Episode.53


インターハイ予選は残念ながら予選敗退という結果で終わって、私達は悔しい思いをしたが、いつまでも落ち込んでいる暇は無かった。8月には春高バレーの一次予選が控えていて、すぐにまた練習に打ち込む日々が始まる。ところがそこで私達が懸念していたのが3年生が引退をするのか否か。受験を控えている先輩も居る中、此処で退いてしまうのも可笑しくない状況だ。春高まで部活を続けてしまえば、当然受験勉強の方には支障をきたしてしまう。勿論、潔子先輩達には春高まで残っていて欲しいのが本音だが、これからの時期は先輩達の将来が掛かっていて、私達がとやかく言える問題じゃない。だからこそ居ない事を前提に構えていないといけないが、果たして今の私にその覚悟が足りているのか。マネージャーは一人が当たり前だった。でも潔子先輩と出会った事で隣に誰かが居る事が当たり前になっていたから、また一人になる事が少し辛い。いつかはその日が来るって分かってたけど、これほどまでにも呆気なくやって来るとは思ってもいなかった。

「夏芽ちゃん、またこれからもよろしくね」
「……っ、はい!」

しかし、私の予想とは裏腹に春高まで全員残留が正式に決まった。その報告を受けた時は心底ほっとした。3年生が居るこの体育館は、居心地が良いから。
それから烏養コーチから先日の試合の講評を受けて、今日のIH予選決勝の結果を聞いた。青城はあの白鳥沢に惜しくも負けて、準優勝という結果に終わったらしい。あれほど強かった青城でさえ白鳥沢に勝てないなんて、思わず背筋がゾッとした。県内でさえこれほどまでに強いチームは複数存在する。今回試合に当たっていないチームだって、今の烏野より上の実力を持つ学校は当然居るだろう。突き付けられた厳しい現実に息を呑むと、突如扉の方から大きな物音がした。慌てて音の鳴る方に全員が振り向くと、段差に躓いて転倒した武田先生がそこには居て、すぐに先生の元に駆け寄ろうとするとがばりと勢いよく起き上がった。

「い、行きますよね!?東京!!」

転んだ拍子に流れた鼻血、ズレた眼鏡や脱げてしまったサンダルなど眼中に無い武田先生は興奮した様子で私達に訴えかける。突然の出来事に首を傾げていると、何かを察した日向と影山が逸早く反応を示した。

「東京ってもしかして音駒ですか!?」
「練習試合っスか?」
「うん、でも今回は音駒だけじゃないんだ」

――――梟谷学園グループ
音駒を含む関東の数校で出来ているグループで、普段から練習試合を盛んに行っているらしい。そこで今回、音駒の猫又監督の計らいでその合同練習試合に烏野も参加させて貰える事になったそうだ。

「ただ、まだお誘いを頂いている段階でして、色々承諾を貰わないといけない事など細かい事はまた後でお話しますね。取り敢えず皆の意志は――――」
「勿論行きます!!」

高校生になって初めての遠征だ。それに加えてまた音駒高校の人達と再会出来る事と音駒だけではなく、他の学校の人とも交流が出来るのが楽しみで仕方ない。マネージャーの人が居るといいな、と期待に胸を弾ませるのも束の間、私はそこで重要な事に気が付いたのだ。

「……ねぇツッキー。黒尾さんってやっぱり予知能力があったんじゃ……」
「は?」
「だってあの人、"いつか会える"って言ってたよ。こんな偶然ってあると思う?」
「そんなのたまたまデショ」

「まさかそれでときめいたわけじゃないよね?」と顔を顰めるツッキーから一蹴されてしまう。それから「そんな調子だと良いように騙される〜」だとかツッキーの長い小言が始まった。私はそれよりもツッキーの口から"トキメキ"というワードが出た事があまりにも意外で笑いを必死に堪えていると、強烈なデコピンを食らってしまったのだ。




翌日、練習終わりに武田先生が現れて、例の東京遠征の詳しい話をしてくれた。合同練習は向こうのIH予選の後に実施される事、学校からの承諾は貰えたが、保護者からの了承も必要である事を淡々と説明する先生の姿はどこか覇気が無かった。いつもと違うその様子を旭と大地に耳打ちをしていると、先生は神妙な面持ちで口を開いた。

