「お見合い、ですか」
「そうだ」
女手一つで私を育てた母を数年前に亡くし、子どものいなかった母の妹夫婦に引き取られてから、いつかは来るだろうと思っていた話だった。
テーブルに置かれたのは写真ではなく、明らかに軍外部持出禁止の資料である。名前と身長体重、健康状態、疾病の有無はもちろん、入隊前の経歴まで書かれている。
流石は政府官僚の叔父上殿、これしきのプライバシーは平気で侵害できるらしい。
「まだお若い方のようですが」
件の相手―――コビー大佐についての資料には満十八歳、と記載されていた。既に成人を迎えた私よりも、幾つか年下だ。
「若いが優秀な男だそうだ」
言いながら叔父が煙を吐く。この人は医師が何度注意しても煙草を辞めようとしない。抗議の意を込めて近くの窓を開けると、叔父はまだ長いままだった煙草の先を忌々しそうに灰皿に押し付けた。
気まずい雰囲気になったが、私が資料を手に取ったのを見ると彼は満足そうに目を細めた。
「経歴に一部空白がありますね」
「ああ、入隊まで何年か不明な時期があるらしい。しかしガープのお墨付きだと言うから、それ以上は訊いておらん」
叔父はそう言ったが、それ以上は教えてもらえなかった、がおそらく正解だろう。政府もすべての兵隊を飼い馴らしているわけではない。いつ噛みつくかわからない犬は遠ざける、そういうやり方で辛うじてマウントを取っているに過ぎない。
「とにかく、もう段取りはしてある。なまえ、指定の日時に必ず行くように」
「……わかりました」
承知の返答をしながら、私は既に断り文句を考え始めていた。
***
三日後、指定の店に行くと大佐は既に着席していた。
「すみません、お待たせしてしまって」
「いいえ、僕もさっき着いたばかりです」
彼の前に置かれたアイスコーヒーは、テーブルに垂れる程の汗をかいていた。随分前から待っていたことは明らかだ。なるほど、噂に違わぬ好青年ぶりだ。
注文したココアが届くと、自己紹介もそこそこに、私は自分の本意を話しておくことにした。これ以上叔父の計略に巻き込むのは申し訳ない。
「あの、この間海軍本部に来てましたよね! 実はあの時僕も本部にいて―――」
「コビー大佐」
「……! はい」
「このお見合い、貴方からお断りして頂けませんか」
彼は飲みかけたコーヒーを喉に詰まらせ、げほげほと苦しそうに咳込んだ。まだ口をつけていなかったお冷を彼に渡そうとしたが、軽く右手を挙げて辞退された。
「大丈夫ですか? すみません、そんなに驚かれるとは思わなかったもので」
「げほっ……大丈夫です、ごめんなさい」
何度か咳払いをすると、彼はようやく落ち着いたらしく顔を上げた。
そういえば、まだ私は彼の顔をきちんと見ていなかった。バンダナを巻いて隠しているが、額に大きな傷がある。固まった私に気付くと、彼は額をさすりながら苦笑した。
「ええと、それで。断ってほしいというのは」
「はい、そもそもこのお見合いは―――」
お見合い、というより私を使った政略結婚だが、要は叔父上殿が管内でトップに立つための計画の一部だ。前途有望な幹部候補生を若いうちに「買って」おくことで実権を手にする。幹部候補であれば誰でも良い。
お前の結婚相手は私が決める。
幾度もそう告げてきた叔父の、いかにも考えそうなことだ。妙齢の娘さえいれば誰にでもできる、ごく簡単なストラテジー。
しかし相手はまだ十八歳の若者だ。結婚に夢を見ている年頃だろう。それを私が汚すわけにはいかない。
「叔父から持ちかけた話でしょうから、私からお断りすることは出来ません。ですので、貴方から破談にしてもらえないかと」
「それは出来ません」
「……は?」
耳を疑うほど明確な拒絶だった。
何故ですか、と問おうとすると彼は「あー」 とか「うー」などと呻き始めた。その間に私も落ち着こうとカップを持ち上げる。ぬるくなったココアが、余計な甘さだけを口の中に残して落ちていく。
「あの、まずですね、なまえさんは誤解をしています」
言うなり、彼はグラスを手に取って中身を一気に飲み干した。わずかに残った氷をグラスの底へ着地させると、ふうと息を吐き再び口を開く。
「今日ここに来たのは、僕の意志です。貴女と話がしてみたいと、僕の方から頼んだんです」
驚きに目が丸くなるのが、自分でもわかった。コビー大佐は私を見て少しだけ口許を緩めたが、またすぐ咳払いをして顔を引き締める。
「それから、貴女の叔父さんのことですが」
彼はまっすぐに私を見つめていた。どこにも嘘は無さそうだった。
「政略結婚だなんて、とんでもありませんよ。なまえさんのことを大変心配していらっしゃいます。今日のことだって、最初はどれだけ反対されたか」
「え、ちょっと、待ってください」
話に追いつけない。あの人が、私を心配して?
「貴女のお母さんと、必ずなまえさんを幸せにすると約束したそうです。せめて花嫁姿を見るまでは夫婦で長生きしないと、と仰っていました」
長生きしたいんなら禁煙しろって医者から言われてるんだがつい、な。
煙草を吸おうとして、またポケットにしまいながらそう話したそうだ。
私はあの時の、忌々しげに火を消した時の叔父の顔を思い出した。あれは私に向けた感情ではなく、自分の悪癖を正そうとしていたのだ。
結婚相手は私が決める、と散々言っていたのも、すべて私のためだった。大佐に言われると、不思議とそう素直に思うことが出来た。
「会議出席の折に護衛したのが縁で、今も何かとお世話になっているんです。でも余程の男じゃなければ嫁にはやらんと言われてしまって―――」
コビー大佐はそこまで言うと、ハッとした顔をした。ええと、あの、と途端にしどろもどろになる。
そういえば。私は先程から気になっていたことを尋ねることにした。
「私と話をしてみたいと頼んだ、というのは」
どうしてですか?
そう聞く声と、ガシャガシャバリンと派手に床にガラスの破片を撒き散らす音が重なった。
「うわ、ごめんなさい! 手が滑っちゃって!」
店員が箒と塵取りを持って飛んできた。手際良く片付けてもらいながら、ごめんなさいすいませんお騒がせしました、と彼はひたすら周りに謝っている。
再度席に着いた彼は、一言だけ
一目惚れ、したんです
そう絞り出したきり、貝のように口を閉ざしてしまった。じっとりと汗をかいて、おそらく私の次の言葉を待っている。
飲み物がなくなってしまったので、お代わりを頼んでも?
とりあえず出した私の提案に、彼は首を縦にブンブンと振って頷いた。
―――どうしよう、かわいい。
まっすぐに私を見ていた軍人の彼はどこかに行ってしまったようだ。いま私の向かいにいるのは、ただの十八歳の純朴な青年だった。