部員たちの目を盗んで何とか椎名を部屋まで運んで布団に寝かせた後、救急箱から体温計を取り出してまず熱を測らせた。その間にミネラルウォーターと濡れタオルと冷却シートの準備を手早く済ませる。本来ならばこの事を伝えるべきはずなのに、椎名の我儘を聞き入れてそれをしなかった僕はどうかしている。万が一この事実が発覚したとして、僕達の立場が悪くなるのは目に見えているというのに。
冷水が入った洗面器に浸したタオルを絞って椎名の額に乗せると、無機質な電子音が響き渡った。
「見せて」
「ん……」
「!?38.2℃って……!」
体温計の表示を見て軽く目眩を起こしそうだ。このおバカはこんなにも熱があるというのにどうして今まで黙っていたんだと、呆れて溜め息をつく事しか出来ない。
「とにかく、冷却シートで脇と首元を冷やしてて。あと解熱剤も此処に置いておくから。それと自分で出来る範囲でいいから、僕が部屋を出たらタオルでしっかり体は拭いておいて。いい?」
「わかっ、た」
「寒気はしない?まだするようなら掛け布団もう一枚用意するけど」
「どっちかというと、暑い、から大丈夫……。あの、ツッキーごめっ、巻き込んじゃって……。それに、さっき……影山と、間違えてた……」
「……まぁ最終的に聞き入れたのは僕だし、間違えたのも別にいいから。――――前にもあったの?こういう事」
床について少し身体が楽になったのか、椎名は食堂でぐったりしていた時よりかは幾分落ち着いた様子で受け答えをしている。そんな椎名に少し踏み込んだ質問をすると、彼女はゆっくり首を縦に振った。
「……前に、中学の……スキー学習で熱っ、出して……影山の前で、倒れた事が、あった。それまで、ずっと一緒に居た……けど私、言えなくて、黙ってて……。そしたら、影山が、責任感じて……一晩中、看病……して、くれて……」
「……だから公にしたくなかったの?」
「う、ん……。影山、優しいから……知ったら、きっと……関係、なくても……見過ごせない、と思う……。そういう人、だから……」
「……そう」
確かに影山は目の前で椎名が困っていたら迷いなく手を差し伸べる、そういう人間だ。でもそんなの優しさだけで成り立っているわけじゃないし、あの口下手な影山が誰に対してもそういう態度を取れるはずがない。それは椎名だから、だ。
中学の時、中総体の試合会場で迷子になっていた椎名を額に汗を流して必死に探し回っていたのは紛れもなく影山だった。僕に不注意でぶつかってきた相手があの北一中生だったという事と、中学では珍しいマネージャーの存在が当時は印象的だった。最近まではそんな事などすっかり忘れていたけど、3対3の試合の日に彼らが再会をした時にはっきりと当時のあれはこの二人だったのだと思い出したのだ。
あの日、接触をしてきたのは椎名の方だったのに、そんなアイツは僕の姿を見るなり睨み付けてきて本当に感じの悪い男だったけど、あの時には既に椎名の隣には影山が居て、今も昔もずっと影山は椎名の事しか見えていないのだろう。
「……そういう人だって、分かってる、のに」
そう言いかけて椎名はそれきり言葉を続けることはなかったがそれでも薄々は分かった。彼女もまた影山に未練があるのだと。それならさっさとよりを戻してしまえばいいのにと、思ってしまう僕は考えが浅はかなのだろうか。
「あの王様を優しいなんてそんな事言うのは椎名ぐらいしか居ないだろうね」
「ほんとに、優しいよ……?今日だって、熱中症の心配、してくれた……」
「あぁ……昼間のやつ?だからそのギャップが激しくてついていけないんだよ」
「そう、なの……?確かに……誤解はされやすい、だろうけど………でも、やっぱり……」
「ハイハイ分かった分かった。明日もまた朝早いんだろ?ならよく休んで。たまに様子は見に来るから」
「ごめ、ん……明日も、練習なのに……何から、何まで……」
