Happy Valentine's Day 2020
廊下に置かれた大きな段ボール箱を頬杖をついて睨みつける。
今朝ペリッパー便が届けに来たものだ。
要冷蔵と書かれているも、その大きさは明らかに冷蔵庫を越えている。
仕方がなく比較的に温度の低い廊下に置いているものの……さて、どうしたものか。
彼は少し抜けている部分があるので、もしや悪質な通販サイトにでも引っかかってしまったのでは、と一瞬心配になったが品名を見て今日は何の日かを思い出した。
「品名 チョコレート」
伝票にはそう記されている。
送り主はマクロコスモスだ、きっとファンからのチョコが入っているのだろう……。
やはり彼の人気は凄い、月並みだが改めてそう実感した。
それにしてもこの量、一体どうするつもりなのだろうか……。
私は初めて目の当たりする光景だが、もしかしたら彼にとっては毎年恒例なのかもしれない。
「ただいま、ナマエ」
「あ……おかえり」
いつの間にか帰ってきていたらしい、ドアを開く音にさえ気づかなかった。
呆気を取られたように返事をすると、ダンデは段ボールのテープを剥がし始めた。
バリバリと音を立てて剥がすと目の前に置いた。
「今日マクロコスモスから荷物届いて驚いただろ?」
首を伸ばして中を覗き込むと、綺麗で可愛いデザインの包装紙に包まれた沢山のチョコレートの箱が詰まっていた。
中には有名ブランドのロゴが印刷されている高級チョコもある。
分かってはいたが改めて彼の人気ぶりを見せつけられると、僅かに胸の奥が痛む。
「うん……でも、こんなにどうするの?」
目の前から少し背けつつ、なるべく平常心を装う。
ダンデは箱から一つ紙袋に入ったチョコを取り出す。
何度も翻して眺めながら、私のすぐ隣に腰掛ける。
ギシ、とソファのスプリングが鳴いた。
ダンデの様子に面白くないと感じた私は顔を背け、ひっそりと口を尖らせる。
幼稚だが、ダンデが悪いと責任転嫁する。
「これでも今年はマクロコスモスに引き取って貰った方なんだぜ。孤児院に配るみたいだ」
「へぇ……手作りとかはどうするの?」
「手作りは貰わないようにしている」
「そうなんだ」
ほんの少し安堵したが、それでも胸の奥のモヤモヤはまだ消えない。
一体どのくらいの数を貰ったのだろう、考えたくはないが思い浮かんでしまう。
「ファンレターと期限が短いのは貰ってきた。これはリザードン宛なんだぜ」
「ふーん……」
そんな私の気持ちとは裏腹に「ほら」と紙袋に書かれた宛名を満面の笑みで見せる。
不貞腐れて細めた目を見えないと勘違いされたのか、指差して教える。
確かに「リザードン様へ」と書かれている。
ダンデはボールからリザードンを出すと、丁寧に包装を剥がして渡した。
器用に爪先でチョコを摘んで口の中に放り込むリザードン、一粒口に入れた瞬間表情が一変した。
目を爛々と輝かせて翼をバサバサと羽ばたかせている。
先程剥がした包装紙が風に煽られ、リビングの隅へ飛んでいってしまった。
重々しく腰を上げると佇んでいる包装紙を摘んで、ゴミ箱へ捨てる。
「美味いか?リザードン」
ダンデの言葉にリザードンはコクコクと何度も大きく頷く。
その様子に彼はご満悦とばかりに歯を見せて笑う。
ズキ、とまた胸の奥が痛む。
なるべく自然を装って、ダンデから距離を取るようにソファの反対側に蹲る。
背中をダンデに向けたままスマホを取り出すと、適当にSNSを開いてみた。
するとチョコを口に咥えてウインクしているキバナの自撮りがトップに表示された、いいねやコメント数が凄まじい……。
その様子に素直にカッコいいとか褒めるコメントもあれば、心無いコメントも投稿されている。
「ナマエ」
「な、なに?」
距離を取っても無意味とばかりにダンデが詰め寄ってくる。
身体ごとそちらに向けると、真剣な表情でこちらを見つめている。
黙ったままの私に痺れを切らしたのか、恐る恐る口を開く。
「……何か忘れていないか?」
「えっ……?」
ドキ、と心臓が跳ねる。
夕飯の買い出しに行った際に必要なものは全部買ったし……と、あれこれ思案する。
……なんて、一瞬不安になったがダンデの意図はすぐに読めた。
しかしその意図に沿った返事はせず、わざと恍けることにした。
ファンのチョコを見せつけた仕返しとばかりに。
「……お風呂沸かしてない、とか?」
「違う」
眉を寄せ、静かに首を振るダンデ。
その表情に少々背徳感を感じ、一瞬目を逸らすと両肩を掴まれる。
突き刺さるくらい真っ直ぐな視線が痛い。
「洗濯物干しっぱなしだった……?」
「違う……!」
焦れったさと必死さを感じるダンデの声色があまりにも面白く、そんな彼が可愛く思えてしまう。
自分の声に笑いが混ざらないように、ゆっくりと息を吸って吐いて気持ちを落ち着かせる。
もう少し意地悪してやろう。
「あ……ベッドのシーツ洗い忘れたこと……?」
「ち、違う……!ナマエ、まさかっ……本当に忘れているのか……!?」
声を震わせ、押されされるがままに押し倒されてしまう。
だらりと垂れた彼の髪が首筋を擽る。
その様子を見てしまったのか、彼の背後に映るリザードンが摘んでいたチョコをポロリと爪先から転がり落とした。