「ただ――――来月になったら期末テストあるの、分かるよね?」

張り詰めた空気に黙り込む俺達に「分かるよね?」と先生が念押しで言うと、あからさまに顔を逸らす者――――影山、田中、日向、西谷の4人が居た。遠征とは関係の無いテストの話を出して来るという事はまさかと嫌な予感がしたが、その予感は見事に的中した。

「予想ついてるかもしれないけど、赤点で補習になる教科がある場合―――」

「補習は週末だよ?場合によっては夏休みも入る。遠征は物理的に無理じゃないかね」

先生が教頭先生の言った事をそっくりそのまま伝えた直後、脱走を試みる田中と西谷、取り乱す日向、ショックのあまり放心状態の影山――――そして何故か体育座りのまま頭を抱えている椎名が居た。

「えっ、何、もしかして椎名もあっち側の人間……!?」
「なんか意外だなぁ……」
「まさか。アイツは進学クラスですし、頭も良いですよ。前回のテストだって学年2位だったんで」
「に、2位!?じゃあ何であんなに目が死んでるんだ……?」

俺と旭が目を丸くしてその姿を眺めていると、隣にはひょっこりと月島が現れた。それだけの学力を持っていれば何も心配する必要は無いはずだ。だからあそこまで落ち込むのが俺達には疑問で、その理由を問うとすぐに月島は嫌そうに顔を歪めた。すると椎名はすくと立ち上がり、能面のような顔で影山の方へと近付いた。

「影山、」

棘のある声で呼ばれた本人は我に返り、小さく肩を跳ねた。「こ、これは違うんだっ」と慌てて弁解をする影山に椎名は聞く耳を持たず、影山の両肩をがっしりと掴んだ。

「……私、言ったはずだよね?今のうちに習った範囲をちゃんと理解しておかないと後で痛い目見るって」
「…………ハ、ハイ」
「"あんなん別に社会で役に立たんやろ、俺は将来バレーで飯食ってくし〜"ってあんな事言ってたけど、今は必要な事だよね???」
「お、俺そんな事一言も言ってなっ……つか何で関西弁、」
「……関西弁が、何??別にそれは今の話に関係無いよね??」

瞬き一つせずに影山に畳み掛ける椎名の勢いに他の3人までもがいつの間にか正座をして冷や汗をかいていた。「それなのにっ……、」と肩を震わせる椎名の語尾は徐々に強くなっていく。

「それなのにっ!これじゃあ留年確定じゃん!!どうするのこれから!!それとも何!?中退したいのかな!?」
「いやまだ留年は決まって無いから!!今回はテストの話だから!!なっ!?」
「椎名サン!?あんまり影山の肩を揺すらないであげてー!?」

我を失った椎名から容赦なく肩を揺さぶられたままの影山はついに白目を剥いていて、慌てて椎名の脇下に腕を差し込んで影山から引き剥がすと、相当ショックだったのであろう椎名は「遠征行けないじゃんバカー!!」とジタバタと暴れながら気を失った影山相手に辛辣な言葉を浴びせている。このカオスな状況に困惑していると、この場をどうにか鎮めようとする大地の大声が体育館に響き渡る。するとそれまで暴れていた椎名の動きもぴたりと止まった。

「狼狽えるな!!テストまでまだ時間はあるんだ……このバカ4人抜きで烏野のMAXが発揮出来るか!?いや出来ない!!」
「嬉しいような悲しいような」
「やってやる……全員で……東京行ってやる……!!」

何かを決意した大地の目はすっかり据わっていて、恐怖を覚えた俺達は思わず悲鳴を上げたのだった。




その日の帰り、部室棟の階段下で影山の支度を待つ椎名が何やら険しい顔つきでスマホを触っていた。階段を下っている時にたまたま視界に入った液晶画面には『勉強 教え方 コツ』という検索ワードが並んでいて、隣に居る山口に気付かれないように小さく溜め息を吐いた。

「何そんなに難しい顔してんの、椎名」
「もしかして影山待ってる感じ?今、キャプテンから説教受けてるからもうちょっと掛かるかも」
「ツッキー、山口、お疲れ。そうなんだ、ありがとう」

検索途中だったスマホをそのままポケットに閉まった椎名が困ったように笑った後、3人しか居ないこの場には沈黙が流れる。すると変な気を回した山口は「じゃ、じゃあ俺は嶋田さんのとこ用あるから先に行くね!!」とそそくさと逃げるように帰ってしまった。

