Prologue-04 1st grade
学舎を共にしたい───そんなコレットの“希望”を聞き届けた慈悲深き婚約者の計らいにより、男子校へ女子生徒の入学が認められるという前代未聞の騒動から幾日か明けた。
そしてついにその男子校≪ナイトレイブンカレッジ≫の入学式が執り行われた日のことである。
すっかり夜が更け、青白く輝く月もいよいよ沈まんと傾いた時分。コレットは自身が振り分けられたディアソムニア寮で与えられた個室にて、備え付けのソファに浅く腰掛け、一人せっせと趣味の刺繍に興じていた。
しかしその手元に針は握られていない。宙に浮いた刺繍枠に向かい、まるで指揮をするように指先を動かしてはまるで生き物のように自在に動く刺繍針をそれは見事に操っていた。故郷である茨の谷で作られた上質な糸は布というキャンパスへ可憐に絵を描き、やがて蝶の形を成していく。夜の帷を下ろしたような漆黒と、下部には僅かに青緑色のグラデーションがかかった美しい羽の蝶だ。
慣れた手つきで作業を進めながら、思い馳せるは新しく描き加えられたばかりである数刻前の記憶。
厳格かつ一風変わった、そして何より素晴らしい入学式だった。とは言っても、学園長の長話すらも始終楽しげに耳を傾けていたのはコレットくらいであるが、それはさておき。
故郷での同世代などシルバーとセベクくらいなものだったので、あんなにたくさんの人々を見たのは生まれて初めてだった。入学式後、NRCに女が紛れ込んでいると鏡の間では軽く騒ぎになったが、マレウスが直々に前に出ては「彼女は茨の谷次期当主たる僕の婚約者であり、れっきとしたこの学園の生徒だ。仲良くしてやってほしい」と紹介してくれたおかげで事なきを得たのは余談である。リリアがフォローしてくれたこともあり、その後は寮の談話室にて自ら自己紹介する機会にも恵まれた。コレット自身は元々身の回りが男ばかりの環境で育ったため、コミュニケーションに関しては問題ない。新生活へのスタートは順調に切れた…と言えるだろう。入学式も、多数の同世代と交流する時間も、茨の谷を出ること自体、何もかもが初体験目白押しで、寮の部屋で落ち着いたといえども今日は暫く寝付けそうにもなかった。
そして今に至る。最後のひと針を刺し終え、残った糸を鋏でカットして完成かと思われる頃、不意に石造りの部屋にノックの音が響いた。
「コレット、僕だ」
「マレウス様?どうぞお入りくださいまし」
よく知る人物の声を受け、コレットは魔法を解いて刺繍道具をローテーブルに置き立ち上がると、勉強机の椅子にかけていたストールを引き寄せ肩を覆う。そして開いた扉に向き直り、夜着のドレスを軽く持ち上げて恭しく礼をとった。
「いらっしゃいませマレウス様。このような姿で申し訳ありません」
「いい、僕が勝手に訪ねたのだから楽にしろ」
窺える様子からして緊急の用事等ではないらしい。そう言われて姿勢を正したコレットはふとあることに気づき、「あら」と声を上げる。
「マレウス様はまだ式典服をお召しになられていたのですね」
「ああ、少し夜の散歩に出ていた。帰ってきたらお前の魔力の波動を感じ、もしや起きているのではと訪ねた次第だ」
「まあ、そうでしたの」
本日初めて袖を通したNRCの式典服。故郷でのそれとも少し雰囲気の異なるフォーマルな装いは既に貫禄を醸し出しており、彼にとてもよく似合っていた。とても入学したての一年生とは思われないだろう。
そんなことをつい不躾に考えてしまいながら魔法で手早くお茶の支度をするコレットの傍ら、マレウスは室内の奥へと進んでソファに腰を下ろす。その際、テーブルに放られた完成間近の刺繍に気づくや思わず感嘆の息を漏らした。
「素晴らしいな、夜の闇を映したような美しい蝶だ」
「ふふ、お褒めにあずかり光栄です」
ティーセットを運びながらくすぐったげに笑うコレットに自然とマレウスの口元も緩む。
紅茶を注いだカップをマレウスの前に置き、「ありがとう」と早速それに手をつける姿を横目で見やった後、彼の隣に腰を下ろし、そして徐に再び魔法を発動させた。
「鋏よ」
その一声で全てを承知したとばかりに刺繍枠と鋏が浮き上がり、垂れ下がる刺繍針とそれを繋ぐ糸をぱつんと断ち切った。刹那、宙で刺繍枠から布が外れる。
