場地くんと約束
肌が焼かれるような暑さに目が覚めた。じわじわと全身に滲んだ汗が気持ち悪い。顔だけでも汗を拭おうと机横にかけてある鞄からタオルを取り出そうと上体を机に倒したまま手だけを下に滑らせた。
「まぶし...。」
寝起き特有の掠れきった声が教室に響いた。我ながら酷い声だと自嘲しながら引っ張り出したタオルを顔に掛ける。私以外気配のない教室は静まり返っている。そのため遠くの声がよく聞こえ、沢山の音が私の耳を刺激した。運動部に所属する学生たちの掛け声やわんわんと頭に響く蝉の鳴き声。ひっきりなしに届く音に体を伏せたまま耳をすましていたらそれに紛れて足音が聞こえてきた。
「あ?まだ寝てんのか。」
その声にゆっくり体を起こし、声の聞こえた教室の入口に顔を向ける。
「おきてる。」
まだ治っていなかった掠れた声で返事をすれば、場地はふはっと笑いながらこちらに寄ってくる。
「お前声ガラガラ。」
ケラケラ笑いながら圭介は手に持っていたペットボトルを私の頬に押し当てた。冷たい水滴が滴るそれは太陽の熱に焼かれた肌に心地よい。
「ん、やる。」
「ありがと。」
ことん、と机にお茶のペットボトルを置いた場地は私の前に座ってあちぃ、首のボタンをひとつ緩めた。それを横目に私は貰ったペットボトルを開けようと蓋に手をかけた。が、寝起きの体で力が入らず中々蓋があかない。
「かせ。」
その言葉と同時に持っていたペットボトルか拐われていく。あ、と思った時には蓋が開いたそれが戻ってきた。
「ありがとう。」
「ん。」
ごくごく、と喉から音がなるほど勢いよくお茶をのむ。自分が思っていたよりも喉が乾いていたようで少しのつもりが半分ほど減ったペットボトルを机に置きながらあぁ〜、と一息つけば場地が笑う。
「お前、ジジイじゃねーか。」
「失礼だなぁ。ぐいっといったあとはここまで言うのが礼儀というものでしょ?」
「お前が老けてるだけじゃね?」
八重歯を見せて笑う場地。思いのほか幼い顔をするんだよなぁと思いながら怒ってますよ、というポーズを取るために眉をきゅ、と寄せてみせる。
「そんなこと言うなら帰ろっかな。」
そういえば少しだけバツが悪そうに場地が頭を搔く。こういう時素直にごめんって言えないのが場地らしいなとバレないように小さく笑う。
「じょーだんだよ。場地がまた留年したら大変だからね。」
さすがに中学でひとつ上の後輩が出来るのはやだよ、と肩を竦めてみせればそ〜っと逸らされる視線。...真面目に有り得る可能性なんだよなぁ。
「じゃ、取り敢えず早く始めよ。誰かさんがドタキャンしまくったせいで日にちもないし。」
「ぅぐっ...。」
「鳴いてないで早く課題出してー。」
早く夏休みの課題を出すように急かすと沈痛な面持ちで鞄から課題を取り出す場地。一掴みで持ちきれなかったのか数回に分けて取り出された課題に思わず頬が引き攣る。
「え、...これ全部?」
「おう。」
「......もしかして少しもやってない?」
「おう。」
何当たり前のこと言ってんだこいつと言わんばかりの場地に頭痛が起こる。本当に2回目の留年の危機という自覚があるのだろうか。夏休み前に課題を前に途方に暮れていた場地に手伝うと言ったあの日の私を全力で止めてあげたい。委員会の仕事で夏休み中も学校来るからってその時なら付き合うよなんて軽く言った私、本当にバカ...。
「一緒にやるって言ってただろ。」
「うん、手伝うとは言ったけど...。もう夏休み終わるまで2週間くらいだよ?終わるのコレ...。」
ぱらぱらと課題をめくれば本当に真っ白なようで。
「夏休み入ってから何やってたの?」
「あ?喧嘩。」