「……で、何か言いたい事でもあるんじゃないの?」

驚いたようにこちらを見上げる椎名に後悔をする。だって、椎名が悩んでいる時は嫌と言うほど影山が絡んでいる。さっきの説教だって、今の検索欄だって、少しでも影山の為を想ってやっている事なのだから。

「ちょっと、相談があるんだけど……。影山達が……赤点にならないように何か対策がないか色々考えてたんだけど、何か効率の良い勉強法とかないかな?」

ほらみろ、聞いたって良い事なんかないのに。他人が赤点取ろうがそんなのどうだって良いでしょ。遠征に参加出来なくなるからって、何でマネージャーの椎名がそこまで気に掛ける必要があるんだよ。アイツらが日頃から勉強を疎かにしていたから出た結果であって、ただの自業自得だっていうのに。

「……僕はいつも音楽を聴きながら勉強してる。集中力が高まるし、リラックス効果もあるからオススメ。あのバカ二人に効くかどうかは知らないけど」
「っ!ほうほう……」
「あとは勉強場所だけど、自分の部屋に誘惑が多いのなら人の目があるリビングで勉強をするのが良いかもね。それと絶対にオススメしないのは睡眠時間を削ってまで勉強するの、あれは本当に良くない。詰め込み学習とか徹夜は以ての外だから」

それなのに椎名が困っているからって、恋敵の為にここまで親切にアドバイスをしてあげている僕は案外ちょろすぎやしないか。現に表情が少し明るくなった椎名を見てホッとしてるなんてどうかしてる。

「なるほど!あとさ、単語帳とかは作ってあげた方がいいよね。ちょっとした時間にも活用出来るし」
「それって椎名が作るの?」
「?そうだよ。練習もあるし、なら少しでも余裕がある私が作った方が効率的だと思ったんだけど」
「……ただの同級生にしてはやけに熱心じゃない?」
「だって……影山達にはこんな所で躓いてほしくないから。東京遠征なんてこんな貴重な機会、早々無いでしょ?あれほどバレーが大好きな人達が赤点取って遠征に行けませんなんて勿体ない。ただそれだけだよ」

……果たして本当にそうだろうか。本当にたったそれだけの思いで赤の他人の為にここまで手助けが出来るの?例えばこれが日向だけだったとしたら、椎名は同じ事をした?
椎名の胸の内が知りたい。影山をどういう目で見ているのか、何を想っているのか。

「――――なんてね。今のは確かに本音だけどこれは全部、影山の為にやってる。今まで何もしなかった分、これからは役に立ちたいんだ。こんなの日向が知ったら"俺はおまけかよ!!"って怒られそうだけど」

僕が聞くまでもなく、椎名は本音を打ち明けるなり眉を下げて笑った。
それを知ればこのモヤモヤとした気持ちから開放されると思っていた。椎名がはっきり影山が好きだと言ってくれればすっぱり諦められると思ってた。だけどそんな事は全然無くて、それを知った所で僕はただ自分の首を絞めているだけだったのだ。




「いきなり呼び出してごめんね」

私は今、面識の無い3年生の超絶美女の先輩に呼び出されている。人目がつく廊下だからか、それにこの先輩が美人だからか、通りすがりの生徒達もチラチラとこちらを注目していた。果たして私は何故この先輩に呼び出されているのか理由がまるで分からなかった。それとも何かをやらかしてしまったのだろうかと、ここ最近の自身の行動を必死に振り返った。

「(せ、先輩の彼氏さんに色目を使ったとかは無いだろうし……あ、挨拶が出来てなかったとかっ!?それともスカート丈問題っ!?髪色が目立つとかっ!?よくよく考えたら思い当たる節があるのでは……!?)」

これから私はきっと何かしらの制裁を受ける事になる。先輩の次に発する言葉に身構えていると、「実は男子バレー部のマネージャーを募集しているんだけど……」と私の想像とは全くもって違った話が始まって目が点になる。

「あ、清水先輩だ!マネージャー勧誘してるんですか!?」

すると前方から美女の先輩の名前を呼ぶ、蜜柑色の頭の活発そうな男子生徒が軽快な足取りでこちらにやって来た。しかしその男子生徒には見覚えがあった。名前こそは覚えていないけど、確か夏芽と同じ部活の人であった事は間違いない。

