Episode.07


暑かった夏の季節は過ぎ去り、半袖ハーフパンツ姿だった体操着も今や極寒でジャージを着込むのが定着した12月の下旬。外は大量の雪が降り積もっており、辺り一面が銀世界となっている。あまりの寒さで閉めきられている体育館だが、隙間風が吹く事でかいた汗が容赦なく身体を冷やし、震えが止まらない。
部活動終了後、先程までコート上に張られていたネットの紐を解いていると、同じく隣のコートのネットの紐を解いていた国見に話し掛けられた。

「明日からスキー学習だな」
「そうだねー。私スキー滑るの初めてなんだよなあ」
「俺も」

明日から私たち1学年は年間行事の一つである2泊3日のスキー学習が始まる。1ヶ月くらい前から班決めや部屋割りなどを決めてきたが、何だかんだで明日で当日を迎えるというのだから1ヶ月というのはあっという間である。なんて事を思っていると偶々横を通り掛かった影山が目を見開きながら「明日……!?」と声を上げ、抱えていたバレーボールをポトリと床に落とした。影山の手から落ちたボールはバウンドをしながら体育館の端へとゆっくり転がっていってしまった。

「バレーが出来ねえ……!!」

あまりのショックで固まっている影山に思わず「そこかよ、」と突っ込みたくなった。隣で微妙な表情を浮かべる国見もきっとそう思っているに違いないだろう。そして放つ言葉がせめて「荷造りするの忘れてた!」であってほしかった、と。いや、それもそれで問題だが。

「"明日……!?"って驚くも何も、前から先生言ってただろ?しかも今日の帰りの会でも言ってたぞ」

「お前聞いてなかったのかよ」とこれまた偶々横を通りすがった、影山と同じクラスである金田一が回収したバレーボールを抱えながら冷静に全うな意見を述べ、そのまま何事も無かったかのように用具庫へと向かって行った。

「「影山ってアホだ」」

未だその場に呆然と立ち尽くす影山を見て私と国見は顔を合わせた後、私達が発した言葉は見事にシンクロした。




「いよいよ今日からスキー学習が始まるが、初めてスキーを滑るという人も多いと思う。そこでしっかり頭に入れておいてほしいんだが、ここら辺は山奥だから特に気候が変わりやすい。遭難をしない為にも、少しでも雪が降り始めたり、雲行きが怪しいと感じたらすぐに此処に戻ってくるように―――――」

いよいよスキー学習当日を迎えた今日、現地のスキー場の雪の上に行動班ごとに整列をし、*お決まりの体育座りで学年主任からの話を聞いていた。ちらり周りを見渡すと皆早く滑りたいとうずうずしているのが表情を見て読み取れる。それからは私の前に並ぶ、同じ班である影山の後頭部を眺めながら話を聞いていると、影山の頭はこくりこくりと船を漕いでいる。さっきバスの中でも爆睡をしていたはずなのに何故、とその姿に私は首を傾げた。

「それじゃくれぐれも怪我はしないように気を付けろよ。解散!」

「よっしゃ行くぜ!!」
「リフト乗るぞ!」

解散の合図が入ると、生徒達は待ってました、と言わんばかりに一斉にリフトの方向へと駆けていく。

「ほら影山ー、行きますよー」
「ぐっ…!?」

未だ夢の中にいる影山の首元を掴み、重い身体をずるずると引き摺ると、案の定影山は苦しそうにもがき始める。このまま首が絞まっていると何れ窒息死するんじゃないかと思わず掴んでいた襟を離すと、それを見逃さなかった影山はニヤリと怪しく笑い、次の瞬間後ろから私の右足を思いっきり引っ張った。

