恋愛なんて駆け引き事などは、ただの無駄なものでしかない。恋人なんて存在はいるだけ面倒。
育った環境も、性格も、価値観も、何もかもが違う相手に気を遣いながら共に過ごす人生なんて疲れるだけだと思ってしまう僕は相当冷めた人間なのだろう。
仮に好きになった人と運良く付き合えたとして、その先には一体何があるのか。いつかはこの人と一緒になりたいと望んで約束を交わしたとしても、それが"絶対"だとは言えないし、二人の将来が保証されたわけじゃない。何処かで必ず衝突はするし、こんなはずじゃなかったって後悔する日がきっと来る。それは"あの二人"を見ていればその思いはより一層拍車がかかった。
「……だっ、大丈夫、だからっ、」
「どう見ても大丈夫じゃないだろ!」
だけど、恋愛とは些細な事から始まるものでもあるらしい。
身近な存在だったとか、一目惚れをしたとか、その人の意外な一面を見たとか、誰かを好きになるきっかけなんて人それぞれだ。
「お願いっ、……」
――――僕の場合は、あの日偶々君を見付けて、君と秘密を共有してしまった事が始まりだったのかもしれない。
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「ねぇ、いつまで寝てる気なの?」
「……あと、5分……待って……ぐぅ、」
「それ言うの何回目」
まるで蓑虫のように布団に包まりながらぐぐもった声を出す椎名を見下ろしながら深い溜め息をつく。相変わらず騒々しいあの大部屋で一夜を過ごした僕は深い眠りにつく事ができずに朝を迎えてしまった。今朝も仮眠をさせてもらおうといざ椎名の部屋にノックをしても全く反応がないので、思い切って部屋に入ってみればこのやりとりが何度も続いている。合宿も3日目となれば疲れが出始めたのか、今日の椎名は随分と寝起きが悪かった。
「はーい、交代デース」
「んぎゃあっ!」
いつまでも起きる様子がない椎名にいい加減痺れを切らしたので、敷布団を引っ張り上げて彼女を畳に転がした。小柄な彼女を転がすのは容易で、そこから更には布団を引き剥がすと椎名はうつ伏せのまま何とも色気の無い声を上げた。
「仮にも女子の寝室にズケズケと入ってくるのは如何なものかと……。その上身ぐるみを剥ぐなんて野蛮だっ……絶対カノジョ居ないでしょ……」
「誤解を招くような事言わないでくれる?それに僕はちゃんとノックしたから出ない君が悪いし、あと余計なお世話デース」
いくら過去に相手が居たとしても、とっくに別れてる奴になんかに言われたくないという言葉をぐっと堪えながら椎名から奪い取った敷布団と布団を綺麗に敷き直して就寝モードに入る。横から「狡い」と恨めしそうな目で見つめてくる彼女は口だけは無駄に動いてるというのにどうやらまだ起き上がる気配はない。
「……もし私が着替えてる最中だったらツッキーは完全にアウトでした」
「寝間着がジャージなの知ってるから」
「うっ……ぐうの音も出ない……」
「ねえ、いつまでそうしてるの?叩き起こしてあげようか?」
「んんー……なんか身体が重い……」
「……大丈夫なの?」
「うん、大丈夫……。流石にもう起きる……」
「よっこいしょ、」ととても年齢にはそぐわない掛け声を出しながら立ち上がった次の瞬間、椎名の身体がグラリと揺れて、僕が寝ている布団へと倒れ込んでしまった。
「うわっ?!」
「うっ!?」
「あぁ!ツッキーごめんっ!痛かったよね……!?」
「僕は別に何ともないけど本当に大丈夫なの!?」
「なんか少し目眩はするけど……軽い貧血かな?寝起きだからだと思うんだけど……。本当にごめん、迷惑掛けちゃって……」
「それならいいんだけど……。というより僕の方こそ無理矢理起こして悪かったよ」
不可抗力であれ僕に倒れ込んでしまった事に対して申し訳なさそうにシュンとしている椎名よりも低血圧で弱っていた彼女に対して乱雑な扱いをしてしまった僕の方が迷惑を掛けてしまったんじゃないかと罪悪感に襲われた。
「もう平気なの?」
再び立ち上がって、今度はしっかりとした足取りで扉の方へと向かう椎名の背中に投げ掛けた。
「……うん、大丈夫だよ」
