「ポオ先輩、人は何故生きるのでしょうか」
「…突然、何であるかなまえ君…」
部屋に籠って小説を描く日々を送っていた、ある日。
エドガー・アラン・ポオは突然自身の後ろに居る部下から発せられた言葉に、じとりとした目線を向けた。
彼の後ろで部屋にある小説を読み漁っているのは、彼の直属の部下であるみょうじなまえだ。
ポオ自身は部下など要らないと言ったものの、組合である以上やはりそんな存在は出来てしまう。
他の者であれば部下に何か命令を下したり、自身の目的の為に動かすのかもしれないが_人と関わるのが苦手なポオはそれもせず、ただただついて回ってくるなまえに困惑していた。
何でも、異能力が戦闘向きでないポオの為の護衛のようなものらしい。が、今のところ敵の襲撃を受けたこともなく。
まるで機械のように話すこの部下が、ポオはどうにも苦手だった。
「いえ、ここに或る小説を読めとポオ先輩に命じられたのでいくつか目を通してみたのですが…」
そう。特にやらせることもなく、話すことも苦手だったポオは、なまえに部屋中にある小説_それも、大量の推理小説を読ませることにした。
少しだけ話したところ、彼女は活字の本というものをほとんど読んだことだないらしい。組合に入っている人間には様々な事情がある為、それも仕方のないことなのだろう。
しかし、一応作家の端くれでもあるポオにとって、自身の作品を全く知らないといった彼女にはショックを受けた。
そこで、異能を発動させずにいるからこの部屋にある本を全部読めと言ったのが、つい先日のこと。
言われた通り、ひたすら黙々と小説を読み続けていた彼女が読んだ本の冊数は、既に数十冊を超えていた。
その中で時折読めない漢字や意味のわからない言葉をポオに聞きに来ていたものの、それ以外特に彼女が口を開くことはなく。
ここ数日は平穏に過ごしていたポオに、突然この質問である。
「よく殺人の動機には人間関係…特に、痴情の縺れなんかがよくある題材のようですが」
_人の為に人を殺すなんて、馬鹿げていると思いませんか?
表情一つ変えずに、そう言い放つ彼女に、ポオは苦々しい表情を浮かべる。
「…では、なまえ君は何の為ならば人を殺すのかね」
「勿論、自分の為です」
髪の隙間から覗く視界だけでも、彼女の視線がまるでナイフのように鋭く尖っているのをポオは感じ取る。
こちらを見る目の色に、嘘偽りは一切無い。彼女の中ではそれが至極単純なことで、決まりきった常識なのだ。
「…だから、私には分かりません。他人の為に謎を解き、他人に生きる意味を見出すその行為が」
彼女が僅かに視線を下げる。その目には、少しだけ動揺したような、哀しんでいるような色が僅かに映っていた。
恐らく、彼女も自分自身の考えが異常なことには気づいているのだろう。けれど、それを覆す方法を知らないのだ。
ポオはため息を吐くと、手に持っていた羽ペンを机に置いた。それから、革張りの椅子をくるりと回転させて彼女の方を見る。
白く長い指先同士を絡めると、ポオは絡めた両手を口元へと運ぶ。何かを考えるときには、ついこのポーズを取ってしまうのだ。
「これはあくまでフィクションの世界である…だから、なまえ君が現実で何を思おうと、他の人間が何の為に生きているかなんて、分かる訳がないのだ…」
(我輩だって、乱歩君に復讐する為に生きているのであるから、ある意味人の為に生きているとも言えるし、自身の失ったものを取り戻す為だから、自分の為に生きているとも言えるのである…)
余り話すのは得意ではない。自身の長い話をそこまでよく知らない部下にするのも気が引けて、ポオは乱歩の話をなまえには話さなかった。
それでもポオの表情に何かを察したのか、なまえがそれ以上彼に何かを聞いてくることはなかった。
彼女は少し何か考えるような素振りを見せた後、再び顔を上げてポオを見つめる。
「ポオ先輩の貴重なお時間を奪ってしまいました。すみませんでした。」
「いや、別にいいのだが…」
ポオが何か言葉を続けようかどうか悩んでいる間に、なまえは既に目の前の小説に没頭してしまった。
あぁ、彼女の考えていることは一つも分からない。というか、本当に彼女は部下なのだろうか。
(我輩、全く尊敬されている気がしないのである…)
ポオは一つ悲しげな溜息を吐くと、再び執筆作業を始めるのであった。
