Episode.09


「はっ、はっ、」

一階の3年生の教室の前の廊下に佇む在校生の群れを掻き分け、息を切らしながら校舎内を駆けていく。何事かと何人かの生徒が振り返ったような気がするがそんな事はどうだっていい。全クラスの教室内を一通り目を通したが、どの教室にも"彼ら"は居ないようだ。ならばあそこしかないと私は再び走り出す。

「(このまま何も言わずにお別れなんて嫌だ…!)」

まだ学校を出ていない事を願って私は体育館へと駆け出す。何だか前にもこのような事があったような気がする。そうだ、入学仕立ての時にバレー部に入部しようと教室から急いで体育館まで走って行ったっけ。そういえばあの時に初めて影山と出会ったんだ、それが随分昔のように感じて懐かしい。あれからもうすぐ一年が経とうとしている事に時の流れの早さを実感した。

「及川さん………!」

目的の体育館に辿り着けば中には卒業証書の入った筒を持ったその人がいた。岩泉さんや来栖先輩達も居て、先輩方は驚いた様な顔をしてこちらを見た。「探しました」と言って膝に手をつき、上がっていた息を整える。それから体育館の中へと一本足を踏み締め、そして私は覚悟を決めた。

「卒業、おめでとうござっ………」

"おめでとうございます"
心から祝福すべきはずなのに、それはだんだんと語尾が小さくなり、声も少し震えてしまう。泣いちゃ、駄目だ。ちゃんと言わないと。分かってはいるけど、自然と顔は下を向いてしまう。胸を張って、顔を上げて、笑ってしっかり送り出さないといけないのに、意に反して目には熱いものが込み上げてくる。

「あ!椎名、おまっ!抜け駆けはずるいぞ!!」

その時、後ろからドタドタといくつもの騒がしい足音が聞こえてきた。

「きゃ、キャプテン!?」

振り向けば、二年生の先輩達が先頭を切って校舎と体育館を繋ぐ渡り廊下を掛けくるのが見てた。そして後ろに続いて、金田一や国見、そして影山がやって来た。
体育館に着くと先輩達は次々と私の横に立ち、3年生と対面するように整列した。「いいか?」と目で必死に合図するキャプテンを見て気付けば私の涙もすっかり引っ込んでいた。

ーーーよし、今ならちゃんと笑って言える。

「先輩方!御卒業おめでとうございます!!」
「「「「「おめでとうございます!!!」」」」」

キャプテンに続いて一礼をすると、及川さん達は背筋を伸ばし、何処か畏まった様子で、でも少し照れ臭そうに「ありがとうございます」と言った。




「夏芽ちゃん!寄せ書き書いてもらってもいい?」
「え?あ、はい」

各各がお世話になった先輩と最後に交流を深めている中、私の元に及川さんがやって来て、彼の物であろう卒業アルバムとサインペンを手渡された。小学校を卒業した時にもこんな事やったけなあ、と一年前を思い出しながらそれを受け取る。

「てか及川さんボタンないじゃないですか」

よく見ると、及川さんが着ている学ランにはボタンが1つも無い事に気が付いた。指摘された及川さんは「さっき後輩の女の子達に持ってかれちゃった」と困ったように笑った。しかし満更でもない及川さんを見ると、女子にモテて本当は嬉しいくせに、と内心思ってしまう。

「あっ!もしかして夏芽ちゃんも俺のボタン欲しかったり?Yシャツのボタンしかないけど!」
「及川さんのボタンなんか貰ってどうするんですか」

及川さんの話を軽く聞き流しながら既に殆ど埋まっている寄せ書きのページを眺めながらスペースを探していると「相変わらず夏芽ちゃん辛辣!」と言葉が返ってくる。そんな及川さんを今度は完全スルーを決め込む。
寄せ書きだが、どうしようか。この僅かなスペースだけで感謝の気持ちが伝えきれるだろうか。一人唸っていると及川さんが私が手にしているアルバムに顔を覗き込もうとしてきた。

「あ、ちょっ!覗こうとしないで下さいよ!」
「ははーん、さては見られたら恥ずかしい内容なんだ??まぁ結局これは及川さんのだから遅かれ早かれ見る事になるけどね!」
「べべべ別にそんなわけないですけど!?」
「あー!!やっぱりそうなんだー!!」

内容を見たいが為に迫ってくる及川さんをひたすらかわしていると何やら後ろから何かを叫びながらドタドタと激しく走る音が近付いてきた。

「クソ及川ァァアアア!後輩をからかうんじゃねえ!!」
「ぎゃあああああ岩ちゃんん?!」

その正体は岩泉さんであり、鬼の形相でこちらに向かってくる。及川さんはといえば岩泉さんを見た瞬間に顔を青ざめながら逃走をし始め、地獄の追い駆けっこが開始された。よし、及川さんのストッパーである岩泉さんが来ればもう怖いものはない。

「あ」

再び寄せ書きに取り掛かろうとした時、私の頭の中で1つの案が浮かんだ。




「及川さん!」

とんでもない顔で追いかけ回してくる岩ちゃんから何とか逃げ切り、体育館の隅っこでゼェゼェと息を切らしていると"ヤツ"がその時俺の前にやって来た。嫌いなこいつの声なんか顔を見なくとも分かる。目の前に立つそいつの顔はきっと今でもバレーに対してやる気が満ちているに違いない。そして次に言う言葉は決まっているのだ。

「今日こそジャンプサーブのコツを「制服のままやれと?!」……はっ!」

まるで今気が付いたかのように目を見開いた飛雄は本当にバカ。大事な事だからもう一度言う、本当にバカ。てか最後の最後に"ジャンプサーブのコツ教えてください"ってなんなの?普通さ、ここはお世辞でも"今までありがとうございました"とか"及川さんには大変お世話になりました"とかあるよね?まあ、もしこの場に岩ちゃんがいたとしたら「お前、感謝されるほど影山の面倒見てないだろ」って言われてたかもしれないけどな!間違ってないけど!

