祝事は夢色

(2021年煉獄杏寿郎生誕祭記念)
(『疑惑は薄紅色』より前の時間軸)





私は小さな頃から、とにかく体が弱い。
どれくらい弱いかと言うと、まず体力が壊滅的にない。数分歩くと息切れするし、体力の消耗を考えずはしゃぐと翌日は確実に床に臥せる。
その他、入浴後にきちんと髪を拭かなかった時、散歩の時間が長すぎた時、夜風に当たりすぎた時、精神的に疲れている時、などなど。病名は未だついておらず、虚弱体質の一言で片づけられてしまっているのだから、医学とは何なのだろうと時折しょうもない八つ当たり精神が沸き上がってしまう。


そして、そんな八つ当たり精神は、今まさに私の胸中を渦巻いていた。


「……本当に大丈夫……?」


最愛の姉にこんなお顔をさせてしまう私の虚弱体質とやらは、最早大罪に等しいだろう。
無論、憂いを帯びた姉さまのお顔もそれはそれはお美しいものだけれど、これはそういう話ではない。本来ならば人生の全てを笑顔で、幸せにお過ごしになるべきなのだ、このお方は。

鬼殺隊の柱というお立場と、具合の悪い妹の姉であるという葛藤の狭間にいらっしゃるのだろう、姉さまはひどく心配げに私を見つめていた。
そんな視線を意に介さんとにっこりと笑ってみるものの、明らかに青白いだろう今の顔では恐らく説得力はあるまい。実際、姉さまの不安げな色は何一つ変わっていない。


「大丈夫、ですから……私のことは気にせず行ってくださいませ」
「でも……」
「今日も姉さまのお力を必要としている方が、大勢いらっしゃるのです。風邪をひくたびに姉さまを独り占めしていたら、罰が当たってしまいますわ」


精一杯に茶目っ気付いてみると、やがて、納得いかなそうにしていた姉が漸く「わかったわ」と諦めたように言った。


「なる早で終わらせて帰るから、いい子で寝ていてね!」
「そんな、子供じゃないんですから…」


ほとんど歳の離れていない姉妹とはいえ、時折こうして幼い下の弟妹たちと同じ扱いになるのは姉さまの長女気質故だろう。
部屋の襖を閉める最後の瞬間までどこか心配そうにこちらの様子を窺う姉さまに、いってらっしゃいませともう一度ゆらりと手を振る。
そして、閉ざされた襖の向こうで姉さまの足音が遠のいていくのを子守歌に、私は再び気だるい意識を沈ませていった。




***




夢を見た。

熱くて寒くて、苦しくて。真っ暗な部屋でぽつんと取り残された布団に横たわる私。
こんなに弱い体で生きている意味はあるのかと、知らない誰かの声に耳を塞ぐ。


嫌な夢だ。


そう思った刹那だった。

そんな幻聴を振り払うように真っ暗だった景色が、まるで太陽のような光に満たされた。
不意に、額に乗せられた何かがひんやりと心地よく、上がり切った体温をゆっくりと吸収していく。
耳を塞いだ手を優しく解かれ、代わりに自分のものではない指が己のそれをそっと掬い取った。


ああ私は、この優しい掌を知っている。


「きょう、じゅろ…さま」


「む、起こしてしまったか!」


夢にしてはよく響く声だな、と思わずぱちりと開いた視界の先には、大いに見覚えのある、まるで炎のような双眸が私を捉えていた。

………。
……………。


「ひゃあああっ!!」


夢ではない。そう認識したのとほとんど同時に飛び上がり、勢いよく後退ったせいでドンと襖に背中をぶつけた。
「危ないだろう!」と驚かせた張本人に言われたところで何の説得力もない。

混乱する頭を何とか深呼吸で落ち着かせて、今一度顔を上げてみると、そこにはやはり蜜璃姉さまの元師範であられる煉獄杏寿郎さまその人が、大きく捲れ上がった布団の傍らで行儀よく正座をしていた。


「な、なんで、杏寿郎さまが……!」
「鎹鴉の情報網とはすごいものでな、名前の具合が悪いことを要から聞いた!それに、甘露寺は昨夜から任務に出ているだろう!だから、姉に代わって非番の俺が看病をしにきた!」
「なるほど全然わかりませんっ……!」


一度に喋る情報量が多すぎてついていけない私に、杏寿郎さまはどこを見ていらっしゃるのか分からない双眸でわっはっはと快活に笑った。


「つまり、名前は安心して療養に専念できるというわけだ!」
「いやいやいや、柱の貴重な非番時にそんな雑務押し付けられません!うつっては大変なので、お帰りくださいませ!」
「そんなにヤワではない!!」


さあこちらに来なさいと、乱れた布団を手早く直しては畳に落ちた手拭いを拾って水桶に沈める。なるほど、額がひんやりしていたのは、杏寿郎さまが先ほどからこれの面倒を見てくれていたかららしい。蜜璃姉さまが置いてくれていた時より桶の水嵩が増えているのを見ると、わざわざ水を汲みなおしてくれたのだろう。そのお陰か、眠る前の頭を思い切り揺さぶられたようなひどい頭痛は随分とましになっている。