一瞬だけ躊躇った後、何事も無かったように振る舞う彼女の笑顔の裏側をこの時の僕は何一つ分かってやれなかったのだ。
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今日も今日とて烏養コーチによるスパルタ指導が始まった。長い練習時間、少しでも手を抜けばコーチが目を光らせて怒鳴ってくるのだからしんどいったらありゃしない。変人コンビはいくら早朝に走り込みをしようが日中ひたすら練習をしようがバテるという事を知らないらしく、相変わらず休憩時間でさえも二人でスポドリ一気飲み対決などと勝負事をする余裕がある程スタミナオバケなのだから見ているこっちが吐きそうになる。
「んがぁっ!!影山ぁ!俺の方が早かったぞ!」
「あぁ!?今のは俺の方が早かったに決まってんだろ!日向ボゲェ!」
「……鬱陶しい」
奴らの醜い争いを横目にふと今朝、低血圧で倒れかけた彼女の存在が気になったので、その姿を探していると彼女は買い出しで買ってきた備品を整理する為にせっせと働いていた。それは見ていて分かるのだが、ただ僕が目に付いたのはこの初夏の季節、エアコンが備え付けられていない体育館の中でバタバタと動き回っていれば暑さで自ずと薄着になるはずなのに、椎名の上下ジャージ姿は何とも異様な光景だった。
「……なにアイツ、見てて暑苦しいんだけど」
「月島サン言い方!!女子をアイツ呼ばわりするなんてどうかと思うぞ!!」
心の中で呟いたつもりが、無意識のうちに声に出ていたようだ。いつの間にか喧嘩に決着がついていたのか、日向が真っ先に反論をしてきた。片や椎名の事になるとムキになりやすい影山は僕の発言に顔色を変えるのかと思いきや意外にも落ち着いた様子だ。というよりは、僕の事なんかはアウトオブ眼中で最早椎名の事しか目に入っていないようだ。顔には出さないが心配だったのだろうか次の瞬間、影山は立ち上がってそそくさと椎名の方へと向かって行ってしまった。
「あの影山でさえ心配で椎名に声掛けに行ってんのにそんなんじゃ月島はカノジョ出来ねーぞ!!」
「同じくカノジョ居ない人に言われてもねぇ?(笑)」
「うっ……!返す言葉がない……!!」
「ツ、ツッキーは彼女が出来ないんじゃないよ!作らないだけだよ!」
「山口うるさい」
「ごめんツッキー!」
「てかさ、何なの?その恋人が居る方が人生勝ち組みたいな風潮」
どうしてこうも同じ事を全く同じ日に二人の人間から指摘をされなければならないのか、僕は僅かに苛立ちを覚えた。恋人が出来ようが出来まいがそれは僕の勝手だ。僕自身は必要性を感じていないのだからそれを他人にどうこう言われる筋合いはない。
「居ないよりは居る方が良いだろ!」
「全っ然理解出来ない」
「強がりはいいから月島クン」
「はぁ?大体、付き合ったら付き合ったで土日や放課後は部活で埋まってるっていうのにいつ会ったりするわけ?悪いけど僕は自分を犠牲にしてまで相手の為に時間を割くくらいなら一人の方がマシだね。結局"私と部活どっちが大事なの"とか責め立てられて、勝手に愛想尽かして別れる未来しか見えない」
「うわぁー……お前冷めてんなぁ……」
まぁ、だからこそ"あの二人"は同じ環境だったから付き合ったのかもしれないけれど。ただ別れた後のリスクを考えなかった結果、ああいう結末を迎えてしまったのだろう。近しい存在ほど後々面倒な事になるという典型的な例だ。しかしながら彼らの場合は和解もした上に僕が知る限りでは影山の方はまだ椎名に未練があるようなので状況が少し違うようだが、どちらにせよ面倒だ。
「月島ってさぁ、好きな人とか出来た事無いだろ?」
「……は?」
「い、いや!?月島が捻くれた考えになるのは月島の前にはそういう存在がまだ現れてないのかなーって!?そう思っただけですけど!?」
「…………」
人生は何も恋愛が全てじゃない。そう思っているはずだ。でも、僕自身がその恋愛とやらを知ってるわけでもない。
「夏芽、お前暑くないのか?熱中症になるぞ?」
「うん大丈夫、水分もこまめに取ってるし。それより影山たちのさっきの一気飲みの方が体に良くないでしょ?」
「んなっ!?み、見てたのか……!」
「ばっちり見てました〜。なんなら日向の方がちょっとだけ飲み終わるのが早かったね」