「……あの、及川、先輩」

次の瞬間、少しぎこちなくまた俺の名を呼ぶ別の声が聞こえた。そしてそれは普段呼ばれ慣れていない敬称。と、同時に背中に当てられた硬くて細い何か。

「私がいる前では絶対に、絶対に読まないでくださいね。てか、家帰ってから読んで下さい、誰も居ない所で」

「お世話になりました」と俺の卒業アルバムを押し付けて一礼し、そそくさと立ち去ってしまった夏芽ちゃんの後ろ姿を俺はただ呆然と眺める事しか出来なかった。「おい、夏芽?………あれ?及川さん?」と飛雄は不思議そうに俺と夏芽ちゃんを交差に見て小首を傾げているがそれに反応する余裕などない。あの子は今、なんて言った。
徐に返されたアルバムの寄せ書きページを開いて彼女のメッセージを探した。あの子今はいないし、大丈夫だよね。
静かにパラパラとページを捲っていると、彼女の文字を見つけた。内容は「短い間でしたが有難うございました。高校でもバレー頑張って下さい」と、意外にも淡白な内容。正直、もうちょっと何か良い事書いてくれているんじゃないかと思ったのが本音だった。
しかしその時、手にしていたアルバムから二つ折りの白い紙が床に落ちた。拾い上げてみると、そこには小さく控え目な文字で【及川先輩へ】と書かれていた。これは、寄せ書きにある彼女の字と全く同じ文字だ。

「(まさかこれ、夏芽ちゃんが……)」

辺りを見回して近くに彼女がいない事を確認し、その紙を開いた。

【及川先輩
たった数ヶ月という短い間でしたがお世話になりました。影山に負けず劣らずのバレー人間な及川さんの事だから高校でまたオーバーワークにならないか不安でしたが、ストッパーの岩泉さんが隣にいるのなら安心ですね。
正直、こんなに及川さんと仲良くなれるとは入部当初は思ってもいませんでした。結局三年生とは短い付き合いだからそこまで深い関わりはないんだろうなあ、って思ってましたし。
でも、あの日があったから変われたんですよね。だから、あの日、偶然でしたけど少し早めに朝練に行って頑張っている及川さんの姿が見れて良かった。及川さんが遅くまで自主練をしていたあの日、及川さんが岩泉さんに頭突きされたあの日、私もあの場に残っていて良かったです。聞こえは悪いかもしれませんが、あれがなかったら私は及川さんの本質を知る事も無かったし、ここまで関われる事もなかった。
それと、この間は受験勉強中だったのにも関わらず話を聞いてくれてありがとうございました。及川さんの喝(?)のおかげでスッキリしましたし、今は影山とも何事も無かったように普通に仲良くしています。私の考え過ぎだったのかもしれませんね。
口では恥ずかしくて言えませんが、こんな素敵な先輩に出会えて良かったです。これからもバレー頑張って下さい、密かに応援しています。
最後に、「さようなら」とは言いません。きっとまた何処かで逢えるはずだと思います。高校は何処に行くかは分かりませんが、私も高校でもマネージャーは続けるつもりなので。だから、次会える日を楽しみにしています。
椎名夏芽】

「夏芽ちゃん……」
「あの、及川さん?」

それを読んで思わずくしゃりと紙を握りしめた。しわが出来ちゃうかもしれないけど、でも、この気持ちを抑える方法など今は何処にもなくて。

「ほんっとにあの子は最後の最後になんなの……!?こんなの反則だよ!夏芽ちゃんのバカヤロウッ!羨ましいだろ飛雄?!」
「はあ……?」

だから、これはもう。

「夏芽ちゃんー!!!!」
「あああああだから私がいる前では読むなって言いましたよね?!てかこっち来ないで下さい!!」
「もう一回"及川先輩"って呼んでよー!!!」
「嫌です絶対に!!」

夏芽ちゃんを追いかけている時にふと思った。
俺は卒業式というものがどうも好きにはなれなかった。今までの俺の中では卒業式というものは凄く切なくて、悲しくて、ただ別れを惜しむだけのものだと思っていた。実際、自分が卒業生の立場になった時には沢山泣いた。流石に中学生になった今では泣かなかったけれど、やっぱり3年間過ごしてきたこの学舎を去るという事、可愛がった後輩や同級生達ともう会えない事を考えた時は何とも言えない気分だった。
でもこの子は笑って見送ってくれた。前向きな気持ちで、「また会える」と言った。
確かに、世界なんかに比べれば、日本の東北の宮城なんてずっと狭い世界で、そりゃあ会える確率なんてうんと高くなるわけで。だから、二度と会えないなんて事はないんだと思う。
そう考えたら、今年はちゃんと笑えた。前を向けた。だから、俺は後ろを振り返らずに、胸を張って前に進もうと思う。
「さよなら」は言わない。きっと、また何処かで会えると信じて。

(2015.05.15)

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