呪いの始祖

 アラームの音。
「まだ寝てていいですよ」
 掠れた声で恵がやさしくわたしに告げる。
 恵の先っぽがわたしの太腿に引っかかった。あ、と思わず声を出す。
「ごめん」
「ン、」
 男の人は朝はこうなることが多いらしい、とネットの記事で読んだことがある。実際、男の人はみんなそうなるものらしい、と知ったのは初めての彼氏である恵と付き合ってからだ。
 昨日あんなにいっぱいしたのにたつんだなあ、と謎に感心してから、昨日の恵とのアレコレを頭の中が連想していく。
 昨晩のイロイロを思い出してひとりで勝手に気恥ずかしい気持ちになっていると、その一部始終を見ていたのだろう恵が藍色の瞳を小さくすぼませて笑った。
「シてぇのか?」
「えっ」
「そんな顔してる」
 恵がからかうようにそう言って頬を撫ぜる。わたしは慌ててその言葉を否定した。
「し、してないよ」
 へぇ、と恵が意地悪い声で相槌を打つ。
「そのわりにすげぇ顔赤いけど」
「これは、き、昨日のことをちょっと思い出してはずかしくなっただけ」
 布団で顔を隠してそうモゴモゴと答える。すると布団の中で恵がそれをわたしの太腿に擦り付けた。突然のことにひえっ、と小さく悲鳴をあげたわたしに恵がくすくすと笑う。
「別に昨日のがはじめてってわけじゃねーだろ」
「それはそうだけど、」
「そういういつまでもウブなところも可愛いですよ、ミョウジセンパイ」
 耳元に恵の息がかかった。わたしが耳が弱いということをとうに恵は知っている。
「うぅ、恵のいじわる」
「センパイが可愛すぎるのが悪い」
 ほんと、恵くんは漫画にでてくる男の子みたいなことを言うなぁ。

「ふぁ、ぁ!」
「なんもしてねーのにもう濡れてる。やっぱ期待してたんすか?」
「してな、ぁ!」
 ふ、と熱の篭った息を吐き出して必死に息を整えていれば、こちらを待つことなく恵が口を添える。
「んんッ、あぁん!」
「は、だめだってば、ぁ!」
「あ、あ、あっ」
「ッ、はァ……えろ」
 ナカ、すげーとろとろっすね。と蜜を塗りたくる。
「せんぱい、すげぇかわいい」
 は、は、と恵が目の下をほんのりと赤く染める恵。
「朝からかわいいことばっかしないでもらえます?」
と謎に怒ってくる。
「今すごい締まりましたね。なに考えたんですか?」
「めぐみのことかっこいいなあって、おもったら」
 かってに。
「めぐみ、はやくさわって?」
 は、と恵が笑った。
「ほんと、ずるい女」
 恵が好戦的に笑った。
「ナマエ」
「ん?」
「虎杖とあんまり近づきすぎないでくださいね。五条先生と先輩達ともですけど」
「ふふ、珍しい。妬いてるの?」
「アンタ結構人との距離近ぇんだよ」
 俺みたいな男は可愛い女に笑顔見せられただけで落ちるんだから。恵、わたしのこと可愛いって思ってくれてるんだね。はァ?当たり前だろ。だから気をつけてください。マジで。ふふふ。いや、笑いごとじゃないんで。実際この間虎杖に「ナマエ先輩、かわいい人だね。俺けっこー好きかも」とかなんとか言われてたんだからな、アンタ。え、それほんと?いい子だねえ虎杖くん。オイ。
 なんて、時折虎杖くんの真似らしきものをしながら怒ってくる恵くん。傍からみれば痴話喧嘩って言うんだろうな、こういうの。
 愉快な気持ちで制服を着終えたわたしは、ベッドの上で半ばうつぶせになっていた恵に飛び込むように抱きついて彼の首に腕をまわす。
「わたしも恵が取られちゃいそうで不安だな。野薔薇ちゃんかわいいから」
 まあ、ほんとうは野薔薇ちゃんみたいないい子になら、取られたっていいんだけどね。と心の中でこっそり最低なことを思う。
 こんな仕事をしている限り、いつかは死ぬんだろうし。学生のうちに死んでる人間も既にたくさん見てきた。五条先生にも散々言われたけど、わたしたぶん雑魚だし。きっと恵より先に命を落とすはずだから。私が死んだあと、それで恵が幸せだと思えるのなら、そばにいるのがわたしでなくたって別に構わないのだ。
 マ、野薔薇ちゃんが恵と付き合う未来はあんまり想像できないのもたしかではあるけれど。恵、見た目通り結構ぶっきらぼうなとこあるし。
 なんてテキトーなことを思っていれば、驚いていた恵が私を抱きしめなおした。
「俺がナマエ以外に惚れるわけがないだろ。今でさえこんな余裕ねえのに」
「ほんと?」
「あぁ。だから先輩も、俺以外見るな」
「ふふ、うん」
 恵は強い子だから。きっと、大丈夫。