*
銃声と怒声が飛び交う裏路地を、ポオとなまえは駆けていた。
ポオの息は既に上がり、なまえも大分苦しいのか銃を持つ手が少し震えている。
「な、なんでこんなことになっているのであるか…!?」
「組合が狙われました、ポオ先輩の居る場所が何処かから漏れてしまったらしく、応戦が来るまで逃げ仰せとのことです、」
大丈夫ですすぐに来ます、そう言いながらなまえが素早く手榴弾のピンを抜いて後ろに投げる。
数秒立ってから聞こえる爆発音と地響きに、ポオは身を竦みあがらせた。
「我輩こういうのは得意じゃない、のだがっ、」
「知っています、その為に私が居るのです」
そこの角、右です。的確に指示を出しながら、なまえはポオと共に戦地を抜けてゆく。
弾切れの為、なまえが新しい弾薬に手を伸ばそうと視線を落としたその一瞬。
敵がこちらに銃を向けて、なまえに狙いを定めようとしたのにポオは気づいた。
「っ、なまえ君っ!」
ぐいと力を込めて彼女の体を抱き寄せる。間一髪の所で弾は逸れ、どうやら当たらずに済んだらしい。
ポオは敵の次の動きを見ようとしたが_既に、なまえの放った弾丸によって倒れていくところだった。
「ポオ先輩、離していただかないとこのままでは二人揃って蜂の巣です」
「ん…?えっ、す、すまない!」
言われてようやく、ポオはなまえをしっかりと抱きしめていたことに気付く。
慌てて彼女から手を離すと、なまえはチラリと一瞬だけポオに目を向けた後、何か言おうとして_口を噤んだ。
そして、すぐに駆けだし、手近にあった路地裏のドアを掴んで開く。
「このまま逃げ続けては体力が持ちません。少々危険ですが、一度ここに隠れましょう」
急いで下さい、と言わずとも目が訴えているのが分かる。
ポオはなまえが開いたドアに向かって駆けだすと、飛び込むように部屋の中に入った。
その後ろをすぐになまえが追い、重たいドアが素早く閉じられる。
なまえが閂をかけると、部屋にはつかの間の静寂が訪れた。
荒い息をぜいぜいと整えるポオに対し、なまえは少し汗をかいているものの至っていつもと変わらぬ無表情のまま、何やら通信機を取り出して眺めている。
「…救援が来るまで十分、と云った所でしょうか」
呟くなまえの表情が僅かに曇る。恐らく、状況はあまり芳しくないのだろう。
さてどうしたものか。ポオとて組合の一員であり、伊達に設計者長を任されているわけではない。
「なまえ君、この辺りのマップは頭に入っているだろう?」
「?ええまあ、ポオ先輩の根城ですから、覚えています」
根城という言い方は如何なものか。そんな考えをポオの頭をよぎったが、今はそんな無駄話をしている暇はない。
顎に手を当てて考える。窮地を乗り切る方法は必ずあるはずだ。
何やら真剣に考え出したポオを見て、邪魔をするわけにはいかないと思ったのか。なまえは黙り込むと、静かに手に持つ武器の点検を始めた。
つ、と一筋の汗がポオの頬を流れる。そして_
「反撃と行こうではないか、なまえ君」
長い前髪の隙間から覗く暗い輝きを持つ瞳が、しっかりとなまえを見据えて、笑った。
*
ポオの作戦通り、なまえは外の様子を窺う。
彼の予想通り、外に居る敵の人数はそう多くはなかった。きっと持っている武器も、彼の想像通りに違いない。
「では、手筈通りに」
そう言ってドアに手をかけようとしたなまえは、その直前でふ、と手を止めた。
そして振り返らぬまま、ポオに問う。
「…先程、ポオ先輩は私を助けようとして下さいました。恐らくあの助けがなくとも私は先に敵を仕留められていたとは思いますが」
「後半は余計なのである…」
邪魔をしたと怒っているのだろうか。何かと思えばいきなり駄目出しのような言葉をかけられて、ポオは思わず涙目になる。
しかし、ポツリと漏らしたなまえの言葉は戸惑っているような、懇願しているような響きさえあった。
「何故ですか」
ポオ先輩は私のことを鬱陶しく思っているでしょう。それくらい最初から分かっていました。
それならこのまま野垂れ死なせて、上には適当に報告すれば済む話です。
ポオは思わず目を見開いた。そんなことを彼女は思っていたのだと、初めて知った。
なまえは気づいていたのだ。自身が本当は必要とされていないことも、死んでも誰にも気にも止められないであろうということも。