「課題と?」
私の言葉にはぁ?という顔をした場地は手首に着けていたゴムで髪をひとつに括った。いつものカッチリ優等生スタイルではなく高い位置で前髪も巻き込んだポニーテール。髪の量があるから響きほど可愛いものでもないけれど。
「お母さんが泣かないように頑張るって言ってたのに...。ほら、もう本当に休んでる暇ないよ!とりあえず場地が1人でできないやつからやろ。数学でいいよね?」
「...おう。」
母親の話が出て少し狼狽えていたようだが持ち直し、数学の課題を開いた。私は取り敢えずできなかった時に助けていこう、と1問目を解くべく問題を読み進める場地の旋毛を眺めながら頬ずえをつく。けれど、2分もしないうちに、
「は?んだこれ。」
とシャーペンを投げ出した。 問題は式の計算についてでカッコを外し同類項をまとめる問題だ。基礎中の基礎なんだけど場地って本当にどうやって考査通ったんだろう。そう思いながらも場地に説明するために教科書を開いた。
▽△▽
(つ、疲れる...。)
ひとつの説明に15分から30分近くかけながらなんとか場地に問題に取り掛かれるだけの理解をしてもらい課題を解かせながら心の中で溜息をつく。間違いが無いように途中式まで目を配りながら喋りすぎでカラカラに乾いた喉を潤すべくペットボトルを手元に引き寄せた。場地は理解は遅いが(やる気があれば)根気はあるのでゆっくりではあるが教科書の公式や私が説明用に書いた図、例題を見比べながら黙々と進めている。
(肌しっろ...。髪もツヤあって綺麗なんだよね...。石鹸で髪洗ってますみたいな顔してるのに。バチバチヤンキーで漢って感じなのに羨ましいパーツばっか持ってるのずるいなぁ。)
「あ?」
「ガラわっる。」
「はぁ?」
流石に無遠慮にジロジロ見過ぎたのか不機嫌そうに顔を上げる場地。釣り上がった目と眉に少しだけ怯みながらも正直な感想を吐けば冷めた視線が突き刺さる。
「元からこんなだっつの。ほっとけ。」
集中力が切れたのか持っていたシャーペンを机の上に転がしそっぽを向いた場地に苦笑しつつ時計を見る。課題を解き始めてから1時間、休憩にはいい時間かもしれない。
「夏休み本当に喧嘩しかしてないの?」
「あー...。喧嘩すっかゴキとばすか東卍のメンツで集まるかくらい?」
「それいつも通りなんじゃないの?東卍のメンツってどうせ松野くんでしょ?」
「まぁ、千冬もいる。」
やっぱり。あんまり松野くんとは話したことは無いが学校で場地と一緒にいる姿をよく見かける。忠犬のように毎度休み時間にやってくる彼に周囲ももう慣れきってしまって違うクラスの松野くんがうちのクラスに居ることも当たり前になってしまっていた。
「そうだ、国語は松野くんに教えてもらいなよ。」
「...あ?」
「私と会う時以外にも課題進めないと本当に終わんないよ...。むしろ国語以外も教えてもらいなよ...。」
「あー...。」
珍しく歯切れの悪い場地に首を捻る。なんだ?と考えを巡らす。そういえば松野くんは東卍で場地の部下的な立ち位置らしいと聞いたことがあるような...?それに思い当たり思わず半目になる。
「場地...。プライドだけじゃ進級できないよ...。」
「はぁ?...あー、わかったわかった。」
面倒くさそうに手を首に回して頷く様子に本当にわかってるのかな、と不安が膨らみ、尚も続けようとする私に場地が声をかける。
「お前は?」
「え?」
「お前は何してたんだよ。」
その問いに虚をつかれてお小言を言おうと開いた口を閉じる。何してたっけ、と少しだけ考え込む。
「私も人のこと言えないかも...。宿題とか委員会の仕事とかしてあとはダラダラ...?あ、でも次の日休みだから夜更かしは結構してる。」