「そう思うなら今晩中にその高熱どうにかしなよね重症患者。あと暑いからって布団蹴飛ばして寝たりとかしないでよね?……じゃあ、おやすみ」
「気合いで、治す……と、気を付ける……おやすみ、なさい」
どちらにせよあの大部屋に居てもまともに眠れやしないのだから定期的に椎名の様子を見に行こうが負担は何も変わらない。すぐに様子が見に行けるように理由を付けて入口に一番近い人と布団のポジションを交換してもらおうかと考えながら周辺の様子を気にしつつ、椎名の部屋を後にする。幸い廊下には人の気配がない事が分かり、ほっと胸を撫でおろした。
「――――確か入口に近いのって……影山じゃん」
うわぁ、と誰も居ない廊下で一人思わず顔を歪める。よりにもよって一番関わりたくない奴だ。もういっその事、アイツに事情を話して看病を頼んでしまった方が手っ取り早いんじゃないかと考えが過ぎったが、きっとそれは椎名が望まないのだろう。大きく溜め息を吐きながら大部屋に戻ると、やはり僕の想像通りそこには影山が居た。
「あ、ツッキーおかえり!何処行ってたの??」
「……あぁ、ちょっと喉が乾いたから食堂にいた」
「そうなんだ!今日向とトランプやってるんだけどツッキーも一緒にやらない??」
「僕はパス」
「なんだよ月島ノリが悪い奴だな!」
「悪くて結構」
日向から非難の声を浴びたがテキトーにあしらいつつ、僕は真っ先に影山の元へと向かう。一人胡座をかいて爪の手入れに勤しむ影山に不本意ながらも僕は声を掛けた。
「ねぇ、王様」
「……なんだよ月島」
「そこの場所、代わってほしいんだけど」
「は?何でだよ」
「……腹の調子が悪いんだよ。夜中何度かトイレで起きるかもしれないからそこがいいんだけど」
「なんだ、夜メシ食い過ぎたのか?」
「……まぁ、そういう事にしとくけど、」
そんな口実を作って交渉をしてみると、影山はあっさりとその場所を譲ってくれた。てっきり「体調管理がなってねえ」とかガミガミ言われるのではないかと内心思ったが、そんな事もなく影山はさっさと移動をして何事もなかったようにまた爪磨きを始めた。
「ねぇ、」
「……まだ何かあんのかよ?」
「いや、別に……。何でもない」
「??」
危うく椎名の事を口走りそうになった僕は即座に口を噤んだ。怪訝な顔で様子を覗う影山に気づかぬふりをして、僕は静かに布団の中へと潜り込んだ。
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消灯時間が過ぎて一時間が立った頃、布団からむくりと起き上がると案の定、僕以外の部員たちは深い眠りについていた。日向に限っては早くも掛け布団を蹴飛ばした状態で眠っているではないか。その投げ出された足が隣で寝ている山口の腹部の上に乗っかっており、その苦しそうな寝顔に同情の眼差しを向けた。
「相変わらず寝相悪すぎでしょ……」
極力物音を立てないようにと、暗闇の中を抜き足差し足で大部屋を抜け出して椎名の部屋へと向かった。静かにその扉を開けて様子を窺うと、椎名は布団の上でうなされながら眠っていた。
「っ、うぅ………っ、」
汗だくになっている首筋や顔周りを拭いてあげようと、額に乗った濡れタオルを手に取るとそれは既に生温かくなっていた。徐に露わになった額に自身の手を当ててみると、まだ熱が下がっている様子はないようだ。
「くそっ……一晩で治るのかよこれ……」
寝る前に解熱剤は飲ませたし、冷やすべきところは冷却シートを彼女自身で貼ってもらった。やっぱり日中に無理して部活に参加していたのがいけなかったのではないのだろうか。もっと早い段階でコーチなり武田先生に体調不良を訴えていれば休ませてくれるなり、病院に連れて行くなり何かしら対応をしてくれただろうし、少なくともここまで悪化はしなかったはずだ。
「ホント馬鹿じゃないの、」