言うべきだったのかもしれない。君が死んでも構わないと、自分を守る為に命を捨てろと。
けれど、ポオはこんな状況だというのに、胸が躍っていた。
_初めて、彼女の心が見えたのだから。
「…なまえ君が死んでも、確かに我輩には何の差支えは無いだろう」
ピクリとなまえの肩が跳ねる。
「しかし、我輩の本を読み終わるまでは、それまでは、何があっても死んでもらうわけにはいかないのである」
読者を楽しませるのが、作家の務めなのだから。
だから我輩の作戦をつつがなく成功させてきてくれ給え、とポオは言った。
なまえは返事をしなかった。
ただ、_その口元には確かに今までには浮かばなかった笑みが浮かんでいて。
ポオにはそれだけで十分だった。
*
数分後。
ポオとなまえの足元には、積み上げられた敵の亡骸があった。
作戦は無事成功。遠くから車と足音が聞こえてくる。恐らく味方の救援だろう。直に周りの残った敵も殲滅されるはずだ。
二人とも服が血と煙で汚れてしまった。ポオの拠点の一つは潰されてしまったし、日没までに急いで他の拠点に向かわなければならない。
横で敵の所持品を探っているなまえをポオは見下ろす。
何も問題はない。これで、このまま日常に戻れる。
(…なのに、この違和感は一体何であるか)
何かを見落としている気がする。
喉に引っかかった魚の小骨のように、その違和感は消えない。
其れにポオが気付いたのと、なまえが潜んでいた膨大な殺気に振り返ったのと。ほぼ同時だった。
「ポオ先輩、」
まるであの部屋で話しかけたときのように、何も変わらない声色で。
なまえはポオに声をかけて、_それから、彼を突き飛ばした。
突然の行動に、ポオは為すすべなくバランスを崩して転倒して、見事に顔から地面へと衝突した。
「なまえ君、急に人を、…」
言おうとした言葉は、最後まで続けられず。
ポオの顔に、鮮血が飛んだ。
自身のものではない。それは分かり切っていた。血が出るほど強く転んだわけではなかったし、それに_
その血は、明らかに目の前の彼女から噴き出したものだったからである。
「異能…ッ!」
何故、敵に異能者がいないと決めつけていたのか。
何故、一人だけ遠くに吹き飛んだ敵を息絶えたと思い込んでしまったのか。
何故、何故。
(今、彼女を守れなかったのだ)
後数秒早ければ、いやもっと前、初めから気付いていれば。
まるで映画のスローモーションの様に、物語の中のワンシーンの様に、なまえの体がゆっくりと崩れ落ちそうになった、瞬間。
彼女の目に光が宿る。何とか足を踏みとどまらせると、彼女はポツリ、と呟いた。
「お前は自害する」
突然、何を言い出すのかとポオは困惑した。
なまえが精いっぱいの虚勢を張ろうとその言葉を放ったのだと思った。
だが、その言葉通り_敵は、自身の持っていた銃を頭に突きつけると、何の躊躇もなく引き金を引いた。
「なっ、…!?」
ポオは目を白黒とさせる。
脳は理解しようとしなかったが、体だけは先に動いた。
今度こそ力を失って地面に倒れそうになったなまえを、咄嗟に掴んで引きよせる。
服が更に血でベトベトになっていく。もうこの服は着られないだろうが、そんなことはどうでもよかった。
「なまえ君は…異能力者だったのであるか…」
「…すみません、黙っていました」
今までそんな素振りは一度も見せたことが無かったから、ポオは気付く訳もなかった。それどころか、組合から紹介された時も、そんな説明は一切受けなかった。
なまえは今度は離せとは言わず、ポオの腕の中でただ弱い呼吸を繰り返している。
思わずその手を握ると、なまえの手は思っていたよりずっと小さく細く、冷たかった。
ポオの手の感触に気付いたのか、なまえはポオの目を覗きこむと、表情を緩めてふと笑った。
「私、…異能が制御できなかったんです、だから封印していました」
組合にも使うなと言われて、私が話すと皆が不幸になると。
言ったとおりに相手を操れる異能_それも、相手に危害を加える言葉でのみ、発動する。
本気で言ったわけじゃなかったのに、喧嘩して思わず言った言葉で、友人は死んだ。
人と話すのが怖くなった。深く関わるのが、知るのが、怖かった。
だから自分の為だけに生きると決めたのだ。ただ心を殺して、感情を出してはいけない。
