「あっちぃ……」
蝉の鳴き声がけたたましく、ジリジリと強い日差しが照りつける真夏の午後、及川さん達3年生がいなくなった体育館はなんだか静かで、随分寂しくなったような気がした。そう実感する度に彼らの存在の大きさが身に染みた。
今年の中総体も準優勝という結果で幕を下ろし、いよいよ待ちに待った夏休みがやって来たがしかし、茹だるような暑さが続く中、俺達にまず与えられた試練は強化合宿だった。炎天下の中のロードワーク、サーブ・レシーブ・スパイク練各100本ずつ、筋トレなど………何れもそれは過酷なものだった。俺は体力には自信がある方だったが、こうもスパルタ指導だと流石に身体も悲鳴を上げている。
息を切らしながら床に寝転がり、呼吸を整えていると頭上から声がした。
「かーげーやーまー」
「う"ぉ"っ!?」
突如、首筋に当てられたひんやりとした何かによってビクンと身体が勢いよく跳ね上がる。バッと上体を起こすと悪戯っ子の様に笑う夏芽の手には保冷剤が握られていた。それを見た俺も黙ってはいられず静かに立ち上がる。
「……夏芽ボゲェエエエ!!」
「え?!ちょ、まっ!!!こっち来ないで!!!!」
「今すぐ止まれボゲェエエエ!!」
ただただ夏芽を追いかけ回す事に夢中だった俺にはすっかり先程の疲れなど吹き飛んでいた。そんな俺に追いかけられている夏芽は「影山の体力は底無しかよー!!」と叫びながら全速力で逃げ回っている。途中、一部始終を目撃していた金田一は果たしてこれは止めるべきなのかとあたふたしていたが一方、国見は「うわっ、暑苦し……」と鬱陶しそうにこちらの様子を顔を歪めながら眺めていた。
「あ、」
夏芽が走るその先―――――体育館の出入口付近に立っていた人物を見てふと声を漏らすが、当の夏芽は俺から逃げる事に必死なのか、その人の存在に気付きやしない。このままじゃ衝突してしまうんじゃないかと思い声を上げようとしたが、その時にはもう遅かった。
「ぶはっ!!」
「グェッ!?」
衝突後、夏芽の顔面がちょうど胃の辺りにクリーンヒットしたのであろう、体当たりされたその人は腹を抱えながら座り込んでしまった。夏芽もぶつかった相手に「ああああすみませんごめんなさい!!」と半分パニック状態になりながら謝罪を入れていたが、その人物を見るなり唖然としていた。
「これはこれは夏芽ちゃん…………随分なご挨拶だねっ…………」
痛そうに腹部を擦っている及川さんは今にも死にそうな声である。そして俺は思った。
「……及川さん、何しに来たんですか」
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「(ゴンッ)本当に申し訳ございませんでした」
合宿所の食堂のテーブルに頭を擦りつけながら、目の前に座る及川さんに夏芽は先程の不慮の事故に対しての謝罪の言葉を述べた。
「(てか今、"ゴンッ"って言わなかったか……?)」
そう思いつつも、隣に座る夏芽はテーブルに頭を擦りつけたままで起き上がる気配はない。
先刻あれほどまでにダメージを受けた及川さんはすっかり回復し、「いいんだよ〜。まさかあの夏芽ちゃんが自ら俺の胸に飛び込んでくれて嬉しいよ☆」と言っている始末だ。この人の異様なポジティブ思考としぶとさ…………否人並み以上の回復力に俺達は最早尊敬するべきなのかもしれない。そして及川さんの隣に座る付添人である岩泉さんは相変わらず「ウゼェ」と嫌悪感を露にしている。いや、やっぱり俺達が思っている事の全てを毎度代弁してくれている岩泉さんを敬うべきだ。及川さんの発言を聞いた夏芽も顔を上げるなり冷めきったような顔で「謝った私がバカでした。さっきの言葉取り消します、岩泉さんだけ残して帰って下さいさようなら」とすっかりいつもの調子に戻っている。
「相変わらず辛辣だね!?折角この及川さんが受験勉強で忙しい中、後輩達の様子を見に来てあげたんだよ!?」
「何ですか、ジャンプサーブ教えてくれるんですか」
「イヤだねバァーカバァーカ!!少なくともお前にだけは教えてやらないんだから!!」
「んなっ?!何でですか?!じゃあ夏芽が頼んだら教えてくれるんですか?!」
「夏芽ちゃんはプレイヤーじゃありまっせーん!マネージャーなんですぅー!」