事情があったとはいえ、そこまでして影山に配慮する意味が僕には到底理解が出来なかった。自分自身の身体の事なのだし、それで倒れてしまえば元も子もないというのに。
そんな悪態を心の中で吐きながら洗面器に洗いで絞った濡れタオルで椎名の首元を拭いてやっていると、彼女の口元が微かに動いた。
「かげ、やまっ………」
「――――は、」
彼女は今一体どんな夢を見ているのだろうか。どんな夢を見て、何を思っているのだろうか。
何となく、少し。ほんの少しだけ、僕はその無意識に出た寝言にまた苛立ちを覚えた。だって、今彼女を看病しているのは僕のはずなのにどうしてまたアイツの名前が出てくるというのか。それともアイツだったからこそ癪に障っているのか。もし勘違いされたのも影山以外の別の誰かだったら、もし今の寝言が他の人の名前だったら、こんな感情は抱かなかったはずだと自分に言い聞かせた。
「……早く治せよ。また来るから」
――――長い夜はまだ始まったばかりだ。
▼
ちょうど眠りが浅かった時だったのか、近くで鳴ったガサゴソという小さな物音に俺は目が覚めた。誰かが寝返りでも打ったのだろうと、特に気にする事もなく俺は布団に入ったまま枕元に置いてあるケータイに手を伸ばした。周りに光が漏れないように布団の中で画面を開くと現在の時刻は日付が変わって深夜の3時過ぎだった。早朝に走り込みをする為に4時半に起床しようと決めていたというのに、何だか損をした気分だ。
「(クソッ……すっかり目が冴えた……)」
ケータイのディスプレイを見た事がいけなかったのか、余計に脳が覚醒してしまって再び眠気が襲ってくる気配はなさそうだ。仕方が無いのでついでに便所にでも行っておこうかと上体を起こして立ち上がった時にようやく俺は異変に気が付いたのだ。
「月島……?」
反対側に敷かれている敷布団に視線を落とせば、そこに寝ているはずの人物――――月島の姿がなかった事に。
「何だアイツ、まだ腹下してんのか……??」
腹痛がこんなにも長引いているとなると流石に心配になってくる。まさか昨夜の晩飯で食あたりでも起こしたのだろうか。それならば俺や他の部員たちにもとっくに起こっているはずだがそんな様子は全く持って無い。何はともあれまずは月島に声を掛けようと大部屋を出ると、視線の先には廊下を歩く月島の姿があった。
「おい、つきし――――」
そう言い掛けた時、廊下を歩いていた月島は突如足を止めた。そこに止まった理由が俺にはまるで理解が出来なかった。何故ならそこには便所などないし、便所ならあの場所よりもっと先の所にある。ましてや自販機ならば更に先の突き当りの所だ。……ただ一つ。そこに、あるとするならば――――。
月島が足を止めたのはとある部屋の前。それは、夏芽が寝泊まりしている部屋だ。俺が、寝落ちしてしまった夏芽を運んだ時に一度だけ踏み入れた事のある、あの部屋。
――――どうして、いつからだ。いつから俺は見落としていた?
ここ数日の事を振り返っても、そこまであの二人が特別仲睦まじそうにしている様子は無かったはずだ。それとも俺の知らないところで"何か"があったというのか。
「……あいつぅ〜〜!!やっぱり貸さなかった方が良かったかもしれないっ!!」
「だってツッキーがっ!」
――――そうだ、一つだけ思い当たる節があった。あの日の朝、俺が来る前に二人は何を話していた?
手の平にじんわりとかいた嫌な汗と、段々と早まっていく心臓の鼓動。国見の時とはまた違った焦りを覚えた。
ぐるぐると頭をかけ巡らせながら月島の様子をじっと眺めていると、たった今目の前で起きた出来事に俺は目を疑った。
「!何だよ、今のっ……」
次の瞬間、月島はそのドアノブに手を掛けて、夏芽が眠るあの部屋へと入っていく姿に得体の知れない胸騒ぎがした。
(2020.07.24)
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