そこへ再び鋏が入れられるのを見るに、どうやら製作中の布はハンカチなどの類ではないらしい。やがて切り出された蝶に「針よ」と再び短い詠唱で裁縫箱に戻っていた針を呼び戻すと、その周りをチクチクと繕い最後の仕上げを施していった。
「……ほう」
やがてマレウスが興味深げに瞬いた先には、まるで本物のような姿で羽を広げている刺繍の蝶。刺繍でありながらハンカチーフや衣服に施された平面的なものではなく、今にも動き出しそうな不思議な造形だ。
「立体刺繍です。羽の周りにワイヤーを入れたので、本当に飛んでいるような形で飾れるんですよ」
「見事だ。このような姿になり、糸も喜んでいることだろう」
「ふふ、ありがとうございます。……では、最後に仕上げを」
話している間に道具を片付け、それらをチェストにしまうと、物音の消えた空間でコレットは改まったように背筋を正す。軽く息を吸い込んだのち、そして詠唱した。
「生きとし生けるものよ、私からささやかな贈り物を授けましょう」
「≪
刹那、蝶が真白の羽毛のように柔らかな光に包まれる。
と、その時。ゆっくりと羽を閉じ、広げ、そして、飛び立った。羽を動かすごとに金の鱗粉がきらきらと舞い落ち、やがては消えていく、なんとも幻想的な光景だ。
“本物のようだった”刺繍の蝶は今、まさに文字通り魂を吹き込まれ、命あるものとして羽ばたいていた。
≪
そうしてコレットの魔力が宿った闇色の蝶は黄金の粉を落としながら、マレウスの周りをくるくると飛び回った。他に何も起こらないのを見て、相変わらず無欲なお人だと、コレットは思う。そして改めてマレウスに向き直ると、にっこりと微笑んだ。
「本当にささやかではございますが、私からマレウス様へのご入学祝い及び、寮長就任のお祝いとさせていただきます。この学園生活がマレウス様にとって素晴らしき糧となりますよう」
「ああ、お前からの祝福、しかと受け取った。まさか入学初日にして寮の代表に選出されるとは思わなかったがな」
入学式直後。各自分けられた寮へ移動する時のことだった。既に先代となってしまった寮長がマレウスの前にやってくるや否や、今日付で寮長の座を引き渡すと跪いて見せたのだ。どうやらマレウス・ドラコニアが入学するという情報は事前に出回っていたらしい。本物の茨の谷次期当主を前に寮の先輩方は明らかに怯えていた。それこそ、女にして男子校であるNRCへの入学が認められたコレットの存在を気にする余裕もないほどに。『学園長を脅して婚約者を同行させた』という根も葉もない…否、あながち間違ってもいない噂が飛び交っていたのは今のコレット達には知る由もないが。
というわけで、学園創設以来初、前代未聞の『新入生による寮長』が誕生したのである。
「まぁ…ドラコニアのご子息を差し置いて寮長の座に就いていられないという先代のお気持ちは理解できます。ですが、だからこそマレウス様は誰よりも相応しく、立派に責務を全うされることかと存じておりますわ」
「……お前はつくづく“次期王妃として”満点の回答をしてくれる」
「?それはどういう、」
「いや、忘れてくれ」
不服げに尖った唇と逸らされる視線にコレットは首を傾げながらも、忘れろと頑なな姿勢を見せられそれ以上追求することはしなかった。少し前からこんなふうに唐突に機嫌を損ねることが目立ってきた我が婚約者殿に、いくら妖精の扱いに長けた彼女とて正直戸惑っているのだが、しかし今回は大事には至らなかったようで、何事もなく会話を続ける様子にそっと安堵した。
「学園はやっていけそうか?」
「ええ、先ほどはおじ…リリア様と一緒に談話室にて寮生の何名かとお話をしておりました」
「フッ、そのリリアの呼び方に慣れるまで暫しかかりそうだな」
「う、だってリリア様、寮分けが終わって急に『わしも今日からピチピチの高校生、皆と対等の学生になりたいがゆえ“おじさま”は禁止じゃ!』とおっしゃるんですもの。もっと早く申し付けてくれていれば、すぐにお呼びできるよう気持ちの準備をしましたのに」
「あれは思いつき行動が多いからな。それに妖精族が長命であることを知らない人間も多い、要らぬ混乱を招かないためリリアなりの配慮とも言えよう」
