「うまい、うまい!」
「……」
姉さまが連れてきた姉さまのお師匠様は、控えめに言ってとても変わった方だった。
どうしよう。どうしよう。
隣に蜜璃姉さま、向かいには本日のお客様であらせられる煉獄さま。お茶請けにと用意した桜餅を双方恐ろしい速度で平らげているこの状況に、私は背中に汗を流していた。
だって、こんなに食べる方だとは思わなかったのだ。
お仕事から帰ってこられる姉さまのために桜餅を二百個、早朝から仕込んでいたので、それを出せばいいかと急な来客対応にほっとしていたのも束の間である。
お代わりの入った重箱を傍らに置き、姉さまにはいつもの如く皿に盛れるだけ盛る。煉獄さまには個数を聞くのも野暮だと思い、一先ず人並程度の量を更に乗せて出しては「たくさんあるので、遠慮なくお召し上がりくださいね」と常套句を述べた――のが間違いであった。
皿の桜餅をぺろりと平らげてしまったので、お代わりを勧めたのだが、それが今の状況へと繋がる。
盛っても盛っても終わらないわんこそば状態が続く中、あれだけあった桜餅が既に底を尽きそうであることに気づいたのだ。
それに反して二人の食べる勢いは未だ衰えを知らない。つまり、だ。足りない。間違いなく。
「ん〜っ!やっぱり名前ちゃんの桜餅が一番好きだわ。桜の花びらが乗っていて見た目も可愛いもの!」
「む、これは甘露寺妹が作ったものなのか!」
ご機嫌に桜餅を頬張る姉さまがあまりにもお可愛らしいお顔であまりにも光栄な言葉を紡ぐものだから一瞬考えていたことがどうでもよくなりかけたことはさておき、だ。
先程から最低限の受け答えしか口にしない私と対照的に、煉獄さまはとにかく何かと私に話を振られた。今だってにこやかなお顔をこちらへ向けて、「器用なものだ」と感心したふうに言葉を発する。姉さまの料理の腕を知らないはずないだろうに。よもや気を遣ってくれているのだろうか。
でも、私は「姉がお世話になっております(訳:姉さまをお世話できて光栄にお思いくださいまし)」と一言挨拶できた時点で大満足なのだ。これ以上世間話を広げるつもりはないし余計な気遣いは無用…とは姉さまの手前口が裂けても言えないけれど。
貼り付けた笑みで、はい、と肯定だけを返すと、ちょうど煉獄さまの皿が空になったのが目につく。ちなみに、重箱の中はもう空である。
こんなことならもっと作っておけばよかったと後悔したものの、ふと自分の皿にはたった三つではあるけれど手の付けていない桜餅が乗っていることに気づいた。
「あの、もしまだ召し上がれるようでしたら私の分をどうぞ」
そう言って答えを聞くよりも先に自らの皿を煉獄さまの前に差し出す。
煉獄さまはすかさずそれを突き返そうとした。
「それでは君の分がなくなってしまうだろう!」
「私はいいんです、元々あんまりお腹すいていないので」
にこ、と微笑んで有無を言わさずに受け取り拒否の姿勢を示すと、煉獄さまは少し唸りつつも大人しくそれを自分の元へと戻した。
「では、今度同じものを土産に持ってくるとしよう」
そんな大げさな、と思わなくもないけれど、ここは大人しく頷いておく。
そうして最後の桜餅に煉獄さまが手をつけたところを見届けると、隣から肩をとん、と叩かれた。
その正体は見なくても明らかで、秒速で「はい!」と返事をしてそちらを振り向いた、刹那。
見えないほどの速さで口に柔らかいものが押し付けられて、驚いた私は咄嗟に口を大きく開いてそれを招き入れてしまう。
ぱちぱちと瞬きを繰り返したのち、事が起きた原因を探るべくそちらに改めて視線を向けると、案の定姉さまが悪戯っぽい笑顔でこちらを見つめていらした。
「名前ちゃんの分」
そう言われて初めて、自分の口に突っ込まれた物の正体が桜餅であることに気づいた。当然、一口で食べられる大きさではないので、落としてしまう前に慌てて両手でそれを支える。
つい大口で齧り付いてしまった分をなんとか咀嚼して飲み下すと、自分の分の好物を分けてくださった優しくて自慢の姉さまにぱあっと明るい表情を向けた。
「姉さま!ありがとうございます〜!」
「いつも小食なのに桜餅だけは三つも食べちゃう名前ちゃんの貴重な好物だもの!」
