「疲れたぁ、しんどいよぉお。もう家に帰りたい」
ふとデジタル時計に視線を移すと、時刻は早朝の4時を迎えていた。事務所に缶詰状態になってかれこれ何日が経過しただろう。最後にまともに睡眠を取ったのがいつだったのかさえも思い出せない。ずっとモニターやスマホなどの機械を扱っていたから目の下にはクマが出来ているし、充血は酷かったりでとても人様に見せられる顔では無い。数週間前にサロンでやってもらったマツエクも既にスッカスカの状態だ。満足な食事も出来ず、お風呂はシャワーだけでさっさと済ませてしまっているから、ここの所ゆとりのある生活を送られずにいる。お金はあっても自由な時間が無いとか、一体何の為に生きているのか分からなくなる。誰でもいいから気晴らしに私を美味しいご飯屋に連れて行ってほしい。もうこの際、三途とサシでもいいから。なんて本人の前でそんな事を言ってしまえば、もれなくあの鉄拳の制裁を受ける事になるのだろうけど。
「……あぁー!どいつもこいつも余計な仕事ばっか増やしやがってさぁ!!」
脳が正常に働いていないせいか、事務所内で一人きりという状況を良い事に遠慮なく発狂をする。防音対策が整っているこの部屋から騒音が外部に漏れるという事はそうそうない。
「このままじゃ全然仕事片付かないじゃん……」
今月だけで調査案件が一体何件起きているというんだ。やれ依頼された箇所の防犯カメラのハッキングや構成員が所持するスマホを遠隔操作での監視、敵対組織のフロント企業のサーバーへの不正アクセスなど日々激務に追われている。仮にも自分も幹部の一員だというのに一人でこれだけの量の仕事を背負わされているなんて、一般のブラック企業並みの過酷な現場である。この組織は監視役の人員を増やす気は無いのかとつくづく思う。一度だけマイキーに直談判した事があるが、「別にお前がいれば充分だろ」とその一言で済まされてしまった。流石の私もマイキー相手に春千夜に対して取るような態度でしつこく訴えれば、殺されかねないのは分かっているのでそこで断念をした。それならばと最後の頼みの綱である九井さんに私が高校生の時にわざわざ学校に潜入してまで私をスカウトしたように、また新しい人材を何処かで探してくれないかと頼み込めば、どういう訳かあの人は首を縦に振ってはくれない。組織のあらゆる情報を把握する事になる監視役の人選には慎重になるのは当然重々承知しているが、このままじゃいつか私は過労死してしまうのではないか。
「うわぁ……言ってるそばからこれかぁ……」
同時進行でとある構成員のスマホを遠隔操作で監視していると、ある不審なSNSの投稿に目を付けた。
『アイスが入荷致しました!本日都内で手押しやりますので、お気軽にチャットにてお問い合わせ下さい!』
覚せい剤の密売をほのめかす投稿内容を発見し、溜め息が洩れる。30分程前に投稿されたこの文面を見て接触を図ってきた者は現在の所3人。チャットのやりとりをチェックすると、既に取引場所と時刻は話がついているようだ。
違法薬物は梵天では幹部の許可無く密売する事は禁じられている決まりになっているはずだ。この男は大方荒稼ぎでもしたかったのだろうが、理由が何であれルールを破ったのだからしっかり罰は受けてもらわないといけない。デスクに何台も置いてあるスマホの中から仕事用のスマホを手に取り、ある人物に簡潔的に用件とアカウントのID、投稿内容のスクリーンショットを添えて送信する。それからすぐに同一人物に電話を掛けると、電話の相手は寝起きの心底鬱陶しそうな声で通話に出た。
『っんだよこの朝っぱらからよぉ!!喧しいなッ!!』
「うるさいなぁ、私達に朝も夜も関係ないでしょうがー。こっちは三途と違ってクソ忙しいんだよ。これでも一応幹部なのにさぁ、激務に追われる日々って何、社畜なの?……それに比べて?三途春千夜は?どうせ今ベッドの中なんでしょ?流石、梵天のナンバー2様は身分が違うよねぇ」
『……オマエ、なんかいつにも増して荒れてんな』
「そりゃあ荒れるよ、現在進行形で何日も事務所に缶詰で碌に寝てないし、外の空気も殆ど吸えてないんだから。もういっその事トンズラしちゃおうかな〜」
