Episode.51


「常波に、勝った……」

ピピーッ!!とけたたましく響き渡る試合終了を合図するホイッスル、引き締まった表情で挨拶を交わす選手の姿、パラパラとまばらな拍手音。私は呆気に囚われていた。昨日はあれだけ大きい口を叩いていたというのに、いざその瞬間を目にすると呆然とコート上を眺める事しか出来なかった。

「早く下に行っておいで。俺も向こうに戻るから」

及川さんに促されてようやく我に返る。そうだ、皆の所に行って何か言葉を掛けないと。

「い、行ってきます」
「うん、行ってらっしゃい」

席から立ち上がって及川さんに軽く頭を下げると、ひらひらと手を振られた。それから慌てて階段を駆け降り、ロビーで皆が会場から出て来るのを今か今かと待ち侘びていると、最初に姿を現したのは菅原さんと東峰さんだった。

「勝ったよ」
「はい、ちゃんと上から見てました」
「椎名が昨日はっきり"大丈夫"って言ってくれたおかげだなぁ!」
「そんなことないです。私はただほんの少し背中を押しただけで、勝てたのは皆さんの実力があってこそです。……いよいよ次は伊達工と試合ですね」

その話題に触れれば、二人の表情が僅かに強張ったのが見て取れる。結局東峰さん達が何故今までギクシャクしていたのか、詳しい事情を私はよく知らない。でも、伊達工業の名前が上がる度に彼らの口数が一気に少なくなるという事は何か・・があったに違いはないのだろう。

「そういえば椎名にはちゃんとお礼言えてなかったよな」
「え?」
「ほ、ほら、アレだよっ!俺が部を離れてた時にクラスまで会いに来てくれたやつ!日向と影山も居てさぁ!」
「!あぁ……!」

そういえばそんな事もあったなと今更ながら思い出す。思えばあの時の自分は影山達と鉢合わせにならなければ一人で3年生の教室に乗り込もうとしていたのだからなかなかの度胸があったと思う。

「あの時はありがとな」
「いや、あれは菅原さんや影山達が説得してくれたからであって……」
「おいおいそこは"どういたしまして"でいいだろー!椎名って意外と素直じゃないよな!」
「ぐぅっ……」
「俺は本当に感謝してるんだよ。やっぱり辛い事や苦しい何かを抱えてた人の掛ける言葉は重みが違うからさ」

「だからありがとう」と東峰さんは私に微笑んだ。今度こそ「どういたしまして」とぎこちなく言葉にすると、菅原さんが嬉しそうに私の背中を叩いた。

「それでいいんだよ!」

一歩間違えれば生意気な後輩と言われかねないのに寛容な心を持った東峰さんと菅原さんはどこまでも人が良すぎる。この人達だけじゃない。場を纏めてくれる澤村さん、雰囲気作りが上手い2年生の先輩達、困った時は迷い無く助けてくれる1年の皆。問題を抱えていた当初は不安で仕方なかったけど、このメンバーだったからこそ私はこうしてマネージャーを続けていられるのだと、改めて身に染みた。

「あれ、」

ふと菅原さんがある一点を見つめながら声を漏らした。その視線を私と東峰さんが追ってみると、そこには私達から少し離れた所で話を交わしている……影山と日向と、他校の制服を身に纏った女の子の姿があった。

「……!」

その子の姿を捉えた瞬間、胸騒ぎがした。見覚えのあるツインテール、背丈、可愛らしい横顔、影山との少しぎこちない距離感。それは二人にしか知り得ない事情がある事を物語っていた。
――――私はずっと、大事なことを忘れていた気がする。

「……あの子って影山の知り合い?」
「多分、中学の同級生……です、」
「へぇ、なんか珍しいな。影山が椎名以外の女子と普通に話してるなんて」

何故、あの子が此処にいるのだろう。制服姿からするとバレー部関係者ではなく、彼女はただ一般で応援に来ているようだ。……もしかして影山が彼女に声を掛けたのだろうか。ということになれば日頃からあの二人は連絡を取り合っていたのかもしれない。「そんなの知らなかった」といくら私が嘆いても、私にはそれを知る権利が無い。
じっとその子から目を離せないままでいると、こちらの視線に気付いた彼女と目が合った。彼女は私の姿を捉えるなり驚きで目を見開かせては少し苦しげな表情をしていた。どうして、と。それは私もきっと同じだと思う。

