Episode.54


今日の放課後は潔子先輩より早く体育館に着いて、いつも通り部活の準備をしていた。わらわらと他の部員たちが体育館にやって来る中、なかなか潔子先輩だけが現れなくて、てっきり私はクラスのホームルームが長引いているのだろうかと呑気に考えていたのであった。

「あの!ちょっといいかな!」

突如出入り口の方からタイミング良く潔子先輩の声が響いて、全員が何事かとそちらに顔を向けた。すると潔子先輩の背後にはもう一人、制服姿の女子生徒が隠れていて潔子先輩がその子に促すと、恐る恐る姿を現したその子に思わず私は絶句したのだ。

「ウソッ、えっ、」
「えっと、新しいマネージャーとして仮入部の――――」
「や、谷地仁花です!!」

そこには緊張で上擦った声で挨拶をするヒトちゃんの姿があって、私は動揺して両腕に抱えていた、昨日洗濯したばかりのビブスやタオルを全て床に落としてしまった。どうしよう、今目の前で起こっている光景があまりにも衝撃的で頭が追い付かない。

「一年生?」
「いっ、1年5組であります!!」

物珍しそうにヒトちゃんに話し掛けている澤村さん達を遠目から眺めながら放心状態で一人佇んでいると、ふと目が合ったヒトちゃんは私を見るなり途端に小さな悲鳴を上げて、顔を青褪めていた。ついさっきまで同じ教室で過ごしていたはずなのにそんな反応をされてしまうと流石に私も涙目になる。

「なぁ、5組って夏芽のクラスメイトだよな……ってどうしたんだよコレ、床に全部落としてるぞ」
「む、無理っ……しんどいぃ……、」
「な、何で涙目なんだよ……!?どっか痛いのか!?」
「強いて言うなら胸が痛いぃっ……。私、ヒトちゃん……あの子と仲良いのに、バレー部に来る事、知らされてなかった……。親友だと思ってたのは私だけだった……??」

私がポロッと返答に困るような質問をしてしまうものだから影山も返す言葉が見付からず、何とも言えない表情になってしまった。暫くの沈黙の後、重い口を開いた影山は何を言い出すのかと思えば、「……俺はその、まともに話すような友達すら居ないからあんまり気にするな」と謎の励ましの言葉を貰ったので、返ってこちらが複雑な気持ちになってしまった。
委員会の用事もあって今日は顔見せだけの予定だったらしく、挨拶をしたらヒトちゃんはすぐに体育館を去って行ってしまった。去り際まで何か言いたげにチラチラとこちらを意識していたヒトちゃんだったが委員会の集合時間も迫っていた事もあって、この間に私達がまともに会話を交わす事は無かった。

「椎名!!どう!?谷地さん来て驚いた!?」
「えっ!?何で日向は知ってたの!?私全然知らなかったのに!色々驚いているんだけど、まずどこから突っ込んでいいのか……」

得意気な顔で私達の元にやって来た日向はまるでヒトちゃんが今日此処にやって来る事を知っていたかのような口振りだ。そもそもヒトちゃんがバレー部に見学に来る事をどうして私が知らなくて、殆ど接点の無い日向が知っているのか。ヒトちゃんも少しでもマネージャーに興味があったのなら身近にいる私に相談してくれても良かったのに。ヒトちゃんにとっての私はそこまで頼り無い人間だったのかと思うとショックのあまり心が抉られる。

「サプライズ成功ッスね!!」
「夏芽ちゃん!黙っててごめんね?実は日向に協力してもらいながら最近新しいマネの勧誘をしてて、それで部活に所属していない仁花ちゃんを偶々私が誘ったんだ。日向から夏芽ちゃんの友達だって聞いたから、折角だから夏芽ちゃんを驚かせたくて、仁花ちゃんには黙っててほしいって私からお願いしたの」
「そういう事だったんですか……。でも新しいマネージャーを募集する事、どうして私には言ってくれなかったんですか?それも何で今のタイミングで……」

素朴な疑問を投げ掛けると、潔子先輩は私が日向達のテスト対策で忙しくなる事を見越して敢えて話さなかったのだと事情を話してくれた。

「日向や影山達が入部してから烏野は少しずつ変わり始めた。今回遠征の話も来るようになって、烏野がこれから先もっと強くなっていく為には自分の仕事もちゃんと引き継いでいかなくちゃって思ったの。いつか私が引退したら夏芽ちゃんは一人になる。夏芽ちゃんはその状況に慣れているかもしれないけど、自分以外にも同じ立場の人が居る心強さって、私は夏芽ちゃんが入部してから痛いほど実感したから」