『お前なぁ……くれぐれもそれだけは止めろよ?マイキーに殺されるだけだからな?あとお前居ないと九井が泣くし、変態兄弟は暴走して手ぇ付けられなくなってマジでメンドクセェから。……で、用件は何だよ』
「おい、三途春千夜。後半が本音だろ。……そうそう、今送ったやつは見た?見てないなら今すぐ見てほしい」
『あ"?』
メッセージアプリを開けと急かすと舌打ちをした三途は渋々言うとおりにスマホを操作しているようだ。一通り内容を確認した後、再び電話口からは盛大な舌打ちが聞こえてくる。
「これって完全にルール違反だよね。稼いだカネ、丸ごと自分の懐に収めようって魂胆なのかな」
『俺達に無断でやってる訳だから勿論スクラップ案件だなぁ。都内って言っても具体的に取引場所は?』
「歌舞伎町の繁華街。詳しい住所と時間はこれから送るから」
『了解。ったくメンドクセェなぁ、面倒事ばっか増やしやがってよォ』
「それ私も全く同じ事思ってた〜、というかちょうどさっき叫んでた〜。てか、はるちが自らこの案件やってくれるって事でいいの?」な
『……あ"?だからお前は俺に連絡したんじゃねぇのかよ?』
「いや、まさか春千夜が素直に引き受けてくれると思ってなかったから。それなら話が早くていいや、よろしく頼んだよ。じゃあねー」
『ちょ、おい!おまっ、』
話がついてしまえばもう三途と話す事は何も無いので、さっさと通話を切ってスマホをテーブルに置く。時間は無限にあるわけじゃない。限られた時間を効率的に使わないと更に自分の首を絞める事になる。
「……よし。今日こそ全部片付けて外に出る、からの焼肉。んで今夜はふかふかのベッドで思う存分寝る。予定決めた」
仕事を頑張ったご褒美として、高級焼肉を思う存分頬張りたい気分だ。今夜、蘭さんの予定は空いているだろうか。それならばと早速プライベート用のスマホを手に取り、蘭さんにその旨のメッセージを送信する。
一人で食べるご飯より誰かと食べるご飯の方がより美味しく感じられる。その相手が自分が心を許している相手なら尚更。まだ蘭さんと食事に行けると決まったわけではないけど、蘭さんなら余程の事情が無ければいつも私の誘いには快く乗ってくれるし、仮にその日の都合が悪ければ必ず別日に埋め合わせをしてくれる、そういう人だ。
スマホを閉じてから数分後、プライベート用のスマホから短い通知音が鳴り響く。中身を確認するとそれは蘭さんからの返事だった。
『モチロン行ける〜♡ちょうど夏芽に連れてってやりたい店あるから今晩はそこにするかー?』
「やっぱ蘭さん最高」
その嬉しい知らせにガッツポーズをする。蘭さんが見つけてくる店はどれも外れがないから期待大だ。これだけ大量の仕事を任されて散々一人泣き言を言っていたが、ご褒美が待っている事が分かれば俄然やる気が出てきた。そんな私は何とも現金な奴である。
▼
『九井さん。頼まれてた例のやつ、出来たよ』
夏芽からその報告の連絡を受け、夏芽の活動拠点である六本木の事務所に向かうと、どういうわけか事務所の扉の前には見慣れた紫キャベツのような頭をした男が床に転がっていた。
「……竜胆。お前こんなとこで何やってんだよ」
「、ぁ……?九井……?」
地べたに寝そべったまま「イテェ……きもちわりぃ、」と頭を押さえるこの男には己が犯罪組織の幹部であるという自覚がないのだろうか。これがもしそこら辺の路上だったとしたら間違いなく敵対組織に命を奪われているか、サツに職質をかけられていても可笑しくはなかっただろう。このまま扉の前を占領されていたら埒が明かないので竜胆の身体を起こしてやると、昨夜の接待で随分と呑まされたのか、酒の臭いが残っていた。
「一体何時まで飲んでたんだよ……」
「ジジィ共の接待終わってから……行きつけのバーで飲み直して、そんで……6時……?ぐらいまで居た、気がする」
「……ちなみにここまではどうやって来た?」
「歩き……だけど」
「はっ?その状態でか??……お前さぁ、もっと自分の立場を考えろよな……。部下に迎え呼ぶとか他にあっただろうが」