暑くて外出る気失せる...と項垂れて答えればふーん?と場地が興味無さそうに相槌をうつので聞いた癖に、と少し口を尖らせてみる。
「もっと夏っぽいことしたかった...。花火とか海とか。お祭りも結局行けなかったんだよね体調崩して...。場地はいった?」
「喧嘩してた。」
「お祭りの日まで?血の気が多すぎじゃん...。」
尚も変わらない場地の返答にドン引きする。
「あ〜あ、今年の夏なーんもなかったなぁ...。彼氏と過ごすなんて贅沢言わないからせめてもうちょっと夏っぽいことすれば良かった...。」
「じゃあやるか。」
「え?」
ぱっ、と顔をあげればなんて事ない顔でこちらを見る場地と目が合う。
「まだ夏休み2週間あんならまだまだ出来んだろ、夏っぽいこと。海行こーぜ、海。」
俺も今年は行ってねぇしと笑う場地にぱちぱちと目を瞬かせる。
「...本気で言ってる?」
「当たり前だろ。」
「そっかぁ...。」
私の反応が微妙なことが不満なのかムッとした顔でこちらを見る場地。誘ってもらえて嬉しくないわけじゃない。訳じゃないんだけど...。
「1日海に行って時間潰せる余裕が場地にある?」
「...ナイデス。」
「だよね。夏休みの課題ちゃんと出さなきゃ平常点すら取れないしなにより今回夏休みの課題以外に特別課題貰ってたよね?それ赤点とった補習代わりの課題だよね?」
気まずそうに視線を窓の外に向ける場地にため息をひとつ。
「ワリィ。」
「謝らないでよ。気持ちは嬉しかったし。...気を遣ってくれてありがとう。」
そう笑えば場地はぼりぼりと頭を掻きながら別に気ぃ遣ったワケじゃねぇけど...と不満そうに黙り込んだ。
「んじゃあ来年な。」
そうして告げられた言葉に咄嗟に返す言葉が見つからず今度は私が黙ってしまう。
「来年は一緒に海行って祭り行って花火しよーぜ。」
「...じゃあ来年もまた場地の課題の面倒みなきゃだね。」
咄嗟に出たのは可愛げのない憎まれ口でそんな私に場地は大きく口を開けて笑った。
「お、よろしくな。」
「自分1人でやろうという気がひとつもないじゃん。」
そんな場地につられて私も笑ってしまう。
「あ、でも来年は中三だから私たち受験勉強の最中だよ。」
「ゲェッ...。」
「ま、進級できなかったら場地には関係ないからなぁ...。」
「そうならない為に今やってんだろーが。」
苦々しい顔をしてシャーペンを拾い上げた場地に休憩も終わりかと私も少し伸びをして切り替える。解答途中だった問いを睨みつける場地を他所にその前の問の場地の解答を解読していくことに集中する。あれは1?7?
「来年が無理だったら再来年いけばいいだろ。」
「え?」
集中していたため言われた言葉に反応出来ず顔を上げれば橙色の瞳と目が合った。
「別に来年しかねぇ訳じゃねえし。...高校上がってからでも遊べるだろ。」
そう言って視線を問題に向け直す場地に対して私は少しずつ言葉を噛み砕いてから口角が上がっていく。
「...そっかぁ。そうだね。」
「...おう。」
「じゃあやっぱり、一緒に高校上がるためにも進級しなきゃね。」
「...おう。」
「残り2週間は勉強漬けだね。」
「......おう。」
視線を課題に向けたまま返事をする場地に笑みをかみ殺す。こういう所があるから場地のこと好きなんだよなぁ...。
「約束だよ。」
「ん。」
そうやって頷く場地の顔が本当に優しいものだったから、少し気恥ずかしくなって私は再来年の夏まで思いを馳せながら窓の外に視線を向けるのだった。
2021/07/18
2021/09/06 修正