これからの事を真剣に語る潔子先輩のその熱意に強く胸を打たれた。私が影山達のテスト対策に専念している中、私が一人になっても困らないようにと、潔子先輩は自分が居ないバレー部の将来の事を見据えていたのだ。それも私に負担を掛けまいと水面下で新しいマネージャーの勧誘話を進めていた。
ただ漠然と一人になる未来ばかりを描いていた。少しでも潔子先輩の代わりになれるようにと、その一心だった。だから新しくマネージャーを増やそうだなんて、私にはそこまで気が回らなかった。

「っ、本当に何から何までありがとうございます!」

何度頭を下げても感謝しきれない。やっぱり潔子先輩にはまだまだ敵わないけど、私もいつかこの人のようなマネージャーになれるだろうか。でもなってみせなきゃこの人の後釜なんて務まらない。
潔子先輩がヒトちゃんを連れて来てくれたのは本当にただの偶然だった。だけどこれはきっと何かの縁があって、此処でも私達を引き合せたのだと思う。潔子先輩は私の為に一人でここまでしてくれたのだから、私はそれに応えたい。ヒトちゃんが顔出しまで来てくれたという事はバレーに知識が無いとはいえ、特別嫌いではないという事。無理強いはしたくないけど、どうにかヒトちゃんを落として、バレー部に引き入れたいと私は意気込んだ。




「あ、あの!ホントにっ、騙しててゴメンナサイ!!」

勢いよく机に額を擦りつけながら、全力で目の前に座る夏芽に謝罪の言葉を口にした。その上、今日初めて夏芽と会話を交わすのが昼休みまで持ち越しになってしまうとは、本当に今日は間が悪かった。本来ならば朝一に謝るはずだった。でも今朝は朝練が長引いていたのか、夏芽はなかなか教室に現れなかった。何度も廊下の方をチラチラ確認しながら夏芽を待っていると、結局夏芽がやって来たのはホームルームが始まるギリギリの時間だったので、朝一に夏芽に話し掛けるのは断念した。席替えをして夏芽とは席が離れてしまったので、私はもどかしい気持ちで前方の席に座る夏芽の背中を見つめていた。前回のように前後席であればすぐに謝る事が出来たのに。ならば休み時間に夏芽の席の元へ謝りに行こうとすれば夏芽が別の生徒に呼ばれたり、次の休み時間になれば今度は私が別の子に呼ばれたり、選択科目の授業で各々移動教室だったりと、今日に限って擦れ違いが続いていた。そしてようやく訪れたチャンスというのが昼休みというわけで、今私はこうして夏芽に頭を下げている。

「サプライズだったんだよね?昨日は驚いたよ〜」
「お、怒ってないの……?」
「怒るも何も、流石に種明かしされるまでは相談受けてなかったショックの方が大きかったけど、全然だよ」

私の想像とは裏腹にあっけらかんとしている夏芽の様子にすっかり拍子抜けをした。

「嬉しいんだよね、ヒトちゃんがバレー部観に来てくれて」

嬉しそうにニコニコと笑う夏芽にチクリと胸が痛む。私はまだ本当の事を誰にも言えていない。ただ流されてバレー部に足を運んだだけだって打ち明けてしまえば夏芽はどんな顔をするのかな。きっとがっかりするのかもしれない。

「……でも私、本当にバレーの事もマネージャーの事も、何も分かってないけどいいのかな?きっと夏芽は昔からバレーが好きだったんだろうけど、私はそうじゃないから、ルールすら知らないし何というか……ちゃんとやっていける自信がないといいますか、」
「えっ、私も特別バレーが好きだったわけじゃないよ?従兄弟がバレーやってた影響もあったんだけど、元々中学は興味本位で入っただけだったから。だから私もヒトちゃんも同じだよ」
「そ、そうなの!?でもなんで興味本位で入ったバレー部をここまで続けてこられたの?」
「んー……入ったきっかけが何であれ、自分の行いを見てくれてる人が居たから、かな」

照れ臭そうにはにかむ夏芽の脳裏には今、その人の顔が浮かんでいるのだろう。その穏やかな眼差しからきっとその人は夏芽にとってとても大切な人なのだ。

「だから、続く続かないを決めるのは今じゃなくて、実際に体験してみてから考えようよ。もしかしたら皆がプレーしてる姿を見たらヒトちゃんもバレーを好きになるかもしれないし」

かつては私と同じ立場だった夏芽が居た事を知って、少しだけ肩の力が抜けた。未知の世界に踏み入れようとしている私にとってはそういう存在は大きなもので、そんな夏芽がいるからこそ私自身も前向きに頑張ってみようと思える。その意を伝えれば、自分の事のように喜んだ夏芽は目を輝かせながら私の手を握ったのだった。もしも私が男の子だったとしたら、完全に私は夏芽に落ちていた。突然手を握られてどぎまぎしている私の胸の内など夏芽はきっと知りもしないのだろう。