「おい大人げねぇぞクソ及川ボゲェ!!あとその喋り方ヤメロ気持ち悪い」
「ギャア!!?痛いよ岩ちゃん!!いきなり殴る事ないじゃん!?あとそのガチなトーンやめて傷付くから!!」
「あぁん?」
「スミマセンデシタ」
及川さんの発言に聞き捨てならなかった岩泉さんは直ぐ様、及川さんの頭部に容赦なく鉄拳を食らわせた。1日に頭部と腹部を負傷した及川さんに俺は少し、ほんの少しだけ同情した。及川さんは確かにバレーに関してはすげぇ人だけどでもやっぱり同じ男として尊敬をするのは岩泉さんだな、と改めて俺が実感していた時、何故か夏芽が可笑しそうに声を上げて笑った。
「ぷっ!あははっ!」
「「「え……?」」」
俺、及川さん、岩泉さんの3人が不思議に思いながらお互いの顔を見合わせていると、突然笑い声を上げたと思いきや今度は夏芽は伏し目がちに、少し悲しげな顔を浮かべていた。
「なんか久しぶりですね、この光景が見れるの。凄く、懐かしく感じる」
そう言った夏芽は遠い目をしていた。きっと今までの出来事を一つ一つ思い出しているのだろう。それを聞いた二人の表情も少しだけ固くなった。1年と3年。1年は入ったばかりの新入部員で、3年は最高学年となり、部を引退する年であるが、学校を去る年でもある。そんな俺達は一年長くこの人たちと付き合っている2年生たちに比べ、ずっと短い付き合いだ。でも、きっと俺たちは幾ら期間が短くても、濃厚な時間を共に過ごして来た事に変わりはないはずだと思う。どんなに嫌な先輩だろうが、どんなにその人から毛嫌いされていようが、きっと。
「俺と岩ちゃんね、青城受けるんだ」
及川さんが言ったその言葉は俺に対してのものなのかは定かではないが、確かに夏芽には向けられていた。正直、中学1年である俺達が将来進学したい高校の事など考えてはいなかった。第一、学校名を聞いてもピンと来なかったのも事実だ。現に及川さんの言う"セイジョウ"という学校がどういう所で偏差値がどのくらいで、そこにバレー部はあるのかすらも知らない。でもきっと及川さんと岩泉さんが受ける高校なのだから、頭の良い奴が行く学校で、バレー部があるという事は確かだ。
「青城……」
それを聞いた夏芽は何か考えるような素振りで独り言の様に呟いた。しかし、2年後の夏芽がどういった判断を下すのかは、俺は知らないし、口を出す権利もないのだ。
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「忘れてないよね?あの日、俺が言ったこと」
長かった本日の練習を終えた夕暮れ時、ヒグラシの甲高い声が鳴り響く中、合宿所を後にする及川さん達の見送りをしようとしていた。突如及川さんから話を振られた俺は暫く記憶を巡らせていると、中総体のあの日に及川さんに言われた事を思い出した。
"飛雄"
"お前なんかにこんなこと言いたくは無かったけど…………夏芽ちゃんのこと、頼んだよ"
"だから!もしこの先、お前が夏芽ちゃんを悲しませるような事でもしたら俺―――――"
許さないから。
ふと、少し離れた所で金田一や岩泉さん達と雑談を交わしている夏芽の姿に目を呉れる。
今だ耳に鮮明に残った、脅迫ともとれる及川さんのあの言葉は一体どういう意味が含まれていたのだろうか。どうして及川さんは俺に夏芽の事を話題に出したのだろか。単に仲が良いから?それとも、夏芽に対して何か思い入れがあるから?
「流石、鈍感な飛雄。その様子だと意味が分かってないみたいだね」
及川さんの嫌味に少しムッとしたが、俺はずっと前からこの人に聞きたい事があった。
「……あの、一ついいスか。及川さんにとって、夏芽は何ですか?」
夏芽に対しての態度や信頼。来栖先輩に対するものとは明らかに違った特別な空気感。以前までは無かったものがいつしか出来上がっていた。
それを聞いた及川さんは優越感に浸ったような笑みを浮かべ、その口を開く。
「あの子は、俺の可愛い後輩だよ」
意味有り気に言い切る及川さんの姿に、俺はそれが何だか面白くないと感じたのは何故だろうか。
(2015.03.06)
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