「……すみません、ちょっとトイレに行って来ますね」

二人から背を向けて化粧室へ早足で向かう。とにかくこの場から離れたかった。本当は影山にちゃんと「おめでとう」って伝えたかった。当たり前だって顔をされるかもしれないけど、それでも言いたかった。でも、あの場を割って入る勇気は私には持ち合わせていない。もし二人が既に特別な関係なのであれば、私はただの邪魔者でしかないから。それがあまりにも辛くて、苦しくて無意識のうちに下唇を噛んでしまう。ずっと自分が一番近い存在でいるつもりだった。何が他の女の子と仲良くしている素振りがない、だ。自惚れるな、と何度も自身に言い聞かせる。その気がないのならこれまで期待をさせるような言動はしてほしくなかったと、この場に居ない影山を一方的に責めた。

「は……?ちょっと椎名、なんて顔してんの」

硬い床を睨みつけるように通路を歩いていると、前方から声を掛けられる。声の主を確かめようとゆっくり顔を上げると、苦虫を噛み潰したような顔で私の前に立っているツッキーと目が合った。

「なんて顔って、どういう……」
「気付いてないの?お前、泣きそうな顔してるけど。……まさか青城の主将にさっき何か言われた?」
「ちが、う。及川さんは全然関係ないよ」
「じゃあ、何?誰がそんな顔させたんだよ」
「……っ、そんなんじゃないよ。これは、試合に勝ったから。だから嬉しくてちょっと……感極まってただけだよ。ごめん、行くね」
「ちょっと!」

ぶっきらぼうなツッキーが彼なりに心配してくれているのは十分分かってたけど、今はとにかく一人になりたかった。この潤んだ目元をどうにかして、気持ちを切り替えて何事もなく次の試合に臨みたいから。

「はっ……はぁ、」

化粧室に入ってから、走ってもいないのに乱れた息をまず整えようと深呼吸をした。鏡に写る自身の姿を見つめれば本当に酷い顔をしていて、そんな自分が情けなくなった。

「っ、きついな……」

……不意に以前、ツッキーに言われた一言を思い出す。彼にあの日突き付けられた言葉が再び蘇っては胸にぐさりと刺さった。気を遣った彼が本当に伝えたかったのは、大切な人が出来た場合に困ってしまうは私自身ではなくその逆で、私の存在自体が影山とその相手の人を困らせてしまうのではないのかと、今になって思った。




あれから影山とは顔を合わせないまま2回戦、伊達工業との試合が始まった。ブロックが強みの伊達工を前にした烏野はついに変人速攻を解禁し、会場をどよめかせた。そのおかげもあって、1セット目は16-13と烏野がリードをしている。何処からでも繰り出せるあの速攻に伊達工側は1回目のタイムアウトを取り、日向を警戒している様子だ。日向を警戒すればするほど、烏野の思う壺だとは知らずに。

「遅ぇーよ!試合終わってたらどーすんだよ!」
「だって珍しくお客が来てて」
「はやくはやく!良かった男子の2回戦まだやってる!」
「凄い伊達工に勝ってる……!」

両サイドから慌てて階段を次々と駆け下りる男女の声。そこには烏野の女バレの集団と以前、練習試合でお世話になった町内会の人達の姿があった。面識のある町内会チームのお二方に会釈をするとひらひらとこちらに手を振った。

「おおマネちゃん、この間はどうも〜。あっ俺、滝ノ上って言いまーす。で、こっちが嶋田ね」
「どうも、嶋田です〜」
「1年の椎名です。練習試合の時はお世話になりました」
「椎名ちゃんね。試合はどんな感じ?」
「今は1セット目で烏野がリードしてます」

コート上を見つめる二人を横に私は二人の名前を心の中で復唱した。金髪のちょっといかついお兄さんが滝ノ上さんで、センター分けの眼鏡を掛けた人が嶋田さん……と忘れないように何度も呪文のように唱えた。万が一名前を呼び間違えたりしないようにと。

「おいおい伊達工のブロックヤベえな」
「日向とあの7番の選手のマッチアップだと体格差もあって余計にそう見えますよね……」
「まるで樋熊とハムスターのようだな……」
「ハムスターじゃ流石に小さすぎてあれなので、ニホンザルあたりにしませんか?」
「椎名ちゃんそれって悪口じゃ……??」
「いや、決して悪口じゃないです……!すばしっこいって意味で言ったつもりだったんです……!」

烏野側は日向の変人速攻と普通の速攻の使い分けで点を稼いでいたが、遂にに普通の速攻の方が伊達工の強力なブロックに掴まるようになっていた。特に眉無しの体格の良い7番の選手のブロックは迫力があり、まさに横断幕に掲げられている"伊達の鉄壁"それそのものだった。

「ああいうブロックは"流れ"を呼び込むからな……。次の一本できっちり切らねえと伊達工が波に乗っちまうぞ……」
「っ一本!」

6番の選手のサーブを澤村さんが体勢に入るが、レセプションが少し乱れてしまう。すぐにカバーに入った田中さんに日向がトスを呼んだ。少しネットに近いトスを日向がスパイクを打つが、3枚ブロックの壁に阻まれた所でボールが床に落ちようとしていたその時、既に構えていた西谷さんがブロックフォローに入っていた。