人の為に生きようとすれば、その人を不幸にしてしまうから。
「でも、ポオ先輩の為に、使ってしまいましたね…。」
笑おうとして傷が痛んだのか、なまえは苦痛の表情を浮かべる。血で汚れた額には、汗が滲んでいた。
「手当を、」
救援にきた組合の元へと連れて行かなければ。ポオは彼女の足の下に腕を差し込むと、そのまま抱え上げる。
非力な彼には重労働だったが、構いやしなかった。
「私、分かりました、わたし、は…」
「黙ってい給え…!」
口から零れた自分の言葉は、あまりに悲痛な叫びの様だった。
何故かなんて、もう分かっていた。
この部下を、なまえを、死なせたくない。
ポオは歯を食いしばって腕の中に抱きかかえたなまえの顔を見下ろす。
「…ポオ先輩の為に、生きていたかったんです」
長い前髪がふわりと掻き上げられる。
急に開けた視界に、ポオは思わず眩しくて目を細めた。
その刹那、小さな音がして。
唇に触れたそれがなまえの唇だったということに、ポオが気付くのには_随分と、時間がかかった。
口の中は、血の味がした。
*
白く冷たい、無機質な扉を開く。
ポオはこの部屋が嫌いだ。いつも薬臭くて、何より_
(意図的に隠された、死の匂いがする)
ここで一体何人がこの世と別れを告げたのだろう。知りたくもないが、片手で事足りる数ではないことはポオにも分かっていた。
白いカーテンを、震える手でゆっくりと掴む。
一つ、深呼吸をすると。
「なまえ、君」
ポオは薬品臭いカーテンを開ききった。
「…ポオ先輩?」
ぱちくりと目を瞬かせる、ポオの部下。
そこには、確かに息をしているなまえが、存在していた。
「はあぁぁ〜〜…我輩、もう二度とあのような経験は御免である…」
「私も遠慮したいです、出来ればこの包帯塗れの現状もですが」
なまえが寝ているのは、真っ白なシーツのベッドの上だった。
この部屋は組合の病室の様なものだ。外には面していないが、清浄された空気が常に循環しており、蛍光灯の光が眩しい。
あの後。
出血の為意識を失ってしまったなまえを、どうにかポオは組合の元まで運ぶことができた。
それからの事は、あまりよく覚えていない。
記憶に残っているのは、なまえが異能を制御できるようになったという報告に顔色を変えた上司、医務室に運びこまれる痛々しいなまえの姿、一命を取り留めたと聞いて滲んだ目の前の視界。
あれから数週間が経過し_ようやく、ポオはなまえと再開することができた。
「…これ、見舞いの……」
花束を渡すなんて、まさか自分の一生にあるとは思いもしなかった。
ポオがそっぽを向きながらなまえにそれを渡すと、なまえは表情一つ変えずそれを受け取る。
「ありがとうございます。ポオ先輩から頂いたもの、後生大事にします」
…ただ、口からは零れる言葉は以前と随分変わっていたが。
ポオは思わず言葉に詰まる。
あの時は必死で何も考えられていなかったが、あのなまえの行動は朦朧とした意識の中での気の迷いではなかったのだろうか。
しかしあんな状況であったことを、今更掘り返す勇気はポオには無かった。
「後、新作原稿も持ってきたのである…」
代わりに、読ませようと思って持ってきたもう一つの見舞い品を取り出す。
なまえは随分退屈していたのか、ポオの取りだした原稿用紙を見て少しだけ嬉しそうな顔をした。
ただ、ポオはそれをすぐには手渡さなかった。
「…この原稿は、未完成なのだ」
「…?ポオ先輩、途中の原稿は誰にも見せない筈では?」
「そうである。だから_」
_この物語がハッピーエンドを迎えるまで、なまえ君には見届けてもらわなければ、いけないのである。
何せ、推理物に未解決のバッドエンドなんて、あってはならないのだから。
ゆっくりと、ポオは原稿をなまえへと指し出す。
なまえは暫く、泣き出しそうな顔でその原稿をにらみつけていた。
それから、繊細な硝子細工を扱うように、触れる。
「…ポオ先輩の、御命令通り」
私は貴方の為に、これからも生きます。
そう言って笑ったなまえの顔は、今までポオが見たどの表情よりも綺麗で。
かくして、この物語は、幕を閉じ、そして_
新たな二人の物語の幕を、開くのだった。
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