大きな口を半開きにし、点になった目が床に落ちたチョコを見つめている。
チラリチラリとこちらの様子を何度も伺うと、目にも留まらぬ速さで拾って口の中に放り込んだ。
その様子に思わず軽く吹き出してしまった。
「ナマエ!からかったな……!」
「あ……違うって!リザードンが……」
リザードンを指差す。
一瞬大きく目を見開くも、その瞳はゆっくりと天井へ向けられた。
気まずそうに首を掻くとリザードンは背を向け、尻尾の先を揺らした。
「話を逸らすな。からかっていただろ」
「えっと……だって、ダンデがあまりにも必死で可愛いから……」
「かわ……っ!?」
素直に白状すると、ダンデの頬が第三者が見ても明らかなくらい紅潮していく。
しまった、つい本音の方を口にしてしまった、と心の中で頭を抱えると伝染したように私の頬も熱を帯び始める。
「だから、からかうな!」
被ったままだったキャップを脱ぐと、乱雑に私に被せてきた。
摘んだ鍔を首の力が負けてしまうくらいグイッと下に押し込まれ、視界があっという間に暗闇に包まれた。
遅れてやってくるダンデの香りに鼓動が少し早くなる。
ダンデの指先が離れたと同時に鍔を掴み、ぶかぶかのそれを少し上げる。
すると口元を手の甲で隠しているダンデの姿があった。
「あ!見るな!」
視線がぶつかると再び帽子を深く被せてきた。
もう上げることを許さないのか、鍔を摘む指を離さない。
「ダンデ、見えない」
帽子を取ろうと、鍔に手を這わせるとその上にダンデのもう片方の手が重ねられる。
一回り大きいそれは簡単に私の手を覆ってしまう。
束ねるように指先を軽く握られる、仄かに温かく湿っている。
「……見ちゃ駄目だ」
「どうして?」
私の問いにダンデは少し言葉を濁らせる。
ううむ、と悩むように唸り声を上げる。
「……恥ずかしい、からだ」
絞り出すように発した声は少し上擦っている。
傍から聞いたら恥ずかしい愛の言葉も顔色変えずにサラッと口にする彼だから、恥ずかしいという感情はもしかしたら無いのではと疑問に思っていたが……。
意外な弱点を見つけてしまったかもしれない。
「ダンデにも恥ずかしいって感情あったんだね」
「……ナマエ、流石に傷つく」
「……ごめん」
すぐさま謝罪をすると、握られている指先の力が僅かに籠もる。
鍔が上げられ、室内灯の明かりが暗闇に慣れた視界に突き刺さる。
眩しさに目を細めると、唇に柔らかいものが触れる。
微かに水分を含んでおり、軽く触れるだけのキス。
小さなリップ音が私達の間に静かに響いた。
「……ナマエのチョコが欲しい」
低いトーンがえらく艶かしい。
まるで自分を求めているように錯聴してしまう。
心地よい低音が鼓膜を刺激し、ぶるりと身体を震わせた。
頭の片隅に冷蔵庫の奥隠しておいた、タッパーに入った生チョコが思い浮かぶ。
やっぱりちゃんと包装紙を選んで、箱に詰めれば良かったとファンからのチョコを見て後悔した。
圧倒的な差を見せつけられると、自分のチョコなんかと尻込みしてしまう。
「……私なんかのチョコよりも、ファンのチョコの方が美味しいよ」
拗ねるように顔を逸らすと、ぶかぶかの帽子がルリと落ち、好都合なことに目元を隠してくれた。
しかしそれは一瞬で、すぐに帽子を脱がされてしまう。
ダンデの指が少し乱れた髪を梳くように撫でる。
「そんなことない」
「だって、可愛い包装紙にも包まっていないんだよ。それに形だって悪いし美味しくないよ…」
「関係ない。ナマエがオレの事を考えて作ってくれただけで十分だ」
背中に腕をまわされるとそのまま抱き寄せられる。
目の前の胸に顔を埋めると、彼もまた私の髪に顔を埋める。
濃厚なダンデの香りが肺を満たしていく。
微かに彼の鼓動を感じる、心なしか少し早い気がする。
時々彼はズルイと思ってしまう。
心底を見抜いているのか否か不明だが、こうして一番望んでいる言葉を口にしてくれる。
先程の嫉妬など、今となってはつまらないものに思えてくる。
「……もしかして、嫉妬していたのか?」
「……ちょっとね」
「そうか……それは悪いことしたな」
さらりと頬を撫で、唇に指が添えられる。
ゆっくりとその形を確かめるように撫でると、再び唇を重ねられる。
少し乾燥した唇を潤すように舌先でなぞられる。
感触を味わうように啄まれ、僅かに開いた隙間を満たすように侵入してくる。
舌を絡ませ、ちゅうと軽く吸われる。
くちゅくちゅと淫靡な水音と布擦れの音が、確実に正常な思考を乱していく。
「……ぁ、ダンデ、まって……リザードンが」
理性を振り絞って声を上げる。
先程までチョコを頬張っていたリザードンは、退屈そうにローテーブルに顎を乗せ、うつらうつらとしている。
「……そうだったな。まずはナマエのチョコを味わわないとな」
「……う、ん。そうだね」
中途半端に熱を持った身体。
その先を無意識に期待してしまっている自分が、いかがわしく、憎らしい。
借りてきたニャースのように背筋を伸ばし、礼儀正しく姿勢を整える。
いたたまれない気持ちに膝の上で指を組む。
「……後でお返しするから、な」
肩を抱き寄せると、リザードンに聞こえないように耳元で囁かれる。
字面だけ見れば何の変哲もない。
しかし、その声色は酷く誘惑的だった。