姉さまのあまりの神々しさに危うく手を合わせかけるものの、そんなこと聞いては煉獄さまが余計気を遣うのでは、と気づいて慌ててそちらの様子を窺う。幸い、無言で最後の一つを頬張っていたのでほうと安堵の息を吐いた。
やがて、「うむ、うまい!御馳走になった!」と声を上げて手を合わせた煉獄さまにいいえと微笑む。気に入ってもらえたのは何よりだ。
そして、姉さまからいただいた手中の桜餅を少しずつ胃に収めたのだった。
***
煉獄さまがいらしてから早いものでひと月が経過した。
やはり柱とは忙しいものらしく、あれから煉獄さまが見えたことは一度もない。突然来客があったのもあの日だけで、私は相も変わらず実家に帰ることもなく姉さまのお屋敷で静かに過ごしていた。
……が。そんな私の平穏な生活を脅かす悩みが一つ。
「名前ちゃ〜ん!煉獄さんからお手紙がきてるわよ〜!」
………あの日から何故か頻繁に煉獄さまから手紙が届くのだ。
最初は姉さま宛と間違えたのではと思ったけれど、鴉の足に括りつけられていた手紙にはどう見ても『拝啓 甘露寺名前殿』と書かれていた。
内容は季節の話題や最近あった出来事と取り留めのないものばかりで、驚くほどに普通の手紙だ。
最初は礼儀として逐一返事を出していたけれど、出しても出しても翌日には届けられる更なる返信にやがて疲憊してしまった。
もしかして、否、間違いなく、文通友達だと思われている。
それなら勘違いしないでいただきたい。そんな主張を込めて、返事を送るのをやめた。
……が、しかし、だ。
「読まないの?」
「………い、今少し手が離せなくて」
手紙を受け取ったまま懐にしまう私を見て、姉さまが「この間のもまだ読んでないんでしょう?」と付け足しながら不思議そうに首を傾げる。
…そうなのだ。私の返事を待たずに一定期間空いたら新たに手紙が来る。そのことが私を余計の精神を余計疲憊させた。その手紙のどこにも『返事をくれ』とは書いていないけれど、私はそれを無言の催促状だと解釈している。
そして今や手紙を読む気力すら湧かず、ここ数日は未読の手紙が何通か溜まっている始末だ。
私は煉獄さまにとって、可愛い元弟子の妹だ。彼の人との壁の薄さを考えれば私ももう充分に知り合い以上の枠にいるのだろう。けれど、余計なお世話である。長年人見知りを拗らせてきた社交性の低い私を舐めないでいただきたい。そっとしておいてほしい。
第一印象は『変わった方』だった煉獄さまは、私の中ですっかり『空気の読めない方』として悪い意味で印象が変化していた。
――さて、そんな前置きはさておき、今の状況を簡潔に申しましょう。
屋敷の主である姉さまはお仕事のため不在。そんな最中で来客が一人。
すぐに帰るからと玄関先での立ち話を要求したのは、ここ数日どころか数週間もの間、私の悩みの種であった煉獄さまその人である。
「その顔は手紙を読んでいない顔だな!今日こちらに出向くことを綴ったのだが」
なんてことだ。そんな重要事項が書かれているのなら、もっとわかるようにしてほしい。…というのはあまりにも自己中心的が過ぎるだろう。完全に自分の失態であることは分かっており、内心でただただ頭を抱える。
「すみません、朝は少し具合が悪くて…文字を読むのがつらかったのです」
半分は本当で半分は嘘だが、まさか本当のことも言えまい。
煉獄さまは言葉通りに受け取ってしまったようで、太い眉を心配げに下げた。
「大丈夫なのか?」
「はい。慣れてきましたから」
何に、とは言わない。
とはいえ、心底私を心配してくださっているらしい煉獄さまにだんだんとこのすれ違いが心苦しく感じて、安心してほしいと微笑みかけた。
「だが君は辛い時も辛いと言わんだろう」
「…え?」
「手紙を書く字が、時折歪んでいた。あれは、具合の悪い時に無理をして書いたのだろう?」
その指摘にひゅ、と喉の奥が締まる心地がする。
図星を言い当てられた。そう思ったからであることに他ならない。
最近は全く無理しなくなったどころか無礼極まりない態度を取り続けていたけれど、最初の頃はこれでも姉さまのお顔に泥を塗らないよう一生懸命返事を書いていたのだ。
まさか、たった一度会っただけの、ほんのひと時を過ごしただけの人に指摘されるとは思わなかった。そもそも、こんなことを言われたこと自体初めてだ。
