで分かりますか?」
「え、いいの?それならグールグルマップ送られて来たんだけど、俺にはさっぱり」
「……あ、これ此処からわりと近いですね。案内しますよ」
「マジ?助かるわ」
トサカさんのスマホに送られて来たマップに目を通してみると、此処から徒歩5分圏内の所に迷子さんは居るようだ。恐らく此処は空き地だろうか。方角を確認し、足を進める事にする。
「なんか悪いねぇ」
「……いえ、私もロードワーク中に行方不明になった部員を捜索中だったんで」
「あらマジ?キミも?……つーことは運動部?」
「バレー部です。マネですけど」
「うそ?俺もバレー部」
ほら、とトサカさんは自身が履いている長ジャージにプリントされている文字に指を差した。そこに視線を下ろせば確かに"NEKOMA VOLLEYBALL.C"と英語でプリントされてあった。これまた偶然、本当にこの人もバレー部なのか。学校名は県外高校のようだから聞き覚えがないや…………ん?ちょっと待って?
「…………」
もう一度その文字を見つめる事、数秒。
……え、ちょ、えっ、ま、
「ね、音駒ー!?」
「そーだけど?何、もしかして知ってるの?」
「かっ、烏野です!私!烏野なんです!」
今度は自分のTシャツを引っ張り、左胸にプリントされている"KARASUNO HIGH SCHOOL"の文字に指を差せばトサカさんは驚いたように目を丸くした。
「……ウソっ!?烏野なの!?」
コクコクと何度も首を縦に振れば、トサカさんは顎に手を添えながら黙り込んでは、意味ありげな視線でじっと私を見つめた。
「度重なる偶然……。キミとは何か運命を感じる」
「はっ……、」
それはウケを狙うための冗談と取っていいのか、それとも本気のやつなのか、しかしながらトサカさんは至極真面目な顔で言うものだから反応に困ってしまった。
「此処で会ったのも何かの縁……。さぁ、俺とLINEを交換しよ――――」
「何やってんのクロ」
「あっ!椎名だ!!何してんだー!?」
不意に二人の人物から声を掛けられた私達。くるりと振り向けばそこに立っていたのはトサカさんと同じジャージを着たプリン頭の人と、なんと日向だった。
「研磨!その場から動くなって言っただろ?」
「だってクロの声が聞こえたから。それにこうして会えたんだからいいでしょ」
「ったく……それにお前が声掛けなければ今良いとこだったのによぉ……」
「……あの人にナンパしてたの?」
「ちげぇ!!最初はそんなつもりじゃなかったけど運命感じたから!!」
「……ちょっと言ってる意味が分からない」
「日向!やっと見つけた!突然居なくなったから皆で探してたんだよ!」
「え"っ!?もしかしてキャプテン怒ってるか!?」
「澤村さんより影山とツッキーが激おこ」
「ヒィ……!!シメられるっ……!?」
「シメられたくなかったら早く皆の所に戻ろうね」
「ゴッ……、ゴ迷惑オカケシマシタッ……」
それぞれ目的の人物と再会を果たし、簡単にやり取りを済ませると、今度は私はトサカさんと、日向はプリン頭の人に向き直る。
「烏野マネちゃん悪かったな、付き合わせて」
「いえ、こちらこそ。お陰でこっちの迷子にも会えたんで結果オーライでした」
「まさかウチの迷子と一緒に居たとはな。じゃあまた、練習試合の時にな。是非ともその時にはLINEのIDを―――」
「クロそれやっぱりナン……」
「研磨クン、余計な事は言わないで下さい」
「……?はい、また……」
「事実を言っただけなのに……。じゃあまたね、翔陽」
「??"またね"……?」
再会を意味するその言葉に首を傾げる日向は、もしやあの人から自分が音駒の人間であるという事を知らされていなかったのだろうか。でもあの人は日向が烏野の人間である事を知っているような口振りだった。
「じゃあ私達も戻ろうか」
「おう!」
あのプリン頭の人が音駒高校のバレー部だという事を教えてあげた方がいいのか。
考えた挙げ句、何だか面白いので当日のお楽しみにしておこうと日向には黙っておく事にした。
(2019.05.08)
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