プロポーズの話


「なぁ、結婚する?」
「......はい?」

リビングでワイドショーをぼんやり見ていた私の隣に座っていた蘭が爆弾を落とした。あまりにも普通のトーンで話すので聴き逃してしまいそうであったそれを理解した瞬間、首をぐるりと蘭に向けた。

呆然と視線を向ければそこにはいつもと変わらず美しい男がやはりいつもと変わらない表情でそこにいた。相変わらず何を考えているか読みづらい顔でそこに居るから冗談なのか判別がつかない。これは冗談なのか本気なのか、なんて返答するべきかと無意識に唾を呑む。

「聞いてんの?」

反応が無かった私に少し眉を寄せながら蘭の手が私の頬に伸びる。優しく頬を滑る指に察する。あ、これふざけてないやつっぽい。

私と蘭の付き合いはかれこれ20年以上の付き合いになる。小学生の頃に喧嘩帰りの蘭とたまたま出会い、何故か会う度に話すようになった。灰谷兄弟はランドセルを背負っていた時から悪名高く、初めて彼に出会った時は怯えすぎて会話になっていなかったと思う。兎に角彼の言葉を肯定するマシーンと化していた記憶がある。気に障らないことにばかり気を遣っていた私には何が気に入ったのかは分からないがそれから彼は私と顔を合わせるなり弟である竜胆を先に帰らせ(或いは溜まり場に向かわせ)て私と少しの時間を共有した。基本的に彼と出会うのは塾の帰り道だった。空が茜色に染る頃、帰り道の途中にある公園に蘭は居た。

蘭は私に暴力を振るうことはなかったがその暴力性の片鱗を垣間見せることは多々あった。例えば返り血にまみれた洋服だったり、腫れた頬や唇だったり。蘭は会う度に喧嘩後と判る痕跡をどこそこに散りばめていた。そして痛そうなその傷を見て私は怯えながらハンカチや絆創膏を差し出すのであった。今でもハンカチや絆創膏ガーゼなど簡易救急セットを持ち歩くのはその時の名残である。蘭との会話の内容はその時の彼の気分によって決まった。好きな食べ物なんて在り来りな話題から彼がその日喧嘩でのした相手の何処が気に食わなかったとか。とにかく色んな話をした。蘭は話の内容なんて興味なくて単純に私の反応を面白半分に見ていたのだと思う。自覚はあんまり無いけれど顔に表情が出やすい私で遊んでいたのだ。

長くても30分程度の密会はいつしか恋人の真似事をするようになっていった。なぜ、と言われると明確な答えは出せない。不良やヤンキーなんて簡単な言葉に括っていいのか悩むほど美しく凶悪な男が私に笑いかけてくれる事に絆された、というのが私が提出できる答えである。けれどもなぜ蘭が私に恋愛の真似事を行うかは未だに検討がつい ていない。何なら外に別のコイビトがいても可笑しくないし、寧ろ居ない方が可笑しい。私と蘭の行為は私にとって恋人と思わせるものだけれどそれを明確な言葉にしたことは無いし、蘭にとっては飼い主とペットという方が正しいのかもしれない。或いは持ち主と玩具。一番最初だって私が話してる時に急に蘭が私にキスして来たのが始まりだったし。勝手に私がソウイウ意味だと思ってたけど単純に親愛とかペットへのキスと同じだったのかもしれない。蘭の性格から考えるとまぁ欲発散できるならコイツでもいいかみたいな妥協も普通にありそうだし。愛玩動物くらいの感覚なのかも。と、思っていたのだけれど。

「結婚ってなにか分かってる?」
「は?馬鹿にしてんのか?」
「いや、だって結婚だよ......?」

蘭は結構、かなり、とてもねちっこい性格なので自分の所有物を奪われることを嫌う。飽き性である癖に私を手放さないのはそのねちっこさから来るものだと思っていたが...。

「結婚って人生の墓場って言うし......。結婚したらもう女遊び出来ないんだよ?」
「あ〜?最近は落ち着いてんだろ。」

いや、知らんがな。思ったまま口に出しそうだった自分の口を慌てて塞ぐ。ていうか自分で言う?確かに学生の頃はもっとあからさまに女物の香水を身に纏っていたりキスマークつけていたりしていたけれど、蘭が”オシゴト”してきた後は基本シャワー後なのでキスマークはともかくその痕跡が隠れてしまう。だから最近の蘭の女事情など私の与り知る所ではないのである。

「や、わかんないけど...。でも今は落ち着いてても先のことは分かんないでしょ?結婚してたら都合悪くなるかもしれないし?」
「何、ヤキモチぃ?かわいいねぇ♡」

機嫌が良さそうに蘭が眦を下げる。珍しくニコニコと笑いながら私の髪を掬って口付ける蘭に軽い頭痛を覚えた。違う、そうじゃない。

「結婚したら次に移るのだって大変なんだよ?離婚しても100日は結婚できないとかもあるし......。今のカンケイのままで良くない?」
「ハ?お前俺以外に男いんの?」
「いやだから...私じゃなくて蘭の話だってば...」