「なるほど……では、来年はシルバーも“リリア様”もしくは“リリア先輩”と呼ぶようになるのかしら」
「ふふ、こちらも違和感が凄まじいな」
違和感に苦戦しながらもそれでも案外平気そうに“先輩”と呼んでみせるシルバーを想像し、コレットは思わず吹き出した。このままいけば父親が同じ学校の先輩になるという面妖な展開が待っている弟のような存在に思いを馳せる。最後に会ったのは入学式三日前、勝手に学園へコレットの入学許可を求めたマレウスとそれを知っていながら対処を怠ったコレット二人に女王と宰相より課せられた謹慎、即ち罰が漸く解けて外出が許されるようになったその日のこと。謹慎中にせっせと量産した刺繍入りのハンカチーフに治癒魔法を施し、普段から厳しい鍛錬で生傷の絶えないシルバーとセベクへ渡しに行ったのだ。留守中のお守りにしてね、と。
こんなにも物理的にシルバーと離れるのは実は初めてだった。寂しくはないが、なんとなく落ち着かないような不思議な心地はする。が、ホリデーになれば帰省するし、そうでなくとも一年なんてきっとあっという間だ。毎日楽しく過ごしているうちにシルバーが入学してきて、そして次の年にはセベクも。
「……楽しみね」
つい零れた呟きにマレウスがその横顔をちらりと見やり、そして思わず目を丸くした。視界に映したコレットが、少なくとも近年では見たことがないほど朝焼け色の瞳を爛々と輝かせ、年相応に浮かれきった顔をしていたのだから。
それが見れただけでも“おばあさま”に叱られた甲斐があったと、まるで反省していない男は白皙の美貌にぞっとするほど美しい微笑みを浮かべる。
ああ、なんとも愛らしい。その本音をそっと内にしまい、やがて「そうだな」と相槌を打った。
「明日から授業が始まる。僕はそろそろお暇をすることにしよう」
「それならお部屋までお見送りを」
「いい、そもそも隣だろう。夜明けが近いのだからコレットも少しは安め」
そうなのだ。本日付で寮長に就任したマレウスと、一年生といえどもさすがに男子生徒と一緒に四人部屋を使うわけにもいかないコレットに与えられた個室。誰による配慮なのか何なのか、隣同士であった。これまでオディーリエ邸に訪れたマレウスを迎えたり、逆にコレットが城へ出向いたり、婚約者同士なだけあってそれなりの頻度で顔を合わせてはいたが、これからお互い隣の部屋で生活すると思うとなんだか少し緊張してしまう。
ソファから立ち上がったマレウスにならばせめて扉まではと共に席を立ち、出口まで連れ添って歩む。
「ふふ、承知しました。では、また後ほど」
「ああ、おやすみ、コレット」
「おやすみなさいませ、マレウス様」
扉を開け、出ていくマレウスの傍らには先ほど自身が贈った刺繍蝶が変わらずぴったりとくっついて飛んでいて、あら、と思わず小首を傾げた。
シルバーとセベクに贈ったハンカチのようにあらかじめ付与する効果が決まっているもの以外は先述の通り、相手の願いに反応して自動的に効果を発揮するのがコレットのユニーク魔法であり、この闇色の蝶は後者だ。もしも相手が何も望まなかった場合、コレット特有の白い羽毛のような魔力の波動を残しつつ、その品が最も美しい姿を一定時間維持した後、やがて元の姿に戻ってしまう。これもそろそろ効力を失い、ただの立体刺繍に戻ってもおかしくない頃合いだが、美しく羽を広げる姿はその気配すらなく、まるで本当に意思を持っているかのようにマレウスから離れようとしない。
「(もしかしてマレウス様、ペットでも欲しかったのかしら……?)」
彼は既に昔リリアが旅の土産に買ってきたらしい『がおがおドラコーンくん』という電子ペットを日々大切に世話しているはずだが。
頭上に疑問符を浮かべながらそっと扉を閉めるも、見当違いなコレットの思考が真の答えに辿り着くことは恐らくないだろう。部屋に戻ったマレウスがこの、ひと目見れば自分を思いながら作ったものだとわかる闇色の蝶にひっそりと保存魔法をかけたことも。
あれから2年。未来の夫の愛に未だ気付かぬ半妖の少女は、夜闇の中を静かに舞い降りる。
心当たりを幾つかあたった今、漸く探し人の姿を見つけてほっと安堵した。
「ここにいらっしゃったのですね、マレウス様」