  ◯

24.「溜めている」「電気コード」「泣かせる」

二、
電気コードを抜いた。瞳に涙を溜めている。泣かせてしまった。それでも、べつに泣かせるほどのことをしたとは思わなかった。

『恵、任務ってもう片したか?』
「真希さん? いえ、まだですけど」
 それがどうかしましたか。恵が聞き返せば、
『ナマエが任務で腹ぶっ刺されたらしい』
「……は、」
 すべての音が遠ざかった気がした。
「ナマエ先輩は!? 生きてるんですか!?」
 落ち着け、と真希さんがたしなめる。落ち着けるものか。伏黒は苛立ち紛れに歯噛みする。奥でパンダ先輩が「真希、伝え方ってもんがあるだろ」とボヤく声がした。
『家入さんが言うには命に別状はねえらしい』
 それでも、
『けど、いまだにナマエのやつ目覚まさねえんだ』
 だから今そっちに棘向かわせてっから、お前任務棘に任せて帰ってきていいぞ。……おい恵、聞いてんのか?おい!恵?
 気づけば走り出していた。

  ◯

「恵ィ、オマエ一日中そうしてるつもり?」
「五条先生」
 そうして診察室に入ってきたのは五条先生だった。
「ナマエが心配なのはわかるけど、さすがに仮眠とりな。隈やばいよ」
「寝れる気がしません」
 これだからバカップルは、と五条先生は呆れたようにため息を吐き出す。
「たしかにナマエは今の高専の中じゃ一番弱っちいけど、急所はちゃんと自分で外してたんだしさ。僕の目から見ても、土壇場の肝は恵より座ってるよ。もうちょいナマエのこと信用してあげたら?」
 信用?いつでも置いていく準備のできているこの人の、どこを信用すればいいんだ。
 与えるばかりの人間はいつもそうだ。そうやって満足したみたいな顔で勝手に俺を置いていく。つみきだってそうやって、今も目覚めていないのだから。

  ◯

「恵、まさか寝てないの?」
「センパイが!」
 心配だったから。目を覚まさないから。もしかすると、もう二度と、会えなくなるかもしれないと思ったから。思ってしまったから、思いたくなかったから。
「目を覚まさないセンパイが、悪い」
 それでも、とナマエはやさしくやさしく彼に言い聞かせる。おねがいするように、彼の秋の夜の冷気で冷たくなってしまった頬を撫ぜた。
「寝なきゃだめだよ、次は恵が倒れちゃうよ」
「ン」
 彼の長くてうつくしい睫毛がそっと伏せられる。
 恵、いつからそんなに弱くなったの?恵、わたしが死んでも生きていけるよね?わたし、そこまであなたを呪うようなことをしたかな。
 このままではいけないんじゃないかと、本能的に思った。彼はわたしとは付き合わない方がよかったのかもしれないな、とまで思った。だって、こんなボロボロになるとは思っていなかったから。もしもこのままわたしが一生目を覚まさなかったら、彼はどうなっていただろうか。後追いとはいかずとも、彼の心に傷を負わせてしまうことには違いないと思った。
「姉貴みたいに一生起きねぇんじゃねえかって」
「ナマエまで、俺を置いていくな」
 そうか。こんなにしっかりしてても、まだ年下なのだ。そりゃあ、まだ脆いよなあ。

  ◯

「ナマエサン、恵と別れたのか?」
「ううん。なんで?」
「伏黒のやつ、ココ最近機嫌チョー悪いんだ」
「ピリ辛明太子」
「恵のご機嫌斜めな時って、大概どっかの誰かさん絡みだからな」
「しゃけしゃけ」
「早めに仲直りしてやってくれよ、中学の頃の恵見てるみたいでちょっと怖いし」
「恵のやつ、ナマエサンに別れ話でも切り出された日にゃどーなるんだ」
「オイ真希やめろ。鳥肌たっちまった」
「パンダって鳥肌たつのか?」
 わちゃわちゃする二年を前に、ナマエはわかった、とだけ頷いた。
「今日お昼誘ってみるよ」
「頼むぜ〜」
 パンダ達が帰ったあと、五条先生と遭遇。
「先生」
「ん?」
「虎杖くんの匂いがする」
「……気の所為じゃない?そんなこと言うと恵に怒られるよ?」
「……」
「あ、そういえばさっき悠仁の部屋入ったから、もしかするとそれかも」
「……たしか次の日には片付けられてましたよね、虎杖くんの部屋」
 見えない目が泳いでいるのがわかる。五条先生の珍しい隙に、先生も先生なりに虎杖くんの死に動揺していたのかな、なんて勝手な想像をした。もしかしたら全部わざとかもしれないけれど。
「先生もわかりやすい嘘をつくときがあるんですね」
 わたしがそう言えば、五条先生は観念したようにたはーっと笑う。
「ウン、これは僕が悪いね。それにしても、まさかナマエに一番にバレるとはなあ。なんでわかったの?」
「先生、結構わたしのこと舐めてるでしょ」
「ぶっちゃけ舐めてたよ。いやはや、さすがだねえ」
 パチパチ、お見事。
「そんなさすがなナマエには、特別に悠仁と密会する権利を与えます」