「……別に、迎え呼ぶほどの距離じゃねぇんだからいいだろ」
「そういう問題じゃねぇんだわ」
完全に脱力しきっている竜胆をどうにか抱えながらオートロックを解錠して部屋に入ると、忙しなくパソコンのキーボードを叩く真剣な夏芽の姿があった。
「よぉ、夏芽。なんだ、ずっと缶詰だったわりには真面目にやってんじゃねぇか」
「あっ九井さん、お疲れ様……あれ?竜胆くんも??ってか酒臭っ!!家に帰らなかったの?」
「だってこっちのが近いし、夏芽居るから……。あ"ー……クソジジィ共の相手疲れた……」
すると徐に竜胆が椅子に座る夏芽を背後から抱きつくように凭れ掛かる。「クサイッ!!そして重い!!」と騒いでいる夏芽の事など気にも止めずに竜胆は自分の額をぐりぐりと夏芽の後頭部に押し付けていた。
「竜胆くん、このままだと仕事が進まないんだけど。これ今日中に終わらせたいんだよね。だから離れて?あと距離感考えよう?」
「……嫌だ。別にいいだろ、今日終わらなくても」
「全然良くないの。何がなんでも絶対に今日終わらせるって決めてるんだから。ほら、寝るならソファで寝な?それともう一度言うけど、この距離感おかしいよ?」
「面倒くせぇからこのまま居る」
「話が通じない〜!酔っ払いの相手ってホントに嫌だぁ〜!」
泣く泣くキーボードを打ち続ける夏芽が不憫に思い、無理矢理夏芽から竜胆を引き剥がしてそのままソファに沈ませると、竜胆はすぐに寝息を立てて大人しくなった。
「九井さん、ありがとう助かった。意外と力あるんだね。あとこれ、頼まれてた例の企業の顧客データ入手出来たよ」
「意外とってなんだよ。……あぁ、随分早かったな。やっぱお前に頼んだ甲斐があったわ」
「当たり前だよ、誰だと思ってるの〜?」
俺が少し前に依頼していた、ある大企業の顧客リストの資料が差し出される。その時に初めて俺はまともに夏芽の顔を見たが、目元にはくっきりとクマが出来ていて、少し窶れていた。ここずっと十分な睡眠が取れていなかったのだろう。
「夏芽、クマ出来てんぞ。流石に一回寝た方がいいんじゃねぇか?」
「……あっ!!!そうだったよ!!蘭さんとご飯行くのにどうしよう!!」
「コンシーラーで隠せるかな!?そもそもばっちりフルメイクする時間なんか取れるかな!?」と途端に慌てだす夏芽の姿に何となく状況を理解した。言われた仕事はきっちりこなすが、その分文句をつける事も忘れない夏芽。最近では「いい加減人員を増やせ」とかなり荒れていた。そんな夏芽が缶詰状態だったのにも関わらず、黙って大人しくモニターと向き合っていたのは近年稀に見る光景だ。(しかし今朝方、電話口で三途にかなりの暴言を吐いたという話は後に知る事になる。)
「なるほど、減らず口のお前が珍しくぐちぐち言って来なかったのは蘭が絡んでたわけか」
「あぁ、文句はずっと言ってたよ?でも今夜は蘭さんに焼肉連れて行ってもらえるという最高ご褒美があるから頑張れてるだけだよ」
「お前、アイツの事大好きだもんな」
「そりゃそうだよ〜。はぁ〜、早くシャトーブリアン食べたいなぁ」
「…………うん?これはもしや三途が言ってた"蘭が誑かされてる説"の方が正しかったのか……?」
「さてと、メイクの時間もあるしさっさとやっちゃおー」と上機嫌に仕事に取り掛かる夏芽は蘭と飯に行くから機嫌が良いのか、それともタダ飯が食えるからなのか謎が深まる。俺はてっきり前者なのかと思っていたが、今の発言によっていよいよ三途の言う事も否定が出来なくなってきた。
「フガッ、」
「……何だ今の。もしかして竜胆くんのいびき??」
「そうみてぇだな。アイツ相当飲んだんだろ」
「竜胆くんもイビキかくんだ、意外」
まぁ仮に交際していようが、蘭相手にパパ活まがいの事をしていようが、互いが納得をしていて仕事に支障をきたさなければどっちでもいいけど。痴情のもつれで事務所内が修羅場化するのだけは御免だ。
「何がなんでも今日中に終わらせる」と意気込んでいた夏芽は有言実行、仕事は全て片付けたのだった。
▼
