01.私の苦手なもの

最近苦手なものが増えた。
1限から授業のある日は苦手だし、ゴミ出しも苦手だし、掃除も苦手。食べ物でいったらパセリも苦手だ。が、最近苦手なものに分類されたのは。

「おはようございます、志希さん」

大学入学と同時に、一人暮らしをしている自宅の最寄り駅の隣駅にある喫茶店ポアロでアルバイトを始めた。一人暮らしなのは天涯孤独とかそういうやつじゃなくて、私の実家は飛行機か新幹線を使わなければいけない距離にあるせいだ。
大学進学といっしょに始まった夢の一人暮らしだったが、蓋を開けてみると掃除洗濯ゴミ出しなどの家事をすべて自分でやらなくてはいけないため、それはもう、とても面倒くさかった。
実家だったら机で待ってればでてくる夕食も自分で作らなければいけないし、そもそも食材を買いに行くのも自分だ。「次入りなさい」と言われて入っていた風呂だって自分で掃除してお湯を沸かさなければいけない。
いやだいやだと思いながらも、結局自分がやるしかないという現状が一年少し続いている。当初に比べたら家事もだいぶマシになっているだろう。

さて、話を戻して最近の苦手なもの。
それは最近このポアロで働き始めた安室透という男だった。
褐色の肌に透き通るような金色の髪。スタイルも良い、しかし細いだけじゃなくきちんと筋肉もついているし、器用でマメで笑顔が眩しい。絵に描いたような完璧人間である。
そこが怖いのだ。
安室さんがポアロで働くようになってから女性の客が増えた。視線の先にいるのは安室さんで、みんな安室さんに会いにポアロへきている。そのおかげで売り上げも上がっているしそこは喜ばしいところなのだけど。

「おはようございます、安室さん。梓さん交代しますね、上がってください」

苦手な人だからといって態度を変えるような大人気ないことはしたくないので、当たり障りのない笑顔を浮かべて安室さんに答えた。
そして私の代わりにシフトをあがる梓さんを見送る。梓さんじゃなくて安室さんが上がればよかったのにな、なんて心の中でつぶやくのは許されるだろう。

夕方6時を過ぎると仕事帰りのOLさんっぽい女性客が増える。もちろん安室さん目当てだろう。
私が注文を取りに行っても「まだ決まってない」って言うので、私はキッチンで食器を洗う。なのに安室さんが行くと注文ついでにいろいろと質問しているのが聞こえてきた。恋する女の人ってすごいなあ。
でもちょっと落ち着いて考えてみてほしい。私は泡だらけのスポンジで食器を洗いながら考える。
安室さん、29歳。
職業、探偵。兼、喫茶店のアルバイト。
……やだなあ。とは言っても安室さんはお金に困っているようではないらしい。着ている服はいつもぴしっとアイロンがかかっているし、こないだ着てた服はわりと有名なブランドのロゴが入ってた。ポアロの上の毛利探偵事務所にもお金を払って弟子にしてもらっているらしいし。安室さんって何者なんだろう。

「志希さん、僕キッチン入りますね」
「了解です」

オーダーをとってきた安室さんがキッチンへ入る。安室さんお手製のサンドウィッチを注文されたからだ。これは安室さんじゃないと作れない。
手際良くサンドウィッチを作っていく安室さんの手元を横目で見ていると「ひとつ食べますか?」と訊かれた。

「大丈夫です」
「じっと見てくるのでてっきりお腹が空いたのかと」
「ちーがーいーまーすー」
「じゃあこれお願いしますね」
「はい」

丁寧に作られたサンドウィッチと温かい紅茶をトレーに乗せて提供しにいくと、安室さんじゃなかったのが不満なのか少し睨まれた。なんでアンタなのよ。と心の声がダダ漏れですおねーさん。このサンドウィッチを作ったのは安室さんなんだから、それくらい許してくれたっていいじゃないですか。

「私じゃなくて安室さんがいったほうが喜ばれますよ」

だから次からは安室さんが行ってください。とキッチンスペースに戻った私が続けると「給料泥棒はいけませんよ」と言われてしまった。そう言いながらも安室さんは明日の仕込みに取り掛かり始める。

「ほら、お客さんがきましたよ。ご案内お願いします」

ドアについているベルがカランカランと音を鳴らし、来客を告げた。見ると、ここ最近よく来るようになったくたびれたスーツの男だった。
メニューと注いだばかりのお冷をのせたトレーを持って、空いている席へご案内する。

「ご注文お決まりなった頃にまた来ますね」

と、男の前にお冷のグラスを置いて戻ると、安室さんが神妙な顔で私を見ていた。なんかやらかしただろうか。

「志希さん」
「ひゃ、ひゃい」
「あの男性のオーダーは僕が行きます」
「はあ」

安室さんは私からトレーを奪い取ると、私の手にタオルを渡してきた。洗った食器を拭けということだ。安室さんの隣に立って、キュッキュッと音を立てながら水滴ひとつ残さずに磨いていく。
磨かれた食器に反射した私の顔はずいぶん変な顔をしていた。

みんな怖くないのだろうか。
完璧人間なんてこの世にいるわけないじゃない。

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