愛娘と蒲公英

「ギャァァアアアアア!!」


吉原遊郭の決戦から一夜明けた蝶屋敷。その一日は、蒲公英のような頭をした少年の実に喧しい悲鳴で始まった。




「あ、あの、」
「女神が!!女神がついに俺を迎えにきてくれたんだぁああ!!」
「えっと……」
「俺はあなたと出会うために生まれてきたに違いない!!」
「………」


昨日は意識不明の重体で運び込まれてきたにもかかわらず、目覚めて開口一番がこれだったのだから、名前はおろおろと挙動不審に出口と彼――我妻善逸を交互に見やる。誰かを呼びに行かなくてはという思いと、幻覚が見えているらしいこの少年を果たして一人にして良いのかという不安ゆえに、なかなか次の行動が起こせない。


そもそも、なぜ名前が善逸の病室を訪ねていたのか。
それは名前たっての希望で、今回共に戦った少年隊士三人及び鬼の少女に礼をするためだった。

と言っても四人のうち二人は今も尚危険な状態で病室に入れる状況ではなく、残り二人――善逸と鬼の少女も暫くは目が覚めないだろうと言われていた。
柱である名前が父、天元ならともかく、少年たちは出世こそ早いもののまだ新人隊士なのだ。その場に居合わせては生きているだけで儲けものなところ、戦いに大きく貢献したというのだから名前は大層驚かされた。


『お父様とお母様方を助けてくださった方々に、どうしてもお礼がしたいのです』


だからこそ、両親と涙の再会を果たした後、名前は迷わずそう言ったのだった。


そして、今に至る。
お礼と言っても意識不明の相手にできることはほとんどないだろうと、一先ずは唯一入室を許可されている善逸の病室へ見舞いの花を届けに来たのだが。


「女神様、いや!花の妖精かなあ!?名前は何て言うの?」


花車の花束を持って入室したその時、ぱちりと目を開けた善逸と目が合うや否や、こんな状態である。


「え、あ、花車…です」
「いやその花の名前じゃなくて君の!」


この少年は暫く目が覚めないほどの大怪我を負っているのではなかったのか。
困惑から頓珍漢な受け答えをしてしまいつつ、寝台に横たわったまま真っ赤な顔で血走った眼差しを向けてくる善逸を純粋に心配した。


「私の……あっ、すみません、宇髄名前と申します」
「そうかぁ〜宇髄名前ちゃん………ウズイ?」


可愛い名前だなあウィッヒッヒと、どう見ても不審者な笑みを浮かべた善逸は、次の瞬間硬直した。

聞き覚えが大いにある名前だ。ウズイとは、よくある苗字なのだろうか。否、善逸のこれまでの人生において、ウズイという姓を名乗った者は一人――否、正確には四人しか知らない。
しかもそのウズイとは、善逸が大いに苦手とする人物の名だ。


「いやぁ〜どういう字書くかわかんないけどさ、ウズイは華憐な君が名乗るにはちょっとアレだし、とっとと結婚して我妻になっちゃおうよ!祝言はいつにする!?新居は――」

「善逸さん!目が覚めたんですね!」
「あんだけの怪我負っといて翌日には目が覚めるたぁ、どんだけ頑丈なんだよお前」

「きよさん、…お父様」


せっかくいいところだったのに邪魔が入ったと、善逸はしまりのない顔をたちまち歪めて舌打ちした。

ちなみに蝶屋敷の看護婦であるきよは、舌打ちの対象ではない。善逸の悲鳴を聞きつけて慌ててやってきてくれたのだから、構われたがりの善逸からしたら歓喜である。

しかし、きよに続いて病室に入ってきたその人――宇髄天元はその限りではなく。
明らかに揶揄の意味合いで言っているだろう頑丈という言葉は、あの激戦の翌日にして自分の足で蝶屋敷を歩き回っている化け物にだけは言われたくない。
そもそも野郎を自分の病室に入れる気は毛頭ない上、今まさに祝言の日取りを決めようとしていたところに現れるとはどんだけ空気が読めないのか――――と。はて。一通り天元の悪口を脳内で並べたところで、善逸は聞き流してはいけなかった気がする名前の声が、今一度脳内で再生された。

お父様と。今、お父様と。
彼女は今、この男を見てそう言わなかったか。


「お、おおおおお、お父様ァアア!?」


真っ青になった善逸の本日二度目の絶叫をよそに、天元は「こっち来い、名前」と娘を呼び寄せている。
素直にそれに従った名前は、天元に肩を抱かれながら「コイツはいつもこうだから気にすんな」と雑な説明を受けた。
そして、天元の眼差しが善逸に向かうが早いか、さらりと”それ”を口にする。