「はぶっ!!」

不意討ちの攻撃とスキーウェアで身体が思うように動かなかった為、反応が出来なかった私はそのまま顔面から積雪の中へと倒れ込む。転んだ痛みと雪の冷たさが頬を刺した。

「っ〜〜!!」
「ブフッ……!!」

このような事態を招いた張本人である影山はこちらへ指を差しながら腹を抱えて笑っているだけで一向に助ける気配はなさそうだ。

「ほら、行くぞ」

先程の笑いで目元に少し涙を浮かべながらも影山は手を差し伸べて来た。文句の一つも言いたくなかったが、大人しくその手をしっかりと掴み、リフトへと向かった。




「気持ちいいー!!」
「うおおおおお!!?」

風を切るように勢いよく斜面を滑り降りる私と影山。スキー板の扱いに慣れてきた私はスムーズに斜面を滑っているのに対し、影山は覚束無い様子で危なげに下っている。あっという間に私の先を行く影山はあまりのスピードに身体が追い付かず、遂にはバランスを崩して転倒してしまった。

「ブフッ……!!影山、バレーはあんなに凄いのにどうしたのっ……!!」

滑らせていたスキー板を一旦ハの字にしてスピードを緩めて停止させ、影山の方へと向かう。一向に上達しない影山にケラケラと腹を抱えながら笑っていると、彼は図星だったのか狼狽えている。

「ぐっ……!!もう一回上行くぞ!」
「ハイハイ」

ムキになった影山はまた立ち上がり、仏頂面で降りてきた斜面を今度は登っていく。やれやれ、と呆れ顔になりながらも影山の後を着いていくと、ふと上から落ちてきた白いものが目に入った。

「雪……?」

一度立ち止まり、手の平を差し出してみるとそこに落ちたのはほんの少しの雪混じりの雨だった。そういえば、と先程の先生の言葉が脳裏に浮かぶ。

「夏芽!何してんだ?早く行くぞ」

いつまでも登ってこない私に気が付いたのか、既に先を進んでいた影山が叫びながら私に声を掛ける。

「ごめん、今行く!」

そう返事をしながら私も足場の悪い雪の斜面を登り始める。それを確認した影山も前を向いて再び動き出した。

「……まあいっか、」

大した雪ではないし、どうせ直ぐに止むだろうと思っていた。影山もまだまだ滑り足りていないようだし、水を差す訳にもいかない。
今思えばこの判断が甘かった。先生の忠告をきちんと守って、この時点で影山と一緒に引き返していればあんな事にはならなかったのかもしれないのに。




「影山、もうそろそろ戻らない……?なんかさっきより雪、強くなってるし、」

あれから俺達はずっとスキーを滑り続けていたが、ふと夏芽から制止の声を掛けられた。俺はもう少し滑っていても問題はないんじゃないかと思ったが、辺りを見渡すと確かに先程よりも雪の量は本格的になっている気がしなくもない。「じゃあ戻るか」と言いながらこの時ようやくまともに夏芽の方へと視線を向けたが、その顔色を見て俺は目を疑った。

「!お前、まさか……具合悪いのか?」

夏芽は明らかに顔色が悪く、その身体は僅かに震えていて、立っているのがやっとのようだ。

「分かんない、けど……なんか……凄く、さむい…………」

次第に小さくなっていく夏芽の声は凄く弱々しかった。それに、呼吸が荒いようだ。まさかと思い、着けていた手袋を外して夏芽の額に手を当ててみると、

「おまっ、熱あるじゃねぇかよ!何で言わなかった!?」
「……ご、ごめっ…………」

話す事もやっとなのか、夏芽はそれ以上言葉を続ける事はなく、今度は崩れ落ちるようにその場に座り込み、苦しそうに息を切らしていた。

「!ちょっと待ってろ!人呼んでくる!」

夏芽をその場に取り残し、それから俺は無我夢中に走った。どこかに人はいないかと探しながら。

「はぁっ、はぁっ……!」

暫く斜面を走り降り続けたが、どこを探しても人の姿はなく、先程まで動いていたはずのリフトも既に止まっていた。雪も止むどころか、強まる一方で視界や足場も更に悪くなってきた。このままだと今夜は吹雪になってしまうだろう。それくらい取り返しのつかないような状態だった。

「くそっ!!」

……俺の、せいだ。俺が滑る事に夢中になってたばかりに夏芽の体調の変化に気付けなかった。俺がもっと、天候の移り変わりに注意していれば。俺がもっと、夏芽の事を気にかけていれば、こんな事にはならなかった。………全部、俺のせいだ。