と、私は自分がひどく困惑していることに気づく。
「返事が疎らになった時、俺は嬉しかったんだ。君にとって気兼ねのない存在になりつつあるのかと。返事などなくてもいいとすら思っていた」
まさか読んですらいないとは思わなかったがな!はははは!と高々に笑う煉獄さまに私は息も忘れてただただ呆けていた。
そして、唐突に理解する。
この人は、催促の意味で手紙をくれたことなど一度もなかったのだ。私は自分がどんなにひねくれているかを思い知り、己を強く恥じた。
「……ごめんなさい」
返事を書かなくて。読んですらいなくて。面倒だと思ってしまって。
いろんな意味のこもった謝罪に煉獄さまは「謝ることはないだろう!」とまた笑い飛ばした。
「む、すまないがあまり時間はないんだ。元気そうな顔も見れたことだし、今日はこれで失礼する」
彼にはもっと何か言うことがあるだろう。それを模索しだした私に、唐突に煉獄さまは開きを告げた。
その口振りから恐らく任務前にわざわざ寄ってくださったのだろうことが分かる。結局目的はいまいち分からなかったけれど。姉さまに何か用があったのだろう。
せめて玄関外まで見送ろうと下駄を履いた私に、煉獄さまは突然思い出したように声を上げた。
「これを渡しにきたのだった!」
そう言って、懐から小包程度の箱を取り出し、私に差し出した。
「先日、君の分の桜餅を全て食べてしまったからな」
言われて初めてその節のやり取りを思い出す。そういえば、「今度同じものを土産に持ってくる」と言っていた。すっかり忘れていた。というか、ひと月も前の話を時効にせず実行してくれるなど、あまりにも律儀すぎやしないだろうか。
「ああ、桜餅ですね」
「いや、練り切りだ」
「え?」
話の流れから包みの中身を察した私の言葉を次の瞬間には一刀両断した煉獄さまに、思わずぽかんと間抜け面を晒す。
練り切り?何故。桜餅と言っていたではないか。
そんな疑問が思い切り顔に出ていたのだろう、煉獄さまは何やら少し考える仕草をすると、おもむろに私に近寄った。ぽん、と幼子にそうするよう頭に掌を乗せる。
「せっかくだから好きなものを食べなさい」
桜餅、本当は好きではないのだろう、と。ずっと隠し通してきた事実を出会ったばかりの殿方に指摘され、今度こそ凍りついた。
しかし。
煉獄さまはそんな私に、「無理はするものじゃない 」と続ける。その声はとても優しく、私を諭すようだった。
その炎のような瞳から、目が逸らせなくなる。時が止まった心地すらした。
私は、ずっと蜜璃姉さまだけがこの世の全てだった。
いつだって姉さまの後ろをついて歩き、何をするにも一緒でなければ気が済まなかった。
姉さまと同じになりたくて、昔えずくまで食べた桜餅は、それ以来好物ではなくなってしまった。桜の葉の塩気が具合の悪い日には特に胃が受け付けなかった。
それでも、姉さまの好きなものを否定したくなくて、更に言うと姉さまと同じ色素を持つのが諦めきれなくて、好きなふりをしてたくさん食べ続けた。本当は、一つ平らげるだけでも精一杯だったのに。
姉さまになりたくて、けれどもどんなに努力してもなれなくて、やるせなさに蹲る幼き私の頭を、焔色の髪をした彼が優しく撫でる。そんな錯覚を起こす。
何か、大きなものが変わる予感がした。
「名前、君はもっと君らしく生きていいんだ」
頬が燃えるように熱い。心臓の音が煩い。
私の名前を呼ぶその声がやけに甘く響き、私の感情を強く揺さぶった。
「あの、名前…」
「いつまでも甘露寺妹と呼ぶのも違うと思ってな!それと俺にも弟がいる。いつか名前に紹介する時紛らわしくならないよう、俺のことも名前で呼んでくれ!」
では、任務に行ってくる!と踵を返した彼の背中を、ぼんやりと見つめる。
なんですかそれ、という突っ込みを回避された気がして、無意識に頬が緩んでいた。
「いってらっしゃいませ、杏寿郎さま」
姿が見えなくなってしまう前にと背中に向けて呟いたその言葉は恐らく聞こえていないだろうけれど、一瞬だけ立ち止まった気がする焔色の後ろ姿を見つめながら、私は彼が今日も無事生きて帰って来られるよう、そしてまた手紙のやり取りができるように、強く強く願った。