「俺の娘、名前だ」

「ハァァアアアア!?!」


善逸の脈拍や血圧を測ろうとしていたきよが「し、静かにしてくださいっ」と諫めるも届かず、その叫び声は蝶屋敷の端から端まで響き渡った。


「テメェ三人も嫁いんのにその上熟女と不貞の果てに隠し子ですか!?いくら色男でもやっていいことと悪いことの分別もつかねえのかよざっっけんなよ!?!?」
「…テメェ何勘違いしてやがる」
「ハァ!?じゃああれか、まだ幼かった雛鶴さんたちを犯して孕ませっ…んごっ!!」
「人聞き悪ぃんだよ馬鹿がっ!!」


善逸のとんでもなく不躾かつ下品な想像が最後まで飛び出すまでもなく、天元の拳によって制裁された。
意識回復から間もなく、起き抜けに騒いだ疲労及び天元の拳骨によって再び意識を失うこととなった善逸の病室には、「キャーーッ!!」ときよと名前から悲鳴が上がったのだった。




***




「宇髄さん!いや!お義父様!!」
「誰が義父だ!!」
「娘さんをお嫁にくださいッ!!」
「やるわけねぇだろ!!」

「………」


あの出会いから三日。
再び見舞いに訪れた名前と、それに付き添った天元の顔を見るや否や、善逸は大きく飛び上がりその勢いのまま――土下座した。
どうやらたった三日で起き上がれるまでに回復したようである。

ちなみに天元はと言うと、流石に欠損した手と目には包帯が巻かれているものの、それ以外に怪我人らしさはない。服装ですら蝶屋敷の患者服には袖を通すことなく、自前の着流しを身に纏っている。これに関しては、「こんな地味なもん着れっか」という天元の単なる我儘に他ならないのはあくまで余談だ。
怪我の程度はどう見ても軽症ではないが、本人が早々に帰宅を希望したことと、自宅で三人の嫁に加え娘が手厚く看病してくれるだろうと、幸いにも本日帰宅許可が下りたのだった。

因みに吉原へ潜入する前の一件、詳しく言うと蝶屋敷の少女たちの誘拐未遂について、蝶屋敷の主人――胡蝶しのぶの猛抗議からの笑顔で吐き出される皮肉の数々にそろそろうんざりしていた天元の不満は前述の通り早々な帰宅願望に繋がり、うっかり溢した愚痴には、「焦っていたとはいえ、あれはお父様がよくなかったのです」と名前にさえぴしゃりと切り捨てられた。相手が敬愛する父であれ、言う時は言う強かな我が愛娘を前に、もうこの話は誰にもするまいと誓ったのもまた余談である。

そんな名前は本日、天元の迎え役だ。ついでに見舞いをと今日は羊羹を持って再び善逸の元へ赴いた次第である。多めに持ってきたのは、父がやらかした先日の一件に対するしのぶたちへの詫びだ。
ちなみに、カーテンがきっちり閉ざされた部屋で眠る鬼の少女――襧豆子には先程、寝台横の机に太陽光がなくとも咲く花を生けてきたところだった。


一応言っておくが、名前が善逸の求婚に応じたという事実は存在しない。
かと言って鬱陶しがっている様子でもなく、ただただ戸惑っていた。
思えば名前が宇髄家に引き取られてからの六年間、まともに異性と接触したことはないのではないだろうか。名前の幸せの邪魔をしてまで自分の手元に置いておこうとは思っていないが、それはあくまで名前を自分や嫁たち以上に幸せにすることができる男が現れた前提での話だ。もちろん、その判定は天元の独断と偏見である。

つまり。惚れっぽく頼り甲斐もない善逸を天元が許すはずもなく、牽制のために見舞いへ同行したというわけだ。
そして、本人置いてけぼりの不毛な言い争いが始まったというのが今に至るまでの経緯であった。


「名前を娶りたきゃ…そうだな、帝都に豪邸を構えて何不自由なく暮らしていけるだけの収入と、俺と互角以上にやり合えるだけの実力、度胸のある男になれや」


そうすりゃ認めてやらんこともない、と天元は意味深に口角を吊り上げた。
それはすなわち、引退する自分の代わりに柱になれという示唆だ。
もしもこちらの条件を満たし、それで尚名前を本気だと言うのなら、天元だって頑なになるつもりはない。まあそもそも、その時名前の気持ちが善逸に向いていたら、の話であるが。
これで無理だと即答するようでは到底娘には相応しくないと判定―――「なります!!」「は?」


「俺は名前ちゃんに良い暮らしをさせてやれる立派な男に必ずなってみせます!!」


いつものようにブチギレながら「はぁ!?無理に決まってんだろ!!」とでも言うと思っていた予想に反して、それはあまりにも素直で清々しい即答であった。
天元はらしくもなく、驚いた形相を善逸に向ける。善逸の目は本気だった。


(まさかコイツ…本当に名前に一目惚れしたっていうのか……?)


それなら厄介なことになってしまった。


──名前の幸せの邪魔をしてまで自分の手元に置いておこうとは思っていない。
思っていないが、こうして天元の挑発に易々と乗り闘志を燃やす善逸と、恥ずかしげに頬を赤らめながら俯いてしまった我が愛娘が視界に映ってしまった今、それは己の精一杯の強がりだったのだと、天元はこの時はっきりと思い知ったのだった。





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