『19時に迎えに行くから良い子にして待ってろよー?』
数時間前に夏芽に連絡を入れてから音沙汰が無く、既読もつかない。電話も掛けてみるが、呼出音だけが鳴り続ける一方で、折り返しの電話が来る気配も無かった。
夏芽の身に何かあったのではないかと柄にもなく俺は焦っていた。四六時中デスクトップやスマホに齧りついている夏芽が俺からの連絡に気付かないわけがない。
俺達とは違って、夏芽の存在は公にはなっていないが、職業柄人に怨まれる事も多いし、いつ夏芽自身が狙われて、命を落としてもおかしくない状況だ。そんなのは頭の中では分かっているはずだけど、それを割り切る事が出来なくなってしまうほどに俺は夏芽に溺れている。
自宅にも夏芽は居なくて、残る可能性は夏芽が頻繁に入り浸っている六本木の事務所だ。監視役としての作業環境が整っているあそこにいるのならば尚更連絡は取れるはずだが、と首を捻る。
やはり夏芽の身に何か危険が及んでいるのでは、と手元に握りしめていたスマホのロックを解除し、まずはマイキーに連絡を入れようとした時に一件のメッセージを受信した。
『見て、夏芽の寝顔撮った』
それは竜胆からのメッセージだった。続けて一枚の写真が送られてくる。夏芽が事務所のソファで気持ちよさそうに寝ている姿が写っていた。何故今日はオフであるはずの竜胆が事務所に居るのかは分からないが、通りでいくら連絡をしても繋がらないわけだ。
「ハハッ……本当に敵わねぇなぁ」
多分、この先もずっと夏芽には敵わない。
人殺しなんて日常茶飯事。これまで失った命だって幾つもあった。なのに俺は夏芽の安否一つでここまで翻弄されている。これはある意味三途の言うとおりなのかもしれない。
可笑しくて俺はその場で声を上げて笑った。
▼
竜胆から連絡を受けてすぐにその足で事務所に向かうと、何故か竜胆の他にマイキー、鶴蝶、九井も揃っていた。
「何でマイキー達もいんの?」
「……旨いたい焼きがあったから、夏芽に食わせてやろうと思ってここに来た」
「俺はマイキーの運転手だ」
「俺は夏芽に依頼してた資料を取りに来たついでにチェック作業し終えてからの休憩中」
肝心な夏芽に視線を移すと、送られてきた写真の通りソファの上で無防備にすやすやと眠っている。目の前のローテーブルにはマイキーが買ってきたのであろう、たい焼きが入った紙袋がポンと置かれていた。
夏芽の元に近寄って、そのままソファに腰を沈める。静かに膝の上に夏芽の頭を乗せると、「んん……」と小さく声を洩らすが一向に起きる気配はなかった。
「お前と飯行く為に仕事詰め込みでやってたら流石に電池切れたみてぇだな」
「へぇ、夏芽が俺の為に?かわいい奴だなぁ〜♡」
「いいのか?起こさなくて。メイクしなきゃーって騒いでたぞ。でもその前にお前が来たから意味ねぇんだろうけど」
「いいんだよ。こんなに気持ちよさそうに寝てる夏芽を無理に起こしたらかわいそーだろ?」
「まぁそれならいいんだけどよ……」
腫れ物を扱うように夏芽の頭をそっと撫でる。普段の夏芽ならば大勢が居る前で眠ったりはしないはずなのだが、かなり疲れが溜まっている事が見て取れる。
ブリーチを繰り返して少し傷んでしまっている夏芽の髪を弄っていると、背凭れの上から夏芽の顔を覗き込んできた竜胆が口を尖らせながら夏芽の頬を突き始めた。
「竜胆、確か今日オフじゃなかったか?」
「……そうだけど、接待終わってから家帰るの面倒くさくなってこっち来た。んで酔った状態で夏芽に絡んだら"酔っ払いの相手は嫌だ"って言われたんだけど、どうしよう兄貴……俺、夏芽に嫌われたかもしんねぇ……」
「そんな事で夏芽が竜胆を嫌うわけねぇじゃん。そもそも下戸なんだからしょうがねぇだろ?」
「あ"ー……これからは控えるわ……」
ショックで項垂れる竜胆を宥めてやりながら二人のやりとりを頭の中で想像する。作業中の夏芽に酔った竜胆がだる絡みをしたってところだろう。