「ぐっ……!負けた……!」
日向の言葉に返す言葉が見当たらなかったのは、それが図星だったからだろうか。
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一日の長い練習を終えた頃には身体は疲労困憊の状態で当然食欲など沸かず、晩御飯は今夜も椎名にご飯の量を減らしてもらったのだが、彼女の口数が少なかったのが妙に引っ掛かった。今思えば昼飯と晩御飯もそれほど食べてなかったし、ずっとジャージ姿だったのも何か意味があったのだろうか。仕事はいつも通りにこなしていたようだが、やけに今日の彼女は静かだった気がする。だが誰しもそういう日はあるだろうし、僕の思い過ごしなら良いのだが。
大浴場で体中に纏わり付いた不快な汗を流した後、乾いた喉を潤す為に食堂に向かうと、誰も居ないはずの其処には明かりが灯っていた。それはただの消し忘れなのか、それとも先客がいるのか。
ガラス戸を開けて食堂の中を見渡すと、テーブルに腕を投げ出しながら突っ伏して寝ている人物に目が着いた。
「チョット椎名、何こんな所で寝てるのさ。疲れてんの?」
「んー…っ……」
そこに居た人物は丁度今僕が気掛かりに思っていた椎名だった。食器類を洗った後、一服していたらそのまま眠ってしまったのだろう。彼女のすぐ脇に置いてある水の入ったグラスを見ればそれは容易に想像がついた。
「ほら、早く起きなよ。いつまでもこんな所に居たら風邪引くだろ」
「……はっ、あれっ……ツッ、キー……?なんれ、ここ、居るのっ……?」
「っ!」
そこでようやく顔を上げた彼女の表情を見て様子が可笑しい事に気が付いた。居眠りをしていただけにしてはやけに頬には赤みがかってるし、息遣いも少し荒くて苦しそうだ。何となく目の焦点合ってない感じと今の呂律が回っていない話し方にも違和感がある。
「っちょっと触るよ!」
今日の椎名がいつもと違うという徴候はいくらでもあった。それは僕も感じ取っていたのにも関わらず、"きっと疲れが溜まっているのだろう"と何かと勝手に理由をつけて納得していた。
今朝のあの目眩もただの貧血ではなかった。ずっとジャージを羽織っていたのはきっと寒気が酷かったから。食欲がなかったのも、口数が少なくなっていたのも、徐々に熱が上がり始めていたから。
椎名の額に触れてようやく僕は確信したのだ。
「!あっつ!これ熱あるよ!」
とにかくすぐに誰かを呼ばなくては。とは言っても烏養コーチは少し前に店じまいをする為に一旦坂ノ下商店に戻ってしまったし、武田先生はまだ仕事が残っているから今晩は学校で寝泊まりすると言っていた。肝心な清水先輩だってとっくに家に帰ってしまったのだから頼れる人が居ない。
「……だっ、大丈夫、だからっ、」
「どう見ても大丈夫じゃないだろ!とりあえず澤村さん……と影山も呼んでくるから此処で待ってて!」
「……!やめっ……言わ、ないでっ……!」
せめて主将と影山には状況を説明しておかなければと、テーブルから離れようとすると弱々しい力で腕を掴まれた。椎名がいくら必死に僕の腕に掴みかかったとしても、それはいとも簡単に振り解く事なんて出来てしまうはずなのにどうしてか僕には出来なかった。
「はぁっ………一晩……寝れば……治る、からっ……。お願いっ、……っじゃないと……影山、にっ………」
「!……影山が何??」
「…また、迷惑っ、かけ、る……っあの時と、同じ……ごめ、影山っ……ホントにごめっ……はぁっ、」
「分かったから無理して喋らなくていい!とにかく部屋に行くよ!立てる?」
熱で意識が混濁しているのか、椎名は目の前にいる僕をいつの間にか影山と勘違いしているような口振りだ。過去に二人の間に何があったのかは知らないが、前にも同じような事があったりしたのだろうか。
「かげ、やま……ごめん、ねっ……甘えて、ばかりでっ……」
虚ろな目で僕を見つめながら、この場に居ない影山に対して必死に何度も謝る椎名を見ていると、どうしてか僕は腹立たしくて仕方がなかった。
(2020.05.21)
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