鬼殺隊最高位の剣士・音柱にして、三人の妻在り。
そして、一人の娘がいた。
娘の名前は、名前。齢は十五。
この時点で誰もが首を傾げるだろう。
そう、彼女は実子ではなく、天元が引き取った養女だった。
出会いは、六年前に遡る。
天元が妻三人を連れて忍の里を抜け出し、鬼殺隊入隊を果たしたその年だ。
任務で訪れた街にて、少女からスリに遭った。
否、正確には遭っていない。あまりにも鈍臭すぎて遭いそうにすらなっていないのが真実であるのだが、まあそういうことにする。
そのスリを働こうとした少女が後の我が子となる、名前だった。
名前は父親の命令で犯罪に手を染めたのだという。
元々は裕福な家に生まれた名前であったが、ある日父親が多額の借金を抱えて家は没落。
聞けば聞くほど、どうしようもない父親だった。
借金前も良いのは外面だけで、家では気に入らないことがあれば殴る蹴るの暴行は当たり前。恐怖を植え付けて一家の長としてふんぞり返っていた。
そして、自分の立場が危うくなってからも改心するどころか、『スリでも詐欺でもして一定以上の額を集めて来なければお前を売り払う』――世間知らずな名前をそう脅して金稼ぎの道具にしようとしたのだ。
愚かな親の犠牲となるのは、いつだって罪のない子供である。
天元はどうしても他人事には思えなかった。
その街では鬼の情報収集に苦戦し、滞在期間がそれなりに長かったことも大きいのだろう。何かと接触する機会の多かった彼女に、らしくもなく情が移ってしまったのだ。
里を逃げるように抜け、三人もいる嫁を守っていかなくてはならないというのに、出会ったばかりの少女の存在が瞬く間に大きくなっていくのだから、天元はひどく困惑した。
そして、鬼を討伐し街を出なくてはならない天元は、名前に選択肢を与えた。
自分と共に来るか、ここに残るか。
名前は、最近出会ったばかりの天元、そして、三人の個性的な嫁たちに特別な感情を抱くようになっていた。
血の繋がりがありながら、名前を道具のように扱う父、それを止めもしない母と兄。そんな薄ら寒い家族よりも、天元たちと一緒にいる時間がよほど温かく幸せだったのだ。
名前は泣きじゃくりながらこう答えた。
「わたしを、あなたたちの家族にしてください」と。
そんな経緯で、名前は宇髄家の養女として迎えられたのだった――。
***
「カァ!宇髄天元、吉原ニテ、上弦ノ陸ト交戦ノ末、撃破!現在重症ニツキ、蝶屋敷デ治療中!」
恐れていた報せに、宇髄邸で留守を守っていた名前は全身から汗が吹き出してくるのを感じた。ここ暫く、天元の妻であり名前の母である三人――雛鶴、まきを、須磨が行方知らずになってしまって以来、名前は生きた心地がしていなかったが、今度こそ心臓を握り潰されたかのような激しい苦痛を覚える。
鴉は天元の現状にしか触れていないのだ。三人はどうなってしまったのか、天元の怪我はどの程度なのか、少なすぎる情報が尚更名前の気を動転させていた。
とにもかくにも、じっとしている場合ではない。
屋敷を磨いていた手拭いを放り出し、父と同じ装飾品を身に着けた鎹鴉――虹丸に導かれ、蝶屋敷へと急いだ。
「お父様!」
すれ違う人々に二度見されるも意に介さず、蝶屋敷の廊下を全力疾走の果てに天元がいるという部屋の扉をぶち破る勢いで飛び込んだ。
必死で走ってきたせいで母たちが仕立ててくれた美しい着物がものの無残に着崩れてしまっている。が、そんなことに構っていられる精神状況ではなかった。
息を切らしながら前を向くと、そこには驚いた顔でこちらを見つめる最愛の両親がいた。
生きている。全員。
それを確認した瞬間、名前は全身の力が抜けてその場に崩れ落ちた。
放心しているかと思いきや、眼にはじわりじわりと涙が溜まり、まるで大粒の真珠のように零れ落ちた。
「うっ…うわああん」
幼子のように泣きじゃくる名前に、四人は顔を見合わせ、優しく頬を綻ばせた。
座り込んでしまっているせいで一向にこちらへ辿り着かない愛娘に、痺れを切らしたまきをが立ち上がると、ずかずかと名前に歩み寄り抱きかかえる。ただでさえ細い体がちょっと見ない間に随分やつれてしまっていることに気づき、随分心配かけたものだと申し訳なくなった。