「夏芽!」

廊下から夏芽を呼ぶ男子生徒の声にはっと我に返る。顔を向けると昨日バレー部で顔を合わせた背の高い黒髪の男の子と日向くんが立っていて、私達と目が合うなり教室に足を踏み入れてはこちらにやって来た。

「椎名!谷地さんも昨日ぶり!あ、こっちは影山!」
「ちわっす」
「ど、どうも?日向君と影山君……?」
「日向でいいよ!」
「で、ではお言葉に甘えて……」
「二人揃ってここに来るという事は、そういう事でいい?」
「ええ!そういうコトです!」
「勉強教えてくれ、夏芽!」
「お願いシアース!!」

話が見えない3人のやりとりに首を傾げると夏芽が「例の赤点回避のやつ。この二人ヤバイんだよ」と笑顔で語る。笑いながら無邪気に毒を吐く夏芽など、クラスでは見ないその姿に唖然としていると、日向君と影山君がバツが悪そうに一気に顔を逸らした。「急で申し訳ないんだけど勉強会、今からここでやってもいいかな?」という夏芽からの申し出に反射的に首を縦に振ると、二人はすぐに空いていた机を私達の隣に引き寄せた。夏芽と私は向かい合って座っていたので、気を遣って夏芽の隣に移動をしようと腰を浮かせたが、それよりも先に影山君が迷いなく夏芽の隣の座席の椅子を引いたので、どうやら私の気遣いは無用だった。

「あ、そうだ二人とも。これ良かったら使って」

「空いた時間にこれで少しでも覚えた方がいいよ」と一言を添えて夏芽が日向君と影山君に差し出したのは、つい先日せっせと作り込んでいた英語、化学、現代社会など……諸々の単語帳だ。

「おおっ!!あざーっす!!!やっぱ頼りになるのは椎名だなっ!!ケチ島とは大違いだ!」
「夏芽、まさかわざわざ俺らの為に作ってくれたのか……?」
「あっ、いや、いつもテスト前はこうして自分が覚えやすいように作ってただけだから、二人にも役立てばいいかなって、思って……。それだけなんだけど……」

二人の為に時間を割いて作った事を知られたくなかったのか、はたまた他に事情があるのか、何故か夏芽は嘘をついた。夏芽が自分の分の単語帳を作っていない事を私は知っている。それを知っているのに伝えられない事が酷くもどかしい。でも夏芽はきっとそれを望まないはずだから、私が口を出すべきではないのだろう。

「……ありがとな。赤点取らないように、努力する」

その時、影山君が夏芽から受け取った単語帳を大事そうにぎゅっと握り締めた。その影山君の何気ない仕草が夏芽の苦労が報われたような気がして、胸がじんわりと熱くなった。
そうこうして今回は英語の勉強会が始まった。テスト範囲になっているワークを二人に解いてもらいながら時折雑談を交えたりもした。主にバレー部の話題が繰り広げられ、例の東京遠征先の他校の選手の話だったり、バレーの専門用語が小出しに出て来たので首を捻る事も多々あったが、コミュニケーション能力が高い日向は殆ど交流の無い私相手であろうと話題が尽きなかった。

「おい、東京に行けない小さな巨人。お前がベラベラ喋ってる間に俺は全問解き終わったぞ」
「はっ!?影山抜け駆けすんじゃねぇー!」
「えっ、影山君もう解き終わったの?早いね!」
「うっす」

日向とは対照的に影山君はあまり女子とは話し慣れていないのか、それとも元々こういう性格なのか、私と言葉を交わす時は必要最低限で口数が少ない。もし私と影山君が二人きりになったとしたら、間違いなく会話が続かなくてお互い無言になるだろう。そもそも誰とでも気さくに話せる日向の性格の方がよほど珍しいのかもしれないが。

「でも影山、それ10問中6問は間違えてるよ」
「プッ!影山ザマァ……!」
「は……!?日向にドヤ顔した俺がまるでアホみたいじゃねーか夏芽!!」
「ドヤ顔は影山が勝手にやったんだよ。じゃあ今から解説するからねー」
「クソッ……なかなか手応えあったのにっ……」

しかし寡黙な人なのかと思いきや、意外と影山君は夏芽には砕けた口調で話しをするようだ。夏芽の事は当然のように名前で呼んでいるし、それに何というか、二人の間に流れる空気というか、関係性というか、そんな二人がお似合いだと私は不覚にも思ったのだ。