「夏芽っ……!」

来た道を引き返して夏芽の元へと戻ると、夏芽は顔を歪めながら雪の上に横たわっていた。

「夏芽!!」

急いで駆け寄り、無理矢理上体を起こして肩を揺する。

「おい夏芽!!夏芽しっかりしろ!!」

必死に何度も何度も名前を呼んでも、夏芽からの返事はなかった。

「俺の、せいだ……!」

俺は罪悪感で、衰弱しきった夏芽の身体を温めるように強く抱き締めた。彼女の身体から熱を逃がさないようにと。俺の腕の中にすっぽりと収まるくらいコイツの身体は小さくて、頼りない。

「……俺がやらねぇと、」

その小さな身体を抱え、俺は静かに立ち上がる。
ここで助けを待っていても誰も来ない。リフトだって動いてないんだ。

―――――だったら俺が、コイツを連れて行くしかない。

視界と足場が悪くなっていく中、俺はその一歩を踏みしめた。




そこは酷く冷たく、氷のような世界だった。強い風が頬を刺し、辺り一面は真っ白で何も見えない。誰もいない。いつの間にか身体は倦怠感があり、何だか暑くて苦しい。体力は次第に消耗し、意識が朦朧としてくる。

"助けて"

遂には雪の中へと倒れ込み、起き上がる気力さえもない。しかし雪は衰えるどころか容赦なく降り積もっていく。自分はここで死ぬのかな、など縁起でもないを思ってしまった瞬間だった。

"夏芽!!"

誰かが私の名前を必死に呼ぶ声がうっすらと聞こえた。それに応えようと声を出そうと試みるも、叶わなかった。何度か肩を揺すられたが、暫くすると温かいものが私を包んだ。誰かに抱き締められるような、そんな感覚だった。

「っ、かげや……」

その時、目が覚めた。ぼんやりとしていた視界が、やがてピントが合ってくるとまず白い天井が目に入った。そして、次に左手には自分ではない体温があることに違和感を覚えた。

「影山!」

左手の方へ視線を下ろしてみると、そこには丸椅子に座ったままの影山が、私が横になっているベッドの布団に顔を埋めながら静か眠っていた。その手には私の左手がしっかりと握られているが、布団から覗く影山の顔は目の下にうっすらとクマが出来ており、その表情は酷く疲れているように見えた。

「おお椎名、目覚めたか。体調はどうだ?」

その時タイミング良く、私が眠っていたであろうベッドの周囲を仕切っていたカーテンが担任の手によって開かれた。

「大丈夫ですけど……あの、先生……私、」
「ああそうか、お前気失ってたから覚えてないよな。昨日途中から悪天候になってな、でもお前ら二人の姿が見えないから先生達で探してたんだが、影山が吹雪の中、熱出したお前を抱えて宿まで戻ってきたんだよ」
「え……」
「戻ってきたら戻ってきたで今度は"夏芽がこうなったのは俺の責任です!だからコイツが起きるまで俺が看てます!"の一点張りで一晩中お前に付きっきりでな。流石にさっき眠らせたけどな」

先生の言葉を聞いた私は驚きで開いた口が塞がらなかった。さっき見たのはただの夢じゃなくて、昨日の記憶だった。じわりじわりと記憶に蘇る昨日の出来事。あの時影山が、助けてくれた。

「椎名、いい彼氏持ったな」
「えっ!」

「じゃ、ゆっくり休めよ」と言って先生はカーテンを閉め、部屋を出ていった。暫く呆然としていると、眠っている影山が「んん……」と小さく寝息を漏らした。

「無理させてごめんね。でも、助けてくれてありがとう」

あの天候の中、影山一人で私を此処まで運んだのは相当体力を使っただろうし、大変だっただろう。本当に影山が無事で良かった。
私は未だ眠りについている影山の頭を静かに撫でた。

「彼氏、か……」

先程の先生の言葉が頭に浮かぶ。……影山が本当に私の彼氏だったらいいのにと、握られたままの左手を静かに動かし、影山の手に自分の指を絡めた。

「……影山、好きだよ」

初めて影山をそういう対象として意識した日だった。

(2015.04.04)

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