「椎名と仲良しの人だ!確か谷地さんだよね!?俺、1組の日向!」
「そうなんだ、夏芽ちゃんの友達だったんだね」

相手は自分の名前を覚えてくれていたというのに、覚えていなかった自分を今すぐ殴りたい。この人が改めて自己紹介をしてくれなかったら私は今頃日向くんに不快な思いをさせていただろう。きっと気まずい空気が流れて、夏芽の友達って薄情な奴だと関係の無い夏芽にまで迷惑を掛けて、それまで築いてきた二人の信頼関係にもヒビが入ってしまうんじゃないかと、マイナス思考にどんどん陥ってしまう。

「――――それでなんだけど、一度見学だけでもどうかな?夏芽ちゃんも居るし、もし良かったらで良いんだけど……」
「うへっ!?ハイッ!!」
「本当!?ありがとう!!」
「良かったですね清水先輩!!谷地さん、きっと椎名も喜ぶよ!!」

驚きで上げてしまった声に肯定の返事と捉えた二人はぱぁっとあまりにも嬉しそうに笑顔を輝かせたので、もう後に引く事は出来なくなってしまった。ここで否定をしてしまえばそれこそ夏芽の顔に泥を塗ってしまう事になる。

「そういや椎名は新しいマネージャーを探してる事って知ってるんですか??」
「ううん、言ってない。夏芽ちゃんはあなた達の勉強の面倒で忙しくなりそうだからね。夏芽ちゃんには驚かせたいからこれは3人だけの秘密だよ」
「うっ……!!が、頑張ります!!それにしてもなんかサプライズっぽくてそわそわしますね!」

「ふふっ、だから谷地さんも夏芽ちゃんには内緒にしててね。じゃあ放課後、夏芽ちゃんに見つからないように迎えに行きますね」と清水先輩は悪戯っ子のように笑い、日向くんとその場を後にした。

「私にそんな大事なことが隠し通せるのか……!?」

とにかく教室に戻ろうと廊下を歩いている最中、ぐるぐると思考を巡らせる。今から私は夏芽にどんな顔をして会えばいいのだろう。夏芽を驚かせる為だとはいえ、夏芽に黙ってバレー部に顔を出すなんて何だか疚しい事をしているような気分だ。複雑な気持ちを抱いたままクラスに戻ると、昼ご飯を食べ終えた夏芽は机の上にノートと教科書を広げて、何やら真剣な面持ちで単語帳に記入をしていた。「ただいま」と控え目に声を掛けると、顔を上げた夏芽は「おかえり、遅かったね。何の呼び出しだったの?」と首を傾げた。その素朴な質問に焦る私は、咄嗟に出て来た"委員会集まり"と答えると、納得した様子の夏芽はそれ以上追及してくる事は無かった。

「あっ!も、もうテスト勉強始めてるんだね!は、早いなぁ〜。それって単語帳作ってるの?」

話題を逸らそうと机にあるノートの山に指を差した。私の不自然な演技に何の疑念も抱いていない様子の夏芽は、この単語帳は自分の物ではなく部員の為に作っているものだという事と、その事の経緯を簡潔的に説明してくれた。

「バレー部って今度遠征が控えてるんだけど、期末テストで赤点取った人は遠征行けなくてね。だから少しでも点数が上がるように今全教科分を作ってるんだ」
「えっ!マネージャーってそういう事も部員にしてあげるの??」
「ううん、これはただ私がやりたかったからやってるだけ、かな」
「!す、凄いね……部員の為にそこまでしてあげるなんて……。夏芽は良いマネージャーなんだね」

その言葉は本心から出たものだった。でも夏芽は何故か目を伏せて首を横に振った。

「そんな事ないよ。中学の時なんか失敗ばっかりで駄目なマネージャーだった。……だからせめてこんな形だけど、サポート出来たらって思ったんだ」

自分の休み時間を削ってまで他人の助けになろうとする夏芽の何処が駄目なマネージャーなのか。
へらりと笑う夏芽にそれこそ私が「そんなことないよ」って声を大にして言ってあげたかった。でもとてもじゃないけど軽々しく言える雰囲気じゃなかった。夏芽の言う"失敗"が私の想像する仕事上のミスとは何か違うような気がしたから私は何も言えなかったのだ。

(2021.07.14)

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