  ◯

「ナマエ先輩さ、伏黒と喧嘩した?」
 虎杖くんが困った顔でそう言う。そうかな?朝も普通だったように思えたけど。
「なんで知ってるの?」
「さっき五条先生がボヤいてった」
 今日恵がすげー臍曲げててさー、たぶんカノジョに振られたんだろうねえ。
 そっか。
「ナマエ先輩ってさ、死ぬの怖い?」
「ううん、特には」
 そう言うと虎杖くんの眉がますます悲しそうに下がってしまう。随分と可哀想な顔をする。つられてわたしの眉も少し下がってしまった気がした。
「この間聞いたんだけど、伏黒ってさ、姉ちゃんが呪われてるらしいんだ」
「らしいね」
「エッ、先輩このこと知ってんの?」
「うーん、五条先生にそれとなく教えてもらっただけで、本人の口からは聞いたことないよ」
 だから恵くんにも直接なにかを言ったことはない。
「五条先生は、なんて?」
「お姉さんが呪われちゃってからしばらく落ち込んでたんだけど、ナマエと会ってからちょっとだけ恵が元気になったから感謝してるよー、的なこと」
 テキナコト、と虎杖くんが繰り返す。
「ナマエさんって、意外と薄情?」
「それ、五条先生にも言われたことある」
「やっぱり?」
「む」
 やっぱりとはなんだ。
 睨むと虎杖くんが慌てて冷や汗をかいて、弁解するように首を横に振る。
「アッ、ゴメンなさい」
「ふふ、嘘嘘。おこってないよ」
 素直だ。
「だからなるべく怪我しないで、先輩」
「善処するよ」
「それぜってーしないやつ」
「んふふ、バレたか」
「先輩、もしかして悪い人?」
「どうだろう」
「伏黒、女運なさそうだもんなー、すっげー不安」
「どういう意味?」
「ナマエ先輩、意外と小悪魔だよなーって」
「小悪魔?」
「伏黒、めっちゃ先輩のこと好きだし」
 だからあんま伏黒のこと心配させないでやってよ。

  ◯

14.「無視する」「錠剤」「堕ちてきて」/伏黒恵

三、

「ナマエ」
「ん?」
「俺はナマエがいなくても、生きていけるだなんて言ってやらねーからな」
 キョトンとする。宣戦布告、と先程彼は言った。
「すごい、なんでわかったの」
「この間、秤先輩に聞いた」
「秤くん?」
「ナマエ先輩が、なんで俺と付き合ってくれたのか」

『わたしがいなくても生きていけそうだから』

「そう言ってたって」
 秤のばか。
「秤先輩と真逆のひとって聞いたとき、単に真面目か弱いかのどっちかだろうなって思ってたんですけど」
「ひどい」
 違いましたね。
「熱くないから、だったんすね」
「薄情っつうか冷めてるっつうか。良く言うと冷静」
「そうかな」
「五条先生も、死に際で咄嗟に急所外すことを考えることができる人間はひと握りだって言ってました」
 へぇ、そんなことを。
「ナマエさん」
「ん?」
 真っ黒な瞳が私を貫く。
「俺のこと、好きですか」
「……好きになりたいと思ってるよ、ずっと」
 そうですか、と彼は目を伏せる。
「それが聞けただけで、もう俺は十分です」
 ああ、振られるのかな。
 そう思った時だった。

「風邪って、キスしたら移るっていいますよね」
「うん?」
「なら、セックスまでしたらぜんぶ届くだろ」
「へっ」

「なんで、なんでこんなに俺ばっかり」
「アンタのことが好きなんだ」
「死んで欲しくない、閉じ込めたい」
「死ぬな。死んだら、呪う」
 もういっそ、俺のところまで堕ちてきてしまえばいいのに。