抱えた名前をベッドの前に下ろすと、真っ先に須磨が名前に抱き着いた。
歳が4つしか離れていない須磨と名前は親子というより姉妹であるが、名前にとってその温もりは、己に安心を与えてくれる母親以外の何物でもない。
「名前ちゃん!心配かけてごめんなさいね!」
「こら、こういうのはまず天元様が先でしょう!」
どこまでも当主に遠慮しない須磨に、雛鶴が隣で窘める。名前は相変わらず泣きじゃくったままであるし、なんとも混沌とした状況だ。
常人であれば命を落とすほどの大怪我を当主が負っているとは思えないほどに、宇髄家は平常運転だった。
やれやれ、と天元がひっそりとため息を吐いたことにも、恐らく誰も気づかないだろう。
やがて、漸く名前が落ち着くと、吉原での詳細を天元たちは包み隠さず話した。心配させるだろうが、起きたことを隠さないのは宇髄家のルールだ。そうすることで互いに信頼関係を築き上げてきた。血の繋がりがないことを理由にすれ違ったり不自由させたくはない、という天元の密かな思いからである。
日頃から事情を細かく把握しているお陰で、名前は天元の説明をすんなりと理解することができた。
話を全て聞き終わった頃、名前は再びはらはらと涙を流していた。
その視線は天元の失った左手に落とされている。
「本当に……本当に、よくぞ、ご無事で……っ」
鬼の毒で一度は死を覚悟したのだ。左目と左手を失い、毒に侵されても尚生還できたのは奇跡以外の何物でもない。
そもそも、名前は育った環境こそ荒んではいたものの、元は鬼や戦場とは全く無縁の家柄の生まれなのだ。宇髄家に養子として迎えられて六年が経ち、随分と肝が据わったが、それでも慣れることは一生ないだろう。
しかし、天元も嫁たちも名前のそんな繊細なところも可愛く思っていた。親バカだろうが、なんとでも言えばいい。
「名前」
天元はおもむろに愛娘の名を呼ぶと、右手を広げる仕草をする。その優しげな表情は、派手を司る祭の神などではなく、父親の顔に他ならなかった。
その仕草が何を意味しているのか瞬時に察した名前は、恐る恐る、天元の怪我を気遣いながらその腕の中に身を寄せた。
久方ぶりである父の温もりに包まれ、堪能するように筋肉質な胸板に軽く頬擦りする。背中を撫でる大きな手がこんなにも心地よい。誰かに撫でてもらえることが、こんなにも幸せな気持ちになれるなど、天元や嫁たちに出会わなければ名前は生涯知ることはなかっただろう。
「長らく寂しい思いをさせちまって悪かったな」
上弦の鬼を倒したら、戦線を退いて、親らしいことをあまりしてやれていない名前を存分に甘やかしてやるのだと、嫁たちと話した記憶が天元の脳裏に蘇った。
しかし、名前は大きく首を横に振る。天元に引き取られてからというものの、どんなに任務で邸宅を空けようが寂しい思いなどしたことがなかったからだ。大切にしてもらえていることが、常に痛いほど伝わっていたのだから。
「いいえっ…いいえ!おかえりなさい、お父様」
そんな様子を雛鶴、まきを、須磨は、微笑ましげに見つめる。
しかし、ふと名前の視線がこちらにも向くと、三人同時に首を傾げた。名前は一人一人へ順番に視線を移しながら、にっこりと微笑む。
「生きててくれてありがとう、お母様」
普段は紛らわしいからと三人を名前で呼んでいる名前から不意打ちで母と呼ばれ、三人は全く同じ動作で目をぱちくりと瞬かせた。
そして、三拍ほどの間を空けた刹那。
「名前ちゃん〜〜!!」
嫁三人衆がいっぺんに名前と天元に飛びついてきて、決して軽傷のはずはない天元から「ぐえっ」と蛙のような声が上がった。
普段は一番の常識人かつ暴走した二人の牽制役である雛鶴ですらその事態を顧みず、小柄な名前と怪我人の天元、豊満な嫁三人の命がけの押し競饅頭が始まった。
やがて、白目を向いた天元に気づいた名前が慌てて大声を張り上げたことで、漸く解放されたのだった。
元忍の当主と、いずれも元くノ一である三人の嫁。そして、兄妹姉妹程度の年齢差しかない娘。
特殊な家庭であることは間違いない宇髄家であるが、家族全員が幸せであることもまた、揺らぎようのない事実なのであった。