「あの、夏芽と影山君って……」
「?」
「……ん?ヒトちゃんどうしたの?」
「あっ、いや!」

無意識のうちに口にしていた言葉に反応を示した二人に「何でもない」と慌てて口を閉ざす。不思議そうに二人は互いの顔を見合わせた後、何事も無かったかのように再びワークに視線を落として解説の続きを始めたのでほっと胸を撫で下ろす。
危うく口を滑らせてしまうところだった。二人が付き合っているのかなんて野暮な事を今ここで聞いてしまえば、気まずい空気が流れて勉強会どころではなくなってしまう。いくら座席が隣とはいえ、恋人同士のように自然に寄り添う二人の間柄が凄く気になるけど、ここは我慢だと自分に言い聞かせる。
そしてこの判断が正しかったのだと、後に私は知る事になるのだった。




「谷地さん!!午後の英語の小テストで、さっき教えて貰ったところが出て、3分の1も点取れた!!」
「ほ、本当に!?良かったぁ!!」

部活が始まる前にヒトちゃんの元へ小テストの結果を報告しに行っている日向の姿を視界に捉える。素直に喜んでいいのか分からないその報告に飛び跳ねて喜んでいるヒトちゃんと日向の姿に複雑な気持ちを抱きつつも、昼休みの勉強会での交流もあってか、すっかり二人が打ち解けているようで安心した。

「3分の1で喜ぶなんて…………」

日向のコミュニケーション能力の高さに感心している菅原さんや東峰さんとは打って変わって、信じられないという目でその二人の様子を見つめるツッキーはポツリと呟いた。

「昼休みにワーク解かせた時点では全然出来てなくてボロボロだったんだから進歩した方だよ。まぁ……確かに飛び跳ねて喜ぶレベルではないけど……」
「はぁ?あの変人コンビそっちのクラスにも押しかけて行ったの?」
「だってそれは誰かさんが営業時間内に出直せって断ったからでしょー?とはいっても日向の面倒は殆どヒトちゃんが見てたんだけどさ」
「貴重な昼休みの時間をアイツらに潰されたらたまったもんじゃないから。……あぁ、それであの二人はもう打ち解けてるわけ」
「そもそも日向がコミュ力お化けだしね。ツッキーもヒトちゃんと話したかったらあそこに乱入してみたらどう?」
「嫌だ。絶対に行かない」
「そこまで拒否しなくてもいいのに……。でもツッキーって女子とはあんまり話さなそうだよね。やっぱり苦手なの?」
「……別に。今話してるし」
「あっ……もしかして私ですか?」
「そうだよ、椎名のこと。他に誰が居るの」

ツッキーの口からそういう冗談が出て来る事が意外で表情筋が自然と緩む。ニヤニヤ笑っていると、不機嫌そうに眉を顰めたツッキーからお得意のデコピンをお見舞いされそうになったので、慌てて額を両手で覆った。

「その手どけて。邪魔なんだけど」
「何されるか分かってるのに退かすワケないじゃん。ツッキーのデコピン容赦無いんだからさぁ」
「そりゃあ手加減してないか…………ちょっと待って、椎名。昨日何時に寝た?」

すると何か引っかかる事があったツッキーは一層眉間の皺を濃くした。目元にうっすら出来たクマに目敏く気付いたツッキーは矢継ぎ早に詰め寄って来る。そこまで目立たないから誰も気付かないだろうと思い、敢えてファンデーションで隠そうとはしなかったのだがそれは大きな間違いで、目の前のツッキーには通用しなかった。

「このクマは何?」
「で、でも12時には寝た、よ……?」
「嘘つくな。本当は?」
「ごめんなさい、夜中の3時です」
「3時って……お前っ……」

大人しく白状すると、頭上から大きな溜め息が聞こえてくる。「もしかしてアレが原因だろ」と頭を抱えたツッキーが指を差す方向に視線を追っていくと、黙々と私が作った単語帳で暗記をしている影山の姿が居た。時々、ツッキーはエスパーなのではと思う時がある。しかし割と本気で怒っているツッキーに対してそんな軽口を叩ける空気では無いけど。

「熱心になるのは勝手だけど、部活と自分の勉強には支障をきたさないでよ?万が一また倒れられて困るのはこっちなんだから」
「……はい、返す言葉もございません」
「いい?今夜は10時には布団の中に入りなよ。寝る前に連絡するから」
「えっ、それは早すぎない……?」
「は?何か文句あるの?」
「いえ、何でもありません」

私にはもう一人お母さんが出来たのかというくらいツッキーは私をよく叱るし、ちょっとでも口答えをすればこうやって圧力をかけて来るので何も言い返せなくなる。そもそも私が何度もやらかしているからツッキーも神経質になっているのだろうけど。もしツッキーに彼女が出来たとしたらきっと過保護な彼氏になるんだろうなぁと、ぼんやりと考えていれば鋭い視線で睨まれたので、私は反射的に背筋を伸ばしたのだった。

(2021.10.31)

ALICE+