マイキーと地獄


注>フィリピンマイキー

どちらを選んだ方がより地獄に近かったのだろうか。

あの日万次郎の手を掴んだ日から度々考える。あの子のためにマイキーとなった彼が真一郎くんの影のように変わっていく様を隣で見ながら。私は弱いから万次郎を救うことも一緒に堕ちてあげることもできなかった。こんな私が一体彼に何を上げられるのだろう。

「名前。」

ぼんやり薄暗くなった部屋の中で微睡んでいたら私を呼ぶ声が聞こえた。ゆっくり瞼をあけ、声の聞こえた方に顔を向ける。

「おかえり。」
「...ただいま。」

寝起き特有の掠れた声で万次郎に応えれば緩く笑って万次郎の体がベッドに沈む。私の隣に寝転んだ万次郎はそのまま私を緩く抱き寄せる。ほのかに汗の匂いと鉄の香りが鼻腔を擽る。それに知らないふりをして私も万次郎に抱きつけば骨ばった手が私の腰にまわる。痩せたな、とぼんやり思う。いや、痩せたと言うより窶れたというべきか。少しずつ少しずつ万次郎は小さくなっていく。既にそれが窶れたからなのか彼の気力が消えゆくためなのか私には判別できなかった。多分両方だとは思うのだけれど。

「名前、」
「うん、なあに。」

万次郎の胸に顔を寄せ出来るだけ柔らかい声音で応える。傷ついたこの人がもう苦しまないですむように。

「ごめんな...。」
「......。」

何に謝っているかもわからず、答えに詰まる。その言葉になんと返すのが正解だろうと思考を巡らせながら黙って顔を上げ彼の瞳を見つめる。視線が交わると色のない顔でぼんやりこちらに視線を向けていた万次郎がふと目を伏せる。

「離してあげられなくてごめん。」

力の入っていなかった万次郎の腕にぎゅっと力が籠る。あぁ、また私があなたを苦しめている。

「違うよ、私が万次郎を離してあげられないの。」

そう答えて私もぎゅっと万次郎に抱きつく。どくどくと万次郎の鼓動が聞こえてきてどうしようも無く泣きそうになった。

東卍が解散したあの後。少しずつ変わっていく万次郎の元を離れるようにと何度もドラケンや三ツ谷くんから説得を受けた。万次郎だって何度も私を手放そうとしていたことを知っている。それでも彼の手を掴んだのは紛れもない私なのだ。どうしようもなく悲しみに包まれた彼の手を引っ張りあげたかった。私には無理だったけれど。

「ね、万次郎。」
「...ん。」

呼びかければ少しだけ万次郎の腕が緩まる。彼の胸に埋まっていた顔をもう一度上げその瞳をひたと見据える。

「わたしのこと嫌になったらちゃんと言ってね。」
「そんなことあるわけねェだろ...。」
「...ん、そっか。」

そーだよ、と言って目を瞑る万次郎は涙なんて一滴も流していないのに泣いてるようにしか見えなかった。いや、実際泣いているのだ。いつだって彼の心は傷を抱えていてそれがカサブタになんてなってくれない。痛いのにその痛みが常だからそれが痛いことすらわからなくなってしまったんだよね。

「わたし死ぬときは万次郎と一緒がいいなぁ...。」

ふと零れたのはずっと私が思い続けていたこと。死ぬ時が選べるのなら。私の終わりが彼と共に在れたならそれだけでいいと本気で思っているから。

「せめて私くらいは万次郎と一緒に地獄に行ってあげなきゃね。」
「お前も地獄行き確定なの?」

少しだけ柔らかくなった声音で万次郎が笑う。

「そりゃそうだよ、だって私悪い子だもん。」
「なら、オレは地獄にもいけないかもな。」

悪い子どころじゃねぇから、と自嘲気味の万次郎を見てられなくて言葉を封じるように無理やり唇を合わせた。

「一緒だよ、私がずっと手を握っておくから。」

そうやっていって私の右手を彼の左手に合わせる。ぎゅっと骨ばった手を握り込めば恋人にするように彼も握り返してくれる。

「だから万次郎も離さないでね。」
「......あぁ。」

私の言葉に頷いて万次郎は目を閉じる。それは眠るためと言うよりこれ以上会話をしないという意思表示。相変わらず嘘をつくのが下手だなぁ。きっとその時が来れば彼は私の手を離して行こうとするのだろう。

幼い頃に約束した。万次郎は覚えてないだろう本当に些細な約束。いや、約束とも言えないかも。彼が一方的に告げた言葉。

--......俺の傍から離れんなよ。

迷子になった私をよく見つけて手を引いてくれた万次郎。その度に不機嫌そうにするのに迷子になった時必ず私を見つけてくれるのは万次郎だった。そして毎度私にいうのだ、離れるなよと。

だから小学校にあがっても彼が東卍を立ち上げても、真一郎くんが、エマちゃんが亡くなったときも。彼の近くに居続けた。

東卍が解散してしまったとき。万次郎は私を本気で置いてくつもりだった。彼に差し伸べられた手をあの時取らなければ二度と顔を合わせることなんて無かっただろう。私が、選んだ。後悔なんてひとつもない。私は万次郎の傍に居たかったから。

けれども。

あの日もしも万次郎の手を取らなかったらと考える。万次郎の手を取らず、万次郎を忘れ、普通の人に恋をして普通の人と同じように結婚して、在り来りな家庭を持ったとして。そうすれば万次郎はこんなに苦しむことは無かったのかもしれないとも思う。中途半端に心を持ったまま宙ぶらりんになってしまった万次郎は私がそばに居ることが、それこそが今の彼にとって最大の苦痛なのかもしれないと。壊れて堕ちて、心もなくただの人形になれたなら彼は苦しくなんてならずにすんだのに。それが決して正しいことでないとわかっているけれど。

ずっとずっと昔から地獄への案内人は本当は私なのではないかと、そう思っている。


2021/06/12
2021/08/31 修正








MAINへ戻る




Since2021/09/01(5)