出会ったばかりの頃は夏芽の事など見向きもしなかった竜胆が、今となっては夏芽の言動一つで機嫌がコロッと変わってしまうのだから、人というのは分からない。それは竜胆に限らず俺を含め、他の幹部達にも言えることだ。当たりは強いがあの三途でさえ、憎まれ口を叩きつつも夏芽には好き勝手に名前を呼ばせている。それは少なからず夏芽には心を開いている証拠なのだろう。
「おい夏芽ッ!!」
すると噂をすればなんとやら、穏やかな雰囲気を一瞬にしてぶち壊す男が一人。その男はドタドタと荒っぽい足音を立てながら事務所に乗り込んで来たのだ。
「言われた通りアイツの事はシメてやったけど、テメェ朝はよくも一方的に電話切りやがって――――って、あ"!?んだこれ!!ナニ呑気にコイツの膝の上で寝てんだよクソ女!!蘭、テメェも気色悪いモン見せつけてんじゃねぇよ!!」
「あーあ、喧しいのが来やがった。嫌なら見なけりゃいーだろ?少しは頭使えよ」
「よーし今すぐここでスクラップにされてぇようだなぁ!?」
熟睡中の夏芽が居る事などはお構いなしで三途はソファにゲシゲシと容赦なく蹴りを入れてくる。すると透かさず傍に居た竜胆が三途を蹴っ飛ばした事により、敢え無く三途は床に転がった。
「い"っっってぇな!!いきなり何しやがんだよ!!」
「うっせぇな三途。お前の声、二日酔いの俺の頭に響くからヤメロ。あと夏芽の事起こしたらテメェの足の骨折るからな」
氷のような視線を向ける竜胆は完全に三途に八つ当たりをする気満々だ。逸早く危険を察知した九井と鶴蝶に至っては、自分達に被害が被らないようにと、マイキーを連れてそそくさと別室に移動しようといている。膝の上で眠る夏芽は騒がしい物音と声に流石に目を覚ましたのか、眉間に皺を寄せながらもぞもぞと身体を動かし始めた。
「んん……」
「あっ!夏芽が起きちゃうじゃねぇか!!ぜってー折る!!」
「俺のせいにすんじゃねぇ!!こんなとこで寝てるコイツが悪いんだろうが!!」
「だから声がでけぇんだよ!!」
「竜胆ー、お前も大概だからなぁー?」
「…………す、し」
「……ん?」
「……しょ、う…ん…ぽ……」
「……あ?」
掠れた声で何かを呟いた夏芽だったが、目を覚ましたわけではなかった。まだ続いている寝言に自然と大人しくなった竜胆達も揃って耳をよく澄ませている。
「……ヒレステーキ……うな重……北京ダック………フグ刺し……蟹しゃぶ…………うはっ、どれにしよ…………ふへへっ、最高だぁ……」
幸せそうにふにゃりと笑った後、また静かにスースーと寝息を立てる夏芽は余程良い夢を見ているのだろう。それはきっとたくさんの飯に囲まれてどれから手を付けようか迷っている光景が想像つく。
食事に連れて行くと、夏芽はいつもメニュー片手に目をキラキラさせながら「あ、こっち……いや、こっちも美味しそう……!!どうしよう蘭さん〜〜」と何を注文しようか悩んでいる。まぁ、そんな姿が見ていて可愛いんだけど。
「本ッ当にコイツは頭ン中食いモンばっかだな!!しかも高ぇやつばっかりでよ!!!オラ起きろ!!」
しかし、そんな夏芽の安眠を構わず妨害するのが三途だ。青筋を立ててソファに再び蹴りを入れてくる。コイツには人の心が無いのかと軽蔑の眼差しを向けるが、夏芽を起こす事に夢中になっているこの男は俺の視線に一切気付きやしない。
「三途ってさぁ、人の心ってねぇの?」
「……兄貴、それはブーメランだろ」
「はぁ〜〜??日頃からチャカをばかすかぶっ放してる奴が何言ってんだか!!大体テメェはコイツに入れ込み過ぎなんだよ!!」
「あー、うっせぇー」
ますますエスカレートする三途の蹴りにげんなりとしていると、鶴蝶達と別室に避難したはずのマイキーがふらりと姿を現した。相変わらずニコリともしないその能面のような顔は、付き合いが長い俺達でも未だに一体何を考えているのかは分からない。
「三途、静かに寝かせてやれ」
「うっす」
するとマイキーの鶴の一声により、あれほど喧しかった三途は一瞬にして大人しくなったのだ。
「今寝言で言ってたやつ、今度夏芽に全部ご馳走してやるかぁ」
「…………兄貴、流石の夏芽も一気に全部は食えねぇと思うよ」
(2022.01.20)
[back|top]
ALICE+