ニコニコ笑った顔を一変して持っていた髪をグッと引っ張る蘭に顔を顰めながら返す。

「それ女側だけだろ。ていうか、お前俺がお前を手放すと思ってんの?」

シラケた顔で髪を放してソファの背もたれに両腕を回し、こちらを流し見る蘭に乾いた笑みを浮かべる。無知を晒した恥ずかしさとなんでそんなこと知ってんだという理不尽な怒りと蘭の私への執着に対する少しの喜び。色んな感情がぐちゃぐちゃになって私の胸を締め付ける。

「いや、あんまり、思ってないけど......。」
「じゃあ何が気に食わねぇの?」

じっとこちらを見透かすように蘭が見つめてくる。何が気に食わないかと聞かれても......。

「蘭って私の事好きなの......?」
「......ハァ?」

面倒臭いことを聞いている自覚は勿論ある。こういう質問、蘭は嫌いだろうなと思って避けてきた。捨てられたくないなと思う程度には彼のことが好きだったから。返答が怖くて俯いてしまう。じわじわと涙の膜が張られてきた。泣いたら余計うざがられるなんて分かっているのに止められない。

「バッカじゃねぇの?」

視界の端に細く節くれだった指が見えた。そのまま蘭がぐっと私の顎に指をかけ、私の顔を上に向け唇に噛み付いてきた。文字通り、噛み付く。イ゛ッ、と悲鳴が漏れ、咄嗟に蘭の胸を両腕で押す。その腕を片手で掴み、噛んだ箇所を軽く舌でなぞって蘭が顔を離す。

「俺がこんだけ尽くしてんのにまぁだ足りねぇワケ?」
「え......」
「俺にここまで生意気なこと言って無事で居れるオンナ、お前くらいだけど。」

自覚なしなんてやるなぁ、と据わった目で蘭が笑う。ひしひしと怒りを感じるがそれどころでは無い。蘭が私を好きだった......?

「私さぁ、」
「アァ?」

俯いて言葉を紡げば蘭は胡乱げに返事をしながら私の手を解いた。

「いつか蘭が私に飽きる前に、蘭との子供作って夜逃げでもしようと思ってたんだよね。」
「......。」

ちらり、と視線を上にあげれば恐ろしいほど感情が凪いだような顔をした蘭が此方を見据えていた。それに何故か笑えてきてふ、と自嘲するような笑みが零れた。

「蘭が私に構ってくれなくなっても、蘭に似た子供が私に笑いかけてくれるなら素敵だなって。」

私の描いた理想郷。たとえ蘭が傍に居なくてもそれなら私は幸せになれると信じていたから。手を握れば握り返してくれて、好きといえば好きと返してくれるような幸せを夢見ていた。

「おまえさぁ......、」

ほろり、と溢れた涙を拭いもせずに顔をあげれば呆れたような顔をした蘭が私の頬に指を滑らせた。雫を払いあげたその美しい指が私の輪郭を優しく辿る。

「オレの子供がお前の手に負えると本気で思ってんの?」

あまりの物言いにぽかん、と口を開けて蘭を見つめる。

「オレの子供育てたいなら俺なしには無理だろ。」

当たり前だろと言わんばかりに鼻を鳴らして蘭が立ち上がる。そのままダイニングテーブルに放り投げてあった自身のスーツのポケットから何やらを取り出して私の方へ放り投げた。咄嗟のことながら何とか掴み取ったそれは純白のリングケースだった。

「いつから、」

こんな準備をしていたのか。驚きと喜びと困惑が入り交じってまともに思考が働かない。結婚。それは私が好きだから?それとも蘭は妻のことを専属家政婦とか思ってる?

震える指でリングケースを開けると想像した通りそこにはプラチナリングが鎮座していた。真ん中にダイヤモンドが装飾された華奢なリングはその軽さとは裏腹にずしりと私の体を重くする。

「さぁ。お前が居ることが当たり前になったときから?」

回り込んできた蘭がソファに座る私の前にまるで跪くように屈み私の顔を覗き込む。ひょい、と私の手からリングケースを取り上げ、指輪を私の左の薬指に嵌めながら蘭が笑う。ずるい、ずるい、こんなときばっかりそんなやさしいかおするなんて。

「で、本気で俺から逃げるの?」
「...逃がしてくれないんでしょ。」
「よくわかってんなぁ。」

よく出来ました、と右手を私の指に絡め左手で私の頭を緩く撫でながら笑う蘭に全身から力が抜けた。あぁもうほんとうに完敗だ。

「......浮気は許さないからね。あと子供も2人は欲しい。女の子と男の子。」
「そりゃ、お前の頑張り次第だろ。頑張って腰振れや。」
「本当に最低。」

眉を寄せながら吐き捨てたわたしに蘭が私の薬指に嵌ったプラチナを撫でながら美しく笑う。

「今更だろぉ。」
「確かに。」

それでも嬉しい私もどうかしている。








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