しかし、何を言っても一歩も引かない彼に、やがて私が折れた。
そういえば自分が寝間着姿であることを思い出して、慌てて布団の中に滑り込む。


「では、少しだけお世話になりますね…」
「存分に甘えてくれ!」


本当に人の話を聞かないなあと思わず苦笑いする。
最初は杏寿郎さまのこの感じがとても苦手だったな、と、ほんの最近の出来事にもかかわらずやたらと懐かしく感じてしまう。
人との距離感が異様に近いこのお方を最初はとても鬱陶しく思っていたのに、その闊達な性格が私の滑稽ともいえる拘りを払拭してくれた。太陽が影を照らすように。

私、この人に何も返せていないなあ。

自然と口から発せられたのは、そんな心境故の問いかけだった。


「杏寿郎さま、お誕生日はいつですか?」


せめて、お誕生日は盛大にお祝いして差し上げたい。

まだ五月だけれど、もう過ぎてしまっただろうか。
陽だまりのような人だから春生まれと言われると大いに納得できるし、向日葵の咲く夏空の下もお似合いだ。さつまいもが好きだとお手紙で仰られていたからか、なんとなく秋の印象もしっくりくるし、寒い冬に真白の雪の中で佇むお姿も風情があってそれはそれは魅力的だ。
どの季節でも似合ってしまうのだから、尚更お誕生日がいつなのか想像がつかない。


「俺の誕生日か?五月十日だ」


なるほど、春生まれでいらっしゃったのか。
五月十日。五月十日。五月十日。
大事なその日を決して忘れないよう、聞いたその瞬間に何度も脳内で繰り返して記憶に焼き付ける。

五月十日………うん?


「五月十日!?今日ではないですか!!」
「ああ、俺も今自分で言って思い出した!」


治まっていた頭痛が再び現れ、眩暈すら引き起こす。
杏寿郎さまほど御多忙にされている方ならば、ご自身の誕生日は覚えていないものなのだろうか。いやいや、そんなことを呑気に分析している場合ではない。
「なるほど、それでお館様は今日を非番にしてくださったのか」と一人で納得する杏寿郎さまを前に、私は慌てて身を起こした。


「こら、寝ていなければだめだろう!」


そんな私の肩をすかさず捉えて布団の中へと引きずり込む。その衝撃で後頭部をぶつけないよう腕を敷いてくれるという細やかな気遣いはこんな時でなければキュンとしていただろうものの、今はそんな場合ではなかった。掛け布団から出した顔は自分でもわかるほど蒼白としている。


「た、た、大変……私なにも準備して、」
「少し落ち着きなさい!気を遣わせてすまない。だが、いいんだそんなことは」
「そんなことではありません!」


誕生日をまるでなんでもない日とばかりに扱う杏寿郎さまに、思いの外大きな声が出てしまった。


「今日という日は、あなたという尊い命が誕生した特別な日です」


だから、そんなことだなんて言わないでほしい。
刹那、彼の焔色の瞳が大きく見開かれた。


私を射貫くその瞳に見惚れていると、暫くして「そうか、…そうだな」という呟きと共に、それがふっと細められる。
悪戯を思いついた子供のようでありながら、それでいてどこか艶めかしく、蠱惑的な笑みだった。


「そこまで言うのなら、祝ってもらおうか」


そう言うと杏寿郎さまはおもむろに布団の隣の畳へ身を横たえる。
まるで添い寝のような状況に、一瞬思考が止まった。貞操観念やら羞恥心やらがただでさえ発熱している体に集中し、頬が燃えるように熱い。


「な、なにを……」
「少し前の君はまともに目も合わせてくれなかったというのに、今ではこうして身を委ねてくれるようになっただろう。それが俺にとって一番の贈り物だ」


そうして幼子を寝かしつけるかのように、片手で私の腹部をとんとんと一定の間隔で優しく叩く。
看病のつもりなのだろうが、これにはさすがにむっとした。


「……もう。蜜璃姉さまも杏寿郎さまも、私を子供扱いしすぎです」
「ははは、すまんすまん。そんなつもりはなかった!」


やれやれとわざとらしく嘆息してみせるも、杏寿郎さまは尚のこと笑みを深めるだけで反省している様子はない。
そして指摘されても尚、私を寝かしつける気満々なその掌にはたまた私が譲歩しては、大人しく布団を口元まで被りつつ気恥ずかしさを誤魔化すように切り出す。


「看病させるのがお祝いだなんてあまりにもお粗末なので、元気になったら改めさせてください」
「それは贅沢だ!」
「何かご所望のものはありますか?」
「そうだな…では、また菓子を作ってもらうとしようか」
「そんなことでいいなら、喜んで」


とん、とん、とん。
他愛のない会話が広がっていく中、自分の気づかないところで徐々に意識が遠のいていた。

非番だからか着流しを身に纏った杏寿郎さまは普段よりも気を抜いたような優しい表情を始終浮かべていて、それをぼんやりと眺めると更にうとうとする。
杏寿郎さまはそんな私に気づいていたのだろう、「おやすみ、名前」とまるで子守歌のような柔らかな声音で落とすと、重たい瞼はついに私の視界を覆ってしまった。

ああ、眠ってはだめだ。
だって、まだ、大事なことを伝えていないじゃないか。


「杏寿郎さま、お誕生日、おめでとうございます……生まれてきてくださって、ありがと―――」
「……ああ、俺の方こそ、ありがとう」


眠気に支配された頭で最後の力を振り絞って紡いだ言葉。
それに満足すると、私は今度こそ意識を手放した。


「菓子の前にもう一つ、貰っておこうか」


ちゅ、と額に触れた温もりは、夢か現実か、確かめる術もなく。





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