「西谷ぁぁぁ!!」
「10番もう戻ってる!速え!!」

着地した日向がもう一度攻撃に入る為に下がると、伊達工側は一層日向を警戒しているように見えた。彼はいつだって自分にトスが上がると信じて、自分がスパイクを打つつもりで常に飛んでいるから相手もその空気につい呑まれてしまう。

「持って来ォオい!!」
「10番!!」

刹那、トスが上がったのは日向にではなく、バックアタックに入っていた東峰さんに上がった。前衛の日向の速攻を囮にしたパイプ攻撃は見事に綺麗に決まり、点数は烏野に加算された。
コート外で試合を見届けていた菅原さんが人一倍嬉しそうにガッツポーズをするのが視界に入る。トラウマを抱えていた東峰さんもすっかり吹っ切れたような顔をしていて、出会った当初とは別人のようだった。
菅原さんにつられて私も応援席で一人、小さくガッツポーズをした。二人にあった心のしこりが取り除かれて本当に良かったと、自然と笑みが溢れた。

「……良かった、」

私、ちゃんと切り替えられてる。会場内に居るあの子も今、この試合を観ているかもしれないし、影山の新たな魅力に気付いてしまうのかもしれない。現実を受け入れる覚悟はしないといけないけど、それは今じゃない。後の事は考えなくていい。だって私は今、ただの椎名夏芽じゃなくて、マネージャーの椎名夏芽として此処に居るのだから。




"鉄壁"と名高い伊達工のブロックを相手に俺達は苦戦をしつつも、結果は2-0で勝利を収める事が出来た。一日に2試合したからか、帰りのバスの中では爆睡をしてしまった。勝つのは当然だし、ここはただの通過点だ。そう思っているけど、ただアイツには「おめでとう」と言って欲しかった。言ってくれるはずだと思い上がっていたのも事実。
何故か俺が一番求めていた奴からは何一つ言葉を掛けて貰えなかった。それどころか今日一日夏芽と一言も会話を交わしていない事に俺はずっと釈然としない気持ちを抱いていた。

「なぁ影山……今日お前に話し掛けてた女子って前に言ってた例の元カノか……?」
「は……?」
「何かお互い気まずそうだったからそうなのかなって思ったんだけど……なんだ違ったのか」

帰りの身支度をしていると、隣でロッカーを漁っている日向が俺の顔色を窺っているのか、普段より声量を抑え気味に声を掛けてきた。夏芽とすらまともに話せていなかったのにそんな女子居たっけか、とぐるぐると思考を巡らせていると常波との試合後、他校の応援で会場に来ていた中野さんに声を掛けられた事を思い出した。そういやこいつもあの時一緒に居たな。

「中野さんは違う。あの人はただの元クラスメイトだ。つかその話ヤメロ」
「は、お前なんなの……?実はタラシなの……?」
「あぁ?誰がタラシだ?」

怪訝そうな顔で俺を見る日向に咄嗟に蹴りを入れるが見事に躱されて軽く舌打ちをした。俺の蹴りを避けられると大体コイツは得意気な顔をするというのに、何故か腕組をしては難しい顔で何か考え込んでいる模様だ。

「ということは付き合ってるってわけでも??」
「ねぇけど。だから元クラスメイトって言っただろ」
「ちなみにあの人に恋愛感情的なものは??」
「別にそういうのもねぇよ」
「ふーん、そっか。じゃあ俺達が早とちりしてただけだったのか……?」
「……なんだよ、言いたい事があんならはっきり言えよ」

やけに勿体ぶったような言い方に苛立ちを覚え、無意識のうちに口調が強くなっていく。俺の受け答えに日向は腑に落ちない顔をするが、そもそもどうして無関係なコイツが中野さんとの間柄をここまで根掘り葉掘り聞いてくるのかが疑問だ。それに俺達・・という言い回しがどうにも引っ掛かる。

「あー、いやなんかさ、椎名に聞かれたんだよな。お前ら二人が付き合ってんのかって。てっきり俺は椎名の方がそういうのはよく知ってると思ってたんだけど」
「はっ……?何でそんな事……、つか何でお前に聞くんだよ」
「知らねぇよっ。なんか気にしてたっぽいし、お前とその中野サン……?には聞きづらかったからあの時居合わせてた俺に聞いたんだろきっと。お前らの雰囲気で何か察したんじゃねーの?俺でさえ思ったんだからさ。あと椎名がさ、もしお前らが付き合ってるなら今まで迷惑掛けて悪い事したなって申し訳無さそうに言ってたぞ。まぁ付き合ってないなら安心だけどもっ」

日向の話を聞いて、一気に頭の中が真っ白になった。迷惑って、悪い事したって、一体どういう事だよ。昨日まではごく普通だったのに、今日一日話し掛けて来なかったのは意図的だったって事なのか。それは中野さんが関係しているから?夏芽が俺と中野さんが付き合ってるんじゃないかって、思い込んだから?

「おい、聞いてんのか?このままじゃ椎名の奴、勘違いしたままだから早いうちに誤解解いた方が良いぞ?てか思ってたんだけど大体お前ってさぁ、椎名の事ってぶっちゃけどう思って――――って、おい影山!!」

日向が何か言いかけていた気がしたが、最後まで話を聞かずに俺は慌てて部室を飛び出していた。とにかく今すぐにでもアイツと話をしなければ。それだけでいっぱいいっぱいだった。部室棟の階段を駆け下りて、アイツを探すが、外にも体育館にもその姿はない。電話を掛けようとジャージのポケットに入れたままの携帯電話を開くと、夏芽から1通のメールが来ていた。

"ごめん、先に帰るね。今日は試合お疲れ様でした"

たった一行、酷く簡潔的で素っ気無い文面に俺は歯を食い縛った。

「意味がわかんねぇよっ……」

……っなんで、なんで、そうなるんだよ。全然分かんねぇよ。ようやく近付けたと思ったのに、どうしてお前はそうやって俺から離れようとするんだよ。何で少しは踏み込もうとしてくれないんだよ。あれだけ一緒に居たのに、夏芽にとっての俺はその程度の人間だったのか。簡単に離れられるくらい、お前にとって俺の存在はそれほど重要じゃなかったっていうのか。

「夏芽っ!!」

ぎゅっと携帯電話をそのまま握り締め、疲労が溜まった身体に鞭を打って再び走り出すと、校門を出た所で捜し求めていた人物の背中を見つけた。叫ぶようにアイツの名前を呼んで、走る速度を上げて、夏芽が振り返るよりも先に俺は背後からその華奢な身体を強く抱き締めた。校門で、しかもいつ人が通ってもおかしくない状況でとか、そんなのを考える余裕なんてない。

「か、影山っ……!?なんっ……!?」
「っ俺、中野さんと付き合ってない!卒業式に告白は……されたけど、断ってる。今日会ったのも偶々だ」

いきなり抱き締められた驚きで声を上げる夏芽に早く弁解がしたくて咄嗟に彼女の名前を挙げると、夏芽の肩が揺らいだ。腕の中ですっかり大人しくなった夏芽は日向の言ってた通り、俺達が居合わせていたのを知っていた上で敢えて近付いて来なかった。

「ずっと、待ってた。夏芽から"おめでとう"って言われるの。なのに何も言わずに先に帰るとか、あんまりだろっ……」

自分でも情けないくらい弱々しい声で、夏芽の後頭部に自身の額を押し付けた。中学の時はこんなの当たり前だったはずなのに、いつの間にか俺は縋ってしまうほど、夏芽からまた距離を置かれてしまう事が精神的に参っていたみたいだ。

「……私は影山にとって、邪魔にならない?」

不安の色を含んだ声で夏芽が問い掛けて来る。首元に回していた腕に夏芽の小さな手が添えられ、ぎゅっと握り締められた。

「――――そんなの思った事もねぇ」

このまま離したくないと、一層腕の力を込めた。こんなにも想ってる事、少しは伝わればいいのに。伝えるタイミングとか、後先の事とか、そういうの全部放棄して、今すぐこの気持ちを吐き出してしまえばどれほど楽だろうか。
事の真相が分かって肩の力が抜けた夏芽は「そっか」とくすりと笑った。

「告白……そっか、影山も隅に置けないね。でも断ったんだね」
「……なんだよ、悪いかボゲェ」
「ううん、悪くない。……昼間は何も言えなかったけど、今日2試合とも勝ったね」
「!おう、」
「おめでとう」
「おう」
「明日は青城と試合だけど、頑張ってね」
「……おう」

ずっと待ち焦がれていたその一言。たったそれだけの言葉でも、夏芽が言ってくれるのなら満たされた気持ちになれる。

「つか今日、及川さんと何話してたんだよ。なんか絡まれてただろ」
「………………教えない」
「なんだよその間」
「私が大人になりきれてないって話。以上デス」
「……?どういうことだ、全然話が見えねえ……」

その日の帰り道は二人で手を繋いで帰った。どちらからでもなく気付けば互いの手を取り合っていて、不思議と気まずさは無かった。久しぶりに握った夏芽の手は相変わらず体温が低く、ひんやりとしていて心地が良かった。俺はその感触を忘れまいと噛み締めるように歩